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阿含宗という宗教150

1 :口下手番長150:2008/11/13(木) 13:20:45 ID:BaUQT13W
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
初めての方のためのダイジェスト版は
http://religion.bbs.thebbs.jp/1130673101/ の[463]-[864]
http://religion.bbs.thebbs.jp/1137513788/ の[7]-[79]
過去の関連スレッドは下記にあります。
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/
http://i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fetcsouko.hp.infoseek.co.jp%2F
ダウンロードして保存することをお勧めします。


2 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 13:23:32 ID:BaUQT13W
スレ149
>678 :阿含宗HPより :2008/11/12(水) 15:24:18 ID:CXjrQ2Mn

同じ事をしていても、大作さんは金を使って宣伝し、アゴン宗は社会的に
認められたと信じているのもおかしいし、火としては区別がつかないのに、
アゴン宗の護摩だけを聖火だと信じているのもおかしいと思いませんか。
こうやって自分の信じていることを一つ一つ検証するのが四念処なのですよ。
桐山さんが言うような、座って、苦・不浄・無常・無我など頭の中であれこれ
空想することではありません。
信者さんたちは、執着している火は浄らかであり、カルマを断ち切るから
地球救済という楽が得られ、死者たちの霊魂が存在すると信じて、
それを断ち切る法があると錯覚している。
こういうのを「浄・楽・我・常」といって、四念処によって否定される内容です。
つまり、信者さんたちは四念処の「不浄・苦・無我・無常」の逆を行っている。
桐山さんの言うように、四念処とは頭の中であれこれ空想することではなく、
こんなふうに我々の日常にそのままあてはめて省察することなのです。
桐山さんのいうような難しい内容ではなく、
自分の言動を四つの観点から省察するという簡単ですぐにできることです。
ぜひ、活用してみてください。

3 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 13:30:57 ID:BaUQT13W
申し訳ありません。
スレ150を先に立ち上げていただいたことに気が付かず、
立ててしまいました。
二つあることになってしまうので、こちらを先に消費してしまい、
ここが終わったら、そちらに移るということでいかがでしょうか。

4 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 13:56:55 ID:X/f/tGY+
はっはっはっ私は宇宙宗教ですから。

5 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 16:51:55 ID:JqkfPCpk
(*゚▽゚)ノ★+☆【祝150】☆+★ヾ(゚▽゚*)

6 :うっかり八兵衛:2008/11/13(木) 17:05:30 ID:7c83q7KM
八聖道を知ると同時にこの唄も知り給え。

http://jp.youtube.com/watch?v=9Iy4RlwWQ-0

7 :【祝150】:2008/11/13(木) 17:13:52 ID:JqkfPCpk
>>3 名前:神も仏も名無しさん :2008/11/13(木) 13:30:57 ID:BaUQT13W
>申し訳ありません。
>スレ150を先に立ち上げていただいたことに気が付かず、
>立ててしまいました。
>二つあることになってしまうので、こちらを先に消費してしまい、
>ここが終わったら、そちらに移るということでいかがでしょうか。

削除依頼出しときました。消えると思います。

8 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 20:55:11 ID:irOL3pmZ
ねたみ集団乙

9 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 22:05:20 ID:RhgS0sd3
☆ TREK 落武者大作戦
>>1

2チャンネル・・・・・・

それは落武者に残された最後の開拓地である。

そこには落武者の期待を裏切らない新しい欺瞞、

新しい憎悪が待ち受けているに違いない。

これは落武者決死の試みとして9年間の調査飛行に飛び立った

宇宙船「USS変態プライズ号」の虚偽に満ちた物語である・・・・・・

10 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 22:06:55 ID:RhgS0sd3
職員さん、お手柔らかにお願いします。

11 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 23:52:35 ID:7wXH6le8
>>9
> 宇宙船「USS変態プライズ号」の虚偽に満ちた物語である・・・・・・

言ってる本人の下品さがよく判る書き込みですね。

12 :神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 23:58:25 ID:R/NMtKxd
はっきりしているのは、桐山は詐欺師でありその阿含宗はいんちきペテン宗教であると言う事・・・。
これが動かせない大前提。
あとは、さまざまな事例からそのインチキなカルト性を克明に検証していくだけだろ。

13 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 12:38:24 ID:zBUriOzv
>>7 :【祝150】 :2008/11/13(木) 17:13:52 ID:JqkfPCpk
>削除依頼出しときました。消えると思います。

お手数をおかけしました。
以後、気を付けます。

14 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 12:41:50 ID:zBUriOzv
阿含宗と桐山氏について―第三十九章―
>[983]如来の子孫 08/11/13 13:32 n69C3Ohcha
>経典の最後にバァンギーサ長老の詩がありますから紹介しますね。
>「・・私は三種の明智を体得し、ブッダの教えを実践しました。
> わたしは前世の生涯を知っています。天の眼を清めました。
> 超人的な神通力を具え・・」と、唱えています。
>面白いでしょう。三明を体得して仏陀の教えを実践した、と述べて
>います。普通は逆ですね、ブッダの教えを実践して、結果、三明を
>得るのですからね。まぁ、三明を副産物と考えるのも自由ですが、
>根本仏教ではこの三明=解脱知見を備えることが、アラカンの必須
>条件でありました。
>いつのまにか、それが議論から、失われていくのですね。

経典解釈以前の国語力の問題です。
これは『悪魔との対話』(中村元)の204頁にあります。
子孫さんには、
「・・私は三種の明智を体得し、ブッダの教えを実践しました。」
という文章が、
「・・私は三種の明智を体得した後に、ブッダの教えを実践しました。」
と読めるのだという。
だが、普通の国語力で読むなら
「・・私は三種の明智を体得する、すなわち、ブッダの教えを実践しました。」
という意味です。
おなじ経典を増谷博士は次のように訳しています。
「われもまたよく三明に達して 仏のおしえの如くなしとげたり」
(『阿含経典』第4巻、増谷文雄、269頁)
仏の教えどおりに成し遂げて、三明に達したと述べているのです。
批判派三愚兄弟などと批判側を腐している子孫さんは普通の国語力すらない。

15 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 12:47:00 ID:zBUriOzv
http://www2.atchs.jp/agama/
2ch用意見スレ 1
>90 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 19:58:03 ID:rt76cnfk
>そうしたら衛星画像で、もう雨雲が近づいていて「あ、これなら100%雨降るわ」とすぐにわかった。
>あれなら私でも雨を降らせられたのか、と思うほどw

貴重な情報をありがとうございます。
海外の過去の細かい天気状況を入手するのは今でもなかなか難しいので、
こういう目撃は貴重です。
実際、護摩前日の6月4日にすでにウランバートルで雨が降ったことが
体験記にも載っています。
モンゴルで六月に雨になるのは日本の梅雨と理由は同じで、
その元はインド洋で温められ、大量の水を含んだ大気がヒマヤラと
チベットを超えてモンゴルにまで玉突き状態で流れ込むからです。
だから、日本の梅雨とモンゴルの雨期は時期が同じです。
六月上旬に雨期に入っても何の不思議もない。
モンゴルの人たちもそのことを知っているから、六月に雨が降ったからといって、
アゴン宗の力で雨が降ったなんて誰も言わないのです。
モンゴルの坊さんが六月に日本に来て祈祷したら奇跡的に雨が降った、
なんて言われても、日本人はニヤニヤするだけなのと同じです。
ところが、アゴン宗の信者は「モンゴルは六月には雨が降らない」なんて
本気で信じている。
調べれば嘘だと簡単にわかります。

16 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 12:50:31 ID:zBUriOzv
>90 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 19:58:03 ID:rt76cnfk
>しばらくして数日後、また火事が発生したのですね。つまり、完全鎮火ではなかったのですよ。
>(これは批判派の方も言わないので知らないのかな?と不思議でした)

桐山さんが護摩を焚いたのは6月5日、モンゴルが完全鎮火宣言をしたのは
17日ですから、その間はあちこちがくすぶっていたのです。
広い大地ですから、簡単には消えません。
http://www.shagaa.com/modules/tinyd2/index.php?id=14
ここに詳細な情報が載っています。

●1996/6/4付けレポート
出火箇所は合計で355カ所に至り、その内253カ所は鎮火、トゥブ、セレンゲ、フブスグル県の8カ所で延焼中、北辺の7県94カ所で消火作業は続いているが鎮火の見通し。
●1996/6/10付けレポート
出火箇所は合計で383カ所、その内352カ所は鎮火、今現在で中央部、北部の6県31カ所で延焼中だが消火のめどがついたと発表。

雨は前日6月4日も降り、夜中にも雨が降り、当日も護摩を焚く前から降ったり
晴れたりの荒れた天気で、しかも、翌日は晴れたそうです。
レポートの雰囲気から見ても、六月に入って雨が降り始め、鎮火の見通しが
たったが、まだまだ延焼中でようやく10日になってほぼ鎮火の見通しが
ついたというところでしょう。
どうみても5日に降った雨だけによって、劇的に鎮火したというような話ではありません。
おもしろいのは沈着冷静であるはずの大学教授ですら、本を出すまでに考えたり、
調べる時間があったにもかかわらず、桐山さんの簡単なトリックにひっかかったことです。
ちなみに、アゴン宗が当初の目的とした仏像の開眼供養の話も嘘です。
これは別な学者が、11月に開眼供養が行われたことを本に書いています。
寄付の見返りに護摩を焚かせたというのが実態でしょう。

17 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 12:56:10 ID:zBUriOzv
仏舎利についての見解スレ
>25 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 20:27:34 ID:rt76cnfk
>『 仏教が発生して日本に流れてきた経緯は良くわかりました。しかし、もしこの二大分裂が
>なかったら、根本仏教が仮に日本に入ってきたとしても日本でこれだけ仏教を奉じたかどうか
>判らない気がしました 』

歴史の「もしも」は無意味だが、大日さんに言った新入行者の説は
それを抜きにしても成り立ちません。
なぜなら、その実例が東南アジアの諸国にあるからです。
タイ、スリランカ、ミャンマーなどは現実に上座部仏教が伝わり、
いろいろあったが、結局、上座部が今でも国民の支持を得ています。
中国に上座部のみが伝わったとしても、日本は間違いなく仏教国になっていました。
なぜなら、仏教の中身で民衆が選択したのではなく、蘇我氏などによって
政治的に取り入れられたものだからです。
人間の心には、どこかに「これでよかったのだ」「しかたなかった」
と自分を納得させようとするような怠慢さがある。
本当は偽仏教が伝わった日本の状態はけしからんのだが、
現実にその偽仏教が深く根付き、日本の文化の基礎をなし、
今でも、葬式や観光寺なしには日本は成り立たない。
これを否定するのは日本人である自分を否定するようなものだから、
「これでよかったのだ」「しかたなかった」と自分を納得させる。
これが新入行者の意見の背景です。
同様なことが信者にも言えて、アゴン宗の嘘デタラメを示されても、
「自分がアゴン宗に入ったのには意味がある。意義があるのだ」
と何か理屈をつけて自分が信者のままで留まっていい理由をつけて、
自分を納得させようとする。
だが、現実は伝統仏教が偽仏教なら、アゴン宗は仏教ですらない外道です。

18 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 13:00:15 ID:zBUriOzv
>25 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 20:27:34 ID:rt76cnfk
>『 仏教が発生して日本に流れてきた経緯は良くわかりました。しかし、もしこの二大分裂が
>なかったら、根本仏教が仮に日本に入ってきたとしても日本でこれだけ仏教を奉じたかどうか
>判らない気がしました 』

もう一つ、桐山さんが間違った知識を植え付けているのが、
二大分裂で大衆部ができて、それが大乗仏教になったという説です。
これは今は認められていません。
大衆部は大乗仏教とは直接的には何の関係もない。
実際、根本分裂の十事と呼ばれる項目を見ても、
大乗仏教を臭わせるものは何もありません。
彼らは正真正銘の出家仏教です。
桐山さんが仏教を学び始めた時期ですら、こんな説はすでに否定されていた。
だいぶん前にこのスレでも指摘されていたが、今でもアゴン宗は
この説をそのまま載せているようです。
桐山さんてこんな基本的な事すら知らないのです。
これで完全仏教や仏陀の智慧だと言われてもねえ・・・。

19 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 13:04:17 ID:zBUriOzv
七科三十七道品法について
>14 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 20:39:55 ID:rt76cnfk
>欲神足=物質界において、ムゲ自在の力を持つ
>勤神足=業に対して、ムゲ自在の力を持つ
>心神足=精神界において、ムゲ自在の力を持つ
>観神足=究極の智慧をもって、最高度の禅定に入る力

上記の四神足の解説は桐山さんのそれですよね。
三十七道品を知りたいなら、まず普通の説と桐山説とを区別することです。
桐山さんの解説は四正断のようにそれほど間違っていない説明もあれば、
四神足のようにまったくのデタラメなものもある。
四念処のように、不浄・苦・無我・無常の解説はいいとしても、
これを瞑想だなどという嘘が書いてあり、真偽が混ざっている解説もあります。
桐山さんの説明は、元々の意味に桐山節の勝手な解釈を付け加えている場合が多い。
だから、桐山節を引用して、解説してくれと言われても、普通の人には無理です。
まず、桐山節と普通の仏教の解説とを区別して表記したほうが賢明だし、
それを比較し、根拠を調べれば、桐山節がいかにデタラメかよくわかる。
だから、引用した出典元を書く癖をつけておくと混乱が避けられます。

20 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 13:12:03 ID:zBUriOzv
>14 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 20:39:55 ID:rt76cnfk

大日さんは神通力を知りたいようだから助言すると、役立つのが
ザで子孫さんが[983]に引用したような経典です。
つまり、四神足の意味から入るのではなく、
経典でどのように取り扱われているかを知るのです。
この種の議論は前にも行われた。
子孫さんが引用した、神通力をもった比丘たちの数を述べた経典は
『悪魔との対話』(中村元)の195頁です。
雑阿含経では自恣経と呼ばれ、このスレでは三年前、ヂミズさんという人と
この経典をめぐって議論が行われた。
ザですでにラシンさんが反論しているように、
釈尊は神通力を持っている比丘がいることを認めて数字を示している。
だが逆に言えば、神通力を持たずに解脱した比丘もいたということです。
ヂミズさんとの議論でも、テーラガーターの中で
何人が神通力を持っていると表明しているか、数字を示したことがあります。
神通力を持たずに解脱した比丘のほうが多い。
これを見ても、神通力で解脱するのではありません。

21 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 13:16:33 ID:zBUriOzv
>14 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 20:39:55 ID:rt76cnfk

神通力と解脱について釈尊がどう言っているか、
アゴン宗の信者は自分の目で経典を確認するべきです。
なぜなら、神通力で解脱するなんてオカルトを桐山さんから教え込まされているからです。
批判側が説明しても「それはヲマイの解釈だ」などと
反発心が起きるだろうから、阿含経を読んでみるのが一番いい。
このスレでよく引用され、またわかりやすいのがスシーマ経です。
スレで最初に示したのはたぶん樹意さんです。
スシーマという男が、教団に超能力獲得法を盗みに入った。
比丘たちの一群が「自分たちは解脱した」と宣言し、釈尊もそれを認めたので、
スシーマは「あなた方は神通力を得たのか」と質問した。
だが、比丘たちは「持っていない」という。
スシーマは今のアゴン宗の信者のように、神通力で解脱するものだと
信じているから、この返事が理解できない。
「解脱したというのだから、神通力を持っているはずなのに、
持っていないなんて、なんのこっちゃ??」
と混乱して、釈尊に質問に行ったのです。
解脱を宣言し、釈尊も認めた比丘たちは神通力を持っていなかった。
この事実を見るなら、桐山さんの神通力で解脱するという説が
成り立たないことは明らかです。


22 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 13:19:48 ID:zBUriOzv
「仏弟子の告白」188−189頁
「[真理を見る〕眼ある尊き師・ブッダは、他の一人のひとのために、真理の教えを説かれた。
教えが説かれているとき、[道を〕求めるわたしは、耳をそば立てた。」
「わたしが聞いたことは、空しくはなかった。わたしは、束縛をのがれ、煩悩のけがれ
のない者となった。実にわたしの誓願としたところのものは、過去世の生活を知る〔通力〕
を得るためではなく、すぐれた透視[力〕を得るためでもなく、他人の心を読みとる〔通力〕を
得るためでもなく、死と生を知る〔通力〕を得るためでもなく、聴力を浄める〔通力〕を得るた
めでもなかった」

23 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 13:25:09 ID:zBUriOzv
>14 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/13(木) 20:39:55 ID:rt76cnfk

過去スレには神通力に関する議論や引用された経典があります。
それらを大日さんにも紹介したいが、他人から手取り足取りされるよりも、
まずはあなたが自分の脳味噌であれこれと格闘するのが一つの手でしょう。
モンゴルの情報提供の御礼に一つ引用したのが上記>>22です。
これはサーリプッタの神通力に関する言葉です。
少なくとも、サーリプッタは他心通という神通力を持っていなかったことが
経典に残されています。
彼は神通力の体得を目的としなかったとはっきりと述べている。
神通力で解脱するのなら、これを目的にしなかったなんてバカな話はない。
桐山さんの説いている解脱と、釈尊やサーリプッタの説いている解脱では
ずいぶん様子が違うことに気が付きませんか。
これ一つを見ても、神通力でカルマを切るなんて桐山説はただのオカルトだとわかります。

24 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 14:11:02 ID:QEJhdDzo
http://jp.youtube.com/watch?v=Y42XJUvkn-Q
よくこれが撮影出来たなというビデオ。他にも創価学会篇などあり。
怖いもの知らずの外人さんはスゴイ。

25 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 18:29:11 ID:13WpIhsE
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


26 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 18:48:44 ID:13WpIhsE
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


27 :高城浄海:2008/11/15(土) 07:00:35 ID:VeTVu9du
はぁ、読みまくってやっと追い付きました。
それにしても、金○さんといい菅○さんといい、○洋大学系は忠告されるとますます頑迷になる方が多いですね。

28 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 08:42:29 ID:EnG6tTyO
みなさんBSフジ見ましたか。

29 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 11:11:19 ID:kgPVypPT
>24 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 14:11:02 ID:QEJhdDzo
>http://jp.youtube.com/watch?v=Y42XJUvkn-Q
>よくこれが撮影出来たなというビデオ。他にも創価学会篇などあり。
>怖いもの知らずの外人さんはスゴイ。

10月の冥徳祭にデンマークからのツアーの一行が来てましたが、たぶんその中の一人が撮影したので
しょう。その時、ご親切にもそのツアーをエスコートしていたのが、かの問題職員のA宅でした。
本来は、総本殿の本堂内は撮影禁止のはずです。それもゲイカの修法中や坊さんの所作の模様など
撮影することはもってのほかなはずです。A宅職員はそれらを見逃していたのですね。やっぱり問題
職員です。



30 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/15(土) 11:32:03 ID:fuxIOKqF
貴様ら久しぶりですね。

久しぶりに来たが、まだドブ鼠どもがウロチョロしているんだね。
そういえば、桐山杯。どちらが優勝するか賭けないかい。
ま、私は天に導かれる者だから、誰が優勝するかなんて分かっているんだけどね。

それでは、いつものようにテンプレを貼るか。

31 :高城浄海:2008/11/15(土) 11:42:55 ID:VeTVu9du
七五三だねぇ。しかし阿含宗の七五三は、一律二万円だよね!宗教的にも商売的にもバカというか下手というか。恥ずかしくないのかね。

32 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:09:34 ID:h9pJYOEl
>>31
それが恥ずかしくないのは閉鎖社会の証拠ですよ。

33 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:10:23 ID:h9pJYOEl
>>1乙です。


このスレを読む方は、以下のことを前知識としてご確認下さい。
桐山とその一門の姿です。

自己愛性人格障害者
ttp://ime.nu/homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html
阿含宗会員に一般的に多いタイプです。
反社会性人格障害
ttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/p.htm
いわゆる以前サイコパスと呼ばれたものです。桐山がこれに当てはまります。
自己愛性人格障害との違いはより享楽的な点です。阿含宗会員の多くが他人を貶し
冷たく利用するが、自分の楽しみを削って宗教家畜になってるのに対して桐山は
だらしなく享楽的であるからです。

34 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:10:55 ID:h9pJYOEl
桐山が歳相応の知恵すらないアホである件。

阿含宗という宗教118
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175187272/391
391 名前:ユビキタス ◆1tAcIUMQ8o 投稿日:2007/04/14(土) 22:59:30 /v0Xny8Z
つまり蕎麦代に5千円も包んだり側近幹部の見送りに対してすら3万円も包むのは
桐山さんの金銭感覚の無さでもあるわけなんですが、極めて幼稚な見栄っ張りの
現れなわけです。
いつでもどこでも誰に対しても、俺はすごいんだぞ(何がすごいんだろう?)
と示したい。
そういう意味では彼には腹を割って話せる友人がいないことになり、極めて寂しい
人間関係です。
脳梗塞で入院中のリハビリ生活を暴露するのもその一つです。
医者はこの老人を励まします。
「管長さん、偉いですね、すごいですね、さすが修行されてきた方ですね」
「うむ、若い頃は滝に打たれたりしたものでね」
(↑事実滝に打たれた「ことはある」)
さてこうした病院内のお世辞、励ましのやりとりですら周囲に吹聴したくて
たまらない。
だから自分の因縁教学、因縁解脱教学からはヤバイはずの脳梗塞の闘病生活も
公表することなく黙していればよかったものを、彼の子供じみた自慢したい
欲望はそれをあっさりと破ってしまったわけです。

35 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:22:29 ID:h9pJYOEl
桐山は利用できない人間を冷たく切り捨てた件。

阿含宗という宗教119
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177907062/123
123 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/05/02(水) 13:00:57 6D1O/M4c
>>110 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 00:12:32 ID:dKZszJep

十数年前に先達がバタバタと癌で亡くなった。
教団の信者の最大派閥を率いていたM田先達、
関東別院の内陣は彼女のものと言われるほどの寄付をした先達、
地方道場のチーフをしていた中年の先達、
光和食品の職員をしていた若い女性。
要するに、教団の模範的な信者が次々と癌で亡くなった。
桐山さんはこれを聞いて、自分の言うことを聞かないからと言ったそうです。
癌で亡くなった桐山夫人についても「自分の言うことを聞かないから」と書いている。
日本一の無責任男は実在したのです。

36 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:23:05 ID:h9pJYOEl
桐山は利用できない人間を冷たく切り捨てた件。(続き)

阿含宗という宗教119
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177907062/124
124 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/05/02(水) 13:04:17 6D1O/M4c
>>110 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 00:12:32 ID:dKZszJep

M田先達は教団の中で最大の信者派閥を率いるチーフで、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
桐山さんは重用していた。
桐山夫人などを除けば、M田先達は在家として最高の徳を積んでいたから、
60歳そこそこで癌で死ぬなど、教義からいったらありえない。
教義の矛盾の実例を突きつけられた桐山さんがどんな反応を示したか、
彼の性格を示すすごい光景を紹介します。
M田先達が癌の末期でヨレヨレ状態になり出てきた時、
桐山さんは見向きもしなかったのです。
M田先達は最後に桐山さんと一目会うために出てきた。
亡くなる半年ほど前ですから、かなりひどい状態だった。
前なら、桐山さんは、成績をあげているM田先達に積極的に声をかけていたのに、
この時は他の一般信者と接するのと同様で、声すらかけなかった。
亡くなった後、ご立派な戒名をつけておしまいで、
例祭という信者の集まりの時ですら、彼女の事は出さなかった。
癌の因縁が切れるかどうかよりも、仏の慈悲を持つという桐山さんが
現実には、冷酷でエゴイスト丸出しであることをあなたの両親にぜひ見てほしい。

37 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:23:40 ID:h9pJYOEl
桐山の人間性を思い知った件。

阿含宗という宗教112
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/agon01/agon112.html
の、22〜37を参照。


熱心に修行したにも拘らずガンになり自分が苦しみ、周囲にも迷惑をかけ、
立場を失い、桐山ゲイカに助けを求めた信者に対して
『ダルマチャクラ』(1994年6月、60号、15頁〜)
で弱り切った質問者を責め続けたのには正直コイツは鬼だと思ったね。
普通の人なら同情の気持ちを持つべき時なのに桐山ゲイカは
信者への同情など微塵もなく、自分の不快感も露わに、
八つ当たりのように、最初から最後まで質問者を責め続け
終いにはガンで苦しみ、妻からも批判されて、泣いている信者に
「阿含宗をやめろ」と指導したのです。
さらには、サプリメントを摂っていない、例祭に来ていないと二つも因縁をつけて、
奥さんには「夫の運気を剋する因縁」をオマケにつけてあげて、
二人まとめて山門から放り出した。
本当に情けない話で、これを聴いたとき心底腹が立つと同時に
コイツは絶対聖者ではなく正真正銘の詐欺師だと悟ったね。

38 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:33:58 ID:h9pJYOEl
いわゆる解脱供養の洗い出しの正体。

解脱供養をすると必ずと言っていいほど不具合が起こる。殊に冥徳供養は人間関係が
険悪になるとだいたいみんな口を揃えて言う。割とみんなが体験する不思議現象だ。
いわば「負の験」だが、みんなは桐山が霊力がある一つの証拠と勘違いしてる。

これは要するに霊障の言いがかりを付けられた祖霊が怒ってるんだよ。
霊障が桐山の作り話で経典にも根拠がないのは121スレで明らか。また123スレの
晴雄さんの情報で「霊視」なるものも、かなりいい加減なことが判明した。

と、言うわけで、霊視とやらで降りてきた霊位は不成仏霊・霊障のホトケとか言われて
言いがかりやいちゃもんを付けられ、現実の不幸の原因と濡れ衣を着せられてるわけだ。
先祖供養どころかあべこべに先祖侮辱してるのだ。だからアレは十万もはたいて
「解脱供養」という名前の「先祖侮辱」して、祖霊を怒らせて、祟られたり蔭から支えて
頂いていたことを手抜きされてるようなもんだ。それを却って桐山の霊力だと勘違いする
のもいい加減にしなさい。

だいたい桐山は質疑応答などでこの「解脱供養の洗い出し」のことがたまに出ると、
わめくように否定する。「解脱供養に洗い出しなど無い!」と。現役会員でもこれだけは
承服できないと言う人は昔から結構居たから今でもいるのでは?
ありもしない霊力の証拠に利用しやすいのに否定するのは、洗い出しが怖くて二の足を
踏まれて申し込みが減るからだろうね。

初回申し込みの人や一般人には、普通に龍神辺りの加持祈祷を施して(桐山は一部の
行者の世界では龍神行者で通ってる)験があればさも成仏力であるかのように見せかけ
られること受け合い。

なお、この件の書き込みは客観的な検証に耐えうるモノでないことを認めます。
経験者体験者以外はノーレスでお願いします。

39 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:34:30 ID:h9pJYOEl
退会マニュアル

・法具類は郵送や宅配で関東別院もしくは関西総本部に送りつける。最寄りの道場でも可。
・退会の旨を記した文章を添える。丁寧にするなら郵便局で内容証明を。書式はいずれも
以下の文面で充分。「阿含宗管長桐山靖雄宛 阿含宗を退会します。 以上。」
・顔を出す必要はない。その他何を言われても一切従う必要はない。(憲法第20条2項・後述)
・解脱供養、護摩木の代金などの未払いを、たとえ一筆書かされてても、精算する必要は無い。(民法第90条・後述)
・阿含宗や光和食品などから来る郵便物がうざければ、赤ペンで「受取拒否」と書いてポストに投函。

40 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:35:07 ID:h9pJYOEl
退会マニュアル解説

宝塔は貸与の建前になってるらしいので、一応送りつけて返却すること。「どういう反応するか
話のネタに見てやろう」という好事家でもない方でストレス無く退会したい人は送りつけで。
その時に退会の旨を記した文書を添えれば常識的には伝わるはずだが、今後法的措置を
とりやがるかも知れないので(ただし、多少もめることになるだけで無効。嫌がらせに過ぎない。
→憲法第20条2項・後述)内容証明を送りつけて退会の意思表示を第三者に判るようにすると丁寧。
内容証明は郵便局にいけば詳しく作成方法を教えてくれる。内容証明は同じ文面の書類を三通書き、
一通は相手、一通は自分の控え一通は郵便局で保管してくれるのだが、受け付けるとき郵便局職員が
文面をチェックするので出来る限り文章は短い方が親切。犯罪者の桐山とそれに荷担してる宗務局に
遠慮する必要も無し。

また、「道場に直接持参でないと受け付けない」「規則になってる」「入行した時点で宗規に従う
ことに同意したことになってるので従う必要がある」などとか言われても一切従う必要はない
→憲法第20条2項・後述
また、内容証明を送りつけないで法具類に退会の旨を記した文書を同梱した場合、嫌がらせ半分で
退会の意思表示と認めないと文句言ってきても取りあう必要なし。その他なんでもあなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。
また、あべこべに阿含宗が内容証明を送りつけて出頭や支払いを言ってくるかも知れませんが、
それでも従わない権利が憲法で保障されてます。

ちなみに内容証明は、相手にある意志を伝えたことを、伝えた内容と事実を公的に証明するものですが、
それだけのモノであって別に何か指示された内容に効力・拘束力があるわけではありません。所定の手続きと
料金さえ払えばどんなムチャクチャな事でも書けるのです。こけおどしに乗らないようにしましょう。

41 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:48:39 ID:h9pJYOEl
退会マニュアル解説続き

解脱供養や護摩木の代金など分納誓約書などを一筆書かされていても一切払う必要も無し。→民法第90条・後述
既に払ったお金を取り戻したい場合は個別に弁護士に相談してください。あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要はありません。

また、阿含宗が何をするのか見て笑ってやろう、このスレに情報を提供してやろうと言うのでもない
限り阿含宗や光和から送られてくる郵便物がうざいと思ったなら、赤ペンで「受取拒否」と書いて
ポストに投函すると返却されます。

また、ストレス無く退会することを主眼にして書きましたが、宝塔を勝手に処分したあと、所有権は
阿含宗にあると言って法的措置を執ってきても、宝塔貸与の約束も民法90条(後述)に基づいて
無効化出来ます。
阿含宗が喧嘩売ってきたら買ってやろうという根性ある方は宝塔など燃えないゴミに出しましょう。

42 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:49:09 ID:h9pJYOEl
ttp://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s3
日本国憲法
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

つまりどういう風に運用されるかというと、阿含宗が何を言ってきても従う義務は無いということです。
「退会するときは道場に来い」「話を聞いた上でないと受け付けない」など、強制できないことが
謳われております。
また、「入会した時点で宗規に従うものとする」「宗規に従え」あるいは宗規に従うことを誓約
させられた文書を取られていて、それがどんなに法的に調ったものであっても、一番上位の
最高法規である憲法に強制できないとある以上、一切従う義務はありません。
もちろんあべこべに阿含宗側が内容証明を送りつけて、出頭や支払いを言って来ても従う必要は
ありません。

また、「宗教上の行為でなく、単なる事務手続きの問題だ」と、言ってくるかもしれませんが、
阿含宗は「宗教法人」なのですべての事業・行為が宗教行為です。

あなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と、思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。

43 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 12:49:55 ID:h9pJYOEl
ttp://www.houko.com/00/01/M29/089.HTM#s1.5
民法
(公序良俗)
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

これはどう運用されるかというと、阿含宗桐山のウソで固めた一切合切が公序良俗に
反するので、その上で締結した解脱供養料や護摩木代金の未払い金の誓約や分納誓約を
履行する必要がないと言うことです。一番近いことで言えば天皇と無関係な褒章を衒いて
天皇の権威を利用したことですか。 阿含宗は一から十まで詐欺みたいなもので、そんなことに
カネを払う義務はなく、たとえ 法的に調った文書を一筆書かされていても、90条に基づいて
無効と言うことです。

あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と、思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要は無し。

この条文の適用でよく引き合いに出されるのは、ギャンブルの負け金借用書は無効で
履行義務がないと言うことです。ギャンブルは公序良俗に反するどころか法律で禁止まで
されてるから、いかに法的にも様式も調った文書を取られていても無効なのです。

だから、一筆書かされていても護摩木等の未払い金を払う義務は一切ありません。
人としての道?詐欺にカネ払うのですか?また、そうして貢いだカネが新たな詐欺行為に
使われるのですよ?犯罪に荷担するのですか?

また、民法90条は阿含宗が未払い金に対して告訴などの法的措置を執ってきた場合に
出番が来るのであって、多くは憲法20条2項に基づいて一切を拒否して終了です。

44 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 13:01:04 ID:h9pJYOEl
民法90条における「公序良俗に反する」例。

http://www.agon.org/news/news-2005-2006/detail/2006_08_26.html
>阿含宗本山に『紺綬褒章』授与

>06.08.26

>阿含宗本山に『紺綬褒章』授与
>阿含宗本山はこのたび、天皇陛下より『紺綬褒章』を賜りました。
>               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>この栄誉ある褒賞は、長年に亘る阿含宗のさまざまな社会活動が、
>              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>正式に認められたことを示すものです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

紺綬褒状は内閣総理大臣の名前で出される物であり、紺綬褒章は確かに天皇からいただく建前ですが決めるのは内閣府褒章局が上申して閣議決定されるものです。
また黙っててもらえるものでなく褒章局に申請してもらうものです。その基準も公益法人などに一定額以上の寄付をしたかどうかです。

http://www.agon.org/news/news_detail.html?topics=91
>8月15日発売の産経新聞に、「桐山雄管長猊下と柳田邦男氏の対談」並びに「シベリア大柴燈護摩供レポート」
>記事が掲載されました。
 ~~~~

ただの新聞広告を「記事」と詐称。

これらまるっきりウソであり、こんなウソを堂々とホームページに載せてる信じられない詐欺行為です。
(参考)詐欺の定義
ttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%BE%B5%BD&kind=&kwassist=&jn.x=35&jn.y=9&jn=%B9%F1%B8%EC&mode=0
(1)巧みにいつわって金品をだまし取ったり、相手に損害を与えたりすること。あざむくこと。ペテン。 「―にひっかかる」「―を働く」「―師」
(2)〔法〕 他人をあざむいて錯誤に陥らせる行為。民法上、詐欺による意思表示は取り消すことができ、また、詐欺による損害は詐欺者の不法行為として賠償させることができる。
→詐欺罪

45 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 13:01:37 ID:h9pJYOEl
退会マニュアル:ソフトバージョン
出来ることからしてみましょう。

◎道場に一切顔を出さない。
◎勤行を止める。
◎阿含宗グッズをすべて一箇所にまとめて目に触れないようにする。
◎勤行を止めて不具合が出たら、線香を焚いてみる。

46 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 13:02:29 ID:h9pJYOEl
退会マニュアル:ソフトバージョン解説

退会にまで踏み切れない人、まだ迷いがある人、止めたくともしがらみがある方
まずは無理しないで出来ることから始めましょう。

まず、道場には一切顔を出さないことです。道場外でする奉仕作業やイベント等
にも参加しないことです。理由もあらかじめ考えておきましょう。会費は振り込み
用紙が毎月送られて来るでしょ?

勤行も止めましょう。その他阿含宗から習った修法も止めましょう。

経典に依りますとそもそも仏舎利塔というのは「それを目にすることによって釈尊の
教えや法を思い出し、遺徳をしのぶ」存在です。だから反対に阿含宗グッズが目に
付く状態であると、いつまでも桐山の術中より抜けられません。一箇所にまとめて、
収納するか箱などに入れて、目に触れないようにしましょう。

勤行を止めると頭痛や吐き気、体がだるいなどの不具合が出て、「やっぱり法はあるんだ」と、
錯覚するかも知れません。そう言うときは線香を焚いてみて下さい。もちろん入行したとき
おまけで付いてくる時々斜めに立って灰を受けるのに小皿では間に合わないしょぼい線香立てを
使わずにちゃんと阿含宗と無関係な香炉を使ってです。線香は今まで使ってたのでも構いませんが。
フランス系のアロマテラピーと言うのは香を使う治療法として確立されたものです。
そう言う効果を法と錯覚してることが判ります。
また、長年の良いと思いこんでいた習慣を止めることによるストレスによって、不具合が出ること
もあります。これは線香焚いても治りませんが、しばらく様子を見てると解消します。ゆめゆめ
「やっぱり法はあるんだ」と、錯覚なさらぬように。

47 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/15(土) 13:12:33 ID:h9pJYOEl
おまけ。

◎Q(klingo〜n・クリン含・ペテン大作・ペテン犬作・Q連続対・オバQ)って何物?
2007/03/04(日) 15:40:34に「第九識=霊魂」を桐山が法話で言ったと言うことを
書き込んで以来、阿含宗とは関係の無いことで延々と粘着し、ウソはもちろん
人格攻撃とすり替え印象操作など、卑怯なことまでして必死になってる人。
それを143スレ辺りから指摘すると今度はスウェーデンボルグを持ち出すアホ。
こいつ→>>9

◎羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦提薩婆訶って何物?

阿含宗会員かどうかは不明だが一応擁護側のコテハン。Agama sutra・大便・栗花馨・33点とも
言われる。威張りくさったアホなハンドルを使うことや今までの態度から、
語る言葉が無いのに自己顕示欲だけが強い人物と思われ。
話し掛けてもまともな対話が成り立たないので、阿含宗の広告と思って読み飛ばしてください。

◎Beelzebub ◆YDJ4DIBPYoって何物?

房中術研究家。
また、観音慈恵会の頃やめて自己顕示欲で阿含経をいじってる
池田慈水ではないかという疑惑有り。(宝珠尊になってからの和讃に答えられない)
こいつ→>>30

48 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:04:09 ID:PRsu5+Iy
阿含宗と桐山氏について―第三十九章―
>[997]如来の子孫 08/11/15 11:00 n69C3Ohcha
>500−120=380だけどね、380人はまだアラカンになって
>いないのよ。一部の解脱なのよ。心解脱とか慧解脱とか、不用処解脱
>とか、空処住解脱とか、解脱には沢山の種類があるのよ。

釈尊が夏安居の終わりに五百人の比丘を前にして、
「六十人の比丘は両者から解脱した人々」(倶解脱)
「他の人々は智慧に関して解脱している」(慧解脱)
(『ブッダ悪魔との対話』中村元、195頁)
と、褒め称えたのに対して、子孫説によれば、これらの比丘たちは阿羅漢ではないというのです。
釈尊が「解脱した人々」「解脱している」と折り紙までつけているのに、
子孫さんのご高説によれば、彼らはアラハンではないという。
いやはや、釈尊の説に反対するのだから、子孫さんてエライ人です。
無知だと批判されたら、もう少し調べてから書けばいいのに、
桐山さんと同じで、相手は知らないだろうとばかりに、その場しのぎのことを書いて、
知ったかぶりで他人をごまかすことを恥とも思わない。
恥知らずだとは知っていたが、毎回これを示されるとこっちの顔が赤くなる。
読んでいる信者さんたちだけでも子孫さんのような無知をさらさず、
正しい知識を学んでください。

49 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:06:54 ID:PRsu5+Iy
「慧解脱(阿羅漢であってもまた滅尽定を得ないもの)
倶解脱(阿羅漢で滅尽定を得たもの)」
(『総合佛教大辞典』325頁)

ごらんのように、慧解脱も倶解脱も阿羅漢です。
つまり、五百人の比丘のうち、神通力を体得したのは120人で、
残りは神通力を体得していないが、すでにアラハンです。
神通力体得がアラハンの必須条件ではないのはこれを見てもわかります。
「両方において解脱」した人をもう一人紹介しましょう。

「1176 両方において解脱を得、内によく心の安定した、この容姿端麗な
サーリプッタがやってくるのを見よ」(『仏弟子の告白』216頁)

サーリプッタは両方において解脱した人(倶解脱)ですから、
子孫教の説明によれば、アラハンではないことになる。
子孫さんは釈尊が解脱を認めた人をアラハンでないと否定し、
さらにサーリプッタをアラハンではないと罵った。
子孫さんが釈尊やアラハンを罵り、口から出任せにデタラメを並べるのは
いかにも釈尊の解脱を小解脱と罵った桐山さんの信者らしい。

50 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:10:48 ID:PRsu5+Iy
>[997]如来の子孫 08/11/15 11:00 n69C3Ohcha
>そんで、解脱知見で、煩悩尽きて後有受けないこと知って、大解脱な
>のね。いちいち経典では大解脱なんて書いてないから、読んで判断す
>るしかないの。

信者さんたちは「子孫など勝手なことを言っているだけでアゴン宗とは関係ない」と
冷たく思っているかもしれない。
だが、子孫さんは桐山さんとそっくり同じ事をして見せていることに気が付いてほしい。
仏教についてろくに知識もないのに、それらしい言葉を出しては、
さも何か理解しているかのようにみせかけて、適当な解釈を加え、
「オレ様の解釈の見事なこと、どんなもんだ。
頭がいいというのはこういうのを言うんだよ、エッヘン。
オマイ等みたいなボンクラにはわかるまい」と威張ってみせる。
子孫さんの無知の自覚のなさ、なにをどう指摘されても反省する様子の
ない恥知らずぶり、他人を侮蔑し、自分のチンケな説を威張り散らす慢心が
信者さんたちにも見えますよね。
でも、その点では桐山さんもそっくり同じです。
信者さんたちは子孫さんだと嫌悪するのに、桐山さんだと嫌悪しないのは
おかしくありませんか。

51 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:16:36 ID:PRsu5+Iy
>[997]如来の子孫 08/11/15 11:00 n69C3Ohcha
>そんで、解脱知見で、煩悩尽きて後有受けないこと知って、大解脱な
>のね。いちいち経典では大解脱なんて書いてないから、読んで判断す
>るしかないの。

子孫さんが言うように、○○解脱という分類はたくさんある。
しかし、その多くは後世の、専ら部派仏教の比丘たちがああでもない、
こうでもないと議論して作りだしたものです。
ところが、仏教にあるたくさんの○○解脱には一つだけ共通点がある。
それはいずれも「煩悩からの解脱」を述べている点です。
阿含経に出てくる心解脱、慧解脱、倶解脱はすべて「煩悩からの解脱」です。
後に分類された様々な解脱も結局は「煩悩からの解脱」です。
だが、阿含経にも仏教にも、桐山さんのいうような大解脱なんてないし、
因縁解脱なんて言葉も概念もありません。
因縁解脱は「煩悩からの解脱」ではなく、「カルマからの解脱」だからです。
カルマ解脱なんて、仏教の解脱のどこにもありません。
強いて探せば、釈尊と同時代のジャイナ教がカルマ解脱を説いた。
解脱一つを見てもわかるように、桐山さんはろくに仏教を知らないのです。
ところが、その無知を棚に上げ、まるで子孫さんのように、
自分こそ仏教のすべてを知り抜いたと言う態度で、因縁解脱が大解脱だなどと
長年に渡り嘘を説き続けてきた。
桐山さんは、子孫さんと同じで、仏教を知り抜いているのではなく、
実は何も知らないで空想で物を言っているのだと、そろそろ信者さんたちは
気が付いたほうがいいのではありませんか。

52 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:21:04 ID:PRsu5+Iy
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁、2007年
「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」
『超脳思考を目指せ』98頁
「因縁解脱というのは成仏のことであるから、仏教である限り因縁解脱、成仏は説いているわけ
で、どんな仏教でも因縁解脱は説く。成仏ということが仏教の一番の目標であるから、因縁解脱を
説かない仏教というものはない。」

桐山さんの講義している阿含経のどこに因縁解脱や大解脱があるのだ?
子孫さん以外の信者さんたちは『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』を開き、
176頁の大解脱の根拠が出家経のどこにあるのか調べてほしい。
出家経には煩悩を切る話はあるが、因縁解脱も大解脱もない。
残りの九つの阿含経、あるいはこれまで桐山さんが解説した阿含経の
すべてを開けて、どこに因縁解脱や大解脱があるのか調べてください。
どこにもありません。
どこにもないのに、因縁解脱こそが釈尊の説いたと桐山さんは上記のように
繰り返し信者に説き、本にも書いてきた。
だが、阿含経どころか、大乗仏教にすら因縁解脱や大解脱なんてありません。
「因縁解脱を説かない仏教というものはない」なんて書いているが、
因縁解脱や因縁切りを説いているのはアゴン宗など一部の新興宗教と
これを真似している祈祷師たちだけです。
あまりに堂々と嘘をついているから、信者さんたちは気が付かないのです。
阿含経にない因縁解脱をどうして釈尊が説いたと信じているのだ?

53 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:22:55 ID:PRsu5+Iy
[986]如来の子孫 08/11/13 15:11 n69C3Ohcha
八正道は、正見、正思、・・・正定、となっていて、正見が出来れ
ば、あとは芋づる式に正定までわかる、とか聞きます。
しかし、正見とは正しい見解である、なんて聞いても、何が正しい
見解なのかわかりません。学者の意見もまちまちです。
やれ、12因縁を知るのが正見だ、とか、四諦を理解するのが正見だ
とか、五ウンの無常を知るのが正見だ、とか様々です。
なかには釈迦の教えを知るのが正見だ、とか、当たり前すぎる解釈
まであります。

『愛のために智慧を智慧のために愛を』205頁
それは、「聖なる八支」として説かれている。正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正し
い行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想、である。
しかし、ここで問題が生ずるのである。たしかにこれはすはらしい。これを実践すれば、たし
かにシャカの指向するニルヴァーナ(永遠の平安)に到達するであろうが、それでは、なにが
「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか? どのような瞑想が「正しい」のか? あ
まりにも抽象的・概念的ではないか。それらのもののいずれをもどのように「正しく」把握する
かということが問題なのである。われわれはそれができないからこそ、苦しみ、迷っているわけ
だ。

『般若心経瞑想法』115頁
それを、簡単に、正見・正思惟・正語・・…・といわれたって、それはたしかにそうであろうが、
どうやって、正見・正思惟・正語・・・が体得できるのか? それが問題なのではないか。
わたくしは、四諦の法門にふれた最初から、疑問に思った。そして阿含経を追求していく
うちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」ではないという確信を持った。そしてわたくしな
りの答を得るにいたった。

54 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:31:15 ID:PRsu5+Iy
[986]如来の子孫 08/11/13 15:11 n69C3Ohcha
>しかし、正見とは正しい見解である、なんて聞いても、何が正しい
>見解なのかわかりません。

『愛のために智慧を智慧のために愛を』205頁
「なにが「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか?」

八正道の「正しい」とは何かという疑問です。
桐山ゲイカによれば、「現実世界の物事は縁しだいで決まるのだから、
ある人から見て正しくても、別な人から見れば正しくないこともある。
北朝鮮にとって正しいことが、日本では正しくない。
このように物事の正否は環境や立場によって変わってしまうのだから、
凡夫が八正道の“正”を判断することは不可能である。
その是非を判断するものこそが仏陀の智慧なのだ。
仏陀の智慧を獲得して初めて八正道の“正”が判断できるのであーる。
仏陀の智慧を獲得したヲレ様だけが正しい判断ができる」
なんて信者さんたちは教えられて本気にしていまよすね。
このもっともらしい説に共鳴するのがいかにも子孫さんらしいし、
この人の知性の程度をよく示している。
「正しいとは何か」という桐山節を誰か出してくれないかと期待していたら、
ようやく子孫さんが出してくれた。
○○屋さんがこの話の近くまで行ったので、水を向けたのだが、避けました。
やはりこのお役は一番の恥知らずが請け負うのが運命だったのですね。
本当はここで信者さんたちに釈尊の説く「正しい」とは何なのかを考えてほしい。
釈尊は何を説いたのかということを考えれば、答えはとても簡単です。
次を読む前にちょっとでいいから、考えてください。

55 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:38:25 ID:PRsu5+Iy
『愛のために智慧を智慧のために愛を』205頁
「なにが「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか?」

釈尊のいう正しいとは何か、なんて簡単です。
「煩悩をなくすのに適した考えや行為が正しい。」
これが答えです。
それが煩悩をなくすなら正しいが、増やすなら正しくない。
煩悩を減らすのに役立つような見解、規則、心の持ち方などが正しいのです。
八正道をこの立場から信者さんたちに合わせて書き直すなら、次のようになります。
四諦や縁起など煩悩をなくすための法を、勝手な解釈ではなく、正しく理解する。
心と言葉と身体において煩悩を出さないようにする。
占いや護摩など煩悩を増大させるよこしまな外道の行いから離れる。
過去になした占いや護摩などの煩悩を増大させる悪い行為を捨て、
これからは欲望や執着を減らすような善い行いをなす。
常に自分の心と言動に煩悩が出ていないか目を配り、不浄、苦、無我、無常など
四つの観点から観察と分析して、煩悩を制御する。
煩悩が漏れてこないように心を集中させ、また煩悩をなくすための四禅など、
釈尊の指示した瞑想を行う。

56 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:42:46 ID:PRsu5+Iy
「なにが「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか?」

釈尊が説いたことは、「煩悩をなくせ」です。
他に何も説いてはいない。
煩悩をなくせと説いた釈尊のいう正しいとは何を指すかは、
「煩悩をなくすのに適した方法や考えや行動が正しい」に決まっている。
桐山さんみたいに名誉を欲しがり、嘘をつくことは煩悩のなせる業だから、
社会的に容認されても、仏教では正しくない。
だから、仏教では名誉欲を捨て、嘘を捨てるのが正しいのです。
こんなふうに説明されれば、「なあんだ、そんなことか」くらいに
簡単な内容でしょう?
ところが、桐山さんから「正しいとは何か」などという哲学的な
質問をされ、さらには正しいとは相対的なものであるなどと
縁起の法を悪用して解説されると、釈尊のいう「正しい」が
なんなのかだんだんわからなくなる。
そこに仏陀の智慧なんてオカルトを一発ぶち込まれて、
すっかりその気になっているのが子孫さんです。

57 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 23:49:58 ID:PRsu5+Iy
「なにが「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか?」

釈尊は正しい見解を縁起の法や四諦で手を変え、品を変えて説明している。
煩悩とは何かを指摘し、解決するための方法も具体的に指摘している。
たとえば、信者さんたちも知っているように身見、疑惑、戒取といった煩悩を
まず捨てなさいと教えている。
三結を捨てることが「正しい」のです。
不成仏霊という霊魂があるなどというのは身見であり、
煩悩を切るなんてオシエにすぎないとバカにするのは疑惑であり、
焚き火で因縁切りや霊障解脱をするなんて外道は戒取です。
こういうことから捨てるのが「正しい」と釈尊は説いている。
子孫さんは八正道は八聖道だから、凡人にはできないなんて、
訳のわからん屁理屈をつけているが、見てのとおり、
具体的で凡人にもわかりやすく、今この瞬間に実行できることばかりです。
最初から高度なことをしろと言っているのではなく、
三結や五下分結など、手近なところから捨てろと説いているのです。

58 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 00:00:37 ID:lLhLH8nE
「なにが「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか?」

八正道の「正しい」とは煩悩を切るのに適した方法や考えが正しいという
当たり前の答えなのに、桐山さんはこれがわからないと書いた。
信者さんたちは驚かないか。
五十年も仏教を学んで、本人は解脱しただの、仏陀の智慧を持っただのと
自惚れているが、こんな簡単なことも桐山さんはわからないのです。
目の前に釈尊が示しているのに、というよりも、
阿含経はそればっかり書いてあるのに、「正しいとは何か」などと
哲学的な思索にでも耽ったような顔をして、腕組みをしてみせる。
自動車の教習所で運転席に座っても、「うーむ、そもそも
正しい運転の正しいとは何なのだろうか。
それがわかるまでは運転などできるはずがない」と腕組みをして、
エンジンをかけようともしない生徒のようなものです。
「なに気取ってんだよ」と信者さんたちも思うでしょう。
だが、これが桐山さんと子孫さんの姿なのですよ。
信者さんたちは、子孫さんの理由はわかるだろうが、桐山さんがどうして
こうなのか、不思議に思うでしょう。
たぶん理由は二つ考えられる。

59 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 00:04:47 ID:lLhLH8nE
「なにが「正しい」見解なのか? いかなるものが「正しい」思惟なのか。そして、ことばも、行いも、
生活も、努力も、どうすることが、「正しい」のか?」

子孫さんと同じで、仏教を理解できない程度の知性なのか、あるいは、
煩悩を切るなんて絶対したくないから、素知らぬふりをしているのか。
前は私は後者ではないかと疑っていた。
だって桐山さんのあの名誉の欲しがり方はただ事ではない。
名誉欲を満たすために彼は「宗教運動から社会運動へ」という壮大な言い訳まで作った。
あちこちに寄付して名誉の見返りをもらうことです。
桐山さんは煩悩を切るどころか、増やしたくて仕方ないのです。
だから、最初、煩悩大好きな桐山さんにとって、煩悩をなくせという
教法は大嫌いだから、知って知らぬふりをしているのかと思っていた。
だが、最近、このスレでアゴン宗を検証するにつけ、桐山さんの仏教への
あまりの理解力の低さに、もしかして、前者なのではあるまいかと疑いだした。
彼は旧制中学で、公立の受験をしなかった。
家が貧乏だからという割には、実際には三流の私立中学に東京まで通った。
これは、今で言えば、公立の高校に受験するだけの学力がなく、
三流の私立高校に行くしかなかったということになる。
どう見ても、桐山さんの学校時代の成績はかなり悪かった。

60 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 00:16:47 ID:lLhLH8nE
「・・いまさら東大を志すというわけにもゆかない。」(現世成仏、39頁)
「率直にいわせてもらうと、阿含宗を立てて阿含経を世に出した私の業績は、
天才か、天才的才能がなければできない仕事である。」
(『阿含仏教超能力の秘密』80頁)

こんなふうに桐山さんが書いているから、元々頭が良いかのように
錯覚させられているが、実は、彼は学校の成績はいわゆる落ちこぼれ
だったのではあるまいか。
学校の成績だけで頭の良し悪しは決らないが、少なくとも、
桐山さんは学校の成績という意味では頭がかなり悪いほうです。
学校の勉強では文章をあるがままに読み、内容を理解することから始まる。
だが、桐山さんがそういう能力がないから、逆に自己流の勝手な解釈を加えて、
理解したかのように自惚れてきたのでしょう。
釈尊の言葉をそのまま読んで理解する力がないので、自分の欲望に
都合良いいようなトンデモナイ意味に解釈して、天才なのだと自惚れている。
子孫さんの恥知らずな我流の解釈は、もしかして、桐山さんの縮小版なのでは?
子孫さんも批判側の反論を理解せず、無視して、逆に罵声を浴びせながら、
すでに反論されている我流解釈をまた滔々と並べる。
ちょうど桐山さんが周囲からどんな批判を浴びようが、完全無視して、
我流の仏教を作り上げ、結果、大乗仏教よりももっとかけ離れた外道に
なってしまったのと似ています。
桐山さんは本をたくさん書き、難しそうな話を並べるから、
一見ものすごく頭が良いように見えるだけで、よそから借りてきたよけいな
装飾をはぎ取り、彼の作り上げた部分だけを見ると、理解力が低いのがよくわかる。
空想や妄想を膨らませて我流の勝手解釈を加えるのだけが得意で、
そのまま理解する能力が低いと見れば、桐山さんが作り上げたアゴン宗の
矛盾はかなり説明がついてしまう。

61 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 03:53:52 ID:DYZxrug9
仏教否定したいなら、公明党否定でもしたほうがみんなに注目されると思うよ。

まだ、あなたは仏様に見捨てられてはいない。

62 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 04:31:38 ID:iiLrpoNo
桐山靖雄は詐欺師だと言ってるの。

63 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 04:35:08 ID:iiLrpoNo
誰でも読めるように簡単な日本語で書いてくれてるからチャンと読んでみ。

64 :高城浄海:2008/11/16(日) 06:24:35 ID:cyzTuzFy
ボケた詐欺師は手に負えない。来年の初護摩が見納めかなぁ。火だるまにならなければ、またまた盛り下がる呆話が聴けるかも知れないな。

65 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 12:32:06 ID:KTDEFoAb
>24 :神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 14:11:02 ID:QEJhdDzo
>http://jp.youtube.com/watch?v=Y42XJUvkn-Q
>よくこれが撮影出来たなというビデオ。他にも創価学会篇などあり。
>怖いもの知らずの外人さんはスゴイ。

見ました。
これを撮影した外国人は、阿含宗以外に創価学会や明治神宮その他の神社やお寺も訪問してビデオで
撮影していますが、阿含宗以外のところは、そこの本尊や祭壇など信仰の対象となるものは撮影させ
ていないのに、阿含宗だけが本尊の仏舎利の入ったカスケットや祭壇、僧侶の所作・作法、それに
管長猊下の加持の模様までも撮影させています。また、守護神がまつられた社(やしろ)の拝受風景も
鮮明に映ってました。ここまで、撮影させているのは阿含宗だけです。
しかし、阿含宗を信仰している者から見ると、信仰が軽んじられたような、穢(けが)されたような
気持ちになりました。
その外国人が撮影しているとき、そばにいた職員や修行者はだれも注意しなかったのでしょうか。
それとも、本来撮影が禁止になっている本堂内での撮影を外国人だからというい理由で許可したので
しょうか。そうだとしたら、他の神社仏閣では絶対させないことをさせたことになりますね。
阿含宗としての信仰のあり方は他の宗教団体と違って特別なのでしょうか、それとも非常識なのでしょか。
でも、信者としては何か恥ずかし気持ちと侮辱されたような、いやな気持ちがしたことは確かです。



66 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 15:21:21 ID:3v464lox
蹴籠(けりごもり)
       _
── =≡.γ´ ̄ `ヽ 高城浄海を●●へ流します・・・。
── =≡│LiLハ i_| 
── =≡│ii ゚ -゚ノi|  ≡    ガッ    ∧_∧
─ =≡○_   ⊂)_=_  \ 从/-=≡ r(    ) 
── =≡ >   __ ノ ))<   >  -= 〉#  つ 
─ =≡  ( / ≡    /VV\-=≡⊂ 、>***
── .=≡( ノ =≡           -=  し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
                  | 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
                  |       三   途   の   川

67 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 16:04:20 ID:Va4WXUNa
>>11 :神も仏も名無しさん
>言ってる本人の下品さがよく判る書き込みですね。

変態とは別に性的なことに限った言葉ではありません。
変なことを連想している11こそ下品な人です。
数年間にわたって毎日規則正しくほぼ決まった時間帯に
同じことを飽きもせず書き込んでいるは誰が見ても変態です。
11にはそれがわからないのだからこいつも変態プライズ号の乗務員です。

68 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 16:07:20 ID:Va4WXUNa

訂正:「の」抜け

同じことを飽きもせず書き込んでいる「の」は誰が見ても変態です。



69 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 16:30:10 ID:SHOKEswv
どうでもいいことをごちゃごちゃ書くなよ。
「変態プライズ号」ってね、アンタ、「旨い!」なんて誰も思わんよ。
しらけ鳥が鳴いてるよ。

70 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/16(日) 17:38:12 ID:TuccAnaN
木金土の3日間事情あって私としては珍しくどのスレにも書き込みできないでいた
私ですが、少し協力を求めます。
八正道とは道徳レベルの劣る者に対して説いた教えであると示した桐山本の
書名とページ、それから四神足法と五力法以外はオシエと書いた著書名、ページ
を探しています。
ザのスレで子孫さんに示す義務がありまして、私も今桐山本をあさってますが
桐山本がたくさんあり過ぎて大変です。
この本だよとご協力いただけたら助かります。
ご協力いただいた方にはお礼として・・・お礼の言葉を申し上げます。
見返りなしの無功徳でお願いします(笑)

71 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 17:56:52 ID:wyAE+j/8
>>70 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/16(日) 17:38:12 ID:TuccAnaN
>八正道とは道徳レベルの劣る者に対して説いた教えであると示した桐山本の
>書名とページ、それから四神足法と五力法以外はオシエと書いた著書名、ページ
>を探しています。

『仏陀の法』128頁
「『法』の中心は四神足法である。
いや、中心というより、法は、四神足法のみである。」
「五力法も修行法であるが、これは、四神足法の補助のようなもので・・」
「四神足法,五力以外の道品、すなわち、四念柱、四正断、七覚支、八正道は、
『教え』である。」

『仏陀の法』129頁
ただし、観神足を体得した聖者には、もはや教えは不要であって、八正道は、他の
三神足修行者にすべて対応される教えである。

『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁
しかし、苦を解脱する道は、八正道だけではないし、また、八正道だけでは完全には解脱できない。

72 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 18:05:17 ID:wyAE+j/8
>>70 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/16(日) 17:38:12 ID:TuccAnaN

『般若心経瞑想法』115〜116頁
「そして阿含経を追求していくうちに、四諦の法門の「道」は、「八聖道」ではないという確信を持った。」

「阿含経のパーリ「相応部」の「転法輪経」では、「道諦」を「修習」
としている。修習とは 修行 の意味であり、八聖道を修行することを
さしているのかも知れないが、「八聖道」とは指摘されていないのである。」

桐山さんはその都度、書いている内容が違っていることがありますから、
引用した本で確認してください。

73 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 18:09:36 ID:wyAE+j/8
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 12:32:06 ID:KTDEFoAb
>それとも、本来撮影が禁止になっている本堂内での撮影を外国人だからというい理由で許可したので

あなたの推測どおりだと思います。
来客であり、ガイジンだから、許されたのでしょう。
信者や日本人なら許可されない。
そして、アゴン宗の規則とはその程度なのです。
あなたは何か宗教的理由から撮影に規制があるのだと信じているが、
そんなことはない。
全部、商品です。
本尊も桐山さんもすべて商品、売り物だから、
顧客になりそうな人には「店内」の撮影も許可するのです。
特に桐山さんの外人コンプレックスはすごい。
海外の柴燈護摩で、明らかに観光客と思われる白人が結界に入り写真を
撮っているのに職員は誰も注意しないと、参加した山伏がぼやいていた。
日本人がすれば注意されるし、信者がすれば怒鳴りつけられる。
あなたの目を、こういうことに現れている桐山さんの本音に向けたほうがいい。


74 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 18:13:05 ID:wyAE+j/8
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 12:32:06 ID:KTDEFoAb
>しかし、阿含宗を信仰している者から見ると、信仰が軽んじられたような、穢(けが)されたような
>気持ちになりました。
>でも、信者としては何か恥ずかし気持ちと侮辱されたような、いやな気持ちがしたことは確かです。

撮影されたカスケットに入っている物は何なのですか。
偽真正仏舎利ですよ。
世間には本物の仏舎利だと称して、実は偽物なのだから、
世間を騙していることになる。
世間を騙していることにあなたは「いやな気持ち」にならないのですか。
あなたも信者として世間の人々を騙していると同じなのですよ。
また、自分が信仰するにしても、本物だと言っている偽物仏舎利を
拝むことに「いやな気持ち」にはならないのだろうか。
桐山さんが本物の根拠としたことがことごとく嘘です。
カニンガムが発掘したなんて嘘、大統領が本物であると保証したなんて嘘。
公開されている保証書には「見えない存在からもらった」とはっきりと
偽物であることが書いてある。
これだけ明瞭に偽物であることがわかっていても、
あなたは本物だと信じて拝むことに自分の「信仰が軽んじられたような」
「いやな気持ち」や「恥ずかしい気持ち」にならないのだろうか。

75 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 18:16:42 ID:wyAE+j/8
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 12:32:06 ID:KTDEFoAb
>しかし、阿含宗を信仰している者から見ると、信仰が軽んじられたような、穢(けが)されたような
>気持ちになりました。

自分たちの信仰をこんなふうに扱われるとものすごく敏感に反応する。
だが、あなたは死者たちに何をしている?
霊障のホトケ、不成仏霊、不浄中の不浄などと罵り、
彼らの霊障で地震や戦争が起きると、まるで悪霊扱いです。
ナチスに殺された気の毒な犠牲者が地獄に堕ちて苦しんでいるとか、
彼らの霊障が欧州の戦争の引き金になると桐山さんは書いた。
あなたはこれに賛成しているのですね。
イスラエル人もパレスチナ人も自国のために戦い死んだ。
その彼らが霊障のホトケとなって中東の戦争の原因であると
あなたは信じているのですね。
自分が信じているのだから、死者を霊障のホトケと罵ることはかまわないらしい。
これが死者への冒涜でなくてなんなのだ。
自分が信仰している物を撮影され公開されたくらいで「信仰が軽んじられたような」
「いやな気持ち」や「恥ずかしい気持ち」になるというあなたが、
死者に対してこれだけの侮辱を与えている。

76 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 18:20:06 ID:wyAE+j/8
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 12:32:06 ID:KTDEFoAb
>でも、信者としては何か恥ずかし気持ちと侮辱されたような、いやな気持ちがしたことは確かです。

「死者の名誉を汚してなんかいない。気の毒に思い、供養しているのだ」と
あなたは言い訳を並べるでしょう。
だが、その言い訳は成り立たない。
あなた自身は霊視能力などなく、ただ桐山さんの話を信じているにすぎない。
その桐山さんに霊能力なんてないことはここでいくつも証拠を出された。
霊能力があるのなら、歴史上存在しない18人の霊障武士を
どうやって霊視して、成仏させたのだ?
霊能力があるのなら、異母兄に育てられたソンディを異母兄の生まれ変わりなんて
霊視するはずがない。
アゴン宗で公式に認められた、中山卿の霊障発現も、症状を見れば素人でも
脳梗塞だとわかる。
守護霊として授けたはずなのに、本人は間もなく亡くなった。
もう一つの公式事例である奥方様の「桐山どのお〜」の霊障発現も、
結局、桐山さんの解脱供養では効果がなく、他の宗教家を頼った。
他にも、同じ死者を何度も解脱供養したり、生きている人を解脱供養した桐山さんの
どこに霊能力があるのだ?
こんなインチキ霊能者の言うことを真に受けて、
死者たちを霊障のホトケというなら、冒涜でなくて何なのだ?

77 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 18:24:14 ID:wyAE+j/8
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 12:32:06 ID:KTDEFoAb
>でも、信者としては何か恥ずかし気持ちと侮辱されたような、いやな気持ちがしたことは確かです。

あなたはまだこうやってネットで文句が言えるからいい。
死者たちは、あなたから霊障のホトケという侮辱を与えられても、反論一つできない。
口のきけない死者たちを霊障のホトケなどと罵るのは、相当に卑怯なことです。
アゴン宗の供養が供養などではなく、死者への冒涜であることを
知る前までは許されるかもしれない。
だが、私はあなたにここで間違いを指摘し、教えた。
もはや、知らなかったという言い訳は通用しない。
今後は、百も承知で死者を冒涜するという悪業を続けることになる。
そればかりか、イスラエル護摩であなたは死者たちを救ってあげたと自惚れている。
釈尊ですら死者を救うことはできないと否定しているのに、
焚き火でどうやって死者を救うのだ?
アゴン宗の護摩とは、死者を救っているのではなく、
あなた方の慢心を増大させているにすぎない。
その功徳であなたは因縁が切れて成仏できると信じている。
だが、阿含経を読めばわかるように、釈尊は因縁解脱なんて説いていないし、
功徳で解脱することも、そのためには死者の成仏が必要だとも説いていない。
つまり、何の根拠もなしに死者たちを悪霊扱いして、
それを踏み台にして自分は幸せになるのだとあなたは信じているのです。
他人の撮影を恥ずかしいなどと言う前に、こういうあなたの行為をまず恥じるべきです。
桐山さんもあなたも自分の痛みには超敏感だが、他人の痛みには鈍感な人たちです。
他人がどうでもいいような光景を撮影したくらいで「軽んじられた」「穢された」
と不快感を持つなら、もう少し自分がしていることに目を向けるべきです。
こんなふうに言われて、あなたは反発心を起こしているでしょう。
だが、自分の主観だけを大事にするのではなく、もう少し、
死者たちの名誉や痛みに目を向けたらどうですか。

78 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/16(日) 20:11:37 ID:TuccAnaN
>>71-72
早速にありがとうございます。
私は桐山本を探しているうちに不覚にも居眠りしてしまいました。
もうひとつ「〜人たちには八正道から教育したのであろう」式の記述は気長に
自分で探して示したいと思います。

79 :神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 23:11:12 ID:wyAE+j/8
>>78 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/16(日) 20:11:37 ID:TuccAnaN
>もうひとつ「〜人たちには八正道から教育したのであろう」式の記述は気長に

『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁
「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」

上記のことですね。
ユビキタスさんに言われるまで気が付きませんでした。
そうか、桐山さんてこんなことを書いていたのだ。
釈尊の解脱を「小解脱」と罵り、釈尊の教法を「初学」と罵った。
こんな男を崇拝していた自分は・・・もう笑うしかありませんね。

80 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 00:31:01 ID:G9od4nCD
お釈迦様の八正道は、ヨーガの八支則と内容の修行法が似てるよね・・・。
本当の正しい修行の実践法は仏教もヨーガも同じものだと言う事だよね。
それを、桐爺さんは初心者向けの程度の低いものであって、高度の奥義は別にある
みたいに言ってたんだね(可々笑々)
ほんと詐欺師だね。

81 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 00:35:42 ID:E0cLCQng
釈尊の教えは現世での福でなく、この世の未練を無くしていかに
あの世に行くかです。

7度転落した比丘の自殺。
「サンユッタ・ニカーヤ」(相応部)の第四篇第三章第三節。
イシギリ(仙人の住所)といういわば聖地に住むゴーディカは、熱心に修行に精励して、
さとり(心解脱)が得るが、そのさとりは一時的なものであって、再び元に戻ってしまう。
そこでまた熱心に修行に精励して、さとりを得るが、また戻ってしまう、そういうことを計6回繰り返し、
その7度目にさとり(心解脱)に到達しましたときに、今回もまた従来と同じように、それが一時的であって
元に戻ることを恐れまして、剣をとって、自殺しようとします。
それを知った悪魔が釈尊のところに来て、そのことを告げたそのときに、ゴーディカは自殺をとげました。
そこで釈尊はその悪魔に向かい、「ゴーディカは英雄のように渇愛を根絶してニルヴァーナに入った」という詩を唱える。
さらに、釈尊がその現場まで来ると、そこには四方にも上下にも煙が立ち昇っていて、
釈尊は「ゴーディカはニルヴァーナに入った」という詩をとなえる。
 「阿含経を読む」 青土社刊より。
この部分を「サンユッタ・ニカーヤ」 中村元訳、岩波文庫では
悪魔が 「尊師よ。教えを喜ぶあたなの弟子が、まだ心にさとりを得ないで、まだ修め学ぶべきであるのに、
どうして死を遂げるということがあってよいでしょうか。」
これに対し釈迦は
「思慮ある人々は、実にこのようにするのである。
生命を[延ばすことを]期待していない。
妄執を、根こそぎにえぐり出して、ゴーティカは安らぎに帰したのである」
と答えた。


82 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 00:38:59 ID:E0cLCQng
釈尊の教えは現世での福でなく、この世の未練を無くしていかに
あの世に行くかです。

釈尊はその夜が過ぎてのち、比丘たちに呼びかけられた。
「比丘たちよ、あなたがたはヴァッカリ比丘のところへいきなさい。
行ってヴァッカリ比丘に次のように伝えなさい。
「ヴァッカリよ、おそれるな。
おまえの死は罪に汚れてはいない。罪なくして臨終を終えるであろう」
比丘たちはヴァッカリに釈迦の伝言を伝える。
ヴァッカリは教えに疑念を持っていないと釈迦に伝えてくれと比丘たちに頼む。
「友よ、承知しました」と、比丘たちは長者ヴァッカリに返事をして、帰って行った。
そのとき長者ヴァッカリは、この比丘たちが出てゆくや否や、刀を取り出した。
ヴァッカリは自殺した。
後にそれを知って釈迦は次のように述べた。
「比丘たちよ。善男子ヴァッカリは、その魂がどこかに止まることなく、完全な涅槃に入ったのである」
『バラモン教典・原始仏典』。中央公論社


83 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 00:40:05 ID:E0cLCQng
釈尊の教えは現世での福でなく、この世の未練を無くしていかに
あの世に行くかです。

入滅直前の釈迦に料理を給仕したチュンダの自殺。
上記の事例は出家修行者(比丘)の自殺でしたが、在家の信者の自殺のケースを次に挙げます。
これは釈迦本人から自殺の許しを得た上で、釈迦の目前で自殺がなされた事例です。
チュンダは(仏)に礼拝をしおわって、隅に座りました。そして仏に申しあげ言う。
「私は入滅したいと思います、私は入滅したいと思います(完全なニルヴァーナを得たいと思います、
完全なニルヴァーナを得たいと思います。」
仏はこのチュンダに告げて言います。
「それにふさわしい・ちょうどよい時期を知るべきである」
「いまがちょうどふさわしいチャンスであるかどうか、よく考えた上で、随意に行動しなさい」の意」
そこですぐに、チュンダは仏の前、その場で入滅しました。
 青土社刊より。


84 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/17(月) 08:32:23 ID:45beYASO
>>79:神も仏も名無しさん :2008/11/16(日) 23:11:12 ID:wyAE+j/8
>『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁
>「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」

>上記のことですね。


さらにありがとうございます。
私が探していた本はさらに初期のものではなかったかなと思います。
「八正道はこういう人たちに説かれたのであろう」みたいな書き方をしていた
ような記憶が。
「霊障を解く」などにある解脱への遍歴の下りや、「求聞持法・瞑想入門」や
密教時代の「密教入門」など昨日ざっと読んでみましたが見つかりませんでした。
しかし「愛のために智恵を 智恵のために愛を」の記述だけで 必要十分ですね。
子孫さんは頭が固いから苦労して読書して得た自分の成果が桐山さんを否定して
しまうことに気づかず、柔軟に軌道修正などできないでしょう。
子孫さんに限らず、八正道程度の道徳で因縁解脱ができるのか?と疑問に思う
信者さんは多いでしょう。そもそもが釈尊は因縁解脱なんか説かないのですが。
八正道を単なる道徳と低く見たわけです。
箇条書きにして示される八正道の概念を字面だけで判断したわけで、それは
桐山さんもまた同様で、大の道徳嫌いの桐山さんが「こんなもの」と釈尊の八正道を
一番低く見たわけです。

85 :高城浄海:2008/11/17(月) 10:35:09 ID:i1PC9be/
>>66

桐山商人にすかされまいらせて二十余年、偽の三宝に金と人とを貢いできたこの浄海、地獄は一定すみかぞかし。

86 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/17(月) 10:46:59 ID:YWshY0Me
>>85
そう言わずに罪障消滅を頑張って地獄に落ちない努力して下さい。
なんと言っても我々は見てきたんだから、外からわいわい言ってる批判とは
ひと味もふた味も違い、現在進行形で騙されてる人の心に届くモノがあるはずです。

87 :高城浄海:2008/11/17(月) 11:59:57 ID:i1PC9be/
>>86
わはは、ありがとうございます。一捻りしたら歎異抄みたいになりました。

88 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/17(月) 15:56:19 ID:Vw7HPejc
宗教に対する考え。阿含宗は何故、現今も人々の拠り所になっているのか。

宗教というのは、それを長く維持したいと思えば屡々本来の姿に
回帰する必要性があると考える。そして、改革が要求されてくる訳だが
自然的に制度の改革ができる場合は最も理想的。
即ち、何の手も打たずに放置したままでいる宗教は短命で終わらざるをえない。
改革の必要性は初心に戻る事ではあるが、それが何故有益か。それは
どんな形態を取るにしても共同体である限り、その創設期には
必ず何か優れた所が存在した筈である。そのような長所があったからこそ
今日の繁栄がある訳だから。しかしながら、年月というものは
当初あった長所も、摩滅させてしまう事もある。摩滅していくのに
任せるままだと、最後には宗教自体が死に体になってしまう。
しかし、現在の阿含宗はどうだろうか。こうやって今も繁栄している。
それは桐山先生が屡々本来あるべき阿含宗の姿について思惟しているからである。
そうして、今も阿含宗は人々の拠り所になっているのである。



89 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 15:56:49 ID:Vw7HPejc
平和に対する考え。確かに阿含宗は世界平和を切願しているが。

まず、何故桐山先生は「世界平和」という大きな目標を掲げているのか
という問いについてだが、先生は幼少期に関東大震災に遭遇し
その時に朝鮮人虐殺を目撃したといいます。皆さんは映画なんかで
人が殺される場面を観た事はあると思いますが、実際に観たという人は
いないでしょう。そして、大東亜戦争にも遭い、戦争が齎す悲惨な
体験を重ねてきたといいます。しかしながら、80歳後半になっても
未だにはきはきした姿を見ると「戦前生まれの方は立派だ」と感心しますよね。

そうして、パラオ島で南太平洋戦没者法要を行い、ダライ・ラマ(14世)法王と
オーラの祭典を開催したり平和活動に積極的な方です。
(私は星まつりは無価値と投稿しただけでこういう活動は賞賛するべきである。)
先生は云う。「本当の世界平和は宗教が核にならなければならない」と。
続けて云う。「慈悲、智慧、愛、これこそが人類を救う三位一体なのだ」と。

しかしながら、皆さん考えて下さい。1985年か6年だったと思いますが
中国で日中友好・世界平和祈願法要をされましたが、未だに世界平和は
実現してません。紛争もマスコミがあまり報道しないだけで世界各地で起きています。
剰え、韓国国民なんかは「竹島の為なら日本との戦争も止むを得ない」
と挑発的な発言をしています。世界は平和になるどころか
悪化していると言っても過言ではないと思います。皆さん、宗教の力をあまり
過信しない方が良いです。先生には確かに力はある。が、世界情勢には
如何せん無力なのです。

90 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 15:58:50 ID:Vw7HPejc
20世紀を代表する偉人達
山崎弁栄、出口王仁三郎、そして桐山靖雄。

1.桐山靖雄先生に誤謬は無い。
(思想、行為、人生のいずれにおいても、世間一般と著しく異なって、なんら誤謬は無い。
先生の超越性は世俗的な価値観に染まり切った浅い人間性を有する者には理解できない。)

2.桐山靖雄先生の毀誉褒貶は許されない。
(天皇を悪く言う事が許されないのと同じもの。先生=現人神と考えて良い。)

3.桐山靖雄先生は神乃至宇宙
(その絶対性、超越性、神掛かった人格により、演繹的に導き出される。)

4.桐山靖雄先生を尊崇(阿含宗に入信)する者には必然的に幸福が訪れる。
(世の中に普遍的事実は存在しない、というな消極的言説がこれまでの定説であったが、
桐山靖雄という不動の基準が生成された為に、必然的幸福という概念も付随して発生した。
故に、桐山靖雄先生を尊崇する者は必然的に真・善・美に近づく。)

91 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 16:00:07 ID:Vw7HPejc
私と自称批判者の学力の差について。低学歴の人間が阿含宗批判!?笑止千万。

私はT大学出身である。
本当の所は慶應義塾大学(社会的地位・評価、偏差値、公認会計士・司法試験
国I合格者数、GCOE採択数、平均年収1000万円以上の企業への就職実績、伝統、そして創設者は福沢諭吉。
どの面でも早稲田大学や京都大学に比べると圧勝。)に行きたかったが、学力的に無理だったので諦めざるを得ない。
参照URL:http://www.yamagata-u.ac.jp/topics/1810/g20061014.html

私は超越している。だからこそ先生の法話も数分聞けば自ずと要点が分かる。
阿含宗に入信し、先生を尊崇している人は高学歴が多いのは事実。しかし、お前らはどうであろうか。

例えば、神も仏もカカシ(木偶の坊)は高卒か専門学校卒程度だろう。(まあどちらも論外だが。)
(因みに他の人からは大学中退程度にしか思われていない。詳しくは「阿含宗という宗教145」の596参照。)

ユビキダスは昼夜問わず、このスレ来る社会不適合者。
午前は携帯から閲覧するくらいの暇人である。(ユビキダスは中卒。投稿内容が支離滅裂。)

こんな奴らが阿含宗批判だと!? どの内容も客観性に欠ける。尚且つ、稚拙な文章である。
低学歴は法話の「法」の意味すら分からない社会不適合者。否、三証すら分からない。
寧ろ、お前ら辞めて良かったのじゃないのか。何故ならば、お前ら「仏様を冒涜」という愚行をしそうだから。
低学歴だから先生が何を仰っているのか理解できなかっただろうに。

92 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/17(月) 16:46:24 ID:Vw7HPejc
それでは、今日も頑張りましょう。清浄な心を持つ信者の皆様。

願わくば我が一切の悪業を断壊して
清浄の家、清浄の身たらしめ給え...

我れに今世楽を施し、大吉祥を与えんことを
至心に行じ奉る...

願わくば阿含宗に未来永劫栄華あらんことを...

批判者側に天罰を...

93 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/17(月) 17:50:59 ID:YWshY0Me
>>92
で、いつになったら宝珠尊和讃の冒頭言えるの?
早よ答えろよピーナツジスイ。

94 :帰命頂礼 仏舎利尊:2008/11/17(月) 21:19:51 ID:ak+mi5ET
BSフジ見た。感動した。男子の本懐。

95 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 21:47:02 ID:G9od4nCD
92は釣りだろ・・・?
どう見ても阿含信徒とは思えないんだがwww
冗談で言ってるんだろ・・・、本気ならお前は普通の阿含信者以下の低脳の
ただの気違いだよwww

96 :神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 22:22:53 ID:HjvV/D9N
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

97 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/17(月) 23:54:50 ID:45beYASO
>>91
大麻が吸いたかったのか?

98 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/18(火) 00:14:23 ID:SJEaok+b
>>95
だから、こいつが来やがると「阿含宗と関係ない人たちがやり合ってる」と、
現会員は思ってしまうのよ。

>>97
大麻コソーリ栽培しなくても、自分の履き古した靴下の匂いをかぎながら書いた文章が
>>88-92(ID:Vw7HPejc)。途中ハンドル外せば判らんとでも思ってる浅はかさが所詮ハエの浅知恵。

99 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 00:29:19 ID:j26Caswt
桐山の弟子はハエでした。ゆえに桐山は云子でした。

100 :晒しage:2008/11/18(火) 00:35:36 ID:PXTMhWlZ
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

101 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/18(火) 01:00:34 ID:LqHunn+i
>>100
いつまでも過去の事象に縛られてても先には進まないよ。
ageようが、こんな過疎スレ誰も見に来ない。

102 :神も仏も名無しさん :2008/11/18(火) 01:18:16 ID:TLAZr1Fp
>>101
何故「過疎」と決め付ける?
それが貴方にとっては都合の良い状態なんだろうね。

103 :神も仏も名無しさん :2008/11/18(火) 01:20:43 ID:TLAZr1Fp
>>101
今信者してる?
退会してるのに擁護しているのなら、その理由を書いてくれる?
ただ単に自分の信者欲しさというなら、自分でHP作った方が
余程効率がいいよ。

104 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/18(火) 01:57:24 ID:LqHunn+i
何故、過疎か。
それは勢いがないからである。専用ブラウザ使えば分かる事である。

>>103
私が擁護しようがしまいがそれは恣意であり、君が容喙する事ではない。
分かったなら寝なさい。小僧には用はない。

105 :樹意:2008/11/18(火) 05:43:30 ID:+o6FRxD8
>>72
> 「阿含経のパーリ「相応部」の「転法輪経」では、「道諦」を「修習」
> としている。修習とは 修行 の意味であり、八聖道を修行することを
> さしているのかも知れないが、「八聖道」とは指摘されていないのである。」

ザのスレッドにも書いたことだが、よりによって転法輪経は仏陀が 教えを拒む5比丘に
中道を説き仏教が誕生した際のそれこそ一番重要な経典です。
この5比丘たちが説法を理解し、そのとき仏法は確立したわけです。

「比丘たちよ、出家したるものは、二つの極端に親しみ近づいてはならない。
その二つとは何であろうか。
愛欲に貪著することは、下劣にして卑しく、凡夫の所行である。聖にあらず、
役に立たないことである。また、苦行を事とすることは、ただ苦しいだけであって、
聖にあらず、役に立たないことである。比丘たちよ、如来は、この二つの極端を捨てて、
中道を悟った。それは、眼を開き、智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃にいたらしめる。
比丘たちよ、では、如来が、眼を開き、智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃にいたらしめる
中道を悟ったというのは、どのようなことであろうか。それは、聖なる八つの道のことである。
すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
比丘たちよ、これが如来の悟りをえたところの中道であって、これが、眼を開き、
智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃にいたらしめるのである。
-------中略----------
比丘たちよ、苦の滅尽に至る道の聖諦はこうである。いわく、聖なる八支の道である。
すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
雑阿含経 15 17 転法輪(他) 相応部経典 56.11 如来所説 増谷氏訳



106 :樹意:2008/11/18(火) 05:46:22 ID:+o6FRxD8

よりによって転法輪でインチキしたというのは、ほんと〜に 「ふてぇ」やろうだと
思ふ、
と同時にわが身の不勉強を反省するしだいです。
ゲイカは仏教を蹴飛ばしているのです。 信者さんはよく考えるべきです。
中道 八正道を蹴飛ばしたらもう仏教とはいえないのです。

 八聖道には当然正見が出てきますから 見 の煩悩を説明する必要が出てくる。
ゲイカはこの 見の煩悩や 正見 に対してはそれとなく避けています。
適当に信者を縛る縄に仏教の権威だけ利用しているわけです。


107 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 08:51:00 ID:8bmOQD2P
為造ちゃん、最近とても虚しく感じるときがある。
年かな〜。

108 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:22:13 ID:s8pu1w+h
阿含宗と桐山氏について―第三十九章―
>[1008]如来の子孫 08/11/16 11:25 n69C3Ohcha
>八正道というのは、本来は、だいぶ修行の進んだ聖者連中が修行する
>内容だったのである。つまり、対機説法、対機説法ってわかるよね?

子孫さんは上記の説を引っ込めたようだが、まだ理解はしていない。
八正道が初心から高弟まで、在家も出家もすべてにあてはまる修行法です。
桐山さんのように初学の者だけのためでもなく、
また八正道も八聖道も同じで、種類なんかありません。
『ブッダ最後の旅』にもあるように、最後の直弟子のスバッダに
八正道以外には正しい道などないと釈尊は説いている。

『ブッダ最後の旅 大パリニバーナ経』(中村元)、150ページ
「スバッダよ。いかなる教えと戒律とにおいてでも、(尊い八支よりなる道)が存在すると認
められないところには、
(第一の)(道の人)は認められないし、そこには第二の〈道の人)も認められないし、
そこには第三の(道の人)も認められないし、そこには第四の〈道の人)も認められ
ない。」

初学でもなければ已達用でもなく、釈尊の教法とは八正道そのものです。
ザ39の[936]で樹意さんが引用しているように、
釈尊は様々な所で、自分の教法は八正道であると説いています。
八正道がすべてなのです。

109 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:26:08 ID:s8pu1w+h
「諸の道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。
真理について言えば<四つの尊い真理>(=四諦)が最もすぐれている。
諸の徳のうちでは(情欲を離れること)が最もすぐれている。
諸の人々のうちでは(眼ある人)(=ブッダ)が最もすぐれている。」
(『真理のことば 感興のことば』中村元、196頁)

「この八正道は、初学の弟子に説いたものであろう。」
(『愛のために智慧を智慧のために愛を』204頁 )

信者さんたちは釈尊と桐山さんの言葉を比較してください。
釈尊は八正道こそが最も優れていると断定している。
八正道を初学という桐山さんの話とずいぶん違うではないか。
桐山さんは、神通力でカルマを切る、なんてオカルトを説くために、
三十七道品という後世の人たちの分類を持ち出し、
いかにも釈尊が神通力で解脱したかのように見せかけたいのです。
しかも、そのゴマカシ方がものすごく稚拙です。
信者さんたちも自分は凡人だから阿含経などわからないと投げ捨てて、
桐山さんの本を鵜呑みにするのではなく、
言葉一つ一つがどのような意味なのかを検証することです。

110 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:30:42 ID:s8pu1w+h
阿含宗と桐山氏について―第三十九章―
>[1011]如来の子孫 08/11/16 12:22 n69C3Ohcha
>さて、釈迦が成道するときはどうであったか。
>スジャータから乳粥の供養を受けて、瞑想に入り、現代の時間で
>いうと午後7〜9時に宿命智生じて前世を知り、午後9時〜11時
>に天眼智生じて衆生の生死を観察し、午後11〜午前1時に漏尽智
>生じて解脱を知ったという。これが三明でしょう。
>これは阿含経のそちこちに記されているという。

いかにも子孫さんは阿含経や解説書を読んで書いているかのようだが、
実は桐山本からの丸写しです。
『般若心経瞑想法』の124頁で桐山さんがそっくり同じ事を書いている。
こういうハッタリを効かせるところが、子孫さんのエグイところです。
しかし、せっかく子孫さんがテーマを出してくれた。
信者さんたちも、経典にこのようにあるなら、釈尊は三明という
神通力で解脱したのではないかと思うでしょう。
それが桐山さんのゴマカシなのだが、ではどのようなゴマカシか
桐山さんの本に沿って検証してみましょう。

111 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:37:23 ID:s8pu1w+h
桐山さんは、『般若心経瞑想法』の122頁から釈尊の悟りに
ついて三つの説を紹介しています。
1.十二縁起で悟りを開いた
2.四諦三転十二行相で悟り、後に十縁起を内観した
3.四禅三明で悟り、後に十二縁起を瞑想した
「桐山さんてうまいなあ」と思うのは、普通の説をまずきちんと並べ、
いかにも自分は正統な仏教を理解しているかのように見せかけている点です。
見せかけている、というくらいだから、桐山さんの常で直後にごまかしている。

「これによると、ブッダは十二縁起によって悟ったのではなく、悟りは
四禅三明の智慧によって悟り、
その後に悟りの内容を十二縁起によって瞑想したのだということになる。
この説が最も多い。」(『般若心経瞑想法』124頁)

これが桐山さんがごまかした瞬間の文章です。
気が付きましたか。
「この説が最も多い」とあるが、「多い」とはどこにその多い学者がいるのだ?
桐山さんは「神通力で釈尊は解脱した」と主張したいから、
いかにも学者たちもそのように主張していかのように見せかけているが、
四禅三明で解脱したと主張している学者なんて聞いたことがない。
なぜなら、学者たちは三つの説について争っているのではないからです。
桐山さんはいかにも三つの説について学者たちが主張しあっているかのように書いているが、
そもそもこれが嘘です。
釈尊が悟りを開いたのはどのような内容かについては、三つに限らず、
ちょうど>>105で樹意さんが引用してくれたように、中道もその一つです。
学者たちは、悟りを開いた頃を記述している阿含経を引用して、
分類整理して、ただ並べているだけで、これがそうだなんて決めていない。
なぜなら、釈尊が述べているのだから、その中から一つ選択するなんてできるはずがない。
信者さんたちは私の説明では信用しないだろうから、
信者さんたちが信用する学者の言葉を引用しましょう。

112 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:41:11 ID:s8pu1w+h
>[1011]如来の子孫 08/11/16 12:22 n69C3Ohcha
>さて、釈迦が成道するときはどうであったか。

「このうちで、成道の意義を説く経典の記述には、四聖諦や十二縁起などの
ような理法の体得によるとするもの、四念処・四正勤・四如意足、五根、五力、
七覚支、八聖道などの実習するもの、五蘊・十二処などの諸存在の観察によるとするもの、
四禅・三明によるとするものなどがあります。」
(『釈迦のことば』菅沼晃、115〜116頁)

今回のアゴン宗のテレビ放送を監修した菅沼先生の説明です。
菅沼先生は四つに分けて説明しています。
それは菅沼説ではなく、「経典の記述」とあるように、成道した時を
描写した阿含経の内容からそのまま書き並べただけです。
桐山さんは三種類、菅沼先生は四種類、学者によっては五種類に分けている人もいます。
この本でも菅沼先生が四つの内、どれか一つを主張しているのではありません。
桐山さんはいかにもそれらの説の中から、四禅三明を学者たちが
主張しているかのように書いているが、菅沼先生の書き方を見ても、
そんなのは嘘だとわかります。
学者の多くが、これらの中から特定のどれかを主張しているのではなく、
分類し羅列するに留めている。
それを中村元博士は次のように述べています。

113 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:46:49 ID:s8pu1w+h
「このようにいろいろと説かれているために「さとり」とはなにか、
ということを一語で表明することは非常に困難である。」
(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、415頁)

これが今の学者たちの普通の意見です。
つまり、釈尊が解脱した中身は、菅沼先生が紹介しているような内容であり、
そのうちどれが最も正しいか、などと強く主張する学者などいません。
桐山さんが四禅三明を取り上げて「この説が最も多い」などと
書いているのが、いかに嘘かこれをみてもわかります。
さらに、これらの説の中で普通最も言われているのは十二縁起です。

「普通よく引かれるのは、律蔵の記述に従って釈尊が十二因縁の理を
さとったということである。」(392頁)

一方、桐山さんの支持する四禅三明については、

「ところで四禅の説は古い詩句のうちに述べられていないから、おそらく仏教が
かなり発達してから右のような長々しい経典の説明も成立したのであろう。」(415頁)

と、中村博士は蹴飛ばしています。
「この説が最も多い」なんて桐山説がいかにいい加減かおわかりでしょう。
ただし、四禅三明もまた阿含経にあるのですから、桐山さんはまったくの
嘘を書いているわけではない。
桐山さんの常で、真実に嘘を巧みに混ぜてみせる。
では、神通力による解脱という桐山説が成り立つかどうか、その阿含経を見てみましょう。

114 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:50:44 ID:s8pu1w+h
>[1011]如来の子孫 08/11/16 12:22 n69C3Ohcha
>さて、釈迦が成道するときはどうであったか。

桐山さんの支持する「四禅三明」説の根拠は『間脳思考』で引用した黄廬園経にあります。
だが、奇妙なことに、『間脳思考』での引用は「霊性」の事例として
出しており、それでいて『般若心経瞑想法』では引用していません。
理由は簡単で、『間脳思考』を書いた頃、種本にしていた『阿含経講義』(安井広度)
に黄廬園経が載っていたから用いたが、十年後には黄廬園経のことを
すっかり忘れていたのでしょう。
では、『間脳思考』の112頁(初版)を開いてください。
黄廬園経では自分の前世を見る宿命通、人々が輪廻する姿を見る天眼通、
煩悩が尽きたことを見る漏尽通のことが書いてあります。
これは解脱した時の釈尊自身の描写です。
「おお、やっぱり、ゲイカのおっしゃるように釈尊は三明で解脱したのだ」
と喜ぶ前に、引用してある経典を読んでください。
和訳のほうではなく、面倒でも漢文の書き下しを見てください。
たとえば、宿命通の説明の最初の所、つまり一行目を読んでください。

115 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:54:17 ID:s8pu1w+h
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)

漢文ではわかりにくいなら、現代語訳を見てみましょう。

「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」
『原始仏典 6』(春秋社、189頁)

釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。
「定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく」とはその後の「煩悩を離れ」
と同じ意味ですから、すでに煩悩を断ちきってしまった後で憶宿命智通、
つまり宿命通を得て、自分の前世を透視したと言っているのです。
以下、天眼通も漏尽通も同様の言葉が冒頭に並びます。
煩悩を断ち切るのに三明を使ったのではなく、
煩悩を断ちきって解脱した後で、三明を使ったと述べているのです。
つまり、三明で解脱したのではありません。
漏尽通を考えればそれって当たり前じゃないですか。
三明の中身をよく見てください。

116 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:59:44 ID:s8pu1w+h
<宿命(しゅくみょう)通>は過去世の生存の状態を思い出す能力
<天眼(てんげん)通>は衆生の転生の状態を知る能力
<漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力
(『岩波仏教辞典』)

漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力だから、
その前に煩悩が尽きて、解脱しているのは当たり前なのです。
合格発表に自分の名前を見て合格を知り、漏尽通とはその後に
合格通知を正式にもらうようなものです。
合格通知をもらう時にはすでに合格しているのです。
だから、漏尽通で解脱するのではありません。
そういう目でみると、前の二つの神通力も解脱と何の関係もないことに気が付きませんか。
三つともに、これで煩悩を切ったとは書いていないのですよ。
だったら、どうやってこれらの神通力で解脱するのですか。
三明などの神通力と解脱との間に何の脈絡もないのです。
そもそも自分の過去世や他人の転生を知るとどうして煩悩が切れるのか。
霊能者の中には自分や他人の前世を透視する力を持つという人がいるが、
だからといって、その能力で解脱しましたなんて言っていない。
こんな能力で解脱するなら、桐山さんが引用した鹿頭梵志の話と矛盾します。

117 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:06:13 ID:s8pu1w+h
>[1011]如来の子孫 08/11/16 12:22 n69C3Ohcha
>さて、釈迦が成道するときはどうであったか。

『輪廻する葦』の174頁にある阿含経です。
桐山さんは雑阿含経と書いているが、増一阿含経の間違いです。
この経典もまた桐山さんの種本である『阿含経講義』(安井広度)からのパクリです。
桐山さんは、鹿頭梵志がミガシラであることを学者も知らないのではないかと
自分の知識を披露しているが(輪廻する葦、183頁)、実は安井さんの本には、
「・・釈尊は鹿頭(migasila)梵志をつれて・・」 (『阿含経講義』安井広度、474頁)
と、ミガシラであることが書いてあるのです。
桐山さんは他人の本からの知識にすぎないのに、まるで自分は阿含経を
ことごとく読んだかのようなポーズをとってみせる。
信者さんは、こういう桐山さんを見て、狐みたいにずるい男だとは思わないか。
信者の子孫さんもこれを真似する。
この経典のミガシラは超能力を持っていて、死者の死に方から、
死後の行方まで透視することができて、その力が正しいことを釈尊も認めた。
これは宿命通や天眼通です。
だが、ミガシラは解脱などしていない外道だった。
こんなことは当たり前で、解脱とは煩悩を断ちきることです。
自分の前世や他人の転生が見えるからといって、煩悩が切れるはずはない。
これは、漏尽通以外の五つの神通力についてすべて言える。
五つの神通力は仏教以外の宗教でも獲得できるとされているし、
事実、ミガシラはそのいくつかを帰依する前から持っていた。
三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです。

118 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:10:28 ID:s8pu1w+h
神足通 飛行・変身などの超能力
他心通 他人の考えていることを知る能力
天耳通 あらゆる音を聴く能力
宿明通 過去世の生存の状態を思い出す能力
天眼通 衆生の転生の状態を知る能力
漏尽通 自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力

この三明六通のどこに「煩悩を切る」という力かあるのですか。
桐山さんや子孫さんに言わせると、三明で解脱したというのだから、
宿明通、天眼通、漏尽通で釈尊は煩悩を切ったことになる。
だが、それらの中身のどこに煩悩を切る内容があるのですか。
信者さんたちも三明や神通力という言葉に惑わされず、
難しい説明ではないのだから、上記をしっかりとみてください。
三明も六神通力も、内容を見れば煩悩を切ることとは関係ないのです。
解脱して三明を獲得したとか、六神通力を持ったとあるから、
桐山さんから神通力で解脱するかのように錯覚させられているが、
そのいずれの神通力も、これで煩悩を切るとは一言もありません。
阿含経にはそんな記述はないのです。
桐山さんのように三明などの神通力で解脱するなんて、
何の根拠もないオカルトであるとは、これだけでも明らかです。

119 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 13:19:56 ID:s8pu1w+h
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)

では、なんのために釈尊は解脱した時、三明の話を出したのでしょう。
前世や輪廻する人々の姿が、釈尊の説く十二縁起の実例だからです。
釈尊は煩悩によって輪廻が生じ、その結果、苦が生じることを発見した。
十二縁起の最初に無明という煩悩があるように、「苦の素は煩悩」というのが
釈尊の偉大な発見なのです。
本当に成り立つかどうかを自分の前世や他人の輪廻する姿を見て確認したのです。
だから、黄廬園経では六神通力が全部は登場せず、宿命通と天眼通だけです。
釈尊は六神通力を体得したと言うのに、解脱の時にはなぜ三神通力しか描かれていないのか、
信者さんたちは奇妙に思いませんでしたか。
自分が説いた十二縁起とそこから出てくる四諦が正しいかどうかを
確認するのに、神足通や他心通や天耳通は必要ないからです。
必要なのは、自分と衆生が煩悩のために輪廻転生している姿を確認する能力で、
それは宿命通と天眼通です。
だから、黄廬園経でも宿命通と天眼通で「作証しぬ」、つまり
簡単に言えば、証拠調べをしたと言っているのです。
衆生やかつての自分が煩悩によって輪廻転生していたのに対して(宿命通と天眼通)、
煩悩を断ち切った自分は苦の世界から解き放たれたことを漏尽通で確認したのです。
こういうことに気が付けば、桐山さんが紹介している三つの説(>>111)の
1の十二縁起も3の四禅三明も同じ事だとわかります。
説明は抜きますが、2もそうなのです。
ところが、桐山さんはそのことに気が付かず、三つをバラバラな説だと信じ込んでいる。
つまり、桐山さんの仏陀の智慧とは、釈尊の解脱を理解できない程度であり、
ましてや本人が解脱しているなんて真っ赤な嘘だとわかります。

120 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 19:53:56 ID:0MQe+IXv
>>104
過疎といえば池田慈水のサイト。
>>103
自分でHP作っても信者は集まらない。

121 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/18(火) 21:04:14 ID:SJEaok+b
>>120
脳内で聖者になってるつもりだけで、人を惹きつけるようなことは何も無いつまらんサイトだしな。
むしろ初めて見たとき、気持ち悪い絵がいっぱいで二度と見るかという気になったわ。

122 :コピペ馬鹿:2008/11/18(火) 22:39:30 ID:DQMHy9Ju
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

123 :神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 08:12:52 ID:AwAct2Mq
連続テロ? 闇の仕置き人の仕業かな・・・・・・?
S雄君も危ないぞよ。

124 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/19(水) 10:49:09 ID:Mj0uuPwJ
>>120
カリスマ性等を持ち合わせている人の所には更新とかしなくても
人はやってくる。阿含宗だってそう。どこぞの学会みたいに勧誘行為を
しなくても先生の元へ人が集まってくる。(入信)
お前のような庶民には分からない事だろうけども。

125 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/19(水) 12:24:41 ID:qyOApu50
>>124
宝珠尊和讃も知らんやつは黙っとけ。

126 :高城浄海:2008/11/19(水) 13:15:22 ID:EPO63U0e
>>124

>阿含宗だってそう。どこぞの学会みたいに勧誘行為をしなくても先生の元へ人が集まってくる。(入信)
集まった人たちは何処へ消えたのだろう。東京の別院例祭でさえすかすか。平日はレンタルスペースとして活用したほうがいいのでは?

127 :神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 14:40:37 ID:qsrXJNQA
なんか運気が上がった気がする…
スゲェーよ教祖サマ
万歳!

128 :神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 17:35:47 ID:PJnLkxNp
''、,             `''ー、,_      ::/::/';;;;、-‐:、:::ヽ::;;;;;;;;;、ヽ;;;;ヽ;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;i:i;;;;;'、      :::::::::/:::
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    ,、-‐‐‐--ヽ:::::::                   υ     ヽ、      ;;;;   ::::::    
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´ /         `,::::::::::::::::::                       ::::::::::: / λヽ  ::::  :::
..,;'´           ヽ::::::::::::::::::::                      :::::;::: i;:;:/ ヽ;:i ,'::::   
、i             ヽ::::::::::::::::::::::                      :'、';:::ヽ`i/;ノ; ノ:::::::
 ヽ            `、、:::::::::::::::::::::                    :::::::ヽ'、;ヽノ:,;'::: ::::::::
  ヽ             ヽヽ、:::::::::::::::::::::::                  :::::::::::`、'、;;;'/::::::: ::::::::

129 :神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 17:37:13 ID:PJnLkxNp
      ::;;::./ ̄ ̄ ̄\
      / ─    ─ \  ハァハァ…
     /. =⊂⊃=⊂⊃= \
     |    (__人__)    |
     \     `⌒J´   /
      丶1    八.  !/
       ζ,    八.  j
        i    丿 、 j
        |     八   |
        | !    i 、 |
       | i し " i   '|
      |ノ (   i    i|
      ( '~ヽ   !  ‖
        │     i   ‖
      |      !   ||
      |    │    |


130 :神も仏も名無しさん:2008/11/19(水) 21:59:00 ID:E9n9zQgb
しかし、全てを滅っする涅槃思想による
あの世への手引きとして引導を渡す
ゴータマの教義は現代社会に誕生した宗教であったなら
最初はヨイショして持ち上げ後に
破壊思想として特に日本のマスコミは
叩き扱き下ろしていたであろう。
サイババに例を見るように奇跡を
最初はヨイショして持ち上げ
そして叩き扱き下ろしたように


131 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 12:39:20 ID:/O5y7DEV
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[41]如来の子孫 08/11/19 11:46 pjq5jRfEYK
>煩悩解脱だけにこだわるから、教えを間違うのです。
>例えば、仏陀は、禅定の深まりを次のように、八解脱に区分して
>います。記憶で書くので間違えたらすみません、各自確かめてくだ
>さい。

相変わらず、子孫さんの国語力には、ある意味で脱帽です。
先生は学生に「まず一年生に及第することが第一の卒業、二年生に
及第することが第二の卒業、三年生を及第することが第三の卒業なのだ」
と言ったとします。
普通の人はこれを三つの卒業を説いたとは言わず、「学校を卒業する」ことを説いたと言う。
だが、子孫さんは「三卒業に区分する」と見えるそうです。
八解脱とは、八種類の解脱を説いたのではありません。
釈尊の説いた九段階の瞑想の八段階のそれぞれに到達したことを解脱と
表現しているだけです。
八解脱も八正道の「正定」の中に入ってしまいます。
だから、八解脱を漏尽解脱(煩悩解脱)と一緒にするのは、
学期ごとの試験に合格したことと、卒業とを同列に取り扱うようなものです。

132 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 12:45:27 ID:/O5y7DEV
>[39]如来の子孫 08/11/19 11:02 pjq5jRfEYK
>八正道の総目録が37道品なんてことを、釈迦は一度も説いていませ
>ん。また、アビデアルマ論師達もそういうことを説いていません。
>また、現代の著名な仏教学者さん方もそういうことは説いていま
>せん。

釈尊が、八正道が三十七道品の総目録だなんて言っていないなんて当たり前です。
三十七道品という分類自体が、後世の人たちの分類なのだから、
釈尊がそんなこと言うはずがない。
経典に、三十七道品という言葉や分類が出てくるからといって、
これをこのまま釈尊が説いたというのは間違いです。
桐山さんは三十七道品こそが釈尊が説いた法だと言った。
それはこの中の四神足や五力で神通力を体得することが
釈迦の成仏法だと言いたいためです。
だから、釈尊は三十七道品という「体系」を説いたと
信じている信者はたくさんいる。
それが間違いだと言っているのです。
釈尊はこんなふうに修行の体系など説いていません。
>>110以降で紹介した釈尊の解脱ですら、数種類の内容がある。
ちょうど子孫さんが八解脱を引用したから、これが出ている箭毛経を見てみましょう。
中部経典の第77経です。(『原始仏典 6』春秋社、5頁)

133 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 12:54:00 ID:/O5y7DEV
>[39]如来の子孫 08/11/19 11:02 pjq5jRfEYK
>八正道の総目録が37道品なんてことを、釈迦は一度も説いていませ

内容は、釈尊が弟子から尊敬されている理由を述べている。
その中で、修行法を列記しています。
それらは、四念処から八正道、八解脱、八勝処、十遍処、四禅、
身体に関する正しい知見、意生身、六神通力です。
意生身とは意所成神変と呼ばれる神通力の一つで、
桐山さんがいうような霊魂ではありません。
釈尊はこれらの修行法を説いているのだから、
三十七道品だけを修行法だというのはおかしい。
桐山さんの大好きな六神通力は三十七道品とは別に独立して説いている。
しかも、同じような神通力であるはずの意生身は別に説かれている。
この経典に限らず、釈尊の修行法と言えるものは他にもいくつもある。
たとえば、五財、七財、八大人覚、十無学法などです。(『仏教用語の基礎知識』189頁)
阿含経を開くと、この種の数字のついた修行法が山のようにあり、
しかも、後で紹介しますが、三十七道品ですら、分類が微妙に違うものがいくらである。
三十七道品の個々の内容は釈尊は説いているが、これをひとまとまりで
あると体系化をしたのは後世の人たちです。

134 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 13:06:17 ID:/O5y7DEV
『釈迦の本』学研、139頁
「次のページより詳説する三十七菩提分法は、上座部を中心とした部派仏教に
よって整理されたもので、これらの三学にわたる仏陀の修道論である。
大乗仏教でいう六(十)波羅蜜に相当するが、より未整理で雑然としている。」

部派仏教が三十七道品として体系化したのです。
だから、「未整理で雑然としている」。
なぜなら、彼らが元とした釈尊の言葉は未整理で雑然としているからです。
釈尊が修行法を体系化しなかったことは、箭毛経の修行の並べ方を見てもわかる。
相手に応じて思いつくままに並べただけです。
たとえば、四禅が出てくるが、八解脱と重なっているし、
三十七道品に四神足が出てくるのに、なんで後で六神通が出てくるのか。
六神通が出てくるなら、なんで四禅三明が出てこないのか。
これらは体系だって釈尊が話したのではなく、相手に応じて並べただけです。
そして阿含経とはすべてこのパターンです。
子孫さんのように木ばかり見て森を見ないと、釈尊の言っていることは矛盾してくる。
森を見るとは、釈尊の説いた解脱は漏尽解脱(煩悩解脱)であるという大前提で読むことです。
桐山さんみたいに因縁解脱を説いたなんて言い出すから、訳がわからなくなる。
釈尊は、相手に応じて森全体を説くこともあれば、
葉一枚について丁寧に説明することもある。
両者を同レベルで取り扱い、桐山オカルト教に合わせようと必死なのが子孫さんです。

135 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 13:16:15 ID:AbixUpP8
『釈迦の本』学研、139頁
「次のページより詳説する三十七菩提分法は、上座部を中心とした部派仏教に
よって整理されたもので、これらの三学にわたる仏陀の修道論である。
大乗仏教でいう六(十)波羅蜜に相当するが、より未整理で雑然としている。」

三十七道品は部派仏教の人たちが、整理し体系づけようとした「痕跡」です。
上記の六波羅蜜よりも未整理で雑然としているのは当たり前で、
部派仏教の人たちは阿含経そのものから離れることはできなかった。
大乗仏教は阿含経に関係なしに頭の中で構築したから、きれいに作り上げた。
釈尊の言葉は相手に応じて説明しているだけで、体系だって話をしているので
はないから、別々の話を持ってくると、うまく整合しないのです。
だから、未整理なのではなく、整理のしようがなかった。
三十七道品は体系化の中では比較的まとまっているから、後々名前が残り、
よく用いられるようになった。
釈尊の教法は八正道で言い尽くされているのだが、三十七道品のほうが
たくさん並んでいるし、八正道もはいっているから、有名になったのです。
他の方がこのスレで指摘していたが、大乗経典の中にも三十七菩提分法の
名前はしばしば出てきます。
桐山さんは三十七道品は阿含経にしかないなどと書いているが、
実は阿含経ではなく、部派仏教の人たちが作った言葉であり、
大乗経典にも出てくるのです。

136 :破壊活動犯罪者カルトオウム創価教SGI八百長選挙自民党ハンター:2008/11/20(木) 13:20:26 ID:wVKYy+c3

【名付けて、20世紀少年・DEATH NOTE・NWOゲーム】

「さあ、またゲームの始まりです!」

自公民創価らの殺人司令と、指令殺人既遂未遂行為担当者らは、

「常にゲーム感覚」で殺って来たんだけど、

ワケあって、今回は、忠臣蔵の討ち入り日まで、待てなかったんだよね〜!wwwwww

で、「今回のゲームでは、

誰がキラー殿?」かしらね?wwwwww

タモガミHGも隠したいのが自公民創価学会自衛隊666wwwwww

自公民 フォ〜〜〜!wwwwww

137 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 13:22:32 ID:AbixUpP8
『釈迦の本』学研、139頁
「それが三学(戒・定・慧)と呼ばれる修道概念である。・・・(中略)・・
定とはいわゆる禅定のことで、瞑想というものとは少し次元が違うようである。
この場の基本となるものが、八正道であり、後述する三十七菩提分法は
この八正道のヴァリエーションと考えられる。」

三十道品の中身をきちんと検証すれば、
「三十七菩提分法はこの八正道のヴァリエーション」という結論が出てくるのです。
釈尊の法の説き方は、桐山さんの好きなカリキュラムなんかではありません。
相手に応じて、場所に応じて説いたのであって、
説いた内容は体系だったものではありません。
だから、阿含経から修行法と思われるものを並べるとすさまじい数の教法が出てくる。
それを見て、子孫さんのような人は、それら全部が釈尊が説いた体系だった修行法
なんだと思い込み、木に竹を接いだような話を作り上げる。
釈尊の説いた教法は、プラモデルの部品にように、きれいに組み上げることはできない。
箭毛経一つで、四念処から八正道、八解脱、八勝処、十遍処、四禅、
身体に関する正しい知見、意生身、六神通力が出てくる。
いずれ一つをとってもすごい内容です。
なのに、どうして桐山さんや信者さんたちはこの中から三十七道品だけを選ぶのですか。
これらをきれいに体系づけることも無意味なら、その中から
後世の部派仏教がまとめたにすぎない三十七道品だけを選び出すのも無意味です。
桐山さんは七科三十七道品というキャッチコピーが欲しいだけだし、
釈尊が何を説いたのかという「森」を見ないから、子孫さんのように
七科三十七道品を意味もわからず、お題目のように唱えるはめになるのです。

138 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 13:25:20 ID:AbixUpP8
>[40]如来の子孫 08/11/19 11:26 pjq5jRfEYK
>例えば前にもレスした長阿含の増一経ですけどね(この経もアビダル
>マ仏教の教材)この中には、煩悩を尽くす七つの力として、7科37
>道品が出ています。

これは驚いた。
長阿含経に「七科三十七道品」という言葉が出ているのですか。
ぜひ、引用してほしい。
あるとは思えない。
三十七道品という言葉は釈尊の滅後の部派仏教の人たちが作った言葉です。
だから、阿含経にみられるのは増一阿含経に5経典くらいしかない。
増一阿含経は阿含経の中でも一番最後に成立したと言われる経典です。
だから、三十七道品という言葉がここにしか出てこないのもわかる。
数千もあるという阿含経の中に、三十七道品という言葉は一番最後に成立した経典群の
わずか5つくらいにしか出てこないのですよ。
これで釈尊が三十七道品を説いたなんていうのはいくらなんでもおかしくありませんか。
子孫さんが言ってるのは、三十七道品ではなく、四念処から八正道までの7つの覚支です。
これを三十七道品などという一つのまとまりであるかのように
説いているのは、後世の仏教徒であって、釈尊ではありません。

139 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 13:34:21 ID:AbixUpP8
>[40]如来の子孫 08/11/19 11:26 pjq5jRfEYK
>例えば前にもレスした長阿含の増一経ですけどね(この経もアビダル
>マ仏教の教材)この中には、煩悩を尽くす七つの力として、7科37
>道品が出ています。

信者さんたちは、四念処から八正道までを三十七道品という体系だった修行法を
釈尊が説いたと信じている。
だが、阿含経の釈尊は三十七道品というくくり自体をしていないのです。
四念処から八正道までが並ぶことは珍しくないが、
だからといって、釈尊はこれをひとまとまりの修行法だなんて言っていない。
しかも、これらが出てきても、ちょうど子孫さんが引用し長阿含経の増一経では、
「・・四念処を修して多修多行、五根五力、七覚意、賢聖八支の多修多行なり」(187頁)
と、五科しかない。
同じ長阿含経の十上経(『國訳一切経 阿含部7』172頁)でも五科です。
同じ長阿含経の清浄経では、皆さんが知っている四念処から八正道ではありません。
「四念処、四神通、四意断、四禅、五根五力、七覚意、賢聖八支」
(『國訳一切経 阿含部7』260頁)
七科ではなく八科もある。
こういうのを見ても、釈尊が七科を一つのまとまりとして説いたなんて、
成り立たないことがわかる。
繰り返すが、七科三十七道品とは後世の部派仏教の人たちが
雑然と一くくりにまとめたものすぎず、釈尊自身はこういう説き方はしていないのです。
釈尊は相手に応じて説いたから、その都度、「薬の調合」を変えた。
信者さんたちにまず気が付いてほしいのは、
「七科三十七道品という修行体系こそが釈尊が説いた唯一最高の修行法である」
という桐山さんの説は間違いだということです。

140 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 13:40:23 ID:AbixUpP8
>[40]如来の子孫 08/11/19 11:26 pjq5jRfEYK

釈尊が四念処、四正勤から八正道などを説いたのは事実です。
だが、それを七科三十七道品などとまとめて説いたのではありません。
先生がA学生には「数学を勉強しろ」といい、B学生には「英語と数学を勉強しろ」
といい、C学生には「まじめに授業に出席しろ」と言った。
後に、この学生たちが集まり、自分が言われたことを書き留めたとします。
皆さんは、「この先生は言うことは毎回違う」と言いますか。
先生は学生たちに、「まじめに勉強して卒業しろ」、と言いたいのです。
「勉強」に相当するのが八正道です。
勉強の中身にもいろいろあるから、勉強という言葉だけでは、
何を言っているのか必ずしもよくわからない。
それを個々に説明した様々な修行法があり、その一部が四念処・・七覚支です。
三十七道品とは、「英語、音楽、身体を鍛える、健康、方程式、出席、勉強」
というように、勉強の内容を脈絡なくまとめたものにすぎません。
だから、他にも数学や物理などいくらでも科目は阿含経にある。
また、英語一つにしても読解や会話など、細かく分かれている。
健康でなければ勉強などできないから、健康が入っており、
身体を鍛えることも勉強の一貫です。
それが言ってみれば四神足です(正確にはその一部)。
先生は、ある学生は数学が落第点だから、数学をがんばれといい、
ある学生はさぼってばかりいるから、授業に出席しろと助言した。
それらの言葉をそのまま書き記したのが阿含経だから、一見、脈絡がない。
だが、この先生は「まじめに勉強(八正道)して卒業(解脱)しろ」と
言っているのだと気が付けば、個々の修行法がどういう意味なのかも理解できます。
こういう観点から見れば、三十七道品という分類はさして意味がないと気が付くのです。
それすら気が付かない桐山さんの知性って、どうなのでしょう。
信者さんたちは何か疑問を持ちませんか。

141 :破壊活動犯罪者カルトオウム創価教SGI八百長選挙自民党ハンター:2008/11/20(木) 13:41:20 ID:wVKYy+c3

【名付けて、20世紀少年・DEATH NOTE・NWOゲーム】

「さあ、またゲームの始まりです!」

自公民創価らの殺人司令と、指令殺人既遂未遂行為担当者らは、

「常にゲーム感覚」で殺って来たんだけど、

ワケあって、今回は、忠臣蔵の討ち入り日まで、待てなかったんだよね〜!wwwwww

で、「今回のゲームでは、

誰がキラー殿?」かしらね?wwwwww

タモガミHGも隠したいのが自公民創価学会自衛隊666wwwwww

自公民 フォ〜〜〜!wwwwww

142 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 23:48:22 ID:78k4spli

            ,,,-‐''"~     ~゙ヽ、,,----、.,,,,_
         .,,r''~             ゙ヽ、   `ヽ、
        /                 ゙i,     `ヽ、
       /                   i,=      ゙i,
~~'''''‐-= /                     i≡      ゙、
      i'             ;ヘ,     .:.:::ξξξ      ゙,
      i                /./     .:.:::ξξξξ      i   ソイヤ! セイヤ!
       ノ                / /     .:::::ξξξξ       i       ソイヤ! セイヤ!
    /            /./  .:.:.:.:.:.:/≡=:.:_____     (<ヽ!}      ソイヤッサ!!
    /             i^ヾ'i:.:.:.:.:.::::::; '= ..:.:.:;'、;:;:;;;;:;;゙i .  ゙iヽ\
  /              ..:....:.:゙、_ ゙:、:::::/  ,,,,,....-i'゙i;====ヨ    ,! \\
  /;;;;i            .:.:.:.:゙i `ヽ、  :.:..:.:.:.:.:.:! ''゙i;:;:;:;:;;! ,r‐'゙゙'' ,! ヽ、>
 メ;;;;;;;i,           .:.:.:.:.:.:.:、  ゙'ー‐-、,,;---、ゞ ゙''''''i'/   /
/:::i;;;;;;;ヽ、         .:.:.:.:.:.:.:.:.ヾ、        ゙     ゙`   ,ノ
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:::::::::::\;;;;;;;;;`ヽ、,_   .:.:.:.:.:.:.:.:.ノ 〉,.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:゙i`    ,:;'' i; ヾi′
:::::::::::::::ヽ、;;;;;;;;;;;;;;;;;゙''‐─--‐‐/ ,{;;;;ヽ、.:.:.:.:.:.:.:.:.:|    '"  ;:  ゙|
::::::::::::::::::::::`ヽ-、;;;;;__,,,,,/  /\;;;;;;;─----‐|      ;:   !
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノ   i:::::::::゙ヽ、 ;;;;;;;;;;;;;;;;|       ;;! ,!


143 :神も仏も名無しさん:2008/11/20(木) 23:50:40 ID:78k4spli
    \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \ 
 ̄ ̄ ̄ ̄  ( ( 膣 ) ── 小陰唇
      \ \\// /
         `   \/  '
\         *──肛門
  \_____/\_____/


144 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/11/21(金) 16:30:41 ID:JsyzLY7y
>>126
私が少しこのスレから離れている間に邪魔な虫けらが
また1人増えていたみたいだな。お前に対して言った訳では
ないのに、何故お前が答えているのだ。
目がスカスカだから私が誰に対して言ったか分からなかったのかね。

>東京の別院例祭でさえすかすか。

目が悪いからスカスカに見えるだけだろ馬鹿者。

>>143といい、このスレッドを荒らす人間は大歓迎だから
頑張ってAA貼っていこう。

145 :神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 18:22:04 ID:GS44uVlV
>>144

桐山さんが男の子を作らなかった理由を教えてください。

146 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/21(金) 19:25:48 ID:Cdv349vR
>>144
で、宝珠尊和讃は手に入ったかピーナツジスイ。

147 :神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 20:12:40 ID:yEOiXS7h
池田慈水、もっとがんばれ!

148 :神も仏も名無しさん :2008/11/21(金) 21:19:27 ID:8V7SgdeC
>>144て馬鹿だねー
このスレをアラシてるのは「擁護側」だよ。
それを歓迎しているとは、「信者」の人間性がどんなものか
よくわかる。

149 :神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 23:40:44 ID:0I86agpR
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[40]如来の子孫 08/11/19 11:26 pjq5jRfEYK
>私にとって、煩悩解脱と因縁解脱は同義語なのです。

信者さんたちもご存じのように、子孫さんの上記の説はアゴン宗の説ではありません。
桐山さんは、「煩悩解脱=小解脱、因縁解脱=大解脱」として
はっきりと両者はレベルが違うと指摘している。
だから、上記は子孫教にすぎません。
子孫教は子孫さん以外、誰も興味がなく、議論の対象ではない。
子孫さんの悪い癖で、アゴン宗の教義と子孫教との区別がつかない。

150 :神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 23:43:56 ID:0I86agpR
>[80]如来の子孫 08/11/21 11:07 pjq5jRfEYK
>面白いですね、管長は宇井伯寿博士を三転十二行相説であるとし、
>三枝みつよし先生は、宇井博士を四禅の成就説、ととらえています。

おもしろいのは子孫さんの国語力です。
あなたが読んだ学者の説明は、桐山さんがどれほどいい加減なことを本に書いているかを示し、
また、私が書いた批判を裏付けていることに気が付かないのですね。
あなたが読んだ本では、宇井博士の説が桐山さんの説明と違うことなる。
ところが、あなたは桐山さんの知識がいい加減なことを示す材料をみつけながら、
ただ「面白いですね」と終わっている。
あなたは自分の知識を披露することに夢中になって、引用内容が
桐山さんの主張を否定していることに気が付かなかったでしょう?
自分の知識の自慢が、桐山批判になっていることに気が付かない子孫さんこそ、
批判側から見て「面白いですね」。

151 :神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 23:48:41 ID:0I86agpR
>[80]如来の子孫 08/11/21 11:07 pjq5jRfEYK
>面白いですね、管長は宇井伯寿博士を三転十二行相説であるとし、
>三枝みつよし先生は、宇井博士を四禅の成就説、ととらえています。

どうやってこういう結論が出てくるのですか。
あなたが引用した文章は、三明四禅が「阿含経の各所に見られます」という
当たり前のことが書いてあるだけで、
宇井博士が三明四禅説を支持しているとは書いていない。
ところが、あなたの結論は宇井博士が三明四禅の説を支持していると書いている。
それを主張したいなら、その文章をきちんと引用することです。
子孫さんの解釈はいつもこういう飛躍がある。

152 :神も仏も名無しさん:2008/11/21(金) 23:52:01 ID:0I86agpR
>[80]如来の子孫 08/11/21 11:07 pjq5jRfEYK
>面白いですね、管長は宇井伯寿博士を三転十二行相説であるとし、
>三枝みつよし先生は、宇井博士を四禅の成就説、ととらえています。

宇井博士が釈尊の教法をどのように見ていたか、本は違うが、引用しましょう、

「八聖道は実に根本仏教の実践を示す模範的なものである。」(『印度哲学史』宇井伯寿、100頁)

宇井博士はこの本で八正道こそが釈尊の説いた実践法だと述べており、
三十七道品だなんて書いてありません。

153 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 00:03:02 ID:0I86agpR
>[80]如来の子孫 08/11/21 11:07 pjq5jRfEYK
>あとは長くなるので書かないが、このように私は管長だけの説を丸
>写ししてるのではない。ちゃんと三枝先生の講義も読んでるわい。

あなたが桐山さんの本の丸写しだけだなんて言っていませんよ。
143などの悔し紛れにエロネタを貼り付けるような連中に比べたら、
罵りや国語力が低くても、議論しようという子孫さんのほうがまだましです。
『超脳思考をめざせ』に因縁解脱と阿含経との関係を桐山さんが
説明しているのを指摘してくれたのは子孫さんです。
私が指摘したのは、まるで自分でどこからか調べたような書き方をせずに、
引用元を示したからどうかと言っているのです。
さも何事か知っているかのように知識の切り売りはみっともないのです。
知識は共有して、その上で議論をすればいい。
あなたみたいに手の内を隠しながら、相手が知らないのをいいことに
あれこれ書くのは卑怯なことです。
こりもせずに、同じ手を使い、ラシンさんに[93]のような質問をする。
いったい、これ何なんのつもりの質問ですか。
よくまあ、こんな慇懃無礼を絵に描いたような質問ができるものだ。
あなたは本を読んで頭の中に何か知識の背景があるのだろうが、
それを相手も知っているのが当然だというと態度で、皮肉っぽく、説明もせずに、
「すみません」などと引き下がったような口調で質問している。
舌を出しながら、相手が困るだろうとほくそえんでいるのですね。
本当にあなたは性格も悪い人です。
シュダオンになる前に、その性格をまず直したほうがいい。

154 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 00:07:59 ID:L71o7T3T
>[83]如来の子孫 08/11/21 14:01 pjq5jRfEYK
>ユビ元さんも、落ちついて、冷静に。
>私の立場になって、あなたの意見と私の意見を同等に考えることが
>出来ること、それが出来たら、有身見を去る、ということです。
>そうなって初めて自灯明、ということが出来ましょう。

子孫さんはしばしばこの言い方をラシンさんにも繰り返すが、
こういう言い方はしないほうがいい。
なぜなら、あなたが老人であることがわかってしまうからです。
ユビキタスさんも他の人もみんな冷静に落ち着いて議論している。
冷静になれず、罵りの言葉を最近まで出していたのはむしろ子孫さんのほうです。
年寄りの特徴は、
「おれの言うことを聞け!」
です。
つまり、子孫さんがラシンさんやユビキタスさんに言った言葉です。
特にこれは男性に多い。
ここでいう年寄りとは脳が老化し始めている人のことを指します。
自分の言っていることを受け入れた相手は正しく、
反対する奴は頭が悪いのだと決めつける。
あなたも普通の人間なのだから、絶対に正しいなんてありえない。
現実にあなたの説はどんどん否定されてきたではないか。
否定されても、まったく無視して同じ主張を繰り返すのも老化した脳の特徴です。
みっともないから、「自分の話を受け入れろ」なんて言わないほうがいい。
子孫さんはあなたの説の矛盾や間違いを指摘されても、完全無視していることに
気が付いているか。
他人に「おれの話を聞け!」と言いながら、あなたは他人の話を聞いていない。
それが次です。

155 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 00:11:23 ID:L71o7T3T
>[84]如来の子孫 08/11/21 14:15 pjq5jRfEYK
>ところが違うでしょう。私が、神塚先生と辛島先生の37道品の訳を
>紹介したでしょう。あれはお釈迦様の言葉の訳なのですよ。

あなたの引用した経典には三十七道品という言葉はありません。
三十七道品という言葉は釈尊は説いていません。
後世の人たちが付けた名前なのです。
こんな簡単なことすらあなたは受け入れられない。
七つの修行法のそれぞれは説いたが、それを三十七道品と一括りにして、
特別な意味を与えたのは後世の人です。
何度説明してもあなたは絶対に受け入れない。
私からそれを指摘されてもどこ吹く風で、また同じ事を書いている。
他の修行法と同等にただ並んでいるだけです。
あの経典のどこで釈尊が「・・これらの三十七道品は・・」と述べているのですか。
三十七道品とは増一阿含経の五つくらいの経典にしか出てこない言葉なのです。
しかも、あなたも書いているように、四念処から八正道までのくくりは
必ずしもこのままでないものがいくらでもある。
ここまですでに私が説明して、ユビキタスさんが転記してくれたにも
かかわらず、完全無視して、相変わらず、同じ主張を繰り返している。
他人に「私の意見を同等に考える」などとお説教するなら、
まずあなたが相手の主張を同等に考えて模範を示してはどうですか。

156 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 00:18:51 ID:L71o7T3T
>[84]如来の子孫 08/11/21 14:15 pjq5jRfEYK
>徐々に数字が増えて、お弟子さんを1千2百50人
>引き連れて歩く頃に、37という数時も確定したようですね。

『釈迦の本』学研、139頁
「次のページより詳説する三十七菩提分法は、上座部を中心とした部派仏教に
よって整理されたもので、これらの三学にわたる仏陀の修道論である。」

あなたは私の反論どころか、学者たちの多くが認めている学説すら完全に無視している。
釈尊は数字など確定していません。
四念処から八正道までを三十七道品とひとくくりにしたのは
部派仏教の人たちであって、釈尊ではありません。
だから、経典でも、釈尊のくくり方は一様ではなく、
他の物を加えたり、足りなかったりすることがある。
勝手な想像をするのではなく、三枝先生の本も読んでいると言うなら、
現実の阿含経と学者たちの研究をもっと尊重してはどうか。

157 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 00:39:39 ID:L71o7T3T
>[84]如来の子孫 08/11/21 14:15 pjq5jRfEYK

子孫さんの脳ではもはや自分に都合の悪い知識は受け付けないようだから、
他に信者さんたちには正しい知識を持ってほしい。
これは批判側であるか、信者であるかなんて関係なしに、仏教の普通の知識です。
三十七道品と分類したのは釈尊ではありません。
釈尊が37という数字を確定したのではありません。
これを数字にしたのは後世の部派仏教の人たちです。
だから、応説経とそっくりに「念処正勤如意足根力覚道」と
述べている経典を探してみてください。
信者さんたちは阿含経のあちこちにこの一文があると思っていませんか。
こんな表記の仕方はこの経典くらいです。
しかも、釈尊は解脱した直後に説いたのは四諦、八正道、中道であり、
亡くなる直前にスバッダにも、「八正道以外に道はない」と説いている。
最初も終わりも、三十七道品なんて出てこないのです。
一方、阿含経では四念処から八正道まで説かれており、
応説経では、「念処正勤如意足根力覚道」を
修習しなければ解脱しないとまで説いてある。
さあ、信者さんたちはこの矛盾をどう説明しますか。
矛盾などしないのです。
八正道とは三十七道品そのものだからです。
桐山さんを信じて、三十七道品こそがすべてであり、八正道などその一部だと
解釈している限り、阿含経の釈尊の教法は矛盾して子孫さんみたいに、
八正道に二種類あるのだなんて珍説を出すしかなくなる。
信者さんたちも信仰の真髄に関わる問題なのだから、よおく自分の頭で考えてみることです。

158 :ベレムベア:2008/11/22(土) 12:48:53 ID:iOI8jqyS
BSフジ『イスラエル建国60周年 炎の軌跡を追え! 聖地エルサレム 燃え上がる大護摩壇』
にて、桐山さん最後のメッセージ
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
りっしゅういらい・・・・・せかいへいわを・・・・・いちずに・・・・めざして・・・・
せかいへいわのかくとくを・・・・
いちずに・・・めざして・・・
 ↑(ここで桐山さん目線を少し右上にずらしているけどどうかしたのかな?)
え〜・・・ふきょうしてまいりました・・・・
ちっ・・・・なんといってもにんげんにとって・・いちばんたいせつなものは・・・
あ〜・・・ふぇ・へいわです・・・
へいわがなかったらどんなにけんりょくがあっても・・・
・・か・たとえかねがあっても・・・・なんのやくにもたたない・・・・
・・で・・・・・せかいふぇ・へいわが・じんるいにとって・いちばんたいせつなもんである・
わたくしはこのかくしんから・・・・あごんしゅうがりっしゅうされていらい・・・
いまにいたるまで・
ひとすじに・せかいへいわを・・・・・ねんじて・・・・ふきょうしてまいりました・・・
(ここで一度カットされているけど、桐山さんフリーズしちゃったのかな?)
このしせいはこんご・・・・なんじゅうねんたとうとも・
あごんしゅうがあるかぎり・・・・・ゆるぎないしんねんと・・・すちょうですね・・・
↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑
セリフというか文章の組み立てというか、まとまりがいまひとつ、
しゃべり方もぎこちない感じがしますた。



159 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:21:47 ID:HP6WJ3/K
>>158 :ベレムベア :2008/11/22(土) 12:48:53 ID:iOI8jqyS
>BSフジ『イスラエル建国60周年 炎の軌跡を追え! 聖地エルサレム 燃え上がる大護摩壇』

笑える反訳をありがとうございます。
巨額の金をかけてイスラエルで焚き火をすることが「男の本懐」だというのが笑えました。
もう一つ、笑えたのが昼食の様子です。
「他人の三倍食う」「少なくとも二倍は食う」と食うことに相変わらずの強い執着を見せていた。
あれは信者さんたちにとっては良いニュースです。
なぜなら、たいていの動物は食べているうちは死なない。
桐山さんの食欲が衰えていないということはもっと長生きするということです。
喜ばしいニュースで信者さんたちが喜んでいるのに水をさすようで恐縮だが、
忘れてならないのは、「他人の三倍飯を食うブッダ」など存在しないという点です。
ブッダとは煩悩の一つである食欲を制御した人のことを言うのです。
逆に言うなら、食欲すらも押さえられない人はブッダでは決してない。
大食いの仏陀、解脱者なんてありえない。
我らが胃大なる桐山ゲイカは、基礎代謝が落ちた老人になっても
まだ食欲すら押さえられない。
桐山さんをただの俗人、俗物だとわざわざテレビを使って宣伝するのだから、
仏教を知らない恥知らずとは便利なものです。

160 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:25:24 ID:HP6WJ3/K
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[46]如来の子孫 08/11/19 14:18 pjq5jRfEYK
> 註・省略してますけどね、七科37道品の講義のまえには、
>「わたし(釈迦)は、この法で明らかに悟った。」とかの釈迦の
>言葉があるのですからね(いままで紹介した経にもすべてそう)。
>ね、やはり賢人聖人の八道になってますでしょう。
>やはり、凡夫の八正道と聖人の八聖道があるようですよ。

あなたのこの文章を何度も読み直しても、どうやったら、
「凡夫の八正道と聖人の八聖道がある」という結論が出てくるのかわからない。
釈尊は八正道で悟りを得たという点は、批判側は誰も反対しない。
だが、それが書いてある経典から、どうひねり出すと
二種類の八正道があるなんて出てくるのだ?
「やはり」と書いているが、その「やはり」が誰も理解できない。
信者さんたちもよく見て欲しい。
なぜ子孫さんがこんな変な説を唱えるはめになったのか。
彼は議論し、学者の説明を読んでいるうちに、
釈尊が八正道を高く評価しているらしいことだけは理解した。
しかし、それを認めると、桐山さんが「初学」だと書いたことと矛盾する。
その矛盾を解決するために、凡夫と聖人の八正道があるという珍説を生み出した。
アゴン宗を擁護している内に追い込まれ、逃げ場を失い、
何の根拠もない空想を作りだしたのです。
しかも、困った事に、本人は「やはり」などと一人で深く納得している。

161 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:29:17 ID:HP6WJ3/K
>[46]如来の子孫 08/11/19 14:18 pjq5jRfEYK
>やはり、凡夫の八正道と聖人の八聖道があるようですよ。

信者さんたちはこれを他人事だと見ないほうがいい。
子孫さんだけでなく、誰がやっても、アゴン宗と桐山説を擁護していると
こうやって矛盾に追い込まれる。
私も信者時代、その矛盾に突き当たり、さんざん悩まされた。
だから、道は二つしかないことを知っています。
一つは、子孫さんのように屁理屈を並べて珍説を作り出すこと。
もう一つは、矛盾に背を向けて、自分の知性を麻痺させることです。
実はもう一つ道がある。
それは桐山さんという矛盾を捨てることです。
アゴン宗を擁護することは、熱でうなされた夢のようなもので、
モグラたたきのように、とめどなく矛盾が出てくる。
真剣に考え、調べ、追求すればするほど、泥沼のようになる。
逆に、それを捨てるとは、普通の知性を再起動することだから、
背中に背負った重荷を投げ捨てたようなもので、爽快この上なかった。
あのバカげた屁理屈を周囲の信者仲間のために言い訳してあげなくても
よくなったと思うと、本当にすっきりした。
何を今までつまらない重荷を背負っていたのかと思ったくらいです。
だからといって、信者さんたちにやめろと勧めているのではありません。
矛盾を無視せずに、大いに苦しみ、悩んだほうがいい。

162 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:34:27 ID:HP6WJ3/K
>[98]如来の子孫 08/11/22 12:24 pjq5jRfEYK
>釈迦は、八正道の総目録が37道品であるとか、あるいは部品だ、み
>たいなことは一度も言っていません。

八正道の他が部品だなんて、誰も言っていない。
子孫さんは釈尊の説いた修行法が体系だったものだという
桐山さんから植え付けられた考えから抜けられないのです。
桐山さんがよく使うカリキュラムなんてものだと思っている。
釈尊と桐山さんて、こういう面では両の極端です。
釈尊は体系を作らず実践のみを指導して、弟子たちは解脱した。
桐山さんは三十年前からカリキュラムと称して体系を作るが、
実際にその凄い内容を習い、体得した信者は一人もいない。
釈尊が説いた教法をすべて並べたら膨大な量になり、それらをプラモデルの
部品みたいにみなす限り、何を説いているのかまったくわからなくなる。
阿含経を開くと、数字のついた修行法が山のように出てくるからです。
しかし、釈尊は一つのことしか説いていない。
説いた内容のどれもが部品ではなく、常に「すべて」です。
桐山さんじゃあるまいし、釈尊は出し惜しみして「部品」など説かない。
釈尊は、「内外の分け隔てなく法を説いた」「教師の握り拳はない」と言っている。
この釈尊が、ある時は修行の一部分だけなんて説くはずがない。
前にも説明したように、四正勤は一乗道だと言われないが、これも「すべて」です。
なぜなら、四正勤の善いこととは煩悩をなくすことだからです。
四念処から八正道までみんな同じ「漏尽解脱」を説いているだけです。
漏尽解脱の修行方法の部品を説いたのではなく、それぞれが切り口や
強調している部分が違うだけで、完成しているのです。

163 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:37:47 ID:HP6WJ3/K
>[98]如来の子孫 08/11/22 12:24 pjq5jRfEYK
>釈迦は、八正道の総目録が37道品であるとか、あるいは部品だ、み
>たいなことは一度も言っていません。

八正道がすべてをカバーしているから、総目録だといっているのです。
逆に子孫さん、いや、他の信者さんたちに昨日と同じ質問をする。
釈尊は時には八正道こそが唯一の道であると説いたかと思うと、
念処正勤如意足根力覚道を修行しないと解脱しないとも説いている。
かと思うと、四念処だけでも解脱する(一乗)、四神足だけでも解脱する、
七覚支だけでも解脱する、と説いている。
では、いったい釈尊はどれが教法だと説いたのですか。
四神足で解脱するというが、解脱した比丘たちが全員神通力を持って
いるのではないことをどう説明するのか。
これらを矛盾なく説明してみてください。
釈尊が三十七道品という体系だった修行法を説いたという前提で物事を
みる限り、これらの矛盾は絶対に解けない。
子孫さんみたいに、八正道に凡と聖があり、その他が部品だなんて
根拠のない愚かな説を出すしかなくなる。

164 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:42:41 ID:HP6WJ3/K
>[98]如来の子孫 08/11/22 12:24 pjq5jRfEYK
>釈迦は、八正道の総目録が37道品であるとか、あるいは部品だ、み
>たいなことは一度も言っていません。

八正道を三十七道品の総目録と表現したが、三十七道品だけではありません。
釈尊の修行とは八正道だから、修行法として三十七道品をもって来ようが、
他の○○法を持ってこようが、全部八正道の中に入ってしまうという意味です。
念のために言うが、これは八正道が一番上にある修行法だという意味ではありません。
四念処から七覚支までも、すべて八正道と対等であり、同じ事を説いているのです。
子孫さんは三学(戒定慧)を出していたが、三学も八正道の中に入ってしまう。
あるいは八正道が三学の中に入ってしまうと言ってもいい。
四諦の「苦集滅道」の「道」は八正道だから、四諦の中に八正道が入っている。
一方、八正道の正見は、四諦や縁起を理解することですから、
その観点から見るなら、八正道に四諦が入っている。
これを子孫さんは前に、「話がグルグル回っている」と書いていたが、そのとおりです。
子孫さんや桐山さんたちは、対機説法などと言葉は知っていても、
釈尊の物の説き方を理解していないからこういう発言が出てくる。
釈尊が物事を体系だって説いたと見なすから、そんな批判が出てくるが、
四諦や八正道という特定の教義(ドグマ)を説いたのではなく、
たった一つのことを手を変え品を変えて(方便)、説いたと見れば、何の矛盾もない。
阿含経に三十七道品など、数字のついた教法が山のように出てきても驚くことはない。
それらは背中の模様の違うテントウムシのようなもので、
配置がどうあれ、全部同じ種類のテントウムシです。
それを桐山さんや子孫さんは、別な種類のテントウムシだとか、
雄雌の違いだなどと主張しているようなものです。

165 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:46:55 ID:HP6WJ3/K
>[98]如来の子孫 08/11/22 12:24 pjq5jRfEYK
>釈迦は、八正道の総目録が37道品であるとか、あるいは部品だ、み
>たいなことは一度も言っていません。

釈尊の教法を「四諦である」というのも正しいし、
「八正道だ」というも、「三学だ」という説も正しい。
これら特定の教義を釈尊は説いたのではなく、漏尽解脱を説いたのです。
だから、もし桐山さんが七科三十七道品を正しく理解して、
釈尊の教法を三十七道品だといったのなら、それは正しい。
なにせ八正道と言おうが、三十七道品と言おうが、切り口の問題であって、
釈尊の説いた漏尽解脱からみたら同じことです。
だが、桐山さんが言いたいのはそういうことではない。
八正道を初学のオシエにすぎないとか、神通力でカルマを断ち切るのが
釈尊の説いた修行法だなんて、根拠のないオカルトを言っているから、
おかしい(笑うほうの意味)と批判しているのです。

166 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:53:35 ID:HP6WJ3/K
>[98]如来の子孫 08/11/22 12:24 pjq5jRfEYK
>釈迦は、八正道の総目録が37道品であるとか、あるいは部品だ、み
>たいなことは一度も言っていません。

八正道が総目録だというのは、もののたとえであり、
釈尊は八正道を総目録として説いたわけではありません。
漏尽解脱の修行法が目次的にもっともわかりやすく網羅されているのが八正道なのです。
八正道とは修行法のどこに位置づけられるのかと、桐山さんも子孫さんも
体系づけようとするとするから、総目録というたとえがわからない。
八正道は、他の修行法と同様に、これ一つですべてです。
八正道の切り口がたまたますべてを網羅しているにすぎない。
たとえば四念処は八正道の部品ではなく、四念処はそれ一つで完成しています。
修行法の正念の部分を強く強調しているだけで、正見や正行などが四念処の中に
すべて入っているのです。
というよりも、そういう説き方を釈尊はしたのです。
でなければ、四念処が一乗になるはずがない。
桐山さんは四念処がなんであるかわからないから、瞑想だなどと書いた。
「オレ様は四念処を体得どころか、意味もわからない」と自ら告白したようなもので、爆笑です。
また、桐山さんみたいに、四神足だけが法であり、他はただのオシエだ
なんてバカな話もありえない。
四神足は法だが、他も全部、対等の法です。

167 :神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 21:55:49 ID:HP6WJ3/K
>[98]如来の子孫 08/11/22 12:24 pjq5jRfEYK
>釈迦は、八正道の総目録が37道品であるとか、あるいは部品だ、み
>たいなことは一度も言っていません。

桐山さんは、「釈尊が何を説いたのか」を理解しようとしたのではなく、
「釈尊はどこでカルマ(悪因縁)を切る方法を説いたのか」という読み方をしている。
これは本人がはっきりとそのように本に書いている。
だが、釈尊はカルマを切る法なんて説いていないから、探してもあるはずがない。
てっとり早く、神通力を説いているから四神足を法だとした・・・単純な頭でよすねえ。
八正道にも四神足は入っているのだが、桐山さんにはそんなのは見えず、
むしろ、大嫌いな道徳が入ってるから、これを初心のオシエと唾棄し、
「神通力を持ったヲレ様は八正道はいらねえ」と自己弁護した・・・まるで子供ですよねえ。
信者さんたちが信じている解脱者様とは、皆さんは納得しないだろうが、
子孫さんと知性のレベルがたいして変わらないように見えます。
釈尊の説いた解脱の定義を間違え、修行法を理解すらできず、後世の部派仏教が
作った分類をただ声高に叫ぶ男のどこが仏陀の智慧なのですか。

168 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
【落武者実態レポート】
★お釈迦様の説法歪めるの大好き!!
(お釈迦様は宿命通で前世を見る前に解脱したとは宣言していない)

>>115 :神も仏も名無しさん
>「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
>不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)
>漢文ではわかりにくいなら、現代語訳を見てみましょう。
>「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
>[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
>わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」
>『原始仏典 6』(春秋社、189頁)
>釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。

「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し不動心を得」
という内容の句は、沙門果経の中でも度々繰り返されています。
その箇所の翻訳を見てみます。(『世界の名著1 バラモン教典、原始仏典』 531頁)

(83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。(以下略)

「心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると」の部分は
87節から始まる六神通の説明においても繰り返されますが
見てのとおりこの繰り返し部分には「小さな煩悩を離れ」とあるだけです。
小さな煩悩から離れる程度ではどう考えても「解脱した」という意味にはなりません。
「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」といった言葉を見れば
この繰り返し部分は比丘の心の状態を示しているのがわかります。
だから「小さな煩悩を離れ」とは「小さな煩いから離れた」といった程度の意味です。
釈尊がこの箇所で解脱を宣言したなどとはトンでもない真っ赤な嘘デタラメです。

169 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:11:14 ID:RYoJpTFQ
【落武者実態レポート】
★お釈迦様の説法歪めるの大好き!!
(漏尽通は煩悩を切ることに関係していないことはない)

>>116:神も仏も名無しさん
>漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力だから、
>その前に煩悩が尽きて、解脱しているのは当たり前なのです。
>>117 :神も仏も名無しさん
>三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです。
>>118 :神も仏も名無しさん
>三明も六神通力も、内容を見れば煩悩を切ることとは関係ないのです。

本当に漏尽通とは煩悩が尽きたことを知るだけの能力なのでしょうか。
再び、沙門果経を見てみましょう。(世界の名著1 537頁)

(97)また、このように心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は汚れの滅尽に関する知(漏尽通)に心を傾け、心を向けます。
彼は、「これが苦しみである」、「これが苦しみの原因である」、
「これが苦しみの消滅である」、「これが苦しみの消滅に通ずる道である」
とあるがままに知ります。
(同じように)「これが汚れ(漏、煩悩)である」、「これが汚れの原因である」
「これが汚れの消滅である」、「これが汚れの消滅に通ずる道である」
とあるがままに知ります。
このように知り、このように見る人の心には、欲望の汚れからも解放され、
生存の汚れからも解放され、無知の汚れからも解放されます。
解放された者には「解放され(解脱を得)た」という自覚が生まれる。
そして彼は「再生(の可能性)は断たれた、純潔の修行は完遂された。
なすべきことはなされ、
もはや(再び)この(迷い)の世界に生をうけることはない」と知ります。

170 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:12:05 ID:RYoJpTFQ
以上を見ればわかるように
漏尽通とは煩悩が尽きた結果を知るだけの能力ではありません。
まず苦しみや汚れ(煩悩)の正体や原因を知り、それを消滅させる方法を知ることによって
汚れから解放され、自分は二度と再生しないことを自覚するに至るまでの能力です。
つまり煩悩を切る方法がここに説かれているのです。
この漏尽通に説かれた過程を経なければ煩悩を切ることは絶対にできないのです。
漏尽通は解脱の結果を知るだけで煩悩を切ることには関係ないなどとは嘘八百も甚だしい話です。

171 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:17:42 ID:RYoJpTFQ
【落武者実態レポート】
★かなり助平!!

>>11:神も仏も名無しさん
  > 宇宙船「USS変態プライズ号」の虚偽に満ちた物語である・・・・・・
>言ってる本人の下品さがよく判る書き込みですね。

「変態」を広辞苑で調べるとその第一義は
「かわった形態。正常でない状態」です。
そして以下の意味が続きます。
A形態を変えること。化成。
B動物が成体になるために種々の形態をとること。
C植物の茎・葉・根が変じて全くちがった形態をとること。
D変態性欲の略。
E多形を有する物質において結晶構造、相互間の移行即ち転移をいう。
といった意味が続きます。
私は何年間も定期的に書き込むのは「@正常でない状態」だと思うので
それを「変態」だと言ったのです。
ところが11氏はそれを「D変態性欲の略」と捉えたのでしょう。
だから私を下品だと言ったのです。
11氏が、変態という言葉から真っ先に「変態性欲」を連想したのは
本人がかなり助平な人であることを暗示しています。

172 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:22:23 ID:RYoJpTFQ
おまけ。

>>69 :神も仏も名無しさん
>どうでもいいことをごちゃごちゃ書くなよ。
>「変態プライズ号」ってね、アンタ、「旨い!」なんて誰も思わんよ。
>しらけ鳥が鳴いてるよ。

ならばこれでも読んでもっと白けてくれ。

〔変態プライズ号乗員〕

船長 :七氏   
副官 :ユビキタス  
ドクター :呪医



警備兵 :私文書為造

173 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:53:17 ID:RYoJpTFQ
【落武者実態レポート】
★威張るの大好き!!
(教団をやめた今でも行歴を自慢したい)

>104 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/07/31(木) 00:35:37 ID:MXJ5iLko
>おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?
>火舎香炉の盛り方書いてみろ。

読者は投稿内容に興味があるのであって
投稿者が伝法会へ参加しようが護摩の許し状をもらおうが
何の興味もないことです。
しかし為造クンはしつこくそれを聞きたがる。
これは彼に自分の行歴を自慢したい心があるからです。
俺は信者時代、こんなことまでしたんだぞ、
こんなことまで知っているんだぞ、と誇りたいのです。
今では信者をやめて教団を批判する立場でありながら
いまだに行歴を誇りたい気持ちがあるのは面白いですね。
ゲイカという親に反抗することで
何とか精神的独立をしようとする子供みたいで
見ていて微笑ましいです。

174 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:56:34 ID:RYoJpTFQ

「投稿者が伝法会へ参加しようが護摩の許し状をもらおうが 」
に「火舎香炉の盛り方を知っていようが」を追加


175 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:06:54 ID:uSMbX6bZ
174は、書き方がアホQにソックリwww
今度は名無しでアホ丸出しのカルト洗脳信者の妄想の羅列かよwww

176 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:15:57 ID:pR+4dFrt
>>173 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 15:53:17 RYoJpTFQ
>(教団をやめた今でも行歴を自慢したい)

おまえの行歴が本当かどうか聞いてるだけなのに何馬鹿なことを言ってるの?
いいから火舎香炉の盛り方書いてみろよ。

本当に護摩許し状二万円也払ってもらったんだったらな。

というか、おまえこそ行歴誇りたいからウソ書いてしまって
必死になってるように見えるが?

177 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:19:13 ID:pR+4dFrt
>>173 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 15:53:17 RYoJpTFQ
>読者は投稿内容に興味があるのであって
>投稿者が伝法会へ参加しようが護摩の許し状をもらおうが
>何の興味もないことです。

だったら投稿内容で勝負しろ。

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」


178 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:20:46 ID:pR+4dFrt
>>172 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 15:22:23 ID:RYoJpTFQ
>船長 :七氏   
>副官 :ユビキタス  
>ドクター :呪医
>・
>・
>・
>警備兵 :私文書為造

ペテン大作必死だなw

179 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:21:34 ID:RYoJpTFQ
>>175
いまだにWの羅列をしてるなんて低脳のすることですよ。
さては例の禅寺生臭坊主のオッサンかな。
他人をアホと貶すのならまともに反論してみなさい。
もっともまともな文章を書けたらの話だけどね。

180 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:26:34 ID:RYoJpTFQ
>>176
>おまえの行歴が本当かどうか聞いてるだけなのに何馬鹿なことを言ってるの?
>本当に護摩許し状二万円也払ってもらったんだったらな。

自分の時は10万でした。

>いいから火舎香炉の盛り方書いてみろよ。
誰かが既に答えを書いていましたね。

181 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:31:27 ID:pR+4dFrt
>>180
へ〜〜、おまえは伝法料の他に払う許し状に10万も払ったのか。
じゃあ20万ぐらい払ったのか?

182 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:33:10 ID:RYoJpTFQ
>>177
為造クンも久々に相手をしてもらったので嬉しいのでしょうね。
でも同じことを言い続けるところは相変わらずの駄目造振りです。
九識を言い出せば私が黙るとでも思っているのが微笑ましい。
はいはい、九識=霊魂はゲイカのオリジナルですよ。
これで気が済みましたか?

183 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:34:46 ID:pR+4dFrt
>>180 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 16:26:34 ID:RYoJpTFQ
>誰かが既に答えを書いていましたね。

アレは間違いだ。本当に伝法会に出てたら分かる正解を書いてみろ。
それより内容で勝負じゃないのか?

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

184 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:37:37 ID:RYoJpTFQ
>>178
為造クンももう少し上質な屁理屈を考え出せたら
操舵士(パイロット)ぐらいには昇進させてあげます。
頑張ってください。

185 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:45:07 ID:uSMbX6bZ
はて、アホQこそまともな文章を書いてはいないんだがwww
もっと論理的に書きたまえ・・・、論理的にwww
妄想は論理的とは言わんよ、しかも桐詐欺ジジイに洗脳されてるカルト妄想は言わずもがなwww


186 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:46:24 ID:pR+4dFrt
>>182 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 16:33:10 ID:RYoJpTFQ
>はいはい、九識=霊魂はゲイカのオリジナルですよ。
>これで気が済みましたか?

一年半以上もかかって唯識勉強してそう言わざるを得ないと結論したのかい?

で、桐山は難しい言葉を並べていい加減なことを言うことまでは理解したのかね?

187 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:49:39 ID:RYoJpTFQ
>>183
>アレは間違いだ。本当に伝法会に出てたら分かる正解を書いてみろ。
ウッソ〜、あれは間違いなんですか?
すると自分は伝法会をサボっていたわけか。
誰か正解を為造クンに教えてあげてください。
お願いします。

>>185
>もっと論理的に書きたまえ・・・、論理的にwww
あれ以上の論理的な文章はありません。
特に>160から>170にかけては自信作です。
何なら七氏さんの代わりに反論してみますか。
それを見ればあなたの力量がわかります。

188 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 16:54:40 ID:pR+4dFrt
>>184
私は、私をなんとしても貶めたいとしてるおまえの心のヒダをみて嘲笑ってるんであって
昇進もへったくれも知ったことか。

189 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 16:58:09 ID:uSMbX6bZ
桐詐欺ジジイはアンモラ識や八識のアラヤ識はおろかマナ識すらも体験してはいないことが
これではっきりしたな・・・、えっアホQやwww
九識=霊魂だって・・・、プッあほか桐詐欺ジジイwww

それとQや、あほQや、おまえまともな唯識哲学の入門書すら読んでないだろwww


190 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 17:01:58 ID:RYoJpTFQ
>>188
貶めたいなんてとんでもない。
かつては同じ教団にいた人間として
今の堕武者振りに哀れみを感じているのですよ。

>>189
あほ、あほと叫んでいるだけで具体的に反論できないのですか?
あなたは批判側の一人なんだからあまり醜態を晒さない方がいい。
さもないと仲間の足を引っ張ることになります。

191 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 17:03:50 ID:RYoJpTFQ
さてどんな反論してくるかな?
これで楽しみがひとつ増えました。
今日はこれで打ち止めです。

192 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 17:07:09 ID:pR+4dFrt
>>187
まあ正直、真面目にきっちり受講してるか復習会に出ないと解らんことはある。
それは仕方がない。

問題はおまえが正直に最初から言わないで、完全に逃げ場が無くなるまで
のらりくらりとごまかす人間だと言うことだ。

2007/03/05より629日、一年263日
「第九識=霊魂」は桐山が勝手に言ってることであると認める。

2008/06/29より147日
伝法会をいい加減に受講していたことを認める。

193 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 17:09:31 ID:pR+4dFrt
>>192の、起算日の根拠。

阿含宗という宗教116
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1172025619/652
652 名前:私文書偽造 ◆iCtd3oCMyM 投稿日:2007/03/05(月) 23:41:06 Gh/BzWvr
>Klingo〜n

>>603-604に答えろよ。人格攻撃みたいな事ばっかり言ってないで。

阿含宗という宗教144
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214184978/156
156 名前:私文書為造 ◆iCtd3oCMyM 投稿日:2008/06/29(日) 22:38:21 55lCt/mV
>>152
>よく読むと彼には教団でやったイベントの話題がない。

そういえばそうでした。個人情報を引き出すようなことは常識人としては
控えるべきでしょうが、阿含宗会員なら知ってるようなことはちょっと聞いてみるのも
面白いかも知れません。



阿含宗という宗教143
334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
伝法会?
護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

194 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 17:14:22 ID:uSMbX6bZ
それとアホQや、あのカルト妄想丸出しのレスがお前の自信作なのか柄www
ありゃあ、俺がお前に読んでごらんと言った世界の名著「原始仏典」の解説のまんまのパクリじゃんwww
それに「出家の功徳」は、釈尊滅後の何百年か後の仏弟子が
それまでの伝承を元に書いた後世の作だよ、あくまでwww



195 :高城浄海:2008/11/23(日) 17:15:38 ID:EFGgDmpE
>>180
> 自分の時は10万でした。

馬脚をあらわしましたね。伝法料と護摩許し状御法礼の区別がつかないなんて。

196 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 17:21:24 ID:pR+4dFrt
>>190 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 17:01:58 ID:RYoJpTFQ
>かつては同じ教団にいた人間として
>今の堕武者振りに哀れみを感じているのですよ。

まあこれがカルトにどっぷり浸かってる人間の発想だわな。
第三者はだれも私が阿含宗止めたが故に負け組になったとは思わんだろう。
そうやって阿含宗・カルトのいかがわしさを晒して世に示してくれ。

>>191
反論?正直な言葉に反論することなど無いよ。
自分が黒を白と言いくるめるから人もそうだと思うのかい? w
しかし、正直に認めるまで629日もかかった事実は言われ続けるよ。

197 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 17:27:59 ID:pR+4dFrt
>>195
ピーナツジスイみたいな感じの非会員である可能性はまだありそうですね。
仮に現会員だとしても、落ち着きのない不注意丸出しな人間だと思いますがw

198 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 17:35:18 ID:uSMbX6bZ
ありゃあ・・・、あほQは信者じゃあないのか・・・?
>伝法料と護摩許し状御法礼の区別がつかないなんて・・・、これって?
アホQはただの荒らしの偽信者?
道理で言ってる事が支離滅裂の非論理的なアホ丸出しの論だと思ったwww




199 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/23(日) 17:39:14 ID:NT6ocAbk
はははは。高城さんに先に>>195で指摘されてしまいましたね。
伝法料と護摩許し状の区別がつかなかった??
ペテンQさんに対してはその書き込み内容だけが興味あり相手にもされるというのは
その通りです。
しかしそれとは別に議論の前提としてペテンQさんは嘘つきの面もあるのではないかと
嫌疑されてもいるのです。
私ですらそう感じることがある。しかし根拠はないので真に受けたような顔して
話を進めているが。
相手の行歴(の嘘)を疑うことは私もザのスレでさんざん子孫さん相手にやりました。
伝法ではなく日頃の平方な梵行実践の具体例ですね。
これが相手は全然出せない。経験がないから。
ペテンQさんが嘘つきと疑われたからには、その嫌疑を晴らす為にも火舎香炉の盛り方を
他の人が書いた繰り返しになってもかまわないから、書いて示せばよいだけの話です。

200 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/23(日) 17:44:01 ID:NT6ocAbk
訂正
×:日頃の平方な梵行実践の具体例

○:日頃の平凡な梵行実践の具体例

201 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 17:54:40 ID:pR+4dFrt
>>199
火舎香炉の盛り方にこだわってたのは、三憲にない阿含宗特有の盛り方があるからなんです。
だから三憲と全く同じだと思って真言宗あたりの人に聞いたりしたことを言えばすぐに馬脚なんですが
いい加減に受講してる人や復習会に出たこと無い人は知らないかも知れません。
というか、私もアレが三憲だと思ってましたしw

ペテン大作いい加減に受講してたことを>>187で認めてしまいやがったので
他の方法で追及しましょう。

202 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:07:36 ID:574E+w79
>>170 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 15:12:05 ID:RYoJpTFQ
>以上を見ればわかるように
>漏尽通とは煩悩が尽きた結果を知るだけの能力ではありません。

この件は、たしかヂミズさんと議論してずいぶん前に決着のついた内容です。
残念ながら、桐山さんはあなたの説を支持していません。

「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
これがもっとも重要である。」(『般若心経瞑想法』124頁)

桐山さんのこの説明は普通の仏教の説明です。

「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」(『岩波仏教辞典』)

つまり、普通の仏教でもアゴン宗でも、漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力です。
ペテン大作さんの説だけが別ですから、お引き取りください。
ちなみに、一つだけ、あなたが屁理屈で突っ込めるように穴を開けておきましたから、
ぜひ、読者のためにも楽しいツッコミをしてください。

203 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:11:59 ID:574E+w79
>>168 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
>(83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
>見てのとおりこの繰り返し部分には「小さな煩悩を離れ」とあるだけです。

ペテン大作さんの国語力には前から脱帽して、帽子がどこかに吹っ飛んでしまったが、
今回も、なんとお悔やみを申し上げていいのやら・・・。
あなたが引用した沙門果経の原文は「小さな煩悩も離れ」です。
それをあなたは「小さな煩悩を離れ」と読み間違えたのですよね。
「も」と「を」では意味がまるで違ってくることに気が付かないか。
「小さな煩悩も離れ」とは、「大きな煩悩は当然のことながらすべて離れ、
小さな煩悩すらも残りなく離れ」というくらいの意味です。
だが、ペテン大作さんみたいに「小さな煩悩を離れ」と読むと、
「大きな煩悩は離れていないが、小さな煩悩だけ離れ」とも読める。
だが、あなたが書き写した沙門果経を読む限り、前者ですよね。
ペテン大作さんが文章を読み違えて、逆の意味に取ったのはこれで何度目だろう。

204 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:17:43 ID:574E+w79
>>168 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
>という内容の句は、沙門果経の中でも度々繰り返されています。

私が引用したのは、桐山さんが引用した黄廬園経であって、沙門果経ではありません。
「その箇所の翻訳を見てみます。」などと、いかにも同じ経典であるかのように
書いているが、内容の違う経典を持ってきても参考程度です。
あなたの引用したのは六通の説明ですよね。
私が引用したのは、四禅三明の話です。
三明は六通に入っているが、釈尊が解脱した時は四禅三明であって、四禅六通ではありません。
そのような誤解がないようにと、私はわざわざ
「確認するのに、神足通や他心通や天耳通は必要ないからです。」( >>119)
と書いたが、あなたは私の説明なんて読んでいないのでしょう。
釈尊が解脱する時の四禅三明の他の経典を持ってくるならわかるが、
六神通力の説明を持ってくるのはおかしい。
また、黄廬園経では三明の前に四禅の記述もあります。
桐山さんが引用していないから、>>114では引用しなかったが、
三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:574E+w79
>>168 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
>「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」といった言葉を見れば
>この繰り返し部分は比丘の心の状態を示しているのがわかります。

これも間違いです。
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、 」
をばらばらの内容だと思っているようだが、
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。
同じ内容をただ別な表現で繰り返しているだけです。
心が小さな煩悩すらもなくなり、煩悩から清浄になり、煩悩に対して純潔で、
煩悩の汚れがないから安定したのです。
これは黄廬園経でも同じで、
「定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し 、不動心、 」
とは、「清浄=穢無く=煩無く=柔軟=不動心」であり、
釈尊が煩悩を完全に滅してしまったことを表現を変えて繰り返しているだけです。
こういう同じ内容の繰り返しの強調は経典ではよく見られます。
こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
だが、ペテン大作さんは理解しなかった。
普通に読めばいいのに、普通には読まず、他の経典を持ってきて
比較しようとしてみたり、釈尊の意図を無視して、都合の良い解釈をしようとした。
どうしてペテン大作さんは毎回、こうもドジばかり踏むのでしょう。
その理由はあなた自身が次のように書いている。

206 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:24:46 ID:574E+w79
>>191 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 17:03:50 ID:RYoJpTFQ
>さてどんな反論してくるかな?
>これで楽しみがひとつ増えました。

私を激しく憎んでおり、なんとか因縁を付けてやっつけてやりたくて
ウズウズしているからです。
「楽しみ」とは、私の主張を覆して、勝利したと内心思っているからですよね。
でも、今回も、見事なまでにペテン大作さん自身が自分で転んだ。
ただの読み違いです。
無駄だとは思うが、念のために言うと、私があなたを論破したのではなく、
あなたがただ「も」と「を」を間違えただけなのだから、自分で投げた石に
自分で当たったのだ。
前にも私はあなたに助言をした。
私を本当にやっつけたいと思ったら、とにかくその憎しみで
テラテラした目を冷やすことです。
なぜ、こんな初歩的な読み違いをしたかは、前にも指摘したが、
あなたは憎しみで目が曇ってしまっているからです。
阿含経を理解したいのではなく、私をやっつけたい一心で、
阿含経からやっつけるネタを必死に探している。
だから、その希望に合うような読み方をしてしまうのです。
反論が来るまで「>>191楽しみがひとつ増えました」とか、
「★お釈迦様の説法歪めるの大好き!! 」なんて勝利宣言はしないほうがいいと
何度も私から言われましたよね。
あなたの主張が正しければ、勝利宣言や高笑いをしなくても、
自ずと読者は勝利を認める。
だが、現実のあなたは、私に向かって投げた石に自分で当たって自爆した。
最初の一〜二度は、あなたの自爆を私も爆笑していた。
批判側にとっては信者の愚かさを示すまたとない例だからです。
だが、三度、四度と繰り返されると、もう笑う気になれないのです。

207 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:30:51 ID:574E+w79
>>191 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 17:03:50 ID:RYoJpTFQ
>これで楽しみがひとつ増えました。

ペテン大作さんは、まるで力任せに毎回壁に向かって全速力でぶつかり、
血だらけになってフラフラになっても、まだ起きあがり、「七氏め!」と
憎悪で目をつり上げ、しかも高笑いしながら、また壁に向かって突撃しているようなものです。
逆の立場になって考えてみてください。
あなたが自分の頭を壁にぶつけているだけだから、私は痛くもかゆくもない。
だが、一言で言えば、気味が悪い。
批判側のあなたへの嫌悪も、議論内容よりも、そのあたりにあることに気が付かないか。
今の桐山さんが輪廻転生瞑想だの、原子力関係の株を買えだのと、
目を覆いたくなるような状態であることに、信者ですら、溜息をついている。
こういう現実の桐山さんやアゴン宗の状態などまるで関係なしに、
あなたは流れも空気を完全に無視した「ずんだ餅男」になっている。
幾度も反論され、もう意見は出尽くしたのだから、読者に判断を任せては
どうかと言われた内容を、何度も何度も貼り付ける。
そして、今回のように、うまくシッポをつかまえたつもりで憎しみで私に突進してくるが、
そこには私はおらず、あなたはまた大勢の前で壁に激突して、大恥をかく。
しかも、その原因が自分にあることは絶対に認めず、恨みと憎しみだけが残るから、
私の反論にもこれから執拗な屁理屈を付けてくるでしょう。

208 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:39:26 ID:574E+w79
>>191 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 17:03:50 ID:RYoJpTFQ
>さてどんな反論してくるかな?
>これで楽しみがひとつ増えました。

最初ここにあなたが元信者として出てきた時も、安定感のない心の持ち主なのは
わかっていたが、舞い戻った後、あなたは批判側に反撃することに
ものすごい生き甲斐を感じているのがわかって、その当時も気味が悪かった。
つまり、復讐してもいい相手に巡り会って、合法的な理由をつけながら、内心、
おもしろおかくし刀を振り回している人間に見えたのです。
実は、その典型が桐山さんです。
憎悪や復讐心で自分を奮い立たせ、安定させるタイプの人間です。
あなたが桐山さんと馬が合うのはたぶんそのあたりでしょう。
それでも最初の一年はなんとか議論もできたが、
その後はすでに反論された事を何度も蒸し返すばかりで、
一人で勝利の高笑いをするというパターンになってしまった。
あなたは毎回出てくるたびに恥をかく。
今回も、書かなければいいのに、護摩許し状の金額を書いてしまった。
まるでモグラが頭を叩いてくれと言っているような光景です。
あなたはいっぱしに何事か論じているつもりだろうが、
理屈を偉そうに並べれば並べるほど、笑いを誘っていることに気が付いているか。
つまり、ピエロとは、ウケを狙おうとせずに、本人がまじめに本気で
やるほうが観客は爆笑する。

209 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:46:10 ID:574E+w79
>>191 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 17:03:50 ID:RYoJpTFQ
>さてどんな反論してくるかな?
>これで楽しみがひとつ増えました。

かつてのドツキ漫才の相方の私からの提案だが、しばらくこの2ちゃんねるを
離れて、アゴン宗の修行に専念してはどうか。
批判側に一撃加えたいならアゴン宗に協力するのが一番です。
桐山さんが一番欲しいのは、本人も言っているように、金と人です。
金と人の面で協力して、アゴン宗がいよいよ栄えることこそ、
批判側への復讐としては一番なのではありませんか。
桐山さんがその模範を示している。
自分が為した悪事には正面から立ち向かわず、世界平和なんて大義名分を
掲げて、焚き火をして、「男の本懐」を遂げたと自惚れる。
あなたも現実のアゴン宗と桐山さんの正体を知った上で戻った。
つまり、嘘や悪事にあなたは桐山さん同様に鈍感な人です。
私は知らない人に情報を伝えるだけだから、あなたに伝えることはもう何もない。
これから一生アゴン宗で焚き火を続けて、信者たちに2ちゃんねるの批判が
どれほど間違っているか、それを自分は全部論破しつくしたと、説明してあげればいい。
信者は阿含経を知らない人が多いし、桐山さんの嘘にまだ騙され
続けているくらいだから、あなたの屁理屈と読み違いは十分に通用します。
これからペテン大作さんはアゴン宗の論客として教団を支えるのです。
多くの信者があなたを尊敬するだろうから、その時、「批判側、破れたり!」と
呵々と笑ってください。
もし将来、信者がここに「昔、ペテン大作さんという人が批判側をコテンパンに
やっつけたと聞いたが、本当か」と書き込みをしたら、
批判側は笑いをこらえて、「お願いだ、その名前だけは出さないでくデー!」と
みんなで怖がって調子を合わせますから、安心してください。

210 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 08:55:43 ID:YCOp0HV6
          ,.,、、,,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,、
        ,ィ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::::::::::::::::;;;;;;;ヽ、
      /;;;;;;;:::::::::::::::/''''''''゙ ゙ ''´ ゛'''ヾ;;;;ミ、
     /;;;;;;;::::::'''゙゙゙゙´           :::::::;;ヽ
    /;;;;/'゙        ,.ィ⌒      ヾ:::::ヽ
   /;;;;;:    ⌒``'''    ィ三三ミヽ、  ヾ:::;;;}
   ;;;;;;::    ,,,,,,,,、     '´     `  ヾ:::::}
   {;;;;;/ /三'゙゙゙゙゙゙゙`  、  ,   __      Y;;;;;ミ
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  |;;;;;|  { ,ィ'゙(ン''´ .::}  \     ´  `ヽ.:::;;;;;;ミ、
  |;;;;;|  /'  :/ /__ .r-、ヽ        ::::||  |
  ミ;;;;;| ,ィ  ./   ゝゝ'─`'' ハ、         :|| ^) | 
  ヾ;;;;|:::: ,::::   .:::::/   ヽ:::::::...      .::|)  |
   f^!|::: ::   .:::::: /二二ニ、,, ヾ     .:::|<}|
   ヘハ:::    ::' /´ ̄ー  ̄´` 、     .:::リ_ノ
    Y l|::  .:: .:   .::    ..   、   .:: ノf
     l ヘ:::..      .: .: .: .: .: .: .:.    .:ノノ ソ
     しミ::、  .:: .: .: .: .: .: .: .: .: .: .:...,ィィ'゙  /|
       ヾ'゙\,,.:::、.:: .:: .:: .:: .:: .:: .:: .:'゙ .::  ::::|
        |  ヽ:: ヽ....    ...::   .::    :|
       人                    ト─、
      r-f \                   |   \

           七氏の弟(1962-2017)

211 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 14:58:23 ID:d7etcZSQ
↑論理的破綻をきたしたアホQがAAで誤魔化しだしたかwww

212 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 15:53:43 ID:Mk0u7f1n
>>203 :神も仏も名無しさん
>「小さな煩悩も離れ」とは、「大きな煩悩は当然のことながらすべて離れ、
>小さな煩悩すらも残りなく離れ」というくらいの意味です。

まったく屁理屈がお上手なこと。
でもそんな屁理屈が通用すると思っているのだから
私は余程なめられているのですね。
これが一番のショックです。
さて船長さん(と呼ばせてもらいます)、
「大きな煩悩」などという創作を持ち出しても駄目ですよ。
文章を見てみましょう。

「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、」

もし「小さな煩悩」が単独で登場すれば
あなたの屁理屈もほんのチョッピリ通用するかもしれません。
しかしそうはいきません。
「小さな煩悩」の前に何とありますか?
「心が安定」、「清浄で純潔」、「汚れなく」といった単語が列挙さていますよね。
こういった単語の後に「小さな煩悩」が出てきたのでこれを「小さな煩悩も」と言ったのです。
単なる日本語の助詞の問題です。
「大きな煩悩」が登場する余地など何処にもありません。
「何だ、当たり前の話じゃないか?」
そう思った読者もいるでしょう。
でもこんな当たり前のことをクドクドとまじめ腐って説明しなければいけない人も世の中にはいるのです。
以前も「変わらない」をイコールのことだと言い張って笑わせていただきましたが
ここでもすばらしい笑いを取ってくれました。

213 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 15:58:20 ID:Mk0u7f1n
>>204 :神も仏も名無しさん
>私が引用したのは、桐山さんが引用した黄廬園経であって、沙門果経ではありません。
>「その箇所の翻訳を見てみます。」などと、いかにも同じ経典であるかのように
>書いているが、内容の違う経典を持ってきても参考程度です。

当然、予想されうる反論です。
結局のところ、あなたの反論らしい反論はこれだけです。
出典が違う。
しかし出典が違っていようが沙門果経は仏典には違いありません。
その沙門果経ではあなたの解釈は成り立ちません。
沙門果経では六神通の前に解脱していたとは書いてありません。
そこには「小さな煩悩」としか書かれていない。
もし解脱したのなら何故わざわざ「小さな煩悩」と書いたのですか?
あなたが言うように「大きな煩悩」から既に離れていたのなら
何故「小さな煩悩も離れ」としか書いていないのですか?
釈尊は謙遜してこう書いたのか?
あなたにはこれが説明できないのです。

>あなたの引用したのは六通の説明ですよね。
>私が引用したのは、四禅三明の話です。
>釈尊が解脱する時の四禅三明の他の経典を持ってくるならわかるが、
>六神通力の説明を持ってくるのはおかしい。
>また、黄廬園経では三明の前に四禅の記述もあります。
>桐山さんが引用していないから、>>114では引用しなかったが、
>三明の前の四禅で釈尊はすでに涅槃を得たと述べているのです。

釈尊の場合はどうだったのか実際のところはわかりません。
釈尊の場合と他の比丘とは状況が違っていて当然です。
だが話の趣旨を間違えてはいけません。
宿住通の前に釈尊は解脱していたから解脱には漏尽通は関係ない、
というあなたの主張を問題にしているのであって
釈尊の場合がどうであろうとそれ自体が問題ではないのです。

214 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:00:38 ID:sj7v2Dau
桐山靖雄さんの、耄碌ぶり。クククッ
ホント笑える。早く死ねばいいのに。死んでインチキが証明される。
超能力も神通力もすべてインチキだったことが確定する。
誰一人、桐山さんの法力なり霊力を得るものがいない、ということは
桐山の教えがインチキだということだね。今となっては当然のことなんだが。
       ↓

158 :ベレムベア:2008/11/22(土) 12:48:53 ID:iOI8jqyS
BSフジ『イスラエル建国60周年 炎の軌跡を追え! 聖地エルサレム 燃え上がる大護摩壇』
にて、桐山さん最後のメッセージ
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
りっしゅういらい・・・・・せかいへいわを・・・・・いちずに・・・・めざして・・・・
せかいへいわのかくとくを・・・・
いちずに・・・めざして・・・
 ↑(ここで桐山さん目線を少し右上にずらしているけどどうかしたのかな?)
え〜・・・ふきょうしてまいりました・・・・
ちっ・・・・なんといってもにんげんにとって・・いちばんたいせつなものは・・・
あ〜・・・ふぇ・へいわです・・・
へいわがなかったらどんなにけんりょくがあっても・・・
・・か・たとえかねがあっても・・・・なんのやくにもたたない・・・・
・・で・・・・・せかいふぇ・へいわが・じんるいにとって・いちばんたいせつなもんである・
わたくしはこのかくしんから・・・・あごんしゅうがりっしゅうされていらい・・・
いまにいたるまで・
ひとすじに・せかいへいわを・・・・・ねんじて・・・・ふきょうしてまいりました・・・
(ここで一度カットされているけど、桐山さんフリーズしちゃったのかな?)
このしせいはこんご・・・・なんじゅうねんたとうとも・
あごんしゅうがあるかぎり・・・・・ゆるぎないしんねんと・・・すちょうですね・・・
↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑  ↑
セリフというか文章の組み立てというか、まとまりがいまひとつ、
しゃべり方もぎこちない感じがしますた。


215 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:09:42 ID:sj7v2Dau
桐山ってホントにクズで馬鹿だね。あと何十年も阿含宗があると思ってんのかね。
未来予知できるなんてのは、まさしく詐欺インチキだね。
10年後の未来は、焚き火程度のヘッポコ護摩もどきが精々だね。
「F田ただし」をはじめ坊主型職員は、おんぼ焼きにでも再就職したほうがよい。
桐山靖雄さんも、ボケ山ヤスオに改名すりゃ〜いいんだよ。

216 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:13:17 ID:d7etcZSQ
213のアホQはほんとアタマ悪すぎwww
お前全然今までの質問に答えてねえ癖に、アホかwww

217 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:23:20 ID:Mk0u7f1n
>>205 :神も仏も名無しさん
>>168 :神も仏も名無しさん :2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
>「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」といった言葉を見れば
>この繰り返し部分は比丘の心の状態を示しているのがわかります。

>これも間違いです。
>「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。
>同じ内容をただ別な表現で繰り返しているだけです。

これも間違いとは何を指しているのですか?
繰り返し部分は比丘の心の状態を指しているのです。
引用した83節の冒頭にある「このように」とは
82節の内容を指しています。

82)たとえば、大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば、
彼の身体はいたるところ、白い衣服がおおっていないところはないでしょう。
それと同じく、大王よ、比丘は、この身体を清浄で純潔な心で遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見えぬ沙門の果報であります。

218 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:24:16 ID:Mk0u7f1n
>これは黄廬園経でも同じで、
>「定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し 、不動心、 」
>とは、「清浄=穢無く=煩無く=柔軟=不動心」であり、
>釈尊が煩悩を完全に滅してしまったことを表現を変えて繰り返しているだけです。
>こういう同じ内容の繰り返しの強調は経典ではよく見られます。
>こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
>清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。

黄廬園経では「煩無く」となっているからあなたの理屈も成り立つかもしれません。
しかし沙門果経では「小さな煩悩も」になっている。
あなたはこれを解脱と解釈した。
だが再び訊くが、解脱を意味するのなら何故「小さな煩悩」と書いたのですか?
これは翻訳者のミスなのでしょうか?

219 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:45:25 ID:Mk0u7f1n
>>115:神も仏も名無しさん

「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」 (黄廬園経)

93)このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住通)に心を傾け、心を向けます。(沙門果経)

両者は内容的には同じですね。
違うところは「わたくし」と「比丘」の違いです。
つまり黄廬園経は釈尊の体験を述べているに対し、
沙門果経は比丘に対する指導になっていることです。
比丘は釈尊とちがってこの段階では解脱していない。
だから「小さな煩悩」と書いたわけです。
つまり宿住通の前に解脱していたのは釈尊の場合のみということになる。
そう解釈すればすべて合点がいきますね。

220 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:51:58 ID:jnC3pTxc
大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば
彼の身体は白くても中身の腹黒さは見えません。
大王よ、比丘は、この身体を清浄で純潔な心で遍満させてすわって
黒い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっていても
中身の白さは見えません。

221 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 16:52:30 ID:Mk0u7f1n
沙門果経

83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。

85)また、このようにして心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は思考から成り立つ身体(意生身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。

87)また、比丘は心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
さまざまな超能力(神通)に心を傾け、心を向けます。

89)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は、神のような耳(天耳通)に心を傾け、心を向けます。

91)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は(他人の)心を洞察する知(他心通)に心を傾け、心を向けます。

93)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住通)に心を傾け、心を向けます。

95)また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は、生命あるものの死と生に関する知(死生通)に心を傾け、心を向けます。

97)また、このように心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると、
比丘は汚れの滅尽に関する知(漏尽通)に心を傾け、心を向けます。

222 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 17:09:31 ID:Mk0u7f1n
>>221
「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると」

「小さな煩悩も離れ」が解脱を意味するのなら
宿住通どころか意生身をつくる段階で既に解脱していたことになります。
でも意生身は完全な解脱者でなくても作れると以前七氏さんは書いていました。
  
  310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
  >解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

だからこの段階では解脱などしていなくてもよいことになります。
彼はまたしても自爆したのです。
本当に懲りない人です。

223 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 17:13:30 ID:d7etcZSQ
アホQの妄想炸裂www
お前あたま大丈夫か〜ぁwww
しかし、こんなにアタマが悪いとは・・・www
なにお前が妄想で勝手にこじつけてんだよwww
二重三重の重訳の漢訳経典が釈尊の体験述べていて、
最古のパーリー聖典が比丘に対する指導ねえ・・・www
お前がいかに禅定修行を全くしてないかが良く分かるレスだなwww

224 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 17:16:24 ID:Mk0u7f1n
>>195 :高城浄海
>馬脚をあらわしましたね。伝法料と護摩許し状御法礼の区別がつかないなんて。

はい?
護摩許し状は昔10万したのですよ。
知らなかったのですか?
だったら浄海なんて偉そうな名前を降ろしなさい。
新米クン。

225 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 17:20:04 ID:Mk0u7f1n
>>223
>お前がいかに禅定修行を全くしてないかが良く分かるレスだなwww

だからお寺を紹介してくれと前から言ってるでしょ

226 :高城浄海:2008/11/24(月) 17:21:43 ID:JxgDzea4
>>224

私は1979年入行ですが、護摩許し状が十万円だったのは何年までですか?

227 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/24(月) 17:37:41 ID:G9wvkGSM
>>224
護摩許し状の御法礼が十万円で、その他に伝法料はいくらだったのですか?

228 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/24(月) 18:36:28 ID:G9wvkGSM
>>219:神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 16:45:25 ID:Mk0u7f1n
>つまり黄廬園経は釈尊の体験を述べているに対し、
>沙門果経は比丘に対する指導になっていることです。

ここが間違ってますね。
沙門果経は比丘の指導など説いていません。
この経典はそもそも釈尊がアジャセ王に対して出家の比丘の得る果報にはこれだけのものがあるのだ
と順序を追って解説したものです。
その順序って決して修行階梯のカリキュラムではありません。
わかりやすい身近なものから示していったのです。
だから最初はシュードラという奴隷階級にあった者が出家をすることにより、逆に供養され尊敬される
身分になってしまう果報から示している。
これってカリキュラムの話ですか?
それからいろいろ果報を挙げていって意生身を作るなどの神通力を得る果報まで示す。
そして最後に煩悩から離れた解脱の境地の果報を示してそれが最高と示したのです。
いきなり解脱の境地を示すのでなく、アジャセ王を一つ一つ納得させながら、最後に悟らせたわけで
これも説法の方便です。

229 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/24(月) 22:08:06 ID:twfT9ryA
>>214
>早く死ねばいいのに。

だめだめ。もっと老醜をさらしてくれてからでないと。
星祭りの時のお立ち台に立って九字切るときに失禁して、その映像がようつべにうpされるとか。

今死なれたらまだ伝説が残ってしまう。

230 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:14:37 ID:pKE3Cyk3
>>212 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:53:43 ID:Mk0u7f1n
>「大きな煩悩」が登場する余地など何処にもありません。

予想どおり、お得意の言葉尻をとらえた屁理屈が始まりましたね。
ペテン大作さんの読み間違いはどうなったのですか。
「も」を「を」と書いた。
一番大事なことなのに、謝罪どころか、修正すらない。
こういう時にあなたの男としての力量が試されることにそろそろ気が付いたらどうか。
間違いは間違いと認め、その上で反論したら、どれほど男らしいだろう。
だが、あなたは桐山さんと同じで、自分の間違いを認めるのは死ぬほど嫌いらしい。
それがあなたの人生の縮図なんでしょうね。
あなたの今回の登場は「読み間違えた」という大爆笑だけだった。
これがあなたの人生の縮図なのかもしれない。

231 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:18:25 ID:pKE3Cyk3
>>212 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:53:43 ID:Mk0u7f1n
>ここでもすばらしい笑いを取ってくれました。

あなたを見ていて、本当に男として情けないと思うのはこういうレスです。
読み違いをして、バカ恥をかいたのはあなたですよ。
それを私が笑われたかのような言い方をする。
前にも書いたがオウムが「米軍と自衛隊が毒ガス攻撃をしている」と言っていたのと同じです。
自分がしていることを相手がしている、自分が笑われているのに、
相手が笑われていると言い換える。
これはあなた自身がこんなふうに自分を納得させているのでしょうね。
あなたはいつも手法は訳のわからない屁理屈を延々と並べ、そして
さも、その結論として自分が正しいことが証明されたかのような書き方をする。
だから、前は私は読者にそれまでの議論の経緯まで示し、
あなたが汚い手法でごまかそうとしているのだと説明してあげた。
毎度笑われたのは私ではなく、ペテン大作さんです。

232 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:26:02 ID:pKE3Cyk3
>>212 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:53:43 ID:Mk0u7f1n
>「大きな煩悩」が登場する余地など何処にもありません。

大きな煩悩という言葉にイチャモンをつけたいなら、>>203は次のように書き換えましょう。
「煩悩からはすべて離れ、当然のことながら小さな煩悩すらも残りなく離れ」
つまり、沙門果経ですらもすでに解脱しているという意味です。
一方、ペテン大作さんは、

>小さな煩悩から離れる程度ではどう考えても「解脱した」という意味にはなりません(>>168 )

あなたは「小さな煩悩からのみ離れた」と、解脱していないと解釈している。
その根拠としたのが、原文の「小さな煩悩も離れ、」を
「小さな煩悩を離れ」と間違えて書き写した点です。
あなたが根拠にしたのは今でもこれ一つです。
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、」などはあなたは根拠として出していなかった。
私からこれらは全部同じ意味だと指摘されてから、まるで最初から主張していたかのように、

>「小さな煩悩」の前に何とありますか?

などと、書き始める。
私が根拠としたことをそのまま、何の説明もなく自分の根拠にして何の意味があるのだ?
あなたの書いた根拠は今でも「小さな煩悩を離れ」だけです。
もし、本当に「小さな煩悩も離れ」と理解していたら、「も」を「を」とは書かない。
「助詞の問題」などと矮小化したつもりだろうが、意味がまるで違ってくる。
写し間違いですらなく、あなたはそのように読み間違えたのです。

233 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:30:13 ID:pKE3Cyk3
>>212 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:53:43 ID:Mk0u7f1n
>「大きな煩悩」が登場する余地など何処にもありません。

これで私の指摘の何にあなたは反論したつもりなのだ?
自分の間違いすら認めず、何も新しい根拠もあなたは出していない。
ただ、私の「大きな煩悩」という言葉にイチャモンを付けただけです。
大きな煩悩と私が書いたことが問題なのではなく、
あなたが根拠とした「小さな煩悩を離れ」など沙門果経には存在せず、
根拠がないと批判したのです。
私の主張を否定する証拠として「小さな煩悩を離れ」をあなたは出したが、
そんな経典は存在しないのだ。
はっきり言わないと分からないようだからいうが、あなたは経典を捏造したのです。
ようやく桐山ゲイカと同列になりましたね。
おめでとう。

234 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:34:25 ID:pKE3Cyk3
>>213 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:58:20 ID:Mk0u7f1n
>その沙門果経ではあなたの解釈は成り立ちません。
>沙門果経では六神通の前に解脱していたとは書いてありません。

書いてあるし、その根拠も示しました。
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。(>>205)
安定、清浄、純潔、汚れないとは、心が煩悩から離れている状態、つまり解脱です。
あなたが引用した沙門果経では、神通力を使う前に、これらの言葉が並んで、
しかも「小さな煩悩も離れ」と、すべての煩悩から離れたことを
はっきりと述べているのだから、すでに解脱しているのです。
心が煩悩から離れ、解脱して、改めて、自分の前世や他人の輪廻転生を見て、
煩悩と輪廻との関係を如実に見て、最後に自分が完全に煩悩から解放された
ことを確認するのが三明です。

235 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:39:57 ID:pKE3Cyk3
>>213 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:58:20 ID:Mk0u7f1n
>何故「小さな煩悩も離れ」としか書いていないのですか?
>釈尊は謙遜してこう書いたのか?
>あなたにはこれが説明できないのです。
>>218 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 16:24:16 ID:Mk0u7f1n
>だが再び訊くが、解脱を意味するのなら何故「小さな煩悩」と書いたのですか?

「小さな煩悩も離れ」とは「小さい煩悩は言うに及ばず、すべての煩悩を離れた」
という意味です。
これは経典解釈ではなく、単なる国語の読み方の問題にすぎない。
前回の説明に、あなたは「大きな煩悩」にイチャモンを付けただけです。
ペテン大作さんには毎度申し上げることだが、
私はあなたに説明をしようとか、納得させようなんて気は微塵もない。
せっかく阿含経の、それも解脱についてのテーマだから、
あなたや子孫さんなどを除いた一人でも多くの信者に
釈尊の説いた本当の解脱の意味を理解してほしいと思って書いている。
このレスもペテン大作さんに書いてるのではなく、読者が対象です。
あなたは理解できないのではなく、理解したくないのだから、説明するだけ無駄です。
だが、あなた以外の人たちは私の説明を、賛成反対はともかく、理解しています。
これは阿含経の宗教的解釈の問題ではなく、国語の読解力の問題にすぎないからです。
私はあなたや桐山さんみたいに捏造などせずに、書いてあるとおりに読んでいるにすぎない。

236 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:43:41 ID:pKE3Cyk3
>>213 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 15:58:20 ID:Mk0u7f1n
>だが話の趣旨を間違えてはいけません。
>宿住通の前に釈尊は解脱していたから解脱には漏尽通は関係ない、
>というあなたの主張を問題にしているのであって
>釈尊の場合がどうであろうとそれ自体が問題ではないのです。

話を趣旨を間違えているのはあなたのほうです。
偉そうな態度でお説教していないで、議論の始めにある私の子孫さんへのレスを見てごらんなさい。
釈尊の悟りとは具体的に何を指すのか、というテーマです。
それなのに「釈尊の場合がどうであろうとそれ自体が問題ではない」とはどういう意味だ?
あなたは視野が狭くて、自分の関心事しか頭になく、何を議論しているのかすぐに忘れる。
他人にお説教していないで、議論が始まって間もないのだから、まず確認したらどうだ。
桐山さんは神通力でカルマをぶった切って解脱したという主張だから
神通力の出てくる四禅三明を支持している。
だが、神通力で解脱したという主張はおかしいとして、黄廬園経を出したのです。
あれは釈尊が解脱した時の様子を述懐したものです。
「釈尊の場合がどうであろうとそれ自体が問題ではない」なんて
あなたの主張がどれほどピンボケかわかりましたか。

237 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:47:03 ID:pKE3Cyk3
>>217 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 16:23:20 ID:Mk0u7f1n
>これも間違いとは何を指しているのですか?

沙門果経の「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」を
あなたは煩悩から離れた解脱であるとみなしていない点です。
これらは煩悩から離れた状態だと>>205で説明したのです。
煩悩から離れたとは、解脱したという意味です。

238 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:52:25 ID:pKE3Cyk3
>>218 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 16:24:16 ID:Mk0u7f1n
>黄廬園経では「煩無く」となっているからあなたの理屈も成り立つかもしれません。

これは驚いた。
あなたは、黄廬園経で、釈尊が三明の前に解脱したという解釈が成り立つことを
認める、という意味ですね。
あなたのことだから、逆手に取られて、後であわてて否定してくるだろうが、
とりあえず、上記の文章からは、黄廬園経で三明の前に解脱していたという
解釈が成り立つことをペテン大作さんも認めた。
では、議論はこれで終わりにすればいい。
なぜなら、沙門果経なんて私は引用していないし根拠にもしていない。
あなたが出したから、レスをつけただけです。
私の主張をあなたも認めたことになる。
つまり、桐山さんの、釈尊は神通力で解脱したなど嘘だとあなたも認めたことになる。
皆さんご覧ください。
ペテン大作さんも進歩しましたよ。

239 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:56:02 ID:pKE3Cyk3
>>219 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 16:45:25 ID:Mk0u7f1n
>比丘は釈尊とちがってこの段階では解脱していない。
>だから「小さな煩悩」と書いたわけです。

「小さな煩悩も離れ」とは、「小さい煩悩は言うに及ばず、すべての煩悩を離れた」
という意味です。
だから、この段階ですでに解脱している。
繰り返すが、これは経典解釈の問題ではなく、国語の問題にすぎない。
釈尊は、解脱してから、三明を獲得したが、弟子たちは三明を獲得して
解脱したなんて説はありません。
釈尊も弟子も同じです。
このことはあなたが今回また証拠を出してくれた。

240 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:02:50 ID:pKE3Cyk3
>>217 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 16:23:20 ID:Mk0u7f1n
「その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。 」

これが前回ペテン大作さんが引用した沙門果経の前の説明だそうです。
これをペテン大作さんが引用した所を見ると、意味を理解していないようですね。
これは完全に解脱したことを述べているのです。
清浄、純潔とは、煩悩から完全に離れた状態、つまり解脱をさす。
仏教の汚れとは煩悩を指し、そこから離れるから、清浄になるのです。
煩悩のない状態が遍満しているとは、煩悩から完全に離れたという意味です。
神通力の前に、これらの説明があるというのですから、
神通力の前にすでに解脱していたのです。
私の解釈の証拠を新たに出してくれてありがとう。

241 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:06:30 ID:pKE3Cyk3
>> 222 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 17:09:31 ID:Mk0u7f1n
>でも意生身は完全な解脱者でなくても作れると以前七氏さんは書いていました。

>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

相変わらず言葉尻をつかまえてイチャモンを付けるのが大好きですね。
しかも、悪質なことに私の一年前の310の文章の前半をカットしている。
私は上記の310の前半で次のように書いている。

>この経典の説明では、意生身は戒律を守り、煩悩を断ちきった比丘だけが
>作り出せる何かです。
>解脱した彼らでなければ作り出せないのが意生身です。

あるいは310の前の文章では、私は次のように書いている。

>309 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:52:45 ID:BNsw6c1F
>実際は、戒律を徹底して守り、煩悩をなくし、
>その上で得られる六神通力の一つとしての意生身なのです。

私は繰り返し、沙門果経を読む限り、解脱した比丘が意生身を作り出せると書いている。
それを前提として、最後に、「あるいは解脱の過程で」と入れた。

242 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:10:38 ID:pKE3Cyk3
>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

私は解脱の過程と書いているにすぎない。
あなたはそれを「意生身は完全な解脱者でなくても作れる」
などと勝手に書き直しているが、私はそんなことは書いていない。
解脱の過程とは、解脱した直後も含むのですよ。
私が書いたのは、ずっと前に解脱して神通力を持った比丘が意生身を作るのが
普通なのだろうが、あるいは解脱する過程で解脱したばかりの比丘が
作ることもあるのだろうと書いたのです。
こうやって説明すれば、何の矛盾もない。

>彼はまたしても自爆したのです。 (>>222)

などと一人ではしゃいでも、読者には、私が自爆したとわかるのではなく、
あなたの憎しみがどれほど強烈か、また国語力にかなり問題があるとわかっただけです。
前回も書いたように、勝利宣言は反論が出た後にすることです。
でないと、本当にみっともない。
あなたは恥知らずだから、何ともないのだろうが、
読んでいる我々のほうが、特にあなたが男だと思うと、顔が赤くなる。
もう少しあなた自身の男としてのミエと体裁を保つように努力してくれませんか。

243 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:13:46 ID:pKE3Cyk3
>> 222 :神も仏も名無しさん :2008/11/24(月) 17:09:31 ID:Mk0u7f1n
>でも意生身は完全な解脱者でなくても作れると以前七氏さんは書いていました。

意生身が霊魂であるという桐山意生身が真っ赤な嘘だということを、
ペテン大作さんが沙門果経を引用して証明してくれましたね。
批判側もあなたの功績に大拍手をした。
実はあなたは桐山さんの嘘を暴こうとしたのではなく、擁護して、
批判側に一泡吹かせてやろうと出したら、逆手に取られただけなのだが、
そんな過程はどうでもいい。
沙門果経の意生身を読む限り、あれが桐山さんのいうような霊魂であるなんて
誰も解釈しない。
私の知る限り、これを最初に指摘したのはペテン大作さんです。
批判側が示すべき資料をペテン大作さんが一番に出してくれのだから、
みんな感心し、感謝していた。
桐山さんの嘘を阿含経を使って暴いた功績は大きいし、
あなたの数少ない善業なのだから、大事にしたほうがいい。
閻魔大王の前でも私が証言してあげますよ。

244 :名無し:2008/11/24(月) 23:55:40 ID:Xzj+zDQT
 嗚呼、諸君は、無駄な論議を、重ねてご苦労算、神通力とは、神が人間の願い
に応じてわざわざ通ってくれて、願いをかなえて呉れるチカラのこと、
イショウ身だろうが、霊視だろうが、修行者の心の境界に応じて叶うのだ。
桐山氏の論の有り様は、読者に神仏の存在と働きを教えずに文章を書くゆえに
神仏と感通できない諸君には、永遠に分からない話なんだよ。
桐山氏は、誠実な人柄ではあるが、お人好ではないよ。
供養法の理由が分かれば、君たちにも教団くらいつくれるさ。
狐やつまらない竜神なら、信者は、せいぜい100人くらいだがね。
意地悪な神仏は、いないが非情なもんですよ。大学受験の偏差値を考えて呉れれば
よい、これ書いたけど、大変なサービスなのだよ。
どっかの先達にこの文章みせなさい、分かるかもしれないから。
 おまけに一つ、此処何年かテレビに出てる、太った霊能タレント 彼の能力の
源は、XXXXXXXXである。うっかりして間違った事をすると、タレント生命が
アウトになる、喩えとして言うなら、歌手の声と耳の能力だ。

245 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 08:55:46 ID:YZtAWP4o
>>243 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/24(月) 23:13:46 ID:pKE3Cyk3
>桐山さんの嘘を阿含経を使って暴いた功績は大きい

桐山のウソを唯識を使って暴いてくれたのも構造としては同じでしょうか。
ウソやすり替えで塗り固めて、論理の断絶を印象操作でごまかすやり方が、
ちょうど桐山とペテン大作に共通してて、これと対比しながら桐山のウソとやり口を
俎上に載せることが出来たわけです。

>>184 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/23(日) 16:37:37 ID:RYoJpTFQ
>頑張ってください。

私のことはよろしい。おまえがこれからもがんばれ。

246 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 13:58:23 ID:MWog8PM5
お前ら本当に馬鹿だなw

247 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 14:42:43 ID:Xz6vX/wb
>>230 :神も仏も名無しさん
>予想どおり、お得意の言葉尻をとらえた屁理屈が始まりましたね。

言葉尻をとらえたのは七氏さんですよね。
今もまたこうして読み違えたを責めている。
はいはい、私は読み違い(書き違い)をしました。
こう認めればあなたの気がすむのならそうしましょう。
で、「を」が「も」だった。
話はここからです。
 
>>232 :神も仏も名無しさん
>大きな煩悩という言葉にイチャモンをつけたいなら、>>203は次のように書き換えましょう。

おっと、待ってください。
ここで簡単に下ろされては困ります。
あなたが「大きな煩悩」と書いた事実をレポートに残さなければいけないのです。
あなたが「小さな煩悩も」を説明するのに「大きな煩悩」を持ち出した。
そのこと自体が重大であってあなたのクダラナイ説明というか、感想を聞くつもりなど
最初からありません。
学者でもない単なる素人に過ぎないあなたの解釈などどうでもよい。
もちろん書くのは自由ですからやめろとは言いませんが。

248 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 14:43:48 ID:Xz6vX/wb
>>233 :神も仏も名無しさん
>ただ、私の「大きな煩悩」という言葉にイチャモンを付けただけです。
>大きな煩悩と私が書いたことが問題なのではなく、
>あなたが根拠とした「小さな煩悩を離れ」など沙門果経には存在せず、
>根拠がないと批判したのです。

「大きな煩悩」など経典に書いていないと言うことがイチャモンなんですか?
「小さな煩悩を離れ」とは書いてあるが「大きな煩悩」など何処にもありません。
あなたの頭の中では事実が逆転しています。
「も」を「を」と書いた私を散々責めておきながら
自分では平気で書かれていない言葉を創作して平然としている。
まったく恥知らずというべきか。
あるいはこれぞ落武者の本領発揮というべきか。
まあ、そういうところが面白くてこちらも付き合っているわけですけれど。

249 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 14:48:00 ID:YZtAWP4o
>>248
>まあ、そういうところが面白くてこちらも付き合っているわけですけれど。

さびしいヤツ・・・・・・・。

250 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 14:49:56 ID:Xz6vX/wb
>>212の内容をレポートに上げましょう。

【落武者実態レポート】
★国語力不足!!(助詞が理解できない)
★創作意欲満点!!(大きな煩悩?まで作り出す)

>>203 :神も仏も名無しさん
>「小さな煩悩も離れ」とは、「大きな煩悩は当然のことながらすべて離れ、
>小さな煩悩すらも残りなく離れ」というくらいの意味です。
>だが、ペテン大作さんみたいに「小さな煩悩を離れ」と読むと、
>「大きな煩悩は離れていないが、小さな煩悩だけ離れ」とも読める。

・・・・・・このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ・・・・・・

「心が安定」、「清浄で純潔」、「汚れなく」と単語が列挙された後なので
「も」がついて「小さな煩悩も」となっただけの話です。
「も」とは言葉を列挙するのに使う助詞であり「すら」の意味ではなく、
「大きな煩悩」は妄想脳が作り上げた創作です。

251 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 14:57:57 ID:Xz6vX/wb
【落武者実態レポート】
★出まかせで書くの大好き!!(漏尽通と矛盾しちゃった)

>>205 :神も仏も名無しさん
>こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
>清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
>>234 :神も仏も名無しさん
>あなたが引用した沙門果経では、神通力を使う前に、これらの言葉が並んで、
>しかも「小さな煩悩も離れ」と、すべての煩悩から離れたことを
>はっきりと述べているのだから、すでに解脱しているのです。

釈尊は漏尽通とは何かを沙門果経で丁寧に説明しているのに、
七氏さんはこの比丘がすでに解脱したと思うのですか??
毎度のことながら、どういう読解力をしているのだ???
漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力であり
仏道修行の最終段階です。
七氏さんの説によれば、この比丘は解脱したらしいが
この比丘は修行の途中なのですよ。
修行途中の彼らが何で解脱したとわかるのだ?
書いていて何か矛盾を感じる知性は残っていないのか。
仏道修行をして最終点に到達した者だけが
漏尽通で煩悩が尽きたことを確認できるのです。
この比丘が解脱したかどうかわかる筈がない。

252 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 15:02:58 ID:YZtAWP4o
>>251
で、火舎香炉の盛り方は聞いてきたか?本当に会員で伝法会でたのなら
いくらでも教えてもらえるだろ?

さあ。

253 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:04:28 ID:7YKypD/e
桐山靖雄は詐欺師なの。

254 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:15:59 ID:rUvL7D2t
小さな・・・も、離れ・・・なら大きな・・も、も入ってるだろ普通www

255 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:18:26 ID:Xz6vX/wb
>>238 :神も仏も名無しさん
>これは驚いた。
>あなたは、黄廬園経で、釈尊が三明の前に解脱したという解釈が成り立つことを
>認める、という意味ですね。
何を驚いているのだ?
経典に解脱したと書かれているのならそう信じるしかありません。
素人に過ぎない私がそれに口を挟む資格などありません。
黄廬園経ではそう解釈できる。
それだけの話です。
ところが沙門果経では同じようには書かれていません。
あなたがいくら屁理屈を並べたところで小さな煩悩は小さな煩悩でしかない。
それをあなたは何としても解脱という意味に固めたい。
そしてああだ、こうだと喚き散らす。
いつものように相手への罵声を絡めて。
自分は黄廬園経の話をしているのであって沙門果経ではないよ、
という姿勢を貫けばよかったのにそれを我慢できないのがあなた。
自分の愚かさを反省したほうがいいと思います。

>とりあえず、上記の文章からは、黄廬園経で三明の前に解脱していたという
>解釈が成り立つことをペテン大作さんも認めた。
>では、議論はこれで終わりにすればいい。
議論などしていません。
沙門果経ではこう書いてあると紹介したことに対して
あなたが勝手に感想文を書いているだけです。

>なぜなら、沙門果経なんて私は引用していないし根拠にもしていない。
そうそう、最初から最後までこの姿勢を忘れないように。
無駄な書き込みなどして時間つぶしですよ。

256 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:20:47 ID:7YKypD/e
邪教は霊的汚染なの。

257 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 15:23:08 ID:YZtAWP4o
>>255
>無駄な書き込みなどして時間つぶしですよ。

おまえがいうなおまえが。
それよりさっさと火舎香炉の盛り方聞いてきて本当に阿含宗会員であることを証明しろ。

258 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:25:17 ID:Xz6vX/wb
>>242 :神も仏も名無しさん
>私は解脱の過程と書いているにすぎない。
>あなたはそれを「意生身は完全な解脱者でなくても作れる」
>などと勝手に書き直しているが、私はそんなことは書いていない。
>解脱の過程とは、解脱した直後も含むのですよ。

あなたね。
解脱の過程といったら解脱の修行に入った直後から解脱寸前まで
全部含まれるのですよ。
見ていてこちらも息が詰まるからその辺でやめておきなさい。
もういい、もういい。
レポートには上げておくからもう言わんでいい。

259 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:27:37 ID:Xz6vX/wb
【落武者実態レポート】
★自爆マニア!!(解脱の過程で意生身が作れると書いていた)

>>205 :神も仏も名無しさん
>こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
>清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。

七氏さんは比丘は解脱していると言っています。
ところでこの比丘は意生身も作っています。

沙門果経85節
このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は思考から成り立つ身体(意生身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。

ところが七氏さんは以前、こんなことを書いていました。
>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>この経典の説明では、意生身は戒律を守り、煩悩を断ちきった比丘だけが
>作り出せる何かです。
>解脱した彼らでなければ作り出せないのが意生身です。
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

おんや?解脱の過程でも意生身作れるの?
だったら>>205と矛盾しちゃうじゃない?
どっち取るのかしらん?

260 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:30:58 ID:Xz6vX/wb
【落武者実態レポート】
★「すり替え」大好き!!(「だけ」外し)

>>202 :神も仏も名無しさん
>つまり、普通の仏教でもアゴン宗でも、漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力です。
>ペテン大作さんの説だけが別ですから、お引き取りください。
>ちなみに、一つだけ、あなたが屁理屈で突っ込めるように穴を開けておきましたから、
>ぜひ、読者のためにも楽しいツッコミをしてください。

普通の仏教やアゴン宗の説に異論を唱えたことはありませんよ。
漏尽通とは煩悩が尽きた結果を「知るだけの能力」ではありません (>>170
と書いたのを、七氏さんは「知る能力ではない」にすり替えたのですね。
(もしかしてこれがあなたのいう突っ込みの穴なのですか?)
苦しみや汚れ(煩悩)の正体や原因を知り、
それを消滅させる道を知ることも煩悩切りに関係がある。
また煩悩が尽きた結果を知る能力も煩悩切りに関係ありです。
切れたかどうかの結果がわからなくてどうして煩悩切りが達成できるのですか?
漏尽通は煩悩切りに大いに関係しています。
「漏尽通は煩悩切りには関係ない」という七氏説は真っ赤な嘘です。

261 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:39:18 ID:Xz6vX/wb
>>192 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/23(日) 17:07:09 ID:pR+4dFrt
>問題はおまえが正直に最初から言わないで、完全に逃げ場が無くなるまで
>のらりくらりとごまかす人間だと言うことだ。
>2007/03/05より629日、一年263日
>「第九識=霊魂」は桐山が勝手に言ってることであると認める。
>2008/06/29より147日
>伝法会をいい加減に受講していたことを認める。

日数を数えたのか?
かなり暇なやつだな。
しかし事実と違うことを書くなよ。
九識の件はずっと前にあれはゲイカのオリジナルだと言っている。
過去レスを探すのが面倒だからここには書かないけど。
嘘を書くと今後の昇級に響くぞ。

262 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 15:51:24 ID:YZtAWP4o
>>261
最近よく見ずに機械的にレスしてたから流れを過った。

それを桐山に聞いて来いと追及してたのを忘れてたわ。

263 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 15:54:14 ID:YZtAWP4o
>>261
私事になるがテンプレが二つあって、古い方をみていた。
このことは私のミスなので撤回謝罪します。

で、改めて突きつけるが、
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。(この三行が抜けてました)

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

264 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:54:54 ID:7YKypD/e
ここに居る人達って伝法会に何度も参加したんだね。
私は一度でインチキだと見抜けたよ。



265 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:00:54 ID:YZtAWP4o
>>261
ペテン大作よ、おまえは私を三歳児呼ばわりしたり
既に非会員である私に対して「自分で桐山に聞け。出来ないのかチキン」と
罵ったから、おまえが私よりオトナで勇気のあることを示す必要があるわな。
おまえが聞いてくる義務が生じたのだよ。

私は伝法会や例祭の質疑応答の時は毎回質問状を提出していたぞ。
少なくとも同じ事はしなさい。

266 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:04:03 ID:YZtAWP4o
>>264
そうですか?優秀なんですねえ。(いや、嫌味でなくて)
私など本当にすごいことを教えてもらえるんだと思いこんでたので
一言一句も漏らすまいと必死でしたよ。だから真偽など全然わかりませんでした。

ちなみにどの辺でおかしいと思われました?

267 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 16:04:30 ID:Xz6vX/wb
>>199 :ユビキタス
>しかしそれとは別に議論の前提としてペテンQさんは嘘つきの面もあるのではないかと
>嫌疑されてもいるのです。

体験談などで嘘を書いたら問題だが
個人的なことについては確認のしようがないので
嘘付きだのなんだの言い出しても意味がありません。
たとえば来年50を迎える自称千葉大卒の人が

82 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/06/06(金) 21:14:09 ID:skYRSbo8
馬鹿に馬鹿と言って何が悪いんじゃ?
本当のことを書いて何が悪い?
この馬〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜鹿

なんていう書き込みをしてるのを見ると
本当にこの人は国立大学を出ているのかなあ、
と疑ってしまいますが
本人がそう言っているのだから信じるしかないという話です。

>ペテンQさんが嘘つきと疑われたからには、その嫌疑を晴らす為にも火舎香炉の盛り方を
>他の人が書いた繰り返しになってもかまわないから、書いて示せばよいだけの話です。

伝法会に出席していたのか、護摩許し状を持っているのか
といった事柄が書き込み内容に影響を与えるかというと皆無ですね。
例えば仏典にはこう書かれているとかないとかいう話は
誰が発言しても同じ話です。
だから個人的なことに注目するのは無意味なことです。

268 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 16:12:48 ID:Xz6vX/wb
>>226 :高城浄海
>私は1979年入行ですが、護摩許し状が十万円だったのは何年までですか?
>>227 :ユビキタス
>護摩許し状の御法礼が十万円で、その他に伝法料はいくらだったのですか?

確かに十万したと思ったのだが記憶違いかなあ?
あんまり昔のことなので記憶が薄れています。
私の間違えかもしれません。
「これで全国の密教寺院で護摩が焚けます」という
重々しい文句が書いてあるので
有り難たや〜という気持ちがそう思わせてしまったのかもね。

269 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:19:03 ID:YZtAWP4o
>>267
>伝法会に出席していたのか、護摩許し状を持っているのか
>といった事柄が書き込み内容に影響を与えるかというと皆無ですね。

おまえが本当に会員かどうか、会員ならどの程度の貢献を阿含宗にしてるのか
そう言うところが問題だからだ。

そしておまえの書き込みからは護摩木の判押しも道場運営もしたこと無いとか
会員同士の横の繋がりの全くない非社交的な匂いがするからだ。

以上は擁護側の一人である私が思う理由。で、おまえの立場に立てば、

>>267
>伝法会に出席していたのか、護摩許し状を持っているのか
>といった事柄が書き込み内容に影響を与えるかというと皆無ですね。

皆無だったら気にせず個人が特定できない程度で構わんから言えばいいだろうが?
何をためらう理由があるの?

270 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 16:25:41 ID:Xz6vX/wb
>>259 【落武者実態レポート】の補足

>>242 :神も仏も名無しさん
>解脱の過程とは、解脱した直後も含むのですよ。

含みません。
解脱した直後なら解脱の過程ではなく「解脱」です。
そういう言い逃れをしても無駄なことです。
解脱の過程とは解脱していない状態を指します。
そして解脱と解脱の過程ではまったく違います。
以上、念のため追加しておきます。

271 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:26:33 ID:YZtAWP4o
>>268 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/25(火) 16:12:48 ID:Xz6vX/wb
>「これで全国の密教寺院で護摩が焚けます」という

ああ、確かにそうあったな。

これって資格商法じゃね?


すみませんが、どなたか護摩許し状お持ちの方
お手数ですが全文書き込んでいただけないでしょうか?

272 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 16:32:05 ID:Xz6vX/wb
>>269 
それが人にものを尋ねる態度か?
もう少し改善できんのかな。

>おまえが本当に会員かどうか、会員ならどの程度の貢献を阿含宗にしてるのか
>そう言うところが問題だからだ。

何故だ?

>皆無だったら気にせず個人が特定できない程度で構わんから言えばいいだろうが?
>何をためらう理由があるの?

何を言うんだ?
伝法会に出ました、許し状をもらいましたという話か?
前からそう言っているのだが疑っているのは魑魅ですよ。

273 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 16:37:25 ID:Xz6vX/wb
しっかしなー
魑魅たちは時事馬場をこきおろすのがそんなに楽しいのかな?
もっと人生にはおもしろいことがあると思うのだが。
何か暗然とした気持ちになりますね。

274 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:38:21 ID:YZtAWP4o
>>272
>何故だ?

分からんのかw
初対面の阿含宗の会員同士だったら挨拶代わりに聞くようなことだぞ?

275 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:44:28 ID:YZtAWP4o
>>273
>魑魅たちは時事馬場をこきおろすのがそんなに楽しいのかな?

え?おまえジジイだったのか?

>もっと人生にはおもしろいことがあると思うのだが。

阿含宗に人生狂わされて面白いことなど一つもないわい。
せめて騙される人が一人でも居なくなるように頑張ることでしか社会貢献出来ん。

276 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/25(火) 16:52:06 ID:YZtAWP4o
>>273 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/25(火) 16:37:25 ID:Xz6vX/wb
>何か暗然とした気持ちになりますね。

私に限らず桐山に鉄拳制裁したいと思ってる・思ってた人が何人もいるのだ。
今ごろ何言ってるのかね?脳天気なヤツだな。

277 :ウルトラQ:2008/11/25(火) 17:19:29 ID:utWVv/x5
[バラ(ネパール) 28日 ロイター] 

「釈迦(しゃか)の化身」などと話題になっているネパールの
15歳の少年、ラム・バハドゥール・バムジョン君は、南部バラで今も瞑想を続けている。
バムジョン君は過去7カ月にわたって、食べ物や飲み物を一切口にせず瞑想を続けている。
仏陀のように悟りを開くため、6年間瞑想する計画だという。
少年を見ようとこれまでに数千人が巡礼に訪れており、当局は仏教の専門家らに
長期に渡り飲食を一切せず生き続けている現象の真相究明を要請している。
当局では、少年が夜になると信者によりカーテンの中に隠されることから
この間に飲み食いをしている可能性があると見ているようだ。

(ロイター) - 12月29日10時20分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051229-00000265-reu-int



278 :読者のひとり:2008/11/25(火) 22:40:53 ID:IXrhwLN7
1.「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
上記の例文を読んで、公園にまだゴミが残っていると思う方はいらっしゃいますか?

2. 「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
この文章ではどうでしょうか?
煩悩がまだ残っていると思う方はいらっしゃいますか?

279 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/26(水) 00:23:17 ID:c4AT59+1
>>267:神も仏も名無しさん :2008/11/25(火) 16:04:30 ID:Xz6vX/wb
>本当にこの人は国立大学を出ているのかなあ、
>と疑ってしまいますが
>本人がそう言っているのだから信じるしかないという話です。

あのね。国立大学なんて普通に馬鹿ばっかよ。私を筆頭に。
慶應早稲田でも馬鹿がいるし。

さて私はあなたはきっと昭和50年代あたりの入行だと推察してるし、伝法会も
真面目に参加していると思うよ。
だから普通に護摩許し状くらいもらっていても驚くことでもなければ、だからどうだの
えらいだの評価の基準にしてません。
伝法を受けているものと思っていましたよ。憧れのアゴン宗の伝法ですからね。
しかし質問に答える(答えない)態度を見てて、あれ?と思ったのです。
ひょっとして、この人、いつもではないが、時々嘘ついているんじゃない?
もちろんあなたが護摩許し状を受けていようがいまいが、そんなことは、ここでの
議論には関係がないことは百も承知です。
ただ嘘をつく人は信用ならんなとこちらも用心してるのです。
桐山さんという嘘つきに騙された過去がありますから。

280 :ラシン:2008/11/26(水) 11:17:16 ID:y9LFGnyE
>あなたね。
解脱の過程といったら解脱の修行に入った直後から解脱寸前まで
全部含まれるのですよ。

過程:物事が変化し進行して、ある結果に達するまでの道筋。(大辞林)

結果を含まない"寸前"までならば、過程はどこまで続くのだろう?
(1から9,99999999999999999999まだ過程?)
過程と途中は、意味が違います。
例えば、工程表は、着手から完成日までが提示されます。(完成が含まれる)
修士課程もある期間において学業、仕事を終了するもので、
工程も課程も、ある事柄や時間の範囲と言う意味の過程を表す語句です。
解脱過程といえば、解脱も範囲内ということです。  

281 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 12:08:55 ID:ya5RZdvy
お前ら馬鹿だなww
馬鹿どもは黙っとけw

282 :ラシン:2008/11/26(水) 12:12:24 ID:y9LFGnyE
>沙門果経では六神通の前に解脱していたとは書いてありません。
そこには「小さな煩悩」としか書かれていない。
もし解脱したのなら何故わざわざ「小さな煩悩」と書いたのですか?

心の安定、清浄で純潔、汚れなく、これらはすべて解脱を得たからこその境地、
との七氏さんの解説に納得出来るものです。
経典では頻繁に反対の表現があり、それらを煩悩に覆われた者と指摘しています。
逆も真なりと考えれば、明らかなる解脱境地の表現と読むことが出来る。
また「小さな煩悩」との表現は、引用された経区を読めば理解できます。
解脱が本物である確認作業が「知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。」
との表現で覗えます。
つまりどんな小さな煩悩の見落としも無い、解脱知見によってその解脱が真実であり、
それを観察し確認することの意義が説かれていると、これは私なりに解釈します。
大きな煩悩滅尽は比較的気づきやすいが、小さな煩悩(こんなことも煩悩かと言うほど)は、
よく智見に心を傾け、心を向けてその滅したことを確認する意義です。
七氏さんの大きな煩悩の表現は、意味解釈においての説明での表現使用であり、
経典に有る無しを問題視するようなことではないでしょう。
ー引用ー
このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。



283 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 12:34:50 ID:M8xNc5+u
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK

では、驚くべき事実を記しましょう。
辛島静志先生の増一経と、末木文美士先生の衆集経の訳に出ていま
す。但し、文の引用は致しません。内容を記します。
何と、釈迦は、八正道の次に、「十正行」を説いています。
八正道+二つで、十正行です。あるいは、十正道と呼んでもいいかも
知れません。

修行を終えた人(つまりアラカン)の「十正行」を説いています。
アラカンの、正見、正志、正語、正業、正生活、正精進、正思念、
正定、に、解脱と解脱智の二つを足して、「十正行」とし、これを
証得せよ、と比丘等に命じています。
その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
を示して、これを証得せよと命じています。
やはり釈迦は、アラカン(聖者)の八正道と、それ以外の八正道とを
区別して話していました。驚きですね!

37道品は、八正道に集約される、なんて噴飯ものです。
それはそうでしょう。37道品は「正見」に集約される、と言っても
間違いではありません。但し、噴飯ものです。
是非、十上経もお読みになってください。
1から10までの数字を足すと、55ですね。
そんな感じで、仏道修養すべき項目を、550項目、挙げています。

284 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 12:38:05 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>では、驚くべき事実を記しましょう。

驚くべきとは、子孫さんの国語の読解力です。
この経典を子孫さんはこんなふうに読めるのですね?!!
これを子孫さんが「誰にも教えてやらない」とケチっていた内容ですか?!
いやはや、驚きました。
またまた信者の国語力を指摘するはめになるとは。
まず、信者さんたちのために、子孫さんの引用した十上経について
簡単に説明します。
これは『國訳一切経 阿含部 7』(大東出版社、172頁〜)、
『現代訳阿含経長阿含経3』(平河出版、37頁〜)にあります。

285 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 12:47:04 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>何と、釈迦は、八正道の次に、「十正行」を説いています。

十上経では、合計100の修行法を550項目にわたって列記してあります。
1グループから10グループまで各十個の修行法の名前が羅列してあります。
名称の羅列をしただけで、内容の説明はいっさいありません。
たとえば、3グループとは「三善根」のように、3の数字のついた10の修行法が
集められています。
三善根の中身は、無貪善根、無瞋善根、無癡善根の三項目あります。
このように3グループにある10の修行法一つ一つに三つの項目が含まれるから、
合計30項目あることになります。
同様に、4グループなら40項目、以下、10グループは100項目並びます。
つまり、合計100の修行法を550項目に渡り説いています。
言ってみれば、100科550道品が説いてあるのです。
では、子孫さんも驚いたというデタラメ解釈について紹介しましょう。
主に二つあります。
修行を終えた人に十正行を説いているという点と、
十正行が八正道よりも上の修行法だという点です。

286 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 12:52:12 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>修行を終えた人(つまりアラカン)の「十正行」を説いています。

これは子孫さんの真っ赤な嘘です。
経典のどこにそのように書いてあるのですか。
子孫さんはさかんに初学だの、已達だのと分類しているが、
十上経のどこにも、「これは初学の者の修行法、これは解脱した者の修行法」なんて
書いてありません。
十上経はサーリプッタが比丘たちへの説法だが、その冒頭には、

「すべての束縛を解き放つ、十上の法をわたくしは説こう、
涅槃を得るために、苦を消滅するために。」(『原始仏典 3』春秋社、359頁)

と、述べているように、どこにも、初心者用とか、アラハン用なんて言葉はありません。
初心者もアラハンも含めた比丘全員に解脱のための法を説いたのです。


287 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:00:06 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>修行を終えた人(つまりアラカン)の「十正行」を説いています。

子孫さんの解釈は、まるで1グループが一番初心で、少しずつ階梯をあげていき、
8グループの八正道を過ぎて、最も高度な修行として10グループがあるかのような
書き方です。
子孫さんは数が多いと高度な修行法だと思っているようだ。
各グループの10個の修行法はただ漫然と並べてあるのではなく、
それぞれ意味があることが経典の最初に記載されています。

「成法、修法、覚法、滅法、退法、増法、難解法、生法、知法、證法」

これが一つのグループにある十個の項目の内容です。
縦横10の碁盤目を作り、100科を一覧表にするとわかりやすいでしょう。
縦に10グループを並べ、横に上記の十の項目を並べる。
たとえば、3グループの増法なら「三善根」が配置されます。
3グループの増法(三増法)とは三善根だという意味です。
そこで、上記の十個の「法」はどういう意味なのか、学者の説明を引用します。

288 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:02:38 ID:M8xNc5+u
「繰り返し行われるべき事柄、修習されなければならない事柄、
充分に知らされるべき事柄、捨断されるべき事柄、
破滅に導く事柄、繁栄に導く事柄、洞察しがたい事柄、
生じさせるべき事柄、証知されるべき事柄、体現されるべき事柄」
(『原始仏典 3』春秋社、358頁)

こうやって並べてみると、ようやくこの長々しい経典が(失礼)、何を
言いたいのかわかってきます。
つまり、教法の洞察を充分に行い、繰り返して習得し、禁止事項を守り、
積極的に精進して修行を体得し、解脱するようにと説いているのです。
これを1グループから10グループまで繰り返している。
教法のイロハから解脱までを説いているのですから、
この経典では、1グループは1グループのみで完結し、
以下同様に、10グループは10グループで完結しています。
サーリプッタは同じような内容を手を変え、品を変え、
10回に渡り説いたのです。
だから、子孫さんの解釈のように、1グループが幼稚園で、
10グループが大学だという説き方ではありません。
それぞれのグループで「最初から終わりまで」全部説いているのです。
だから、グループの終わり(證法)では必ず解脱することを説いています。

289 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:06:09 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>修行を終えた人(つまりアラカン)の「十正行」を説いています。

子孫さんの解釈とまったく逆であることに気が付きましたか。
子孫さんは、修行を、
「1グループ→2グループ→・・・・・→10グループ」
と進んでおり、10グループが一番エライと思っている。
だが、サーリプッタの説き方は、グループごとに話は完結しているのです。
子孫さんは8グループに八正道が出てきて、10グループに十正行が
出てくるから、八正道よりも十正行のほうが上級の修行法であるかのように
思っているようだが曲解です。
8グループよりも10グループが修行法として上だなんて話はありません。
それぞれのグループごとに解脱するのです。
だから、8グループでは八解脱が得られると説き、10グループでは、
「学ぶべきことのない人の正しい解脱である」とそれぞれに解脱を説いています。
子孫さん以外の信者さんのために、念のために言うが、
10個のグループの最後にそれぞれに別な表現で解脱を説いているが、
これらは十種類の解脱を説いているのではありません。
すべて、漏尽解脱という一つのことを表現を変えて説いているだけです。

290 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:13:01 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
>を示して、これを証得せよと命じています。

次に、子孫さんご推薦の八正道と十正行について見てみましょう。
八正道・・・正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
十正行・・・正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、正解脱、正智
このようになっていることから、八正道よりも十正行のほうが
高度な修行法だと子孫さんは言いたいらしい。
漢訳では8のグループでは2番目の修法(修習されなければならない事柄)で八正道が出てきます。
10のグループでは2番目で十正行が出てきます。
ところが、10グループで八正道を含むのは、十正行だけでなく、
4番目、9番目、10番目にも出てきます。
つまり、10のグループには「八正道+2」のパターンが4度も使われているのです。
一方、南伝のパーリ仏典の十上経では、10グループの2番目の修法は
十正行ではありません。
2番目にある内容(十遍処)は八正道を含む内容ではないのです。
4番目、9番目、10番目は漢訳と同じで、八正道を含む内容です。
つまり、子孫さんご推薦の十正行はパーリ仏典では「修法」としては使われていません。
パーリ仏典だけでなく、サンスクリット本と安世高訳の『長阿含経十報法経』
にも、十正行ではなく、十遍処が載っていると子孫さんの使った『現代訳阿含経長阿含経3』で
一覧表になって載っています。(12頁)

291 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:17:07 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
>を示して、これを証得せよと命じています。

十正行は、漢訳の長阿含経の、修行法を羅列しただけの経典である
十上経、衆集経、増一経、三聚経にしか出てきません。
これは阿含経全体を検索しても同様ですから、十正行とは、パーリ、
サンスクリット、漢訳の異訳を含めた阿含経の中で、長阿含経にしか出てこない言葉です。
ですから、修法として8グループに出てくるのが八正道だから、
10グループにそれを拡大した十正行が対応しているとは一概には言えないのです。
八正道は阿含経のいたる所に出てくるのに、十正行が八正道よりも上級の修行法なら、
なんで長阿含経の一覧表にしかなく、他の阿含経に出てこないのか、奇妙です。
ただし、これは子孫さんが十正行だけを取り上げたからで、
「八正道+2(正解脱、正智)」のパターンは、パーリ仏典などの10グループの
4番目、9番目、10番目に明らかに出ています。
では、「八正道+2」のパターンの中身を見てみましょう。

292 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:23:16 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
>を示して、これを証得せよと命じています。

八正道・・・正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
十正行・・・正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、正解脱、正智

二つ増えた分、子孫さんは上級の修行法だと言っているのです。
少し仏教を勉強した人なら、この羅列だけで子孫さんのはしゃぎぶりを
笑ってしまうはずです。
「十正行=八正道+正解脱+正智」
です。
どこかでこのパターンを見たことがありませんか。
五分法身です。
五分法身とは「戒・定・慧・解脱・解脱知見」を指し、
信者さんたちが呪文のように唱えている言葉です。
ところで「三明=戒・定・慧」ですから、
「五分法身=三明+解脱+解脱知見」
五分法身が十正行とそっくり同じパターンであることに気が付きませんか。
五分法身とは、三明を修行して解脱し、解脱したという知見(自覚)を得たという意味です。
十正行とは、八正道を修行して解脱し、解脱したという智慧(漏尽智)を得たという意味です。
両者は同じパターンというよりも、まったく同じ内容です。
なぜなら、八正道と三学は、切り口が違うだけで、内容は同じものだからです。
十正行とは、上級の修行法などではなく、八正道によって解脱すれば、
解脱したという自覚が生まれるという解脱の過程を述べているにすぎません。
八正道は修行法だけを述べているが、十正行はその結果得られる解脱まで
述べているにすぎません。
同じ事を、ただ切り口を変えて言っているだけで、
十正行も八正道で解脱するのだから、修行法としては相変わらず八正道です。
これは初級者も上級者も変わりません。

293 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:30:06 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
>を示して、これを証得せよと命じています。

子孫さんなど典型なのだが、○○法などと名前が付くと、
他とは違う独立したすごい法がそこにあるのだと思い込む。
桐山さんから七科三十七道品とか、止息法なんてキャッチコピーを教えられて
頭が固まっているからです。
だが、十上経を見たら、それは既成概念にすぎないことに気が付くべきです。
十上経だけでも100科550道品なのですよ。
衆集経典では229道品などとてつもない数が出てくる。
これが全部バラバラの教義や修行法なら、サーリプッタのような
ものすごく頭の良い人でなければ解脱などできないことになる。
数字を見ただけで、解脱など無理だとあきらめるでしょう。
知的障害のあったチューラパンタカにどうやって教えるのですか。
だが、彼もまた解脱して神通力も持っていた。
これらを全部釈尊が説いた別々の修行法だと考えるからいけないのです。
十上経は、それぞれグループですでに一つの解脱を説いた内容です。
10グループあるからといって、10種類の解脱を説いたのではなく、
同じ解脱を、手を変え品を変えて10回説いたのです。
だから、10グループ目では、さすがのサーリプッタもネタが尽きて(冗談です)、
八正道が4回も出てきた。
聞いている比丘たちは、100科550道品を聞いたのではなく、
「煩悩を断ち切って解脱する方法」を10回に渡り聞いたのです。
同様に、釈尊は七科三十七道品というバラバラの修行法を説いたのではなく、
それらは八正道に集約されるような教法を説いたのです。

294 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:31:43 ID:M8xNc5+u
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
>を示して、これを証得せよと命じています。

子孫さん以外の信者さんたちは、頭を柔らかくしてください。
批判側が、釈尊が八正道を説いた、と主張しているから、
「八正道こそすべてだ!八正道以外には解脱の道はない!」などと
八正道を金科玉条のように唱えると思ったら大きな間違いです。
八正道でもいいし、三善根でもいいし、三学でも、名前なんか何でもいいのです。
三十七道品だと言っても間違いではない。
釈尊の説き方は○○法というような型にはめられてガチガチの内容を説くのではなく、
縦横無尽に切り口を変え、しかも、一つの切り口にこだわらない。
だから、八正道という言葉にこだわるのも本当はおかしい。
名前をつけないとわからないから、「道」であり、
それをもっともわかりやすく総目録的に表記したのが八正道なのです。
釈尊が、煩悩を断ち切って解脱するということを説いたと理解すれば、
100科550道品が出てきても、まったく驚かなくなるのです。

295 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 13:34:15 ID:K8ubhE3V
>[158]如来の子孫 08/11/24 15:56 pjq5jRfEYK
>その前には、八正道を示して、これを修養せよと命じ、最後に十正行
>を示して、これを証得せよと命じています。

桐山さんの大きな間違いは、それをカリキュラムなどと称して、
何かガチガチの体系を釈尊が説いたかのように解説し、
しかも、一番の総目録である八正道を初学のためのオシエなど罵倒している点です。
だから、子孫さんも相変わらず八正道を倫理道徳だとバカにしている。
阿含経であれだけ釈尊がわかりやすく説いてくれているのに、
なんという愚かな人なのだろうと、溜息が出る。
八正道の中身を理解したら、これを倫理道徳なんて怖くて言えない。
桐山さんも子孫さんも理解していないから、こんな愚かな発言ができるのです。
信者さんたちも、桐山さんから植え付けられた神通力でカルマを切るのが
解脱だなんてオカルト仏教ではなく、本当の釈尊が何を説いたのかを学んでほしい。
桐山さんと信者さんたちが侮蔑してやまない八正道がそれなのです。
八正道よりも上もなければ、下もありません。
初学もアラハンも、在家も出家も、仏教の修行とはこの八正道そのものです。
この事を否定するような宗教は、どんな建前論を振りかざしても、仏教ではありません。
だから、八正道を初学、倫理道徳と侮蔑してやまないアゴン宗は仏教ではない。

296 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 14:36:14 ID:ya5RZdvy


297 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 16:46:26 ID:ya5RZdvy
嘘くさち

298 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 17:51:52 ID:4QroiP7k
いや真実だろうが・・・、八正道が仏陀の道の全てを包括すると言うのは。
いかに桐山が大嘘つきかと言う事が実証されておるではないか。

299 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 19:19:51 ID:ya5RZdvy
嘘ばっかり書き込むな!

300 :神も仏も名無しさん :2008/11/26(水) 19:29:20 ID:Nhgfn2H6
>>299
嘘だと言うのなら、何がどう違うのかきちんと説明しろよ。
批判側を「馬鹿」だと罵ってる人間になら、たやすい事だろ。

301 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 21:13:37 ID:ya5RZdvy
ばーかばーか

302 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 21:51:54 ID:4ff+gO9z
>>280 :ラシン
ラシンさん、こんばんわ。お久さし振りですね。
この前は最後通告を突き付けられたけど
今度はちがう話題だからまたお付き合いというわけですか?

>解脱過程といえば、解脱も範囲内ということです。

解脱も範囲内だが解脱していない状態も範囲内です。
で今回はどちらの場合を指しているか?
七氏さんはこう書いています。

>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

「解脱を獲得した者だけが」と書いて、「あるいは解脱の過程で」とあります。
この「あるいは」という言葉を使ったのは
その後に「解脱の過程」と書くことで「解脱していない状態」を言いたいのだと解釈できます。
七氏さんは解脱した者と解脱途中にある者の両方を指しているのです。

303 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 21:59:24 ID:4ff+gO9z
>>282 :ラシン
>心の安定、清浄で純潔、汚れなく、これらはすべて解脱を得たからこその境地、
>との七氏さんの解説に納得出来るものです。

細部にばかり気をとられて全体を見失うことはよくあることです。
そこで今回はちょっと視点を変えて見ましょう。

304 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:06:53 ID:4ff+gO9z
<黄廬園経>
「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」

<沙門果経93節>
また、心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は過去の生存の境涯を想起する知(宿住通)に心を傾け、心を向けます。

宿住通については中村博士の著書にも載っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このように心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔らかで、巧みで確立し不動となったときに過去の生涯を想いおこす智に心を向けた。 
 こうしてわれは種々の過去の生涯を想いおこした。
・・・・・・中略・・・・・・
次のかしこに生まれてからも、また同様のことを想いおこした。
「このように、われはその一々の相および詳細の状況とともにいくたの過去の生涯を想いおこした。
これが夜の最初の部分において達せられた第一の明知である。
ここに無明が滅びて明知が生じたのである。
暗黒は消滅して、光明が生じた。
それがつとめはげみ努力精励しつつある者に現れるがごとくに。
                (中村元選集11 ゴータマ・ブッダT 412頁)

305 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
これを見ると釈尊は
「過去の生涯を想いおこす智に心を向けた」結果、
「無明が滅びて明知が生じた」と言っています。
これは、智に心を向ける以前の状態では無明があったことを意味します。
無明とは何か?
煩悩です。
すなわち、上の引用文の冒頭にある
「このように心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
柔らかで、巧みで確立し不動となったとき」の状態では
煩悩があったわけです。
ということは、引用文と類似した(というよりは同一)内容である
黄廬園経の「このように、心が・・・・・・不動になると」の部分にも、
沙門果経の「また、心が安定し・・・・・・堅固な不動のものとなると」の部分にも
煩悩があったことになります。
たとえ「煩無く」であろうが「小さな煩悩も離れ」であろうが
「無明が滅びて」という言葉がある限り宿住通以前には煩悩があった、
つまり解脱していないことになります。

306 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:11:08 ID:4ff+gO9z
ある尼僧は述懐する。
「わたしは、他人の心を見通す知慧(20)と、清らかな聴力(21)と、自在力(22)とを現にさとって、
汚れの消滅(23)に達しました。
これらの六つの超人的な神通力(24)を現にさとり、ブッダの教えの実行をなしとげました。」
 
     (20)他心通を意味する (21)天耳通を意味する (22)神足通を意味する 
     (23)漏尽通を意味する (24)以上の六つを「六神通」という

ウッパラヴァンナー(蓮華色)尼は回想する。
「わたしは、前世のありさまを知り、すぐれた眼(天眼)を浄めました。
他人の心のなかを見通す知慧が起こり、聴力が浄められました。
わたしは神通力を現に体得し、わたしは煩悩の消滅に達しました。
わたしは、六つの神通を現に体得しました。
ブッダの教えの実行がなしとげられました。」          
            
                  (中村元選集16 原始仏教の思想U 599頁)

307 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:13:35 ID:4ff+gO9z
ここがポイントですね。


「わたしは、他人の心を見通す知慧(20)と、清らかな聴力(21)と、自在力(22)とを現にさとって、
汚れの消滅(23)に達しました。

わたしは神通力を現に体得し、わたしは煩悩の消滅に達しました。

308 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:27:59 ID:4QroiP7k
いや、だから何が云いたい訳?
桐山がインチキ詐欺師で阿含宗がカルト宗教なのは確定してるんだが・・・!!!

309 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:29:19 ID:4ff+gO9z

七氏さんがインチキだということ

310 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:35:00 ID:4ff+gO9z
>>276 :私文書為造
>私に限らず桐山に鉄拳制裁したいと思ってる・思ってた人が何人もいるのだ。

だったらやれば。

>>279 :ユビキタス
>ただ嘘をつく人は信用ならんなとこちらも用心してるのです。

何を用心するのかね?
金を貸せと言った覚えは無い。

311 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:35:56 ID:4QroiP7k
インチキは桐山の爺さんだろ、アホwww

312 ::2008/11/26(水) 22:51:07 ID:4ff+gO9z
恥ずかしくないの?

313 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:58:24 ID:4QroiP7k
ナ〜二が恥ずかしいのwww
桐詐欺ジジイみたいなのに洗脳されてるお前の方が余程恥ずかしい存在だよwww

314 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/26(水) 23:18:14 ID:jJSL/RP9
>>312
恥ずかしいのはおまえじゃ。で、鉄拳制裁より
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

315 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/26(水) 23:20:33 ID:jJSL/RP9
>>310 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/26(水) 22:35:00 ID:4ff+gO9z
>>ただ嘘をつく人は信用ならんなとこちらも用心してるのです。
>
>何を用心するのかね?
>金を貸せと言った覚えは無い。

ウソを吐く人間を警戒するのは当たり前だ。
おまえ自身、そう言う理屈でまるめられて阿含宗にしがみついてるわけだな。

カルトに騙されてるいい見本だ。

316 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/26(水) 23:33:30 ID:jJSL/RP9
それよりペテン大作、>>278が一番簡潔で解りやすいので、これに反論しくれ。
この理屈のどこが間違ってるか説明してくれたら頭の悪い私にもわかる。

簡潔にな。

317 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/27(木) 08:48:41 ID:9KY5a8B+
>>305:神も仏も名無しさん :2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
>これを見ると釈尊は
>「過去の生涯を想いおこす智に心を向けた」結果、
>「無明が滅びて明知が生じた」と言っています。
>これは、智に心を向ける以前の状態では無明があったことを意味します。

>「無明が滅びて」という言葉がある限り宿住通以前には煩悩があった、
>つまり解脱していないことになります。

無明転じて明知となるように、明知(智慧)を得て無明(無知)が消滅するわけです。
無明無知は煩悩の元になります。
これより貪りや怒りや執着などの煩悩が生まれていくわけです。
十二縁起の法則の一番大元が無明ですからね。
しかしこれを以て、宿住宿命の明知を得る以前まで貪りや怒り、執着などの煩悩の
解脱ができていなかったということにはならない。
それは解脱できていたのです。心の汚れがなくなっていたという記述でわかります。
宿命明の智慧はそれを得ることにより、過去世というわからないものがわかった、
煩悩に駆逐されるがごとく生存が生じることを観察することによってより深い理解が
得られたのです。無明というのは暗闇ですが、今までわからないことがわかった。
しかし貪りや怒りはとっくに離れていたのです。
過去世を見る智慧を持つことにより、煩悩の生成される実態が証得されたということです。
これから新たに何か煩悩を除去する作業をしなければならないのではなく、除去された
ことを追認する漏尽明の智慧とともに確証を得たということです。
過去がわかっただけでどうして貪りなどの煩悩が滅するのか?

318 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/27(木) 09:07:34 ID:9KY5a8B+
>>305:神も仏も名無しさん :2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
>「無明が滅びて」という言葉がある限り宿住通以前には煩悩があった、
>つまり解脱していないことになります。

その過去世を透視する神通力がなくアラカンに至った高弟もいたのです。
宿住宿命明通は煩悩除去の必須ステップでないことがわかる。
我々はニュートンと同じように万有引力の法則を計算し実験しなくても十分に
それを理解活用できているのと同じように、煩悩から生成が育まれる原理を理解して
煩悩を除去していく実践ができさえすればそれで解脱は完成です。
宿命明などでニュートンやアインシュタインになれれば、それはそれで、というだけの
ことです。

319 :ラシン:2008/11/27(木) 10:40:31 ID:ykgZ684R
>302 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 21:51:54 ID:4ff+gO9z

Qさんということよろしいでしょうか?
ハルの最後通牒ではありませんので、横レスですが勉強させて戴きます。
承前のとおり、過程の範囲はご理解いただけたと存じます。

>「解脱を獲得した者だけが」と書いて、「あるいは解脱の過程で」とあります。
この「あるいは」という言葉を使ったのは
その後に「解脱の過程」と書くことで「解脱していない状態」を言いたいのだと解釈できます。
七氏さんは解脱した者と解脱途中にある者の両方を指しているのです。

Qさんの解釈する"あるいは"とは、解脱の途中だと主張したいのですね?
そう解釈するのが間違いとは言いませんが、
しかし、七氏さんは、解脱し六神通を得た比丘、あるいは解脱過程で解脱を得た直後でも
作るであろうと、>>242で述べています。
この反論を読めばその意味は、通常解脱したベテランだけではない直近の解脱者でも
作る可能性を示唆するために使った"あるいは"と、理解できるものですから、
なるほどと納得するのが、大人の姿勢と思います。


320 :ラシン:2008/11/27(木) 12:23:11 ID:ykgZ684R
>304これが夜の最初の部分において達せられた第一の明知である。
ここに無明が滅びて明知が生じたのである。
暗黒は消滅して、光明が生じた。

事実を解説する上で、よくある重複的確認表現ですね。
例で言えば、
「1945年8月15日正午の昭和天皇による玉音放送をもってポツダム宣言の受諾を表明し、
すべての戦争行為の終結が宣言された。
1945年9月2日東京湾上に停泊の米国戦艦ミズーリ号甲板にて降伏文書に重光外相が、
調印し、ここに4年余にわたる戦争が終結されたのである。」
これも戦争は事実上8月15日で終結していることが分かります。
翻って"過去の生涯を想いおこした"という能力は何ですか?すでにある宿明知で、
確認したと理解できます。
そこで、無明が消滅すると明知(漏尽知)が生じることを表現したものです。
つまり明知(漏尽知)で無明が消滅したのではないとわかる。
理由はすでに無明の消滅があり、宿明知でその証明がなされたと解釈すれば、
矛盾は生じません。
理由は三明六通の意味を知れば、いづれも煩悩止滅に無関係な能力ですからね。
例えば引用された"自在力とを現にさとって"とは、自在力という能力を得て、
との意味です。
"体得"も"浄め"もすべてその能力智慧を得たという意味ですから、
どこにもその能力によって解脱したとは表現されていないことでも分かります。
ゆえに「ブッダの教えの実行がなしとげられました。」という告白が、
なされたのです。
釈尊の教えの通り、煩悩止滅の道を歩んで成就したら六通を得て、
それで漏尽の確証を得たと、吐露しているのです。          

321 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:42:25 ID:YDAYFU3L
>>247 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 14:42:43 ID:Xz6vX/wb
>はいはい、私は読み違い(書き違い)をしました。
>こう認めればあなたの気がすむのならそうしましょう。
>で、「を」が「も」だった。
>話はここからです。

いいえ、話は終わりです。
あなたの反論は元々があなたの読み違いからきたものです。
あの経典は「を」と「も」ではまるで意味が違ってしまう。
あなたのしたことは「私は」を「私が」と間違えた程度の小さな間違いではない。
全然違う意味にとれるように捏造したのです。
元々の「も」なら、あなたの最初の批判は成り立ちません。
「はいはい」などと、自分のしことを矮小化して、つまらない間違いで
あるかのようにごまかして、話を進めようとしても無駄です。
私の気が済むかどうかなんて問題ではない。
あなたは意味が違うように経典を捏造したのだ。
他人の反論をレポートと称して、執念深いいつまでも書くくせに、
自分のしたことは「はいはい」「気がすむのなら」などとごまかす。
本当にあなたは卑怯な男ですね。

322 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:45:53 ID:YDAYFU3L
>>248 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 14:43:48 ID:Xz6vX/wb
>「小さな煩悩を離れ」とは書いてあるが「大きな煩悩」など何処にもありません。

あなたの執念深い揚げ足取りに合わせて、私も屁理屈を並べてみよう。
私が「大きな煩悩と経典に書いてある」とどこで書いたか答えてみなさい。
答えられるはずがない。
私は経典に書いてあるなんてどこにも書いていない。
経典の解釈として、自分の言葉で説明しただけです。
経典の解釈をするのに、経典に載っていない言葉を使うことが
どうしていけないだ?
一方、あなたのしたことは経典の言葉そのものを捏造したのだ。
私は経典の言葉など捏造していない。
自分の解釈として述べたのだ。
盗っ人猛々しいあなたと一緒にしないでほしい。

323 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:52:27 ID:YDAYFU3L
>>255 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:18:26 ID:Xz6vX/wb
>経典に解脱したと書かれているのならそう信じるしかありません。

あなたは、私が引用した黄廬園経の解脱の話に対して反論してきた。
私の主張は、黄廬園経の解脱は神通力による解脱ではないというものです。
それにあなたは反論してきた。
見当違いにも沙門果経を用いて、私の主張を否定しようとして意気揚々として出てきた。
しかも、経典を読み間違えるというオオドジを踏んだばかりか、
さらにドジなことに黄廬園経での私の主張を「うっかり」認めてしまった。
七氏憎しでその場しのぎの屁理屈を並べているからです。
つまり、あなたの主張には何の根拠もないことを認め、
私の主張まで認めたのだから、議論は終了したのだ。
「お笑いペテン大作の独り芝居」の第一幕は終了したのです。

324 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:55:38 ID:YDAYFU3L
>>255 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:18:26 ID:Xz6vX/wb
>ところが沙門果経では同じようには書かれていません。

黄廬園経では、解脱してから、神通力を得たことになり、
沙門果経では、神通力を得てから解脱したとあなたは主張するのですね。
その主張はすでに聞きました。
そして私の反論もすでにした。
沙門果経の場合も、「小さな煩悩も離れ」とは、
すべての煩悩を残りなく離れたという意味だと書いた。
>>278さんがもっとも簡潔にわかりやすいたとえで説明している。
沙門果経の記述は誰が読んでも、三明の前にすでに煩悩を断ち切っていると
釈尊は表明しているのです。
あなたはさらに追加の証拠まで出してくれた。
あなたが見苦しく「大きな煩悩」という表記にイチャモンをつけているだけです。
どちらの説が正しいかは、読者に任せればいい。
この議論もすでに終わっています。

325 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:00:18 ID:YDAYFU3L
>>255 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:18:26 ID:Xz6vX/wb
>自分は黄廬園経の話をしているのであって沙門果経ではないよ、
>という姿勢を貫けばよかったのにそれを我慢できないのがあなた。
>自分の愚かさを反省したほうがいいと思います。

また自分がしていることを私がしていると書き換える。
私が黄廬園経を出したのに、これと関係のない沙門果経を出したのはあなたですよ。
私は最初から両者を区別している。
だから、黄廬園経を引用しているのに沙門果経を引用するのは
筋違いだと、私は最初から指摘した。
その上で、あなたの沙門果経の引用は意図的な捏造だと批判した。
また、沙門果経でも神通力の前にすでに解脱を宣言していると根拠を示した。
関係のない経典を引用して反論しようとしてみたり、しかも引用した経典を
思い込みから写し間違いをしてバカ恥をかいた人間が、他人にどのツラさげて
「自分の愚かさを反省」しろなんて言えるのだ?
そんなに何度もあなたの恥知らずぶりを表明しなくても、読者は十分に知っている。

326 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:04:39 ID:YDAYFU3L
>>255 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:18:26 ID:Xz6vX/wb
>沙門果経ではこう書いてあると紹介したことに対して
>あなたが勝手に感想文を書いているだけです。

紹介??わずか二日前に自分がしたことをもう忘れたらしい。

>>168 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 15:07:15 ID:RYoJpTFQ
>【落武者実態レポート】
>★お釈迦様の説法歪めるの大好き!!
>(お釈迦様は宿命通で前世を見る前に解脱したとは宣言していない)

こういう罵りを、アゴン宗では「紹介」というのか?

>釈尊がこの箇所で解脱を宣言したなどとはトンでもない真っ赤な嘘デタラメです。(>>168)

「真っ赤な嘘デタラメ」とは私への批判ですよね。
こういうのを感想とは言わずに、議論というのです。
もっともあなたの場合は議論よりも思い込みと罵りが多い。
あなたは「この箇所」と書いているのは沙門果経です。
私は黄廬園経を引用しているのに、勝手に沙門果経にすり替えて、
まるで私が沙門果経のことを述べたように書いたのはあなたですよ。
自分の書いた支離滅裂な文章をよく見なさい。
私ではなく、あなたが黄廬園経も沙門果経もゴチャゴチャにして書いたのだ。

327 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:09:20 ID:YDAYFU3L
>>302 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 21:51:54 ID:4ff+gO9z
>その後に「解脱の過程」と書くことで「解脱していない状態」を言いたいのだと解釈できます。

ペテン大作さんらしい悪質さですね。
私の書いた、

>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

この文章の解脱の過程とは、解脱した後も含めていると説明しているのに、
どうしてまた上記のような勝手なことを書くのですか。
書いた本人がそう言っているのですよ。
しかも、私がこの文章だけを書いたのなら、誤解をされてもしかたないが、
>>241で引用したように、その前に、解脱した後なのだと何度も繰り返して書いている。
あなたはそれらを故意に無視して、上記だけを引用してきた。
私は、煩悩を断ち切った比丘だけが作れると三度も繰り返している。
その上で、釈尊の描写である解脱後も含めて「解脱の過程」と述べたのです。
しかも、解脱後も含めているのは、私ではなく経典の記述です。

328 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:12:31 ID:YDAYFU3L
>>258 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:25:17 ID:Xz6vX/wb
>解脱の過程といったら解脱の修行に入った直後から解脱寸前まで
>全部含まれるのですよ。
>>270 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 16:25:41 ID:Xz6vX/wb
>含みません。

これはあなたの説ですよね。
私は自分の説を唱えているのではなく、経典に書いてある描写を述べているのです。
釈尊は、煩悩を断ち切ることや神通力を得ることを一連のこととして描写している。
これは黄廬園経の四禅三明の描写でも同じです。
菩提樹の下に座り、悪魔と戦い、三明を得るまでが釈尊の描いた「解脱の過程」です。
沙門果経もこれに習い、四禅から三明六通を得るところで終わっている。
釈尊の描写は、解脱した後の解脱を確認する段階まで全部含まれているのです。
この描写が解脱の過程を示すものだから、解脱の過程と書いただけです。
あなたのように自説を並べているのではなく、
私は経典に書いてあるがままに述べているだけです。

329 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:16:04 ID:YDAYFU3L
>>260 :神も仏も名無しさん:2008/11/25(火) 15:30:58 ID:Xz6vX/wb
>切れたかどうかの結果がわからなくてどうして煩悩切りが達成できるのですか?
>漏尽通は煩悩切りに大いに関係しています。

あなたの説はこのスレでは対象外だと>>202で書いたのが読めませんか。
ここはアゴン宗の批判スレだから、漏尽通の定義はあなたに説明していただく必要はないのです。
辞典にも書いてあり、桐山さんの解説もほぼ一致している。
私も>>220の桐山さんの意見にほぼ賛成です。
何の問題もありません。
異論を唱えているのはペテン大作さんだけです。
そんなに漏尽通について議論したければ、自分でスレを立てればよい。

330 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:19:15 ID:YDAYFU3L
>>305 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
>これを見ると釈尊は
>「過去の生涯を想いおこす智に心を向けた」結果、
>「無明が滅びて明知が生じた」と言っています。
>これは、智に心を向ける以前の状態では無明があったことを意味します。

いかにも視野が狭く、読解力に問題のあるペテン大作さんらしい解釈ですね。
あなたの説では、宿明通によって無明は滅びたらしい。
では、次の文章をどう解釈するのだ?

「これが夜の最初の中間において達せられた第二の明知である。
ここに無明が滅びて明知が生じたのである。 」
「これが夜の最初の最後の部分において達せられた第三の明知である。
ここに無明が滅びて明知が生じたのである。 」
(『ゴータマ・ブッダT』、413〜414頁)

おやあ?第一の明知で滅びたはずの無明がまた復活して、
ほんじゃまあと、第二の明知で無明を滅ぼしたが、
あらら、また無明が出てきてコンニチハで、
夜も明けることだし、第三の明知で無明を滅ぼした。
あなたの解釈ではこんなふうになってしまうのですよ。
第一の明知で無明を滅ぼしたなんて書いていない。
それなら、「明知が生じて無明が滅びた」と書いてあるはずです。
だが、「無明が滅びて明知が生じた」と書いてあるのです。
無明(煩悩)を滅ぼした後で、宿明通によって自分の輪廻を透視して、
煩悩のままに輪廻している姿を如実に見て、自分の悟りの正しさを確認するという
明知が得られたと言っているのです。
同様に、他人の輪廻する姿を見て、最後に自分の煩悩が完全に消えていることを
確認した(明知)と言っているのです。

331 :ラシン:2008/11/27(木) 13:22:08 ID:ykgZ684R
>170
以上を見ればわかるように
漏尽通とは煩悩が尽きた結果を知るだけの能力ではありません。

この表現は、知る能力をも含む他の能力の存在を主張していますね。
少なくとも漏尽を知る能力が入っていると認めていることになります。
さて、「以上を見ればわかるように」との提示の考察ですが、
<引用:比丘は汚れの滅尽に関する知(漏尽通)に心を傾け、心を向けます。>
とは、滅尽に関する知なので漏尽知という智慧能力と解釈できます。
<引用:「これが苦しみの消滅である」、「これが苦しみの消滅に通ずる道である」
 とあるがままに知ります。>
これも、消滅と消滅に通ずる道 を知るわけですから、漏尽知という智慧です。
決して滅尽の方法や滅尽術のような通力ではない、解脱に至った修行と瞑想を
追認し、知るという行為です。
つまり、汚れ、汚れの原因、汚れの消滅、汚れの消滅に至る道、これらを
解脱したことで生じた知恵または獲得した知恵で明らかに観て知ることですから、
間違いなく解脱したのだと確認できる漏尽知という智慧と、解釈できます。
これは戒定慧の三学に照らしても辻褄が合う解釈です。
戒と定により慧を獲得して行く、この積み重ねにより至る過程を表しています。
<引用:このように知り、このように見る人の心には、欲望の汚れからも解放され、
 生存の汚れからも解放され、無知の汚れからも解放されます。
 解放された者には「解放され(解脱を得)た」という自覚が生まれる。>
これは解放されたと気づくこと=知る確認作業です。
そして解脱成就したことで心にゆるぎない自覚が生じる、という解説です。
どこにも漏尽知で煩悩を切る行為の表現などはありません。
煩悩、煩悩の原因、煩悩の消滅、煩悩の消滅に至る道を"あるがままに知る"
という表現だと解釈でき、それらをまとめて漏尽知=漏尽通なのです。
知によって今までの解脱に至る過程を追確認し追証している行為です。
ですから「解脱を得たという自覚が生まれる」(解脱知見)という文言になるのです。



332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>>305 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
>「このように心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、
>柔らかで、巧みで確立し不動となったとき」の状態では
>煩悩があったわけです。

「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
この段階で釈尊はすでに解脱しているのです。
自分の勝手な解釈に経典を合わせるのではなく、経典に合わせて解釈するのです。
上記の文章を読んだ時、三明で解脱したという解釈が間違いではないと
どうして自分を疑わないのだろう。
あなたは、桐山さんと同じで、自分がものすごく頭がいいと思っているのですね。
私があなたの立場なら、「なんだ、おれの解釈がおかしいのか」と
あっさりと自分の説を捨てて、経典に合わせた解釈をします。
なぜなら、私は釈尊が何を説いたかを理解したいのであって、経典を使って、
ペテン大作さんみたいに誰かに因縁をつけてやっつけようとしたり、
桐山さんみたいにエラクなることが目的ではないからです。

333 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:26:39 ID:lnhRYV0M
>307 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:13:35 ID:4ff+gO9z
>「わたしは、他人の心を見通す知慧(20)と、清らかな聴力(21)と、自在力(22)とを現にさとって、
>汚れの消滅(23)に達しました。

これもまったく同様です。
あなたは、神通力を体得してから煩悩を消滅させたと解釈しているが、
煩悩を消滅して解脱したことを三明で確認したとあるだけです。
同様の文章はこのウッパラヴァンナー尼の二つ手前のヴァッダ長老の母親が
次のように述べている。

「209 ・・・怠ることなく瞑想したときに、わたくしの煩悩の汚れは、すべて、
消滅しました。三種の明知を体得しました。」(『尼僧の告白』中村元、47〜48頁)

三種の明知を体得したから煩悩が消滅したなんて書いていない。
文章の順序からいっても、煩悩を消滅させてから三明を体得したと述べている。
そればかりか、前も紹介したが、次の文章をあなたはどう解釈するのだ?

334 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:28:08 ID:lnhRYV0M
「仏弟子の告白」188−189頁

「[真理を見る〕眼ある尊き師・ブッダは、他の一人のひとのために、真理の教えを説かれた。
教えが説かれているとき、[道を〕求めるわたしは、耳をそば立てた。」
「わたしが聞いたことは、空しくはなかった。わたしは、束縛をのがれ、煩悩のけがれ
のない者となった。実にわたしの誓願としたところのものは、過去世の生活を知る〔通力〕
を得るためではなく、すぐれた透視[力〕を得るためでもなく、他人の心を読みとる〔通力〕を
得るためでもなく、死と生を知る〔通力〕を得るためでもなく、聴力を浄める
〔通力〕を得るた
めでもなかった」

335 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:31:03 ID:kNy4p3x+
「実にわたしの誓願としたところのものは、過去世の生活を知る〔通力〕
を得るためではなく、・・」

これはサーリプッタの告白です。
神通力によって解脱するなら、神通力を誓願としなければならないのに、
彼はこれを目的とはしなかったとはっきり否定している。
これをどう解釈するのですか。
経典には神通力で解脱とした読みとれる文章は一つもない。
黄廬園経や、あなたが引用した中村博士の文章でも、釈尊は解脱の過程を
一つずつ丁寧に説明しているが、三明の前にすでに煩悩を
断ち切って解脱していたことを述べている。
あなたがその証拠をわざわざ>>304で引用してくれた。
三明で煩悩を切ったのではないことは、神通力の内容を見れば明らかです。
前世や他人の輪廻転生を見るとどうやって煩悩が切れるのだ?
漏尽通とは、仏教でもアゴン宗でも煩悩がないことを確認する能力だから、
その前に煩悩を切っておかなければならない。
三明のどれ一つをとっても煩悩を切るような内容ではありません。
煩悩を切り解脱したことを、煩悩のままに生きる過去の自分や他人を見て、
さらに煩悩を切った自分を見ることで確認する能力です。
経典での釈尊の説明からも、サーリプッタの説明からも、神通力の内容からも、
どこから見ても、三明で煩悩を切るのでないことは明らかです。

336 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:33:32 ID:kNy4p3x+
>>309 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:29:19 ID:4ff+gO9z
>七氏さんがインチキだということ

このスレはアゴン宗を議論するスレだから、あなたに質問する。
桐山さんは神通力でカルマを断ち切るのが解脱だと言っている。
では、三明のどの神通力でカルマを断ち切るのですか。
漏尽通は、煩悩を切ったことを確認する能力だと桐山さんも認めているから、
これではありません。
すると、宿明通と天眼通の二つということになる。
この二つでどうやって、カルマを断ち切るのか、ペテン大作さんにぜひ
根拠となる阿含経を引用して講義してほしい。
自分と他人が輪廻転生している姿を見ると、貪瞋癡という煩悩が切れてしまう
というあなたの説も根拠がないだけでなく、前世のカルマを断ち切るなんて
なおさら意味不明です。
あなたの言葉尻を捕まえる屁理屈なんかよりは、こういう講義のほうが
信者にも大いに受ける。
信者は特にそれを知りたがっている。
あなたはまだこの一番大事な神通力でカルマを断ち切ると述べた経典を示していない。
神通力で解脱するかどうかという議論よりも、こちらのほうが大事です。
また、これを示せば、自ずと神通力で解脱するというあなたの説は証明される。
あなたの引用した経典ですら、すべて漏尽解脱(煩悩解脱)しか出てこないことに
信者さんたちは不安に思っている。
私は仏教にはカルマ解脱なんてないと主張してきた。
カルマ解脱を示す経典を引用すれば、私をただインチキ呼ばわりしなくても、
読者は私がインチキだと認識してくれる。
さあ、信者さんたちのためにも、はやく神通力によるカルマ解脱の経典を示してあげなさい。
それとも、ただ私をインチキ呼ばわりして、犬みたいにキャンキャン吠えただけか?

337 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:55:26 ID:kNy4p3x+
>>329の修正
正 私も>>202の桐山さんの意見にほぼ賛成です。
誤 私も>>220の桐山さんの意見にほぼ賛成です。


338 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 14:26:12 ID:MO9LAtYO
桐山ゲイカは天才だよな!
阿含経は世界に誇れるもの
お前らにはその事が分からない。情けない事だな

339 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 15:50:57 ID:o0mJuh6L
↑プッ、なりすましの偽信者の荒らしの癖しやがって

340 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 16:45:24 ID:MO9LAtYO
だまっとけ!

341 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 17:05:48 ID:MO9LAtYO








342 :宇宙猿人ゴリ:2008/11/27(木) 18:59:34 ID:Y3K+RzVC
大阪万博太陽の塔と犬山モンキーパークの若い太陽の塔

どちらも岡本太郎作
http://plaza.rakuten.co.jp/kimononeco/diary/200802250001/

343 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:36:25 ID:ARzOKD4e
>>278 :読者のひとり
>1.「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
>上記の例文を読んで、公園にまだゴミが残っていると思う方はいらっしゃいますか?
>2. 「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>この文章ではどうでしょうか?
>煩悩がまだ残っていると思う方はいらっしゃいますか?

「も」には色々な意味があるのでどれを選ぶかで文の意味が違ってきます。
広辞苑:A「どれか一つに限定せず同種の物事を列挙するのに用いる」
    C「最も実現しにくく、条件としては最高のものであることを示す。・・・さえ。・・・でも」

「も」がAの意味なら
「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
→小さなゴミ「が」除かれただけで他にゴミが残っているとも受け取れます。
「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
→小さな煩悩「が」離れただけで他に煩悩が残っているとも受け取れます。

「も」がCの意味なら
「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
→小さなゴミ「さえ」除かれたことになり他にゴミは残っていないことを暗示しています。
「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
→小さな煩悩「さえ」離れたことになり他に煩悩は残っていないことを暗示しています。

344 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:37:16 ID:ARzOKD4e
このように「も」の解釈の仕方で意味が変わってきます。
しかし「も」が「さえ」の意味であると主張したところでそれは翻訳文の世界でのみ言えることであり
原文を確認しないかぎり正確なところはわかりません。
たとえば「小さな煩悩」の箇所に英語の“even”のような単語が使われているならば
「・・・さえ」の意味が出てきます。
ただ、翻訳文の文脈から類推するとそういった可能性は低いと思います。
そこには「小さな煩悩が離れ」を意味する言葉が書かれているのではと推察します。
もしそうだとしたら翻訳者は単に語呂がいいという理由で
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩を離れ」ではなく
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ」にしたとも考えられるのです。
すべては原文を見なければはっきりしたことはわからないのです。

345 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:43:14 ID:ARzOKD4e
>>321 :神も仏も名無しさん
>いいえ、話は終わりです。
>あなたの反論は元々があなたの読み違いからきたものです。
>あの経典は「を」と「も」ではまるで意味が違ってしまう。

343、344で説明したとおり
「を」だ「も」だと騒いだところでナンセンスだということです。
日本語の助詞というのは複雑で、これ一つで意味が変わってしまう。
それが日本語の難しさでありまた曖昧さでもあります。
原文ではこうした混乱は無いと思います。
すべては原文を見てからですね。

346 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 22:00:52 ID:ZuHF/nti
>>343
「も」がAの意味なら、小さな煩悩の他にも離れたものがあるはずです。
もし、他に離れたものがなければ「も」は使いません。
他に離れたものは何ですか?

347 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 22:04:19 ID:ARzOKD4e
>>319 :ラシン
>しかし、七氏さんは、解脱し六神通を得た比丘、あるいは解脱過程で解脱を得た直後でも
>作るであろうと、>>242で述べています。

解脱を得た直後だったら解脱過程ではなくて「解脱後」です。
あなたも七氏さんと同じで区別がつかないようですね。

>この反論を読めばその意味は、通常解脱したベテランだけではない直近の解脱者でも
>作る可能性を示唆するために使った"あるいは"と、理解できるものですから、
>なるほどと納得するのが、大人の姿勢と思います。

これが大人の姿勢とはお笑いです。
「通常解脱したベテランだけではない直近の解脱者」は解脱過程の人ではありません。
もし、通常解脱したベテランだけではない直近の解脱者でも作る可能性を示唆したいのなら

>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

は次のようになります。

>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱後に意生身を作れるというのです。

こう訂正するのが大人の姿勢というものです。

348 ::2008/11/27(木) 22:10:44 ID:ARzOKD4e
あ〜間違えました。

「通常解脱したベテランだけではない直近の解脱者」は解脱過程の人ではありません。
・・・以下はカットしてください。

直近の解脱者は解脱過程でした。

349 ::2008/11/27(木) 23:04:29 ID:ARzOKD4e
で再開です。>>348の続き

>この反論を読めばその意味は、通常解脱したベテランだけではない直近の解脱者でも
>作る可能性を示唆するために使った"あるいは"と、理解できるものですから、
>なるほどと納得するのが、大人の姿勢と思います。

あなたのいう大人の姿勢とはいい加減で曖昧な姿勢のことですか。
「直近の解脱者」は解脱過程ではあるが解脱者と見なせということですね。
そう解釈するのが大人の姿勢だというのなら私は御免です。
個人的な思惑がどうであれ言葉の厳格さは大事なことです(私が言うのも変ですが

>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

この「解脱の過程」を解脱直近の解脱者と見なすのはあなたの自由です。
しかし七氏さんがわざわざ「解脱の過程」と書いたのはどう見ても直近の解脱者ではなく
解脱しようと精進している比丘を言いたかったためだと思います。
でなければわざわざ書く必要がないです。
つまりこの「解脱の過程」という言葉は解脱にはまだ遠い人たちのことを指している。
とまあ、人によって色々な解釈があります。
しかしはっきりしていることは「解脱の過程」と書けば未解脱者が含まれることです。
どんな理屈を並べてもそれは不動です。

350 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:15:24 ID:ARzOKD4e
>>346 :神も仏も名無しさん
>「も」がAの意味なら、小さな煩悩の他にも離れたものがあるはずです。
>もし、他に離れたものがなければ「も」は使いません。
>他に離れたものは何ですか?

あなたのいう「も」はAの意味ではありません。
Aは列挙の「も」です。
だから「も」の他に離れたものはありません。

351 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:21:25 ID:ZuHF/nti
>>350
広辞苑:A「どれか一つに限定せず同種の物事を列挙するのに用いる」

小さな煩悩と同種の物事が列挙されているはずです。
もし、Aの意味で「も」が使われているのなら
小さな煩悩と同種の物事を示してください。

352 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:31:12 ID:ARzOKD4e
七氏さんは基地外のように吠え立てていますね。
しかしこの人も本当に性格が悪い。
最初は私が「も」を「を」と書き間違えたと言っておきながら
今度は捏造だと言い出した。
だったら最初からそう言えばいいじゃないか?
よほど頭に来てるんだろうね。
ちょっとしつこ過ぎたかな?
でもこの人の話はほとんど学者先生の受け売りですね。
それも都合のいいところだけ抜き出している。
この人の言いたいのは
「解脱するのに超能力は要らない」ということです。
これだけを言いたくて理屈を並べている。
本当にご苦労さんと言いたい。
まあ、ゆっくり読ませてもらいましょう。

353 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:33:33 ID:ZuHF/nti
>>350
広辞苑:A「どれか一つに限定せず同種の物事を列挙するのに用いる」

小さな煩悩だけでは思いっきり、一つに限定されていますよ。

354 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:37:50 ID:ARzOKD4e
>>351 名前:神も仏も名無しさん
>もし、Aの意味で「も」が使われているのなら
>小さな煩悩と同種の物事を示してください。
>>353 :神も仏も名無しさん
>小さな煩悩だけでは思いっきり、一つに限定されていますよ。

心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ

この四っつが同種の物事です。

355 :高城浄海:2008/11/27(木) 23:49:12 ID:Ku7Usy93
>>354
「も」は「離れ」にかかるのだから、「小さな煩悩」のほかに、「離れ」たものがあることが暗示されているでしょう。

356 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:55:38 ID:ARzOKD4e
>>355
彼女は、背が高く、美人で、頭がよく、性格「も」よい

この「も」と同じです。

357 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/27(木) 23:55:42 ID:xnFC8SbK
>>343 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/27(木) 21:36:25 ID:ARzOKD4e
>広辞苑:A「どれか一つに限定せず同種の物事を列挙するのに用いる」

>「も」がAの意味なら
>「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
>→小さなゴミ「が」除かれただけで他にゴミが残っているとも受け取れます。
>「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>→小さな煩悩「が」離れただけで他に煩悩が残っているとも受け取れます。



はあ?????????????
「同種の物事を列挙」してるのになんで係ってる「小さなゴミ」「小さな煩悩」
が、他の物事と分別されるのだ?

358 :ラシン:2008/11/28(金) 00:00:48 ID:uKFowT6D
>347
解脱を得た直後だったら解脱過程ではなくて「解脱後」です。
あなたも七氏さんと同じで区別がつかないようですね。

<過程:物事が変化し進行して、ある結果に達するまでの道筋。(大辞林)>

この意味が、Qさんに理解できないのは驚きです。
以下と未満の"区別"を勉強し直して下さいね。

 >解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱後に意生身を作れるとい うのです。
 >こう訂正するのが大人の姿勢というものです。(Qさん)

苦笑しますね、詰る所、表現方法の違いをQさんは認めた分けでしょう?
過程という範囲が解脱という"結果"を認めたから、上記の主張がある。
七氏さんは、それをあえて解脱過程での可能性、という表現をしたのみです。
もとはあなたの「を」と「も」から発生した間違いが原因ですよね。
それをことば表現の斟酌に摩り替えて、論旨を誤魔化した
と、私には受け取れる くだらない議論だと失礼ながら受けとめています。
何度も言いますが、七氏さんは解脱過程の表現を明確に反論しています。
その七氏さんの反論が、不明瞭とか詭弁で無い限り、
つまりあなたの解釈は、他方独善の言いがかりになってしまうのです。
七氏さんが、イチャモンだ、と言うのを否定できないことになる。
ですから、私はあなたに大人の姿勢を求めたのです。
あなたはその理解度と、ことば表現の範疇を捻じ曲げている。
それでは議論という範囲を超えてしまう卑怯な姿勢です。

359 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:01:59 ID:ARzOKD4e
>>355
でもこれだと同種ではないじゃないか?という疑問が出ます。
私も最初、辞書で同種とあったのが疑問でした。
しかし「も」の他の意味を調べてもA以外に妥当なものがないのです。
だから仕方なくAを採用したのです。
これは同種とは限らない例があるということですね。
それ以上のことは国語の先生にでも聞いてください。

360 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:04:28 ID:yt2M0IXD
私は、国語の先生ではないし、スレちがいのことなので、あまり突っ込みたくは
ないですが、あまりにもひどいので他の人に笑われる前に指摘しておきます。

りんごも、みかんも、バナナも食べたい。

「も」の前の言葉(名詞)を列挙するのではないですか?
「小さな煩悩も離れ」ではなく「小さな煩悩」と同種の物事を示してください。

361 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/28(金) 00:06:41 ID:aGSnck0I
>>343 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/27(木) 21:36:25 ID:ARzOKD4e

>「も」には色々な意味があるのでどれを選ぶかで文の意味が違ってきます。
>広辞苑:A「どれか一つに限定せず同種の物事を列挙するのに用いる」
>    C「最も実現しにくく、条件としては最高のものであることを示す。・・・さえ。・・・でも」
>
>「も」がAの意味なら
>「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
>→小さなゴミ「が」除かれただけで他にゴミが残っているとも受け取れます。
>「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>→小さな煩悩「が」離れただけで他に煩悩が残っているとも受け取れます。
>
>「も」がCの意味なら
>「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
>→小さなゴミ「さえ」除かれたことになり他にゴミは残っていないことを暗示しています。
>「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
>→小さな煩悩「さえ」離れたことになり他に煩悩は残っていないことを暗示しています。


AでもCでも「さえ」という意味になって「が」にならへんわヴォケ。
脳膿んでるのか?
いや、いつもの汚いごまかしだろうな。

362 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:08:39 ID:JxYDVifL
358 :ラシン
>この意味が、Qさんに理解できないのは驚きです。
>以下と未満の"区別"を勉強し直して下さいね。
直後とは読んで字のごとく「すぐ後」のことです。
解脱直後といえば「解脱のすぐ後」です。
解脱過程は「解脱以下(解脱を含む)」です。
解脱直後と解脱以下は違います。
あなたこそ勉強し直してください。

363 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:14:38 ID:JxYDVifL
>>360
>「小さな煩悩も離れ」ではなく「小さな煩悩」と同種の物事を示してください。
それほど知りたいのなら自分で調べてください。
私はAの解釈が妥当だと思うのですがそれが間違いならば正解を書いてください。
Cの意味しかないというのならそれでもいいですよ。

364 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:19:21 ID:JxYDVifL
>>362
訂正

解脱直後と解脱以下は違います。

解脱直後と解脱過程は違います。

365 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/28(金) 00:22:34 ID:aGSnck0I
>>363 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/28(金) 00:14:38 ID:JxYDVifL
>>>360
>>「小さな煩悩も離れ」ではなく「小さな煩悩」と同種の物事を示してください。
>それほど知りたいのなら自分で調べてください。

「>「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」 」
の、なかから選ぶんだよ。わかったかな?
おまえのやり方、本当にペテンにかけようかけようとしてるなw

366 :ラシン:2008/11/28(金) 00:23:48 ID:uKFowT6D
>あなたのいう大人の姿勢とはいい加減で曖昧な姿勢のことですか。
「直近の解脱者」は解脱過程ではあるが解脱者と見なせということですね。
そう解釈するのが大人の姿勢だというのなら私は御免です。
個人的な思惑がどうであれ言葉の厳格さは大事なことです(私が言うのも変ですが

ごめんも何も、あなたに社会的常識がないと解るだけです。
Qさんは、税務調査を受けたことが無いと解る。
税理士も会計士も知らないのでしょうか?
会計用語、税務用語での直近とは一番最以前です。
銀行融資でも使われますから、企業人なら常識用語ですよ。
となれば、直近解脱とは解脱したその時点のことです。
七氏さんは、それをも含めて私曰くベテランと初期の解脱者だと、
理解できる旨を指摘していたのですが、あなたには荷が重そうですね。

367 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/28(金) 00:23:59 ID:aGSnck0I
>>363
で、ペテンの重犯してる間があったら、
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

368 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:24:35 ID:rG+hITNc
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


369 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:29:52 ID:JxYDVifL
>>366 :ラシン

あなたの知識はわかりました。
しかし直近がどうであれ
「解脱の過程」は未解脱者を含むことには変わりません。
あなたはこれについては反論できないのですね。

370 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:35:15 ID:JxYDVifL
>>360
>「も」の前の言葉(名詞)を列挙するのではないですか?
>「小さな煩悩も離れ」ではなく「小さな煩悩」と同種の物事を示してください。

私はこの「も」と同じだと思うのです。

彼女は、背が高く、美人で、性格「も」よい

この「も」は何でしょうか?
教えていただけますか?

371 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/28(金) 00:37:01 ID:aGSnck0I
>>369
おまえの知識もわかった。黒を白と言いくるめる為に発達させた知識なんだな。
で、
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

372 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/28(金) 00:39:21 ID:aGSnck0I
>>370
私の>>357>>361は?答えられないの?

373 :ラシン:2008/11/28(金) 00:56:01 ID:uKFowT6D
362 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:08:39 ID:JxYDVifL
358 :ラシン
>この意味が、Qさんに理解できないのは驚きです。
>以下と未満の"区別"を勉強し直して下さいね。
直後とは読んで字のごとく「すぐ後」のことです。
解脱直後といえば「解脱のすぐ後」です。
解脱過程は「解脱以下(解脱を含む)」です。
解脱直後と解脱以下は違います。
あなたこそ勉強し直してください。

それで何を証明できますか?何を証明したいのですか?
それでどのような議論変化が生じるのですか?
私が指摘するQさんのご指摘は、
あまりにも解脱解釈には、遠すぎると言うことです。

>あるいは解脱する過程で解脱したばかりの比丘<(七氏さん)

しかしこのとおり、七氏さんの「直後」はその解説した意義を含んでいます。
解脱したばかりの比丘なのだから直後であり、解説を伴うなら
その範囲は解脱の過程の中に含まれて当然です。
その意味は、あなたの言う"解脱以下"ではない、解脱"以降"なのだ。
議論とはその大勢を見るべきで、瑣末な解釈に拘っては議論を誤まります。

374 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 01:26:02 ID:yt2M0IXD
>>370
説明が難しいのですが、「も」の前は名詞が来ます。
列挙するのに必ず「も」を使わなければならないというわけではありません。

彼女は、背が高く、美人で、性格「も」よい

性格「も」よいと書くと、必ず、性格の他によいことがあるはずです。
書き方が悪かったのですが、
小さな煩悩「も」離れと書くと、必ず、小さな煩悩の他に離れたものがあるはずです。




375 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 01:47:00 ID:yt2M0IXD
>>360の書き方間違っていますね。
「小さな煩悩も離れ」と同種の物事でもいいのですが、離れた物を示してほしいと
いうことでした。

376 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 02:11:23 ID:yt2M0IXD
>>359
>>363
同種の物事が列挙されていないのなら、「も」はCの意味ではないでしょうか?

377 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 09:09:21 ID:fEMJjx1a
何でそんな細かいことにこだわるのか
疑問

378 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/28(金) 09:33:51 ID:aGSnck0I
>>377
要するにつまらんすり替えしてるのだが、
私以外のみんなは優しいから子供に教えるように言ってるんだよ。

379 :高城浄海:2008/11/28(金) 10:04:06 ID:v/V+SYtG
さて、そろそろ阿含宗も書入れ時の三ヶ月を迎えるな。…会員の皆さん、職員や先達に煽られて「護摩木分納誓約書」を出す前に、胸に手をあててよーく考えて下さい。仏教徒としての、お金の正しい生かし方をよーく考えて下さい。

380 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:30:47 ID:1Dq5GaYr
まったくだ。

381 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:34:47 ID:mKJq6U77
>>352 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:31:12 ID:ARzOKD4e
>七氏さんは基地外のように吠え立てていますね。
>しかしこの人も本当に性格が悪い。

私からあなたの性格を批判されると、そのまま返し、
吠えると書かれると、吠えるとそのまま返す。
これではあなたが悔し紛れに投げ返しているとしかみられませんよ。
かつてのドツキ漫才の相方なら、言われたことをそのま投げ返して
モノマネをするのではなく、何か一工夫をしてください。
私がレスを付けたあなたの書き込みは、247から310までに約15個ある。
私が書いたのは、321から336まで約15個ある。
ほとんど同じ数の書き込みをしているのだから、
私が「基地外のように吠え立てて」いるというなら、
ペテン大作さんも「基地外のように吠え立てて」いることになりますね。
言われた批判はそのまま投げ返すが、自分の姿は見えないらしい。

382 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:37:00 ID:mKJq6U77
>>352 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:31:12 ID:ARzOKD4e
>「解脱するのに超能力は要らない」ということです。
>これだけを言いたくて理屈を並べている。

あなたのこの文章には、私はとても感心して、少し反省した。
てっきり、あなたは視野の狭い人だから、議論の主旨など忘れてしまい、
目の前の文章しか見えずに吠えている人なのだと思っていたからです。
主旨がわかっていることは議論する上でとても大事ですから、
その姿勢を守ってください。
私は「解脱するのに超能力は要らない」と言いたくて理屈を並べているように、
あなたは「解脱するのに超能力は要る」と言いたくて理屈を並べているのでは
ありませんか。
もちろん、あなたがこういう指摘を素直に受け入れるはずはない。
だが、主旨はそういうことです。
それは桐山さんが神通力で解脱すると説いているからです。
だから、>>336であなたにその根拠を示すように求めている。
ここでは、「解脱するのに超能力は要らない」かどうかは大きなテーマです。
私が要らないという説に対し、あなたは信者として反論してきた。
それが今回の議論です。
だから、「これだけを言いたくて理屈を並べている」なんてこのスレでは当たり前です。

383 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:45:35 ID:mKJq6U77
>>352 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:31:12 ID:ARzOKD4e
>ちょっとしつこ過ぎたかな?
>しかしこの人も本当に性格が悪い。

これを読んで、また驚きました。
ペテン大作さんは自分がしつこ過ぎること、性格が悪いことを自覚しているのだ!?
あなたはレポートと称して、すでに議論の済んだはずの内容を、批判側の反論を
無視して、自分の一方的な主張だけを、執念深くコピペする。
しつこいという自覚があるようだから、率直にいうが、あなたのレポートは普通ではない。
自分では普通のつもりでいるのだろうが、私への激しい憎しみのために
(あなたは否定するだろうが)あのようなことをしているのは、普通ではない。
私がこれを書くのは、スレにあのレポートをコピペするのが迷惑だからだけではない。
前にも指摘したが、あなたの仕事や家庭にいる現実の人たちにも似たようなことを
しており、彼らはあなたのその執念深さと根性の悪さに辟易しているからです。
だが、彼らはあなたにそれを指摘することはしない。
言ったら、直接間接に復讐されるからです。
あなたに上記の自覚があることはとても幸いなことで、
せめて日常だけでも、気を付けることです。
簡単に言えば、あなたも自覚しているように、根性が悪いということです。
つまり、アゴン宗の修行を長年していても、何の効果もないことの証明です。
桐山さんも根性が悪いから、信者の証明なんかいらないくらいですけどね。

384 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:46:09 ID:BRXnalHz
阿含宗擁護者が
A・スマナサーラ☆日本テーラワーダ仏教協会7スレを
荒らしてます。


385 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:48:10 ID:mKJq6U77
>>352 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:31:12 ID:ARzOKD4e
>でもこの人の話はほとんど学者先生の受け売りですね。

当たり前ではないか。
ド素人のあなたの勝手な解釈などここでは無用です。
アゴン宗は釈尊の直説の阿含経に基づいて立宗された根本仏教だと
桐山さんは繰り返し宣言している。
桐山さんが勝手に造った桐山教なら何を言ってもいいが、根本仏教と称して、
釈尊の教法にもっとも近いというなら、
それらは学問的に事実と確認されたこととある程度一致するはずです。
ところが、アゴン宗は、学者たちが確認した釈尊の教法とは似ても似つかない。
因縁解脱なんて、経典には言葉も概念もない。
桐山さんは、神通力でカルマを断ち切ることが解脱だと説いた。
だが、そんなのは真っ赤な嘘で、神通力を体得する前に彼らは解脱しているのだ。
私は、あなたのいう通り、学者の受け売りにすぎない。
学者は阿含経という文献に基づいて、釈尊が何を説いたか、
解脱とは何なのかを客観的に調べているからです。
釈尊は、自分の死後は教法こそが師であると遺言している。
教法を知性で理解しろと説き、それは阿含経に残れた教法です。
理解するだけなら、学者でも誰でもできるのです。
だったら、釈尊の説いた教法とは学者たちの説明を抜きにしてはありえない。
2500年議論され、ここ百年ほどの間に調べられた内容と、
著しく違う教法が釈尊の説いた教法であるはずかない。
だから、アゴン宗など仏教ですらないと批判しているのです。

386 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:50:58 ID:mKJq6U77
>>347 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 22:04:19 ID:ARzOKD4e
>こう訂正するのが大人の姿勢というものです。
>>349 :↑:2008/11/27(木) 23:04:29 ID:ARzOKD4e
>しかしはっきりしていることは「解脱の過程」と書けば未解脱者が含まれることです。
>どんな理屈を並べてもそれは不動です。
>>369 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:29:52 ID:JxYDVifL
>「解脱の過程」は未解脱者を含むことには変わりません。

>>328以降の説明を完全無視ですね。
何度こちらから説明されてもいっさい無視して、自分の解釈のみを押し付ける。
すさまじい執念です。
他人の説明をまったく無視して、「不動」などと自分の考えだけをぐいぐいと
押し付けるあなたのどこが大人の姿勢なのだ?
「も」と「を」と読み違えたことを、素直に修正するのではなく、
広辞苑まで持ち出して正当化しようとあなたのどこが大人の姿勢なのだ。
文章の一つにしがみつき、かみつき、あれこれと屁理屈をこねくりまわす。
「木を見て森を見ない」ではなく、あなたの場合、視野が狭く、森が見えないから、
木の枝だけをこねくり回し、小枝を針金だと言い張る。

387 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:54:49 ID:mKJq6U77
>>369 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:29:52 ID:JxYDVifL
>「解脱の過程」は未解脱者を含むことには変わりません。

>>328以降の昨日の説明を繰り返すが、まず「解脱の過程」という言葉は
経典にある言葉ではなく、私が自分の説明に使った言葉です。
だから、過程がどこを含むかは、第一に私が判断する。
質問されたから、私はその範囲を指定した。
指定した範囲は、過程という言葉の一般常識を超えたものではありません。
第二に、私は「解脱の過程」という言葉を使う前に、三度にわたり、
意生身の件は解脱した後であることを強調している。
わずか十数行の文章の中で、三度書いているのです。
ペテン大作さんはこれを引用せず、最後に書いた文章だけを引用して、
印象操作をした。
経典を読むと、解脱直後に意生身が出てくるともとれる。
だから、解脱直後という意味で解脱過程と書いたのです。
それは次の三番面の理由とも関連する。
第三に、解脱過程の中に解脱後が含まれるのは、経典にそのように書いてある。
釈尊は解脱の時に四禅三明の説明を入れている。
沙門果経は、どんな修行をすると、どんなふうな
果報が得られるかという解脱の内容を説いている。
つまり、解脱前から解脱後まで説明している。
その中に意生身が出てくるから、私はこれを「解脱過程」と表現したのです。
釈尊の解脱の説明とは、解脱直前までとか、解脱した後なんて
厳密な区別をしながら説いているのではありません。
黄廬園経の例がそうであるように、解脱の過程は
解脱した後のことも説明している。
だから、三明六通や四禅三明で話が終わっているのです。
これらの神通力は煩悩を断ち切った後に出てくる。
つまり、解脱の後の説明も、解脱の過程として釈尊は説明しています。
このように、「解脱の過程」という言葉には何等矛盾などありません。
単にペテン大作さんが言葉狩りをして、私に難癖をつけたいだけです。
さすがは因縁付けのアゴン宗の信者だけのことはある。

388 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 12:59:07 ID:pLPmJkcx
>>345 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:43:14 ID:ARzOKD4e
>「を」だ「も」だと騒いだところでナンセンスだということです。

逃げようとしても無駄です。
今回の議論の始まりは、すべてあなたの「も」を「を」と読み違いしたことから
始まっており、それが全てです。
最初のボタンの掛け違いと同じで、これが間違っていたら、全部ダメです。
ついに自分の読み違いに屁理屈を付けて正当化し始めたのが、343-344です。
お得意の辞書を引っ張り出してきて、ああでもないこうでもないと一般論を
展開して煙に巻こうとする。
前にも国語辞典を引っ張り出して似たようなことをして、
自分の間違いを必死にごまかそうとしたのを覚えているか。
まったく同じミスのパターンと同じゴマカシのパターンをあなたは繰り返している。
同じパターンのミスをあなたは過去にもした。
まず驚くことは、あなた自身が引用した文献の読み間違いをするのです。
十分に検討する時間があるはずなのに、毎度読み違いをする。
一度これでドジを踏んだら、普通は二度目から注意するか、出てこない。
でも、ペテン大作さんは違う。
自分が引用した文献をまた読み間違いして意気揚々と七氏に一撃加えようと
出て来て、見事に大勢の観客の見ている舞台の上でコケテみせる。
読み違いを指摘されると、辞書まで引っ張り出して、開き直り、強弁して、
さらに私から追求されると、ついには「レポート」と称して、反論を完全無視して、
自分がどれほど正しいか、七氏がどれほど愚かかをあざ笑いながら書く。
毎度同じパターンですよね。

389 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:04:30 ID:pLPmJkcx
>>345 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:43:14 ID:ARzOKD4e
>「を」だ「も」だと騒いだところでナンセンスだということです。

なぜ同じ間違いを繰り返し、同じパターンの見苦しい言い訳を並べているか、
あなたは気が付いているか。
間違いを指摘されるのが大嫌いだからですよね。
それって、小さい子供によく見られる性格です。
私から指摘されると、ただ怒り、恨み、憎悪して、私が右と書いたら、
絶対に左を向いてやろうとするから、同じ間違い、同じゴマカシを繰り返す。
「輪廻するペテン大作」です。
あなたのそのやり方は桐山さんと同じだと前にも言われたのを・・・覚えていないでしょうね。
あなたの読み違い程度は誰でもやりそうなことであり、
簡単な間違いなのだから、素直に認めて、引っ込めればいいのです。
だが、あなたや桐山さんはそうではない。
偽ビール造りなんて、単純な詐欺で、人殺しをしたのではないのだから、
自分の犯罪を素直に認めて反省し、二度としないことを誓えばいいのに、
桐山さんはその簡単なことができない。
ついには、自分の犯罪の言い訳のために宗教まで作ってしまった。
桐山さんは宗教を作ったのではなく、自分の犯罪の言い訳に
衣を着せているうちに一宗になってしまっただけです。
元々が言い訳のために作った嘘だから、中身を検証すると全部嘘です。

390 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:09:59 ID:pLPmJkcx
>>352 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 23:31:12 ID:ARzOKD4e
>最初は私が「も」を「を」と書き間違えたと言っておきながら
>今度は捏造だと言い出した。

あなたの捏造を指摘したのは、前回が初めてではなく、
二度目のレスであなたのしたことを捏造だと指摘しています。(>>233,>>235)
経典の意味が違うように助詞を入れ替えたのだから、捏造です。
しかも、今、そんなことは大した問題ではないと開き直っているのだから、
なおさら意味においても捏造を認めたのと同じです。
あなたはいつもこうやって自己弁護の屁理屈を並べて、事態を悪化させる。
最初から捏造と指摘しなかったのは、私なりにあなたに逃げ道を用意したつもりなのだ。
ストレートに捏造と言われたら、いつものあなたのパターンで怒り、恨み、執念深く食らいつく。
単に間違いを指摘したら、あるいは過去からの学習で、引っ込むかな・・・
もちろん、ありえなかった。
次回から、ストレートに指摘することにしましょう。

391 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:17:27 ID:pLPmJkcx
>>344 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:37:16 ID:ARzOKD4e
>このように「も」の解釈の仕方で意味が変わってきます。

ペテン大作さんは>>278さんのわかりやすいたとえに、あれこれと屁理屈を並べている。
愚かなことです。
278さんの説明は、私の長い説明なんかよりも読者たちにはすっきりと
理解できるたとえです。
たとえにイチャモンをつけて何になるのだ?
「大きな煩悩」という言葉にあなたはイチャモンを付けたのも異常だが、
278さんのすっきりした説明に、あなたはわざわざ複雑怪奇な話をくっつけた。
読者の意識しない愚かな行為です。
278さんに対抗したいなら、あなたもすっきりとしたたとえを持ち出して、
読者を説得すればいいのだ。
だが、できない。
だから、ゴチャゴチャした説明で煙に巻こうという作戦です。
読者は、あなたの毎度の屁理屈なんか理解できない。
だが、278さんのたとえなら、一読で理解できる。

392 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:20:31 ID:pLPmJkcx
>>370 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 00:35:15 ID:JxYDVifL
>私はこの「も」と同じだと思うのです。
>↓
>彼女は、背が高く、美人で、性格「も」よい

ペテン大作さんの経典の理解はこんな程度ですよね。
これは彼女の別々の特性を並べているだけだから、経典のそれとは違います。
沙門果経では、別々の特性を並べているのではなく、解脱の同じ特性を
繰り替えているだけです。
「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」「柔軟」
「機敏にものに応ずるもの」「堅固な不動」とは、全部同じ内容をさしており、
煩悩から離れて解脱したことを意味するのです。
だから、ペテン大作さんのたとえを使うなら、
「彼女は、美人で、目鼻立ちが整い、顔には欠点の一つ“も”ない」
今から彼女は美人になるのではなく、すでに美人なのです。
それと同様に、沙門果経の「小さな煩悩も離れ」はすでに解脱しているのです。
そんなことはあなたが引用した経典にそのまま書いてある。

393 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:24:44 ID:pLPmJkcx
沙門果経 (『世界の名著 1』531頁〜)

(82)たとえば、大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば、
彼の身体はいたるところ、白い衣服がおおっていないところはないでしょう。
それと同じく、大王よ、比丘は、この身体を清浄で純潔な心で遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見えぬ沙門の果報であります。
(83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。(以下略)

394 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:29:11 ID:pLPmJkcx
「その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。」
「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、」

これがあなたが引用した沙門果経です。
同じ説明を繰り返しましょう。
82においてすでに、
「清浄で純潔な心が遍満していないところはありません」
と、煩悩から離れたことを述べている。
さらに83で「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」「柔軟」
「機敏にものに応ずるもの」「堅固な不動」とは、全部同じ内容をさし、
煩悩から離れて解脱したことを意味する。
煩悩がないから心が安定し、煩悩がないから清浄になり、
煩悩がないから汚れがなく、小さな煩悩からも離れ、煩悩がないから柔軟で、
煩悩がないから機敏にものに応じ、煩悩がないから堅固不動になる。
このように、82も83も同じ内容を何度も何度も、表現を変えながら、
煩悩から離れ解脱したことを繰り返しているだけです。
あなたのように「小さな煩悩も離れ」だけ見るのではなく、前後の文章や
前の項の文章を検討するなら、文章全体の意味からしても、83の前に
すでに煩悩を断ち、解脱していると宣言しているのです。

395 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:32:13 ID:pLPmJkcx
>>345 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 21:43:14 ID:ARzOKD4e
>原文ではこうした混乱は無いと思います。
>すべては原文を見てからですね。

混乱など翻訳でもありません。
変な説を唱えているのはあなた一人だけです。
その原文を読んだ専門の学者たちが訳しているのです。
あなたが原文などと言い出したのは、自分の主張の根拠を示すことができないからです。
だが、別な訳ならありますよ。

(83)「このように、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、
[心に]付随する煩悩をも離れ、柔軟となり、行動に適応し、不動のものとなると、
かれ(修行僧)は[次のような]理解洞察に心を傾け、[心を]向けます。」
(『原始仏典 1』春秋社、96頁)

ほら、「付随する煩悩をも離れ」とペテン大作さんの好きな「を」も出てきた・・・
あれ、でも「も」もあるぞ。
いや、それよりもここでは「小さな煩悩」ではなく、「付随する煩悩」となっている。
つまり、すべての煩悩から離れていることになる。
ごらんのように、あなたのゴチャゴチャした屁理屈などどちらにしろ成り立たないのです。

396 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 16:07:31 ID:cg5Ksetb
われは神なり。ベルゼブブなり。

397 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 17:30:35 ID:Dxe7niIb
煩悩がないから心が安定し、煩悩がないから清浄になる。
そう思わせる感覚は何であるか五蘊である。
煩悩がないから機敏にものに応じ、煩悩がないから堅固不動になる。
そう思わせる感覚は何であるか五蘊である。
五蘊が消滅すれば清浄不清浄も無く無に可動は無く不動は必然である。
故にあなたはあなたではないあなたは存在をしない。
煩悩在る汚れた心も煩悩無き清浄心も五蘊の中でありあなたである。
煩悩を離れ世間を離れ内も離れ滅っし終息する。

現14世ダライ・ラマももう、お疲れになれたようです。

新約聖書ルター福音より

私(キリスト)は大地に平和を投げかけに来たのではない
お前達をお前達の家族から引き離すために来たのだ。

398 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 00:22:37 ID:VIKbrsFK
昔H本部のボイラ室には
多量のエロ本があった
なにも道場でみなくてもいいのに。
自宅でご覧くださいよ

399 :樹意:2008/11/29(土) 08:03:26 ID:CpNwKQlk
Qさんは七氏さんに相手してもらってよかったね。
まぁ 現実世界でその性格を出したなら、多くの方は代作さんとの
お付き合いは避けるようになることでしょう。

ゲイカはあのザマですしね、 代作さんにはこころの支へが必要です。

七氏さんの広大な慈悲心におすがりするのもたまには いいことです。


400 :樹意:2008/11/29(土) 08:14:33 ID:CpNwKQlk
しっかしま〜 2CHはサーバ事に規制すればいいものをプロバイダ事に
規制するもんだから 書けない 書けない。 www
思わずザのスレッドに書いてしまった、  ザの常連サンたちにはご迷惑だったかも
しれませんね、 〈この場をお借りしてお詫びします 〉まぁ 経典直球ストレートなんてのは 
信者さんたちのご利益やらの欲求とは相容れないもんですからね、
ユビ氏のような才能というのはホントに貴重なものだと思います。

ゲイカのインチキに気づいてこういうスレッドで 学習を深めてからは
少しでもインチキの香りのするものは 体が受け付けないようになってしまいましたから
大日氏が立てたようなスレッドは拒否反応があります。
〈といいつつ引用して批判する莫迦ですが www〉





401 :樹意:2008/11/29(土) 08:25:44 ID:CpNwKQlk
すれ違いですが 少し書きます 、
犬索さんのとこの カルト勢力のおかげで 国関法が改悪の見通しです、
自分の子供かどうか判定するのに NDA判定も差別がどうのこうのでやらず、
アメリカのように扶養義務もなく、 
オヤジとして 手 を挙げたなら、二本人が量産できるという究極技です。
シナには 一人っ子政策のおかげで認知されていない〈国籍のない方〉が
それこそ奥人いますからして、 そういう方が犬索さんのとこの信者さんが
 〈ハイ!〉 と 手を挙げたなら 選挙権やらもろもろの権利を有する日本人が
大量生産される段取りとなったようです。
ゲイカも亜〜だ こうだと 犬索さんを批判していますが、結局は犬索さんの
作ったカルト優遇にのっかって〈ショウバイ〉しているだけの方です。

まぁ 、 宗教の世界のグレーゾーンを利用したものの資金が、それこそ
二本陣全ての方の子孫を 宗教家畜の域まで貶めるパワーとなったわけです。


402 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/29(土) 09:03:25 ID:zguWypXn
>>401
>選挙権やらもろもろの権利を有する日本人が
>大量生産される段取りとなったようです。

スレ違いだがありがとうございます。
あの法案一体誰がどう得するのか今イチピンと来なかったのでした。

403 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 09:24:37 ID:anqdy6Dq
供養金に応じて
尻尾の生えた三身即一の応供の如来様お写真

金龍さま、火龍さまお写真
ムチャリンダ竜王様お写真
におみたまをお入れしてお授けいたします。
仏舎利宝珠尊三万円
仏舎利尊大カスケット500万円
仏舎利尊お守りブレスレット 20万円相当の護摩木
独鈷の加持伝授 伝法会2回+2人のお導き
解脱供養10万円
水子供養10万円
特別祈願10万円
座右宝鑑3千円

三ベン宝珠仏舎利宝珠尊さまは土地浄霊にもお力を貸してくださいます。
200万円です。

守護神400万円
守護霊1500万円です

404 :樹意:2008/11/29(土) 09:28:42 ID:CpNwKQlk
>>402

> あの法案一体誰がどう得するのか今イチピンと来なかったのでした。

恐れ入りやす、
私文書氏と議論した際、 まじめにお寺さん〈あ、いや坊さんとしてではなくーー〉を運用しておられる方であると
思っていおりました、〈日本人としての感覚としてならそうです。〉

日本人としての感覚が通用しない方達、〈ゲイカを含めーー〉
を少し書いてみただけのことですので、これ以上書くと七氏さんにお叱りを受けるかと思います。
私はカルトがやるような行為は 既存の仏教がやるようなもの、日本の伝統といったものそういうものが
毀損されると思っています。
エセ日本人が特定の個人の考えの下〈教祖  〉 その権利を行為するのは危険だという考えです。

私の頭の中にあるのは常にこれからのことであり、日本人の子孫達のことです。






405 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 09:37:09 ID:anqdy6Dq
金龍・銀龍星札お守り 3千円
星まつり護摩札 3千円、5千円、1万円
星まつり先祖供養卒塔婆 千円

護摩木法施
仏舎利尊お守りペンダント 20万円相当の護摩木
走り大黒天疾駆け集財特別お守り 5万円相当の護摩木
神仏両界チャクラ瞑想ペンダント 10万円相当の護摩木
聖如意輪観自在菩薩御尊像 10万円相当の護摩木
無能勝大王(アンゴルモア)の御真言 10万円相当の護摩木
霊障・魔除け光明宝蓮華 15万円相当の護摩木
般若心経瞑想曼陀羅 20万円相当の護摩木
延命開運星供曼陀羅 30万円相当の護摩木
破地獄光明如意曼陀羅 30万円相当の護摩木

奉納
食事材料御供養金 1口1,000円
四斗樽 ¥150,000
角樽 ¥28,000
清酒 ¥3,000
祭壇お供物料 ¥1,000
設営準備基金 ¥5,000
走り大黒天準備基金 ¥2,000
道場四斗樽基金 ¥1.000
雅楽準備金 ¥1,000
檜葉採り食事ご供養金 ¥1,000
チラシ新聞折り込み梵行 1口 1,000円

稲荷パワーや、長縄パワー全開やねぇw

406 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 13:56:26 ID:vzmS/Yff
>>360 :神も仏も名無しさん
>りんごも、みかんも、バナナも食べたい。
>「も」の前の言葉(名詞)を列挙するのではないですか?
>「小さな煩悩も離れ」ではなく「小さな煩悩」と同種の物事を示してください。
360さんに指摘されて気がつきました。
「小さな煩悩」と同種の物事などありません。
>>343は誤りです。
正しくは↓です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「も」には色々な意味があるのでどれを選ぶかで文の解釈が違ってきます。

 @「ある事態がそれに及ぶことを示す。・・・もまた」
       例)私も参加します。これも読むといい。     
 D「最も実現しやすく、条件としては最低のものであることを示す。・・・さえ。・・・でも」
       例)慣れ親しめばがらくたも宝である。
                                         (広辞苑)
「も」が@の意味なら
「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミもまた除かれ、」
→小さなゴミが除かれただけで他にゴミが残っているかもしれません。
「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩もまた離れ、」
→小さな煩悩が離れただけで他に煩悩が残っているかもしれません。

「も」がDの意味なら
「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミも除かれ、」
→小さなゴミ「さえ」除かれたことになり他にゴミは残っていないことを暗示しています。
「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、」
→小さな煩悩「さえ」離れたことになり他に煩悩は残っていないことを暗示しています。

407 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 13:59:46 ID:vzmS/Yff
ほら、これならスッキリします。
360さん、あなたのお蔭です。ありがとう。
ところがいまだに気づかない墓者がひとりいる。

>>392 :神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 13:20:31 ID:pLPmJkcx
>沙門果経では、別々の特性を並べているのではなく、解脱の同じ特性を
>繰り替えているだけです。
>「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」「柔軟」
>「機敏にものに応ずるもの」「堅固な不動」とは、全部同じ内容をさしており、
>煩悩から離れて解脱したことを意味するのです。
それは経典上の解釈です。
「心が安定」「清浄で純潔」「汚れなく」「小さな煩悩も離れ」は同じものではない。
だから>>343 >A「どれか一つに限定せず同種の物事を列挙するのに用いる」
は間違いです。
七氏さんの「同じものだぞよ〜」の呪文に乗せられて、ついAを選択してしまいました。
我ながら呆れるミスです。

408 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:03:48 ID:vzmS/Yff
>>112 :神も仏も名無しさん
>桐山さんはいかにもそれらの説の中から、四禅三明を学者たちが
>主張しているかのように書いているが、菅沼先生の書き方を見ても、
>そんなのは嘘だとわかります。
>>385 :神も仏も名無しさん
>桐山さんは、神通力でカルマを断ち切ることが解脱だと説いた。
>だが、そんなのは真っ赤な嘘で、神通力を体得する前に彼らは解脱しているのだ。
>学者は阿含経という文献に基づいて、釈尊が何を説いたか、
>解脱とは何なのかを客観的に調べているからです。
>理解するだけなら、学者でも誰でもできるのです。
>だったら、釈尊の説いた教法とは学者たちの説明を抜きにしてはありえない。

桐山さんの教えは学者たちには支持されてはいないから嘘だという。
ではあなたの説はどうですか?
学者たちに支持されていますか?

>>115 :神も仏も名無しさん
>「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し
>不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。」(『間脳思考』112頁)
>釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。
>「定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく」とはその後の「煩悩を離れ」
>と同じ意味ですから、すでに煩悩を断ちきってしまった後で憶宿命智通、
>つまり宿命通を得て、自分の前世を透視したと言っているのです。
>>234 :神も仏も名無しさん
>安定、清浄、純潔、汚れないとは、心が煩悩から離れている状態、つまり解脱です。
>あなたが引用した沙門果経では、神通力を使う前に、これらの言葉が並んで、
>しかも「小さな煩悩も離れ」と、すべての煩悩から離れたことを
>はっきりと述べているのだから、すでに解脱しているのです。

409 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:04:24 ID:XOZSgEyJ
アホQや、そこまで言うのならパーリー語聖典の原文を示せよwww

410 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:14:58 ID:vzmS/Yff
あなたは確信ありげに講釈しているけれど、結局のところあなたの説の根拠は、

>黄廬園経 「我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして善く住し不動心を得、
>沙門果経 「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
>柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、

これらを解脱と解釈したことによるものです。
こういう解釈は学者たちにも支持されているのですか?
もっともあなたは

>>332 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。

と書いている位だから私の質問に即座に答えられるでしょうね。
こういう素朴な疑問を持つのは、あなたは>>112>>113でこう書いているからです。

411 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:16:55 ID:XOZSgEyJ
屁理屈はいいから、パーリー語聖典の原文を示してよ、ねwww

412 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:17:36 ID:vzmS/Yff
>>112 :神も仏も名無しさん
>[1011]如来の子孫 08/11/16 12:22 n69C3Ohcha
>さて、釈迦が成道するときはどうであったか。
>「このうちで、成道の意義を説く経典の記述には、四聖諦や十二縁起などの
>ような理法の体得によるとするもの、四念処・四正勤・四如意足、五根、五力、
>七覚支、八聖道などの実習するもの、五蘊・十二処などの諸存在の観察によるとするもの、
>四禅・三明によるとするものなどがあります。」
>(『釈迦のことば』菅沼晃、115〜116頁)
>>113 :神も仏も名無しさん
>「このようにいろいろと説かれているために「さとり」とはなにか、
>ということを一語で表明することは非常に困難である。」
>(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、415頁)
>これが今の学者たちの普通の意見です。
>一方、桐山さんの支持する四禅三明については、
>「ところで四禅の説は古い詩句のうちに述べられていないから、おそらく仏教が
>かなり発達してから右のような長々しい経典の説明も成立したのであろう。」(415頁)
>と、中村博士は蹴飛ばしています。

釈尊が成道するときの様子やさとりの内容は定説がないというのが現状なんですよね。
だからゲイカの三明(神通力)で解脱するのは嘘だとあなたは言っているわけです。
ところが何故かあなたはハッキリと三明(宿住通)の前で解脱したのだと書いている。
これっておかしくないですか?
それともさとりの内容には定説がないが
解脱の時期には定説があるということですか?
もしそうならばあなたの大発見です。
仏教徒ならみな関心を持つでしょう。
だからこのあたり、是非教えてください。

413 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:20:23 ID:XOZSgEyJ
原文、ま〜だ〜・・・?

414 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:21:52 ID:vzmS/Yff
113 :神も仏も名無しさん
>さらに、これらの説の中で普通最も言われているのは十二縁起です。
>「普通よく引かれるのは、律蔵の記述に従って釈尊が十二因縁の理を
>さとったということである。」((『ゴータマ・ブッダ T』中村元、392頁)

ここまで書いておいて何故続きを書かないのですか?
これでは十二因縁が最有力な説に見えます。
中途半端はいけません。

『またチベット『律蔵』および漢訳『有部律破僧事』によると、
釈尊はすでにさとりを開いたあとで、
しばらくたってから十二因縁を観じたのであり、
縁起説とさとりのあいだに本質的な連関は存在しない。』
(398頁)

『さらに原始仏典の古い層では、はるかに簡単な縁起説が説かれている。
したがって律蔵などに説かれている十二支縁起説は、
原始仏教のうちでもかなりおそい時期になって、
釈尊のさとりを説く場所に挿入されたにちがいない。
ともかく散文部分の十二因縁の説は、
さとりのときに釈尊の説いたものではないということがはっきりと断定できる。』
(400頁)

415 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:28:31 ID:vzmS/Yff
>>336 :神も仏も名無しさん
>漏尽通は、煩悩を切ったことを確認する能力だと桐山さんも認めているから、
>これではありません。
>では、三明のどの神通力でカルマを断ち切るのですか。
>根拠となる阿含経を引用して講義してほしい。

いや〜やっぱり漏尽通をおいては他に無いでしょう。
『長阿含経巻十七 沙門果経』(>>169

苦しみや汚れ(煩悩)の原因を知り、
それらを消滅する方法を知ることによって、
解放されて解脱したという自覚を持つ。
これでカルマを叩き切るのじゃ〜!!

あっ、さとりの定説って無いんだっけ?
じゃあ、これは私の胸の中にしまっておきます。

416 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:31:30 ID:XOZSgEyJ
あほQは、脳内妄想で本の生齧りの知識を勝手に自己流解釈をするばかりで
原典を示す事すら出来ない卑怯者www
>>344
>すべては原文をみなければはっきりしたことはわからないのです。
だから原文を示してと言っているのにwww


417 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:32:25 ID:vzmS/Yff
>>383 :神も仏も名無しさん
>あなたはレポートと称して、すでに議論の済んだはずの内容を、批判側の反論を
>無視して、自分の一方的な主張だけを、執念深くコピペする。

スレが立つ度に執念深くコピペしている批判側が約1名おります。
彼には注意しないのですか?
身内には甘いんですね。

>自分では普通のつもりでいるのだろうが、私への激しい憎しみのために
>(あなたは否定するだろうが)あのようなことをしているのは、普通ではない。

あなたへの激しい憎しみ?
とんでもない。
あれは誰がいつここに来てもあなたの生態がわかるようにするためです。
あなたへの憎悪からやっているわけではない(嫌っているのは確かだが
それとも私に憎悪されるほどの大物だとでも自惚れているのですか?

>あなたに上記の自覚があることはとても幸いなことで、
>せめて日常だけでも、気を付けることです。

心配御無用。
人は二つの顔を持つものです。
あなただって私と同様、ここと日常とでは違う顔を持っているでしょう?

418 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:34:08 ID:vzmS/Yff
>>386 :神も仏も名無しさん
>何度こちらから説明されてもいっさい無視して、自分の解釈のみを押し付ける。
>すさまじい執念です。
>他人の説明をまったく無視して、「不動」などと自分の考えだけをぐいぐいと
>押し付けるあなたのどこが大人の姿勢なのだ?
>「も」と「を」と読み違えたことを、素直に修正するのではなく、
>広辞苑まで持ち出して正当化しようとあなたのどこが大人の姿勢なのだ。

自分の解釈を押しつけているのはあなたですよ。
私は言葉をそのまま受け取っているだけです。
過程とは途中の経過でありプロセスのことです。
「解脱の過程」と書けば「解脱の経過・プロセス」であり
「解脱の過程で意生身を作れる」と書けば「解脱していない人」を指します。
これは私ではなく他の人が読んでも同じ解釈でしょう(あなたのお仲間は別です。
あなた自身がどういう思い入れで使おうがそれは知ったことではない。
言葉が一々読む人によって意味が変わってしまうようでは意志の疎通などできません。
私の態度が素直ではないと言うが、結果的には自分の書き間違いを認めた。
それに比べてあなたはいつまでも自分の解釈を押し付けて
それを無視されると逆に相手を非難する。
そういう開き直った態度を取るから相手もますます強硬になるのです。
歌にもありますよね?
♪開き直るその態度が気に入らないのよ〜

>文章の一つにしがみつき、かみつき、あれこれと屁理屈をこねくりまわす。
あなたの場合は文字一つにしがみついているので私より数段上です、

>「木を見て森を見ない」ではなく、あなたの場合、視野が狭く、森が見えないから、
>木の枝だけをこねくり回し、小枝を針金だと言い張る。
言葉をそのまま解釈するのが視野が狭いことなのですか?

419 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:41:20 ID:vzmS/Yff
>>387 :神も仏も名無しさん
>>328以降の昨日の説明を繰り返すが、まず「解脱の過程」という言葉は
>経典にある言葉ではなく、私が自分の説明に使った言葉です。
>だから、過程がどこを含むかは、第一に私が判断する。

自分の説明に使う言葉なら日記にでも書けばいいのです。
掲示板に書かれても迷惑します。
場所をわきまえてください。

>質問されたから、私はその範囲を指定した。
>指定した範囲は、過程という言葉の一般常識を超えたものではありません。

一般常識を超えています。
その証拠にあなたはこの後で経典の場合を説明している。
それがどうして一般常識なんですか?

>第二に、私は「解脱の過程」という言葉を使う前に、三度にわたり、
>意生身の件は解脱した後であることを強調している。
>わずか十数行の文章の中で、三度書いているのです。
>ペテン大作さんはこれを引用せず、最後に書いた文章だけを引用して、
>印象操作をした。

>>241でそう言われたから>>259では全部載せましたよ。

420 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:44:54 ID:vzmS/Yff
>経典を読むと、解脱直後に意生身が出てくるともとれる。
>だから、解脱直後という意味で解脱過程と書いたのです。
>第三に、解脱過程の中に解脱後が含まれるのは、経典にそのように書いてある。

一般常識ではない経典の話を始められても困ります。

>釈尊は解脱の時に四禅三明の説明を入れている。
>沙門果経は、どんな修行をすると、どんなふうな
>果報が得られるかという解脱の内容を説いている。
>つまり、解脱前から解脱後まで説明している。
>その中に意生身が出てくるから、私はこれを「解脱過程」と表現したのです。

私の疑問は、あなたは何で「解脱の過程」という言葉を付け加えたのか?ということです。
「意生身を作った比丘は解脱している」というのがあなたの持論だ。
ならば「解脱して神通力を獲得した者だけ」でよかったのではないか?
ひょっとして、「意生身を作った比丘は解脱している」という自論に自信がなかったのでは?
だから「解脱の過程」を付け加えて解脱途中の比丘を含めたのでしょう?
私が言いたいのはそこなのです。

>単にペテン大作さんが言葉狩りをして、私に難癖をつけたいだけです。
>さすがは因縁付けのアゴン宗の信者だけのことはある。

で、最期は捨て台詞ですか。

421 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:47:34 ID:vzmS/Yff
>>388 :神も仏も名無しさん
>ついに自分の読み違いに屁理屈を付けて正当化し始めたのが、343-344です。
>お得意の辞書を引っ張り出してきて、ああでもないこうでもないと一般論を
>展開して煙に巻こうとする。
>前にも国語辞典を引っ張り出して似たようなことをして、
>自分の間違いを必死にごまかそうとしたのを覚えているか。

一般論?
あなた先ほど>>387で一般常識とか言ってませんでした?
「一般」も大事ですよ。

>>389 :神も仏も名無しさん
>なぜ同じ間違いを繰り返し、同じパターンの見苦しい言い訳を並べているか、
>あなたは気が付いているか。
>間違いを指摘されるのが大嫌いだからですよね。

私が「解脱の過程」を書くことに文句をつけながらあなたも相当に執念深い。
だが、あなたが私の書き間違いを言い続けるから、
私も遠慮無く「解脱の過程」を書けるのでかえって都合が良い。

422 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:50:48 ID:XOZSgEyJ
いいから、パーリー語の原文、ま〜だ〜www

423 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 15:04:37 ID:vzmS/Yff
>>390 :神も仏も名無しさん
>あなたの捏造を指摘したのは、前回が初めてではなく、
>二度目のレスであなたのしたことを捏造だと指摘しています。(>>233,>>235)
>経典の意味が違うように助詞を入れ替えたのだから、捏造です。
>しかも、今、そんなことは大した問題ではないと開き直っているのだから、
>なおさら意味においても捏造を認めたのと同じです。

まあ、捏造と言われても、
>>168の経典の引用ではちゃんと「小さな煩悩も離れ」と書いており
ただ一箇所、
>見てのとおりこの繰り返し部分には「小さな煩悩を離れ」とあるだけです。
と書き間違えたわけだから捏造と言われてもちと酷ですが・・・・・・
いいでしょう、それで気が済むのなら言い続けなさい(と大人の態度。

424 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/29(土) 15:56:12 ID:zguWypXn
>>417 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/29(土) 14:32:25 ID:vzmS/Yff
>>すでに議論の済んだはずの内容
>スレが立つ度に執念深くコピペしている批判側が約1名おります。

私のことだろうが、済んでないぞ。ウソも休み休み言え。
で、
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

で、名無しで発言するKlingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?
火舎香炉の盛り方書いてみろ。

425 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/29(土) 16:01:10 ID:zguWypXn
>>406 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/29(土) 13:56:26 ID:vzmS/Yff
> 「も」には色々な意味があるのでどれを選ぶかで文の解釈が違ってきます。
>
> @「ある事態がそれに及ぶことを示す。・・・もまた」
>       例)私も参加します。これも読むといい。     
                                        (広辞苑)
>「も」が@の意味なら
>「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミもまた除かれ、」
>→小さなゴミが除かれただけで他にゴミが残っているかもしれません。
>「このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩もまた離れ、」
>→小さな煩悩が離れただけで他に煩悩が残っているかもしれません。



@の意味でも全部ゴミが無くなった意味なるわヴォケ。
白を黒と言いくるめる見本みたいなことしてるんじゃねーよ。
それと機種依存文字使うなヴォケ。

426 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/11/29(土) 16:09:47 ID:zguWypXn
>>425
下がってたのでageついでに補足。
>>406
> @「ある事態がそれに及ぶことを示す。・・・もまた」
で、あるなら、
>「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミもまた除かれ、」
は、小さなゴミにまで及んでいると言うことであるから、
他のゴミは言うまでもなく残ってないのである。
言うまでもないから省略されてるのである。
断じて
>→小さなゴミが除かれただけで他にゴミが残っているかもしれません。
などではない。

どういう脳をしてるんだペテン大作?

427 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 17:43:56 ID:cGy7P2bB
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[209]如来の子孫 08/11/28 10:42 1REjX9mtCS
>七氏さんは、十上経には内容の説明は一切ない、とレスしています
>が、真っ赤な嘘です。自分で読んでご覧なさい。

私から子孫説を真っ赤な嘘と批判されて、
それに反論するのではなく、全然別なことに因縁をつけてきた。
子孫さんが例として並べた「 1、貪りの蓋い。2怒りの蓋い。・・」は
550道品の表題であって、説明ではありません。
「1、貪りの蓋い」という表題だけで、貪りの蓋いそのものについての
説明がないから、何も書いていないと書いたのです。
あるというなら、どこに「1、貪りの蓋い」の後に説明があるのですか。
これらは表題にすぎない。
子孫さんが引用したのはたまたま表題が内容がわかりやすいから、
説明だと言っているだけで、これは表題です。
病院から薬が処方され、「風邪薬」と題した説明書ももらった。
説明は読まなくても、表題だけで風邪を治す薬だとはわかる。
だが、「風邪薬」とは説明ではなく、説明の表題です。
説明とは具体的な飲み方や禁止事項などのことで、表題ではありません。
「1、貪りの蓋い」と言われて、子孫さんがこれを理解したはずはない。
理解したら、護摩木祈願なんか絶対にできない。
説明がなく、表題だけだからです。

428 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 17:47:27 ID:cGy7P2bB
>[209]如来の子孫 08/11/28 10:42 1REjX9mtCS

十正行への反論はどうなったのですか。
私は子孫さんの嘘を二つ指摘した。

子孫説1.アラハン用に十正行がある
子孫説2.十正行が八正道よりも上の修行法だ(>>285)

この点への反論はどうなったのですか。
この点を真っ赤な嘘だとまで言われたのだから、
「十上経のここにこのように書いてある」と経典の根拠を示すべきです。
今回の子孫さんの書き込みを読んでも、批判は完全無視して、
相変わらず、八正道には二つあると今までの自説を主張しているだけで、
経典の根拠は何も出していない。
説明がない、と書いたことを真っ赤な嘘だとまで言うなら、
子孫さんの主張の根拠となる経典を引用したらどうか。
あるはずがない。
なにせ、100科550道品が羅列されているだけで、これがアラハン用である、
これはアラハン以外であるなんて「説明」は何にもありません。
子孫さんの卑怯な点は、他の人たちが平河出版のこの経典を持っていないことを
いいことに、さもそれが書いてあるかのように主張していることです。
さすがは捏造が平気な桐山ゲイカの信者だけのことはある。

429 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 17:52:58 ID:cGy7P2bB
>[212]如来の子孫 08/11/28 11:46 1REjX9mtCS
>十番目が解脱知見ではなく、正しい知恵、ではないか?という人も
>居そうですが、経の前を読むと、学び終えた人の五つを証得せよ、
>と出ていて、それが、「1戒2定3知恵の集まり4解脱の集まり
>5解脱に対する知覚の集まり」となっていたので、十正行の十番目の
>「正しい知恵」というのは、「智慧の集まり」と「解脱に対する知恵
>の集まり」を含んでいることになりましょう。
>だから、私は短く「解脱知見」と表現したのです。

これがあなたの反論ですか。
何の反論にもなっていない。
八正道の後に解脱、解脱知見が得られるなんて何か珍しいですか。
私がこれを五分法身そのものだと説明してあげた。
五分法身を子孫さんは何か特別なことだと思っているようだが、
八正道という修行をして解脱し、解脱したと自覚するというそれだけです。
あるいは、三学を修行して解脱を得て、解脱したと自覚すると言ってもいい。
これらを十上経では十正行だと言ってるにすぎない。
十正行が八正道と違う修行法だとか、アラハン用の修行法だなんて嘘です。
これは仏教の普通の解脱の過程を説いているだけです。
だから、十上経などの羅列経典以外には十正行という言葉自体が出てこない。

430 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 17:59:55 ID:cGy7P2bB
>[218]如来の子孫 08/11/28 14:23 1REjX9mtCS
>完全な梵行は、アラハンの梵行です。

子孫さんのいう梵行とは具体的にどういう内容を指しているのですか。
アゴン宗でいう梵行ですか、それとも仏教の梵行ですか。
まず、この点をはっきりさせないと、議論がかみ合わない。
なぜなら、アゴン宗と仏教では梵行の意味がまったく違うからです。
仏教の梵行は禁欲を表します。
たとえば、五下分結では欲貪と瞋恚を減らすのに、梵行を説いているのは
これが理由です。
また、そこから、樹意さんがザのスレに引用してくれたように、梵行とは八正道です。
だから、アラハン用の梵行なんてものは仏教にはありません。
梵行は初心がやろうが、アラハンがやろうが同じです。
一方、アゴン宗では、教団に奉仕するとか、布教活動して
信者を増して徳を積むことを梵行と言っている。
釈尊の説いた梵行にはこのような意味はありません。
また、徳を積むことで解脱するという考えもありません。
子孫さんのいうアラハンの梵行とは、まさか、アゴン宗の布教活動や
徳積みの話をしているのではないでしょうね。
そんな梵行は仏教には存在しません。

431 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 18:05:05 ID:cGy7P2bB
>[222]如来の子孫 08/11/28 15:01 GoRGEoUS
>アラハンの八正道と、それ以外の八正道とは、レスしましたよ。
>アラハン以外の八正道が、なんで初学用の八正道に化けるのですか?
>というのです。シュダオンもアナゴンも、アラハン以外なのですよ!
>アナゴンを初学といいますか?
>その辺の間違いを指摘したのです。

子孫さんの言う「アラハン以外」の中には昨日出家した比丘も入っているのですよね。
だから、初学用と書いたのです。
化けてもいなければ、間違いでもなんでもない。
あなたの勝手な分類と狭い視野で他人にお説教するのはやめたほうがいい。
それに、桐山さんは八正道を初学用と書いている。
桐山さんは日進月歩だと子孫さんは書いていたが、
では、桐山さんが八正道を初心用でないと修正した記述を示しなさい。
それがないのだから、初心者用という桐山さんの説は今でも生きています。
しかも、ラシンさんに自分の説を瞑想しなさいなどとはあまりに無礼な言いようです。
根拠のない子孫さんの話を瞑想して理解しろなんて、どこまで自惚れれば気が済むのだろう。
あなたの説には何の根拠もないのだから、瞑想ではなく、妄想です。
ただ、最近の子孫さんの書き込みで、なんとなく、あなたが何を誤解しているか
わかったような気がする。
子孫さんは、アラハンはもう修行をしなくてもいいと思っているのですよね?
だから、あなたはアラハンとその手前の修行者では、八正道でも違うのだと説いている。
まったくの誤解です。

432 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 18:13:53 ID:cGy7P2bB
>[222]如来の子孫 08/11/28 15:01 GoRGEoUS
>学び終えた人(阿羅漢)の八聖道は、十正行の中の八つです。
>それは、修行ではありません。完全な梵行です。

子孫さんは、解脱という境地に達するともはや従来の修行はいらないと
思っているのではありませんか。
だから、アラハンとそれ以外の人たちの八正道があると思っているのだ。
医者や弁護士の資格のように、アラハンとは一度なってしまうと、
半永久的な立場だから、それまでの八正道などの修行はいらないが、
シュダオンからアナゴンまではまだ解脱はしていないから、
八正道が必要だと信じているようだ。
大学の合格みたいに、シュダオンからアナゴンまではまだ合格して
いないから必死に勉強しなければならないが、アラハンの資格さえ得て
しまえば、それまでの勉強なんかしなくてもいいと思っているのでしょう。
いかにも桐山さんからオカルトを植え付けられた人らしい発想だ。
それは完全に間違いです。
初心もアラハンも同じようにずっと死ぬまで同じ八正道を実践し続けるのです。
両者の修行に違いなどありません。
あなたはアラハンを山の頂上にいる人だから、落ちることはないと信じているようだ。
残念ながら、アラハンになっても不断の努力をしないとたちまち落ちるのです。

433 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 18:19:51 ID:cGy7P2bB
>[222]如来の子孫 08/11/28 15:01 GoRGEoUS
>学び終えた人(阿羅漢)の八聖道は、十正行の中の八つです。
>それは、修行ではありません。完全な梵行です。

アラハンとは絶対的な地位ではありません。
横綱が勝ち続けなければ引退を迫られるのと同じです。
アラハンも元に戻ってしまうことがある。
それで有名なのが、自殺したコーディカです。
『ブッダ悪魔との対話』(中村元)の48頁にあります。
彼はいったん解脱したが、また元に戻ってしまった。
これを六往復したという。
七度目、彼は解脱の状態を留めるために、刃物で自殺した。
これを察知した釈尊が比丘たちに、コーディカは解脱しており、
もはや戻ってこないことを宣言しています。
コーディカの例を見れば、生きている間の解脱とは絶対的なものではなく、
常にその状態を保つために、熱心に修行を続けないといけないのがわかる。
だから後の部派仏教がこれを有余依涅槃と無余依涅槃に区別した。
欲求のかたまりともいえる肉体を持って生きているのだから、当然といえば当然です。
だから、アラハンといえども、解脱の状態が保たれるように、
つねに煩悩が漏れでないように注意し、死ぬまで戦い続けるのです。
その方法は初心もアラハンも同じで、簡単に言えば、八正道です。

434 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 18:25:09 ID:cGy7P2bB
>[222]如来の子孫 08/11/28 15:01 GoRGEoUS
>学び終えた人(阿羅漢)の八聖道は、十正行の中の八つです。
>それは、修行ではありません。完全な梵行です。

信者さんたちの中にも子孫さんのように、アラハンなど修行の階梯は
一度到達したら元に戻ることはないと信じていませんでしたか。
釈尊ですら、死ぬまで初心の者と同じ八正道を続けたのですよ。
それを示す典型的な例が経典に残っています。
自恣経です。(『ブッダ悪魔との対話』中村元、193頁)
雨期の終わりに修行の反省会を開いた時、釈尊の開口一番は、

「そなたらは、わたくしの身体の行いについても、ことばの行いについても、
何か非難することがあるだろうか、どうだろうか」(194頁)

なんと、釈尊の言動に煩悩が出ていなかったかを弟子たちに批判しろと言っているのです。
もし自分に間違いがあれば、修正をしたいから、指摘しろと言っているのです。
煩悩を断ち切って解脱したアラハンならば、煩悩に染まるなんてことは
ありえないと仮定してしまったら、この釈尊の言葉は理解できない。
夏安居の反省会にこのような発言が出たということは、
夏安居の間、釈尊も常に自分の行いと言葉にいかなる煩悩も出さないように、
つまり八正道を実践し続けていたのです。
解脱を神秘的な位階みたいなものだと思うから間違いなのであって、
部屋の中に小さなホコリすらもないほどに掃除することだと思えばいいのです。
一度、クリーンルーム並に掃除しても、放置すればまたホコリやゴミが出てくる。
だから、アラハンも生きている間、一瞬も気を抜かず、ずっと掃除をし続けるのです。
その掃除方法を端的にまとめたのが八正道です。

435 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 18:35:17 ID:cGy7P2bB
>[222]如来の子孫 08/11/28 15:01 GoRGEoUS

釈尊が解脱の後も常に自分の言動に煩悩が出ないようにしていたという
事実を見たら、次に信者さんたちは桐山さんを振り返ってください。
この間のBSフジの放送で、桐山さんは自分が食いしん坊だと表明した。
他人の二倍食べることを誇る解脱者(有余依涅槃の聖者)など存在しません。
なぜなら、食欲なんて煩悩の中でも五下分結と呼ばれる下位の煩悩です。
これすら制御できない解脱者なんてありえません。
食欲を制御することは解脱者の最小条件です。
これができていないなら、解脱者では絶対にありえない。
それは注射をしたことのない医者、六法全書を開いたことのない裁判官のようなものです。
弟子たちに、真っ先に自分を批判しろと言うくらい厳しいのが本当の解脱者です。
煩悩を切ったと自称する桐山さんが食欲という煩悩を堂々と誇る。
この奇妙な光景を奇妙だと信者さんたちが感じないのは、
仏教の解脱とは何かを理解していないからです。
仏教の解脱は、霊能力などなくても、普通の知性で理解し、確認できる内容です。

436 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 18:43:29 ID:cGy7P2bB
>[222]如来の子孫 08/11/28 15:01 GoRGEoUS

信者さんたちは、桐山さんから、ブッダとは紫磨黄金のオーラが出ているなんて
教えられているから、解脱者かどうか自分たちでは判断できないと思っている。
そんなことはありません。
釈尊は「法の鏡」を説いて、誰でも判断できると説いています。
それは「わたくしの身体の行いについても、ことばの行いについても、
何か非難することがあるだろうか、どうだろうか」です。
桐山さんの身体と言葉の行いに煩悩が出ているかどうか、
非難するところがあるかどうかです。
出家を自称する者が食欲すらも抑えられないというのは非難されるべきことです。
これ以外にも、普通に観察していれば、桐山さんは欲望と執着が普通の人よりも
はるかに大きいのがわかるはずです。
桐山さんが有余依涅槃の聖者であるはずがないのは、
釈尊の示した法の鏡にてらして、信者さんの目で確認できます。
法の鏡にてらせば、桐山さんが解脱者では絶対にありえない。
食いしん坊の有余依涅槃の聖者なんて、お笑いの世界にしかいません。

437 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/30(日) 00:45:34 ID:JLc+F6EY
>>417:神も仏も名無しさん :2008/11/29(土) 14:32:25 ID:vzmS/Yff
>スレが立つ度に執念深くコピペしている批判側が約1名おります。
>彼には注意しないのですか?
>身内には甘いんですね。

横レスをします。
その批判側とは私文書為造さんのことですね。
そしてそのスレが立つたびにコピペする内容とは退会マニュアルなどのことですか?
それならば、七氏さんは一度私文書さんに牽制の意見を述べてますよ。
一つのスレに同じコピペを2回も3回もするのはいかがなものか?1回だけにしたら
どうかと意見を書いた。
そしたら私文書さんはそれをよく理解されて、わかりましたと答え、以後退会マニュアル等は
必ず1スレに1回限りを厳守しています。
そして1スレに1回は必ず載るこの退会マニュアル等は今でも重要な役割を持ち、必要とされます。
なぜならあなたや私のような長年の常連と違って、最近になってこのスレを覗く現役信者さんも後を
絶たないのです。
その中には桐山アゴン宗に疑念を抱き、心が揺れ動いている人もいるだろう。
退会するにも人間関係の軋轢もあって、勇気の持てない人もいよう。
そういう人たちに対してこの退会マニュアルは痒い所に手が届くような親切な誘導になります。
勇気を与えてくれます。
だから何度スレが立とうとも毎度毎度コピペをしてくれることは貴重です。

438 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/30(日) 01:10:55 ID:JLc+F6EY
>>406:神も仏も名無しさん :2008/11/29(土) 13:56:26 ID:vzmS/Yff
>「公園を清掃し、清浄で清潔となり、汚れなく、小さなゴミもまた除かれ、」
は、小さなゴミにまで及んでいると言うことであるから、
他のゴミは言うまでもなく残ってないのである。
言うまでもないから省略されてるのである。
断じて
>→小さなゴミが除かれただけで他にゴミが残っているかもしれません。

大きなゴミがまだ片付けられてない公園をどうして「清浄で 清潔になり」と表現するのだ?
ボランティアで煙草の吸殻を拾う活動を続けた。
しかし小さな煙草の吸殻は一掃されたものの、そこら中ゲロが撒き散らされていて
見るだけで気持ちが悪い。
公園の真ん中に犬のフンが落ちているわ、猫の死骸が落ちているわ、どこかの家庭から違法投棄された
古い大きなステレオが放置されているわ・・・
こんな小さな吸殻はないが、大きなゴミの残る公園をどうしてお世辞にも
清浄で清潔なんて言うか?
あんたアフォ?



439 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/30(日) 01:35:24 ID:JLc+F6EY
415:神も仏も名無しさん :2008/11/29(土) 14:28:31 ID:vzmS/Yff

>苦しみや汚れ(煩悩)の原因を知り、
それらを消滅する方法を知ることによって、
>解放されて解脱したという自覚を持つ。
>これでカルマを叩き切るのじゃ〜!!

>あっ、さとりの定説って無いんだっけ?
>じゃあ、これは私の胸の中にしまっておきます。

自分だけの胸にしまわずに、この際よい機会なんだから公に晒す環境の中で、自分の頭で考えてみて下さい。
まず宿命智により過去世を透視するんでしたよね?
うわあ〜、パパ前世でも前々世でもこれだけ煩悩を抱えていたんだね。
だから輪廻がやまなかったんだね。
あいつもこいつも煩悩だらけだから輪廻しているんだね。
透視してよーくわかったよ。パパ反省。
よ〜し、反省したからにはパパ頑張って煩悩をなくして輪廻も止めちゃうかんね。
と、このパパは決意を新たにしたと言うのですかな?
で、次の瞑想観察の瞬間いつのまにか煩悩を断ち切っている自分を自覚する漏尽智を得ていたのですかな?
過去を透視して、その原理を悟って反省して決意を新たにしただけで煩悩は切れるものなのですかな?
煩悩はいつ切ったのですか?神通力で。

440 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:21:41 ID:yPHONaWU
>>412 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:17:36 ID:vzmS/Yff
>釈尊が成道するときの様子やさとりの内容は定説がないというのが現状なんですよね。
>だからゲイカの三明(神通力)で解脱するのは嘘だとあなたは言っているわけです。
>ところが何故かあなたはハッキリと三明(宿住通)の前で解脱したのだと書いている。
>これっておかしくないですか?

おかしいのはあなたの根性と国語力だけです。
私はすでに説明した。
様々な学説があるのではなく、学者たちは経典にあるそのままを並べているのです。
だから、私はわざわざアゴン宗擁護派の菅沼先生の本から引用して示した。
それを桐山さんは説だと思いこんで、さらには四禅三明説が
多くの学者が支持しているかのような嘘を書いた。
さらには子孫さんが、宇井博士の説は、桐山さんが引用しているのとは違うと
指摘していました。
このように桐山さんの解説は、常の如しで、仏教は一知半解で、
学問的な話を織り交ぜながら、巧みに自分に都合のいいように話を歪めているのです。

441 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:28:32 ID:yPHONaWU
>>414 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:21:52 ID:vzmS/Yff
>ここまで書いておいて何故続きを書かないのですか?
>これでは十二因縁が最有力な説に見えます。

私はペテン大作さんのように視野が狭い「ずんだ餅男」ではないからです。
ここはアゴン宗批判のスレであって、仏教を議論するスレではない。
過去、ついあなたの執念深い反応の相手をしたため、読者からはブーイングが飛んだ。
私があなたのようにレポートと称して、クドクドと同じ内容を貼り付けないのは、
そんなものを読者が読んでくれると思えないからです。
あなたと違い、私は読者の反応こそが重要です。
私はまだ聞く耳を持っている読者に説明をしているのであって、
あなたのように、右と言われれば、左と言わないではいられないような男に
説明しているのではありません。

442 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:31:25 ID:yPHONaWU
>>415 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:28:31 ID:vzmS/Yff
>いや〜やっぱり漏尽通をおいては他に無いでしょう。

桐山さんの説と矛盾するような説明を出されても意味がありません。
あなたの説を桐山さんは否定している。

「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
これがもっとも重要である。」(『般若心経瞑想法』124頁) (>>202)

解脱したことを知る智慧と桐山さんははっきりと書いている。
あなたの説は成り立たないことはすでに私は書いている。
だが、何も新しいネタなどないから、反論を無視して、同じ話を書くしかないのですね。
そこがあなたの普通の人と違う恥知らずなところです。

443 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:33:22 ID:yPHONaWU
>>415 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:28:31 ID:vzmS/Yff
>あっ、さとりの定説って無いんだっけ?
>じゃあ、これは私の胸の中にしまっておきます。

信者さんたちはこのペテン大作さんの反応をみてください。
私から、「阿含経のどこに神通力でカルマを切って解脱するとあるのか」と
聞かれて、これが彼の反応です。
普段なら、ねちっこく、しつこく、執念深く、他人の言葉尻を捕まえる彼が、
すでに否定された主張をただ繰り返すばかりで、説明しようともせず、
さらには、上記のような、まるでおどけたかのような態度をとってみせる。
しまっておくのではなく、何もないから出せないのです。
こういうのを「笑ってごまかす」といいます。
このみっともない男はどうでもいい。
それよりも、信者さんたちに見てほしいのか、この屁理屈大好きな
ペテン大作さんをもってしても、桐山ゲイカの「神通力によるカルマ解脱」は
何ら経典の根拠を示すことができないのです。
彼が引用した>>169の経典には神通力による解脱もカルマを切る話もありません。
出てくるのは、漏尽解脱(煩悩解脱)を得たとあるだけです。
阿含経の中には、神通力で解脱する話も、カルマ解脱もありません。
全部、桐山さんの作り話です。

444 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:36:03 ID:yPHONaWU
>>418 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:34:08 ID:vzmS/Yff
>私の態度が素直ではないと言うが、結果的には自分の書き間違いを認めた。

ごまかしても無駄です。
「も」と「を」の書き間違いを認めただけで、内容を歪めたことは認めていません。
あなたは経典の書き写し間違いをしたのではなく、別な意味にとれるように
変えて、しかも内容的に正当だったとまだ主張しているのだから、意図的な捏造です。

445 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:38:19 ID:yPHONaWU
>>418 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:34:08 ID:vzmS/Yff
>「解脱の過程」と書けば「解脱の経過・プロセス」であり
>「解脱の過程で意生身を作れる」と書けば「解脱していない人」を指します。

私はこれについてすでに三度(>>241,>>327, >>386)説明をした。
だが、あなたはいっさい受け付けない。
その前に私が書いた、

>309 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:52:45 ID:BNsw6c1F
>実際は、戒律を徹底して守り、煩悩をなくし、
>その上で得られる六神通力の一つとしての意生身なのです。
>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>この経典の説明では、意生身は戒律を守り、煩悩を断ちきった比丘だけが
>作り出せる何かです。
>解脱した彼らでなければ作り出せないのが意生身です

これらの文章では、「解脱した人」であると三度にわたって断定している。
ところが、あなたの説によれば、その直後に書いた「解脱の過程」とは
「解脱していない人」という意味だという。
直前に合計四度にわたり「解脱した人」と断定しながら、
最後の一つだけ「解脱していない人」と書いているのはおかしいし、これでは意味が通じない。
あなたが唱えている説なのだから、この矛盾を説明してみなさい。

446 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:40:41 ID:yPHONaWU
>>420 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:44:54 ID:vzmS/Yff
>だから「解脱の過程」を付け加えて解脱途中の比丘を含めたのでしょう?
>私が言いたいのはそこなのです。

含めていないと、私はすでに三度も説明している(>>241,>>327, >>386)。
しかも、その理由も三つに分けて説明している。
だが、完全無視して、「解脱途中の比丘を含めたのでしょう」とまた書いている。
ペテン大作さんが、含めると解釈するのは自由です。
だが、彼の主張は、そのように彼が解釈するという意味ではありません。
私が含めたのだ、と何度も何度も書いている。
私の頭の中がそうだと言っているのです。
本人である私がはっきりと否定し、その根拠を示し、三回にわたり説明しても、
まだ、私が含めたのだ、と彼は言い切るのです。
彼のこの反応は、自分と他人の区別のつきにくい五歳以下の子供みたいに見える。
自分がこう感じたから、他人もそのように感じるはずだ、という感覚です。
あなたの脳では自分と他人の考えが分離できないらしい。

447 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:42:40 ID:yPHONaWU
>>421 :神も仏も名無しさん:2008/11/29(土) 14:47:34 ID:vzmS/Yff
>私が「解脱の過程」を書くことに文句をつけながらあなたも相当に執念深い。

議論はすでに終わったと私は何度も宣言している。
だが、あなたは終わりたくないようだ。
何度でも説明してあげましょう。
議論の始まりは、黄廬園経で釈尊は神通力で解脱したのではない、と私が書いたことです。
あなたは見当違いにも沙門果経を持ち出した。
経典を読み間違えるというオオドジを踏んだばかりか、
さらにドジなことに黄廬園経での私の主張をうっかり認めてしまった。
つまり、あなたの主張に何の根拠もないことを認め、
私の主張まで認めたのだから、議論は終了したのです。

448 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:51:36 ID:yPHONaWU
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[238]如来の子孫 08/11/30 13:29 1REjX9mtCS
>十上経には、五解脱入(衆集経では五喜解脱入)が出ていて、その
>一つを提示したらラシンさんが、理解できないでいたね。

子孫さんも底意地の悪い人ですね。
あなたは現代語訳の経典を読んでいる。
だが、ラシンさんはおそらく持っておらず、その部分は
読んでいないのだから、理解できるはずがない。
あなただって、五解脱入なんて変な言葉はこの経典を読むまでは
理解どころか、聞いたこともなかったはずだ。
それを自分は知っており、ラシンさんは理解できないとあざ笑う。
大した長さでもないのだから、引用して、
皆さんがそれをどう解釈するのか、吟味するべきです。
だが、子孫さんの常で、内容は示さず、自分の一方的な解釈を述べて、
相手をこうやってあざ笑う。
あなたの煩悩はなかなか強烈ですね。
子孫さんが引用しないのは、著作権なんて話ではなく、引用すれば、
客観的に検証されて、自分の独断がばれて、反撃されるのが怖くいからでしょう?
前も指摘したが、こういうところが、あなたの卑怯でセコイところです。
それはともかく、この部分を検証してみましょう。

449 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:59:13 ID:yPHONaWU
>[238]如来の子孫 08/11/30 13:29 1REjX9mtCS
>十上経には、五解脱入(衆集経では五喜解脱入)が出ていて、その
>一つを提示したらラシンさんが、理解できないでいたね。

パーリ仏典の十上経では、これを五つの解脱とは訳しておらず、
「五つの解放の要素である」(『原始仏典 3』春秋社、368頁)と訳しています。
五つの解放の要素のうち、一つ目の結論だけ引用すると、

「かれは、欲望を原因として生じる煩悩の漏出と苦悩とを離れ、その感受を感受しない。
これが欲望の解放といわれる。」

以下、上記の文章の欲望を、怒り、暴力、物質、身体に置き換えて述べてあります。
この説明でわかるように、これは五つの解脱という特別な解脱を説いているのではなく、
これもまた煩悩からの解脱を別な角度から説いた内容にすぎません。
これを何か特別な解脱だと思いこんでいる子孫さんこそ経典の意味を
理解できていないことは明かです。
上記は本の本文に書いてあるのに、子孫さんの目には見えないのです。
そして、自分の無知を棚に上げて、他人を「理解できない」などと笑っていた。
信者さんたちも彼をよく見てください。
アゴン宗の信者の特徴は無知と無恥と慢心だと指摘したとおりでしょう?

450 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 19:09:39 ID:yPHONaWU
>[238]如来の子孫 08/11/30 13:29 1REjX9mtCS
>まだあるのよ!
>「慈心からなる心の三昧」を「慈解脱」という、と十上経の訳註に
>出てます。本文にも「喜解脱」や「捨解脱」と出ていますが、意味は
>推測出来ましょう。そうです、慈・悲・喜・捨・の心を具えること
>を、慈解脱、悲解脱、喜解脱、捨解脱、と呼んでいます。

次の子孫さんご推薦は慈解脱です。
慈解脱などは煩悩解脱とは違う解脱だと言いたいらしい。
慈解脱を各経典がどのように表現しているかを学者が解説しており、
それらを並べるなら(『現代語訳阿含経長阿含経3』184頁)、

パーリ仏典・・・慈心による心の解脱
梵本・・・慈心からなる心の三昧
『長阿含十報法経』・・・等心定意
『舎利弗阿毘曇論』・・・慈解心
『衆集経』宋訳・・・慈心解脱観
『門論』・・・慈心定

これを見てもわかるように、必ずしも解脱とは訳されていません。
パーリ仏典の訳を見れば、これは心解脱だと書いてあるのだから、
慈解脱も漏尽解脱(煩悩解脱)にすぎない。
そのことは子孫さんが引用しないだけで、十上経にも書いてあるのです。

「慈しみの解脱を修めてもはや怒りの生じるなどありえない。」(50頁)

怒り(瞋)という煩悩を断ちきることを慈解脱だと述べているのです。
つまり、慈解脱とは煩悩解脱です。
以下、憎嫉、憂悩、増愛という煩悩を断ちきることを悲解脱、喜解脱、捨解脱と呼んでいます。
煩悩を断ちきる行をするのだから解脱であり、それは一言で言えば漏尽解脱です。
先の五解脱もそうだが、こうやって内容を普通によめば、○○解脱とは、
すべて漏尽解脱を視点や名前を変えて説いているにすぎないことに気が付きます。

451 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 19:20:55 ID:yPHONaWU
>[238]如来の子孫 08/11/30 13:29 1REjX9mtCS
>十上経には、五解脱入(衆集経では五喜解脱入)が出ていて、その
>を、慈解脱、悲解脱、喜解脱、捨解脱、と呼んでいます。

子孫さんがせっかく探し出したのだから、信者さんたちもご覧下さい。
こんなにたくさんの解脱があるのに、子孫さんですら、因縁解脱が
探し出せないのです。
ザの[240]では輪廻解脱だから、因縁解脱だなんて、訳のわからんことを書いている。
逝ってしまっているシュダオン様はともかく、信者さんたちにお聞きしたいのは、
どうして○○解脱がたくさんあるのに、因縁解脱が出てこないのかという点です。

『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁、2007年
「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」

このように桐山ゲイカは釈尊が説いたのは因縁解脱であると繰り返し述べている。
だが、阿含経には漏尽解脱はたくさん出てくるし、先に述べた五解脱も
煩悩を切れという話ばかりです。
桐山さんが本で講義した十の阿含経にも煩悩解脱しか出てきません。
子孫さんは○○解脱なるものまでたくさん見つけてきたのに、
一番肝心な因縁解脱が見つけられない。
100科550道品を調べても因縁解脱は出てこなかったのです。
仏教には因縁解脱なんてありません。
そろそろ、信者さんたちも上記の桐山さんの大嘘に気が付いてはどうか。
そして、解脱という一番肝心なことすらも間違っている桐山さんの
知性と良識に疑問を持つことです。

452 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 19:25:16 ID:yPHONaWU
>[238]如来の子孫 08/11/30 13:29 1REjX9mtCS
>「解脱」を煩悩解脱だけに限定して解釈するには無理があると思い
>ませんか?
>ユビ元さん、ラシンさん、まだ強情を張りますか?
>[240]如来の子孫 08/11/30 14:16 1REjX9mtCS
>辞典に「解脱とは輪廻からの解脱を意味する」ともあるのだから、
>輪廻解脱=因縁解脱でもあるでしょう。

無理があるのは子孫さんの詭弁で、強情なのは子孫さんです。
信者さんたちの中にも、解脱とは輪廻転生から脱出することだと信じている人がいる。
たしかに、釈尊は煩悩を断ちきることによって輪廻から脱出すると説いた。
輪廻から脱出する唯一の方法こそが煩悩を断つことだと説いた。
だが、釈尊は輪廻からの脱出だけを目的にしたのではありません。
四諦を見れば「苦の消滅」が目的であったことがはっきりしています。
輪廻はその苦の一つにすぎない。
釈尊が説いた第一は煩悩を断ちきることであり、第二にその副次効果として
輪廻から脱出できるのです。
このように説明しなければ、仏教は矛盾します。
それは、釈尊は生きたまま解脱したことです。
有余依涅槃とは仏教の解脱であり、アラハンの境涯です。
だが、彼らはまだ輪廻の中にいるのですよ。
解脱が輪廻からの脱出なら、解脱した瞬間に肉体もろとも消滅してしまうはずなのに、
釈尊は生きられる間は生きていた。
生きているのだから、輪廻からは脱出していないのです。
だが、生きていても、釈尊は解脱しており、ブッダだった。
釈尊の説く解脱を輪廻解脱だとしてしまったら、このように矛盾が生じる。
だが、解脱とは、
「仏教では煩悩から解放されて自由な境涯になることをいう」(岩波仏教辞典)
という定義なら、何の矛盾もありません。
ましてや、因縁解脱なんてオカルトは入り込む余地がない。
信者さんたちも、因縁解脱が仏教の解脱だなんてオカルトから、
そろそろ解脱したほうがいい。

453 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 23:39:45 ID:Zw0S+36/
いやらしいよね

454 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 23:42:55 ID:Zw0S+36/
本か何かだせば?

455 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 15:16:43 ID:NhNpMyZx
正統なカルト批判をいやらしいとしか捉えられないアホ洗脳信者乙!!!

456 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 15:24:28 ID:YRJ9D3q1
>453
いやらしいね。

457 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 15:36:20 ID:NhNpMyZx
信者自演乙w

458 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 16:01:40 ID:76T2sHCl
スルーできないくらいだから未成年なんでしょうね

459 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 16:15:49 ID:76T2sHCl
>458です(いちいち自演うるさいから)
これで20代以降だったらきもい

460 :458です:2008/12/01(月) 16:19:49 ID:76T2sHCl
つか批判側ももとは信者だったくせになんでそんなに偉そうなの?単に年取ってるぶんの違いじゃないの?信者がアホならもと信者もアホ


461 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 17:13:20 ID:NhNpMyZx
世に害悪を流すカルトに対する正統な批判は社会正義である・・・。
偉そうとかそういう次元の話ではない。

462 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/01(月) 19:46:16 ID:0UFyPv9N
>>461
犯罪者に敬語使う必要など無いしな。

463 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 20:29:57 ID:vdt635up
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>307:名無しさん@chs :2008/11/24 17:22:19 ID:MqEBXun+
>辟易としてません。
>暖かくクールに見守っています。(←どっちなんだ?)
>大日さんの職場環境が変わって多忙で書き込みが減ったので、こちらも各スレを 巡回する頻度が落ちたのです。
>昨夜久しぶりに覗いてみたところ、ああ、結構書き込まれているなあと初めて気付いた次第。
>辟易と言うならば、ザのスレの変なおっさんに対してこそ辟易としてますよ。昔から。
>昼間にいっぱい書いてくるから、こちらはまとめて一つか二つのレスで済むように事務処理しています。

と、↑を大日スレに書き込もうとしたら、アクセス規制で書き込めない。
こちらにレスしていきます。
まあ予定は1ログのみのレスになるが。

464 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 20:32:46 ID:vdt635up
くそっ、失敗した!

>307:名無しさん@chs :2008/11/24 17:22:19 ID:MqEBXun+
>ユビさんも貴方の態度に辟易したらしく「ザ」のスレへ戻ってしまわれた。

辟易としてません。
暖かくクールに見守っています。(←どっちなんだ?)
大日さんの職場環境が変わって多忙で書き込みが減ったので、こちらも各スレを 巡回する頻度が落ちたのです。
昨夜久しぶりに覗いてみたところ、ああ、結構書き込まれているなあと初めて気付いた次第。
辟易と言うならば、ザのスレの変なおっさんに対してこそ辟易としてますよ。昔から。
昼間にいっぱい書いてくるから、こちらはまとめて一つか二つのレスで済むように事務処理しています。

と書く予定だった。

465 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 21:02:32 ID:vdt635up
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>313:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/11/27 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。

元信者として一修さんの気持ちはよく わかります。
私が桐山教の虜になったのもそこの部分にあります。
無意識の意識をコントロールして自己変革を起こす。自分の 中の赤の他人を退治するのだ。
それは道徳や教育にはなし得ない特殊な法のトレーニングによって為されるのだ 。
しかし私も無意識を否定するわけでもないが、こんなものを言い訳に自分の人生を考えても決して
プラスにもなりませんよ。
あなたも自分で書いているでしょう?
横変死の因縁のある人には殺されたい潜在願望があるとかいう変な説です。
中途挫折の因縁ですよ。自分は絶対成功しない、失敗すると固い信念を持ってしまっている。
運命神経症ですね。
あなたやかつての私の場合、この無意識の意識を言い訳にすることが運命神経症の元になっていたのです。
桐山因縁なんかに束縛されていたら、それこそ、成功するものも挫折してしまうし、かえって障害に
なります。
釈尊の説く煩悩は随眠(ずいめん)とも言われて、深いところに内在していると言われます。
大乗になると唯識のアーラヤ識とか仏教の深層心理学とか言われます。
ではこの深いところに根差す煩悩とどう対峙するかというと、釈尊の場合、常にあなたの軽視する
表面意識で四六時中観察あるのみです。
つづく

466 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 21:23:23 ID:vdt635up
>>313:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/11/27 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。

では釈尊は逆行催眠とか何かそんな必要性を説いているだろうか?
呼吸の観察、身体の働き、心の有り様のありのままの観察を させている。
出家ともなれば寝ても覚めても自己観察、監視のみです。
あなたはフロイトやソンディ、とりわけソンディを出したがりますね。
あなたの尊敬するジミズ先生と同じで。
彼は現代心理学の動向なんて知らないからフロイトの精神分析は常識科学だと思い、
ソンディもまたその延長にあると思っている。
フロイトの精神分析は我々の教養としては常識ですが、しかし厳密な意味での科学
にはなり得ず、言わば思想と言ってよい。ソンディもその異端的延長にある。
それはさておき、まあフロイトもソンディも認めてあげて、あなたの言いたいことはわかりますよ。
不幸な運命に結び付く選択を我々は無意識の中の遺伝圏の衝動に影響される。
例え話だが、これは昔ザのスレに書いたネタだが、私がデブ専だと仮定する。
デブな女でないと萌えないというわけです。
私は無意識に潜む偏った好みに従いデブ女と結婚したとする。
そこに悲劇が約束されていたかのように、私はデブに虐げられ圧死とまではいかないが、潰される
毎日に苦しんだ。

そもそもがデブ専という嗜好が運命を左右する煩悩だったのだ!
とあなたは説きたい わけですよね?
しかしこれって本当に釈尊の説く煩悩なのか?

467 :神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 21:30:02 ID:76T2sHCl
>462
お前ももと犯罪者なんだけど


468 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 21:38:51 ID:vdt635up
>313:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/11/27 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。

釈尊が減らしてなくせという煩悩はそんなものではないはずだ。
まあデブ専はこれを 得たいという欲望であり執着だから煩悩でないとは言えないが、しかし在家の人が
自由恋愛である特定の人を愛して結婚すること自体を煩悩とは言わない。
釈尊がなくせと教えるのは人に危害を与えるような憎しみとか怒りとか自分を見失うような貪りとかです。
これは四六時中自己観察して起こらない ようにする。
心に起きても行動に移さない。
あなたに質問します。
あなたは残り半生、人を殺さない自信がありますか?
自分は殺人を犯してしまうかもしれないと思いますか?
普通の人は思いません。それでも殺人をしてしまうのは自己のコントロールが甘いのです。
この時あなたは無意識の意識のなせるわざだ、不可抗力だったんだと言い訳するか?
僕は殺す気なかったんたが、この右手が 勝手に、と言いますか?
それは統合失調か何かの精神科の患者の 話で、決して万人がそんなわけない。
普通は最低限制御できるのでありしているのです。
ましてや四六時中自己観察をする仏教者がデモ行進をすることはあっても絶対に人を殺さない。
ザのスレで轢き逃げ犯の話を出したが、過失で事故を起こすことはあっても轢き逃げはしない。

469 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 22:02:18 ID:vdt635up
>313:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/11/27 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。

私は今でも時々アゴン宗の夢を見ることがあります。
数ヶ月に1回程度かな?
例祭とか星まつりとかそんなイベントの夢が多いですね。
やはりああいうのが好きで憧憬の念があったのであり、それが今でも残っているのだな
と自分をありのままの見て認めます。
しかしその夢にも必ず付随するものがある。
それは桐山さんに対する嫌悪感です。
あるいはアゴン宗信者を仲間と思えないあわれみとか警戒の意識です。
私がアゴン宗の夢を見る時は必ずよそ者であり、批判の目を向けているのです。
批判の書き込みの功徳もあってか、なかなか深くまで浸透してきた。
信者時代は抑圧は葛藤を生むとか、水と 油は混じらないとか屁理屈の言い訳を
思想として抱いていた私が。
現実を直視して無意識などに逃避しないでください。

470 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 22:18:57 ID:vdt635up
京セラのアホーーーーーーーー!!!!!!
(特に意味はありません)

471 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 22:27:17 ID:vdt635up
>314:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/11/27 01:21:36 ID:IVponZ/c
>慈水さんや如来の子孫さんが因縁を切ったと言われているが、私は信用する。
>彼らには前世からの才能があったのであろう。

ぶははははははははははははははははははは(≧▽≦)

これ大日スレに書いたら削除されるな。

472 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/01(月) 22:29:52 ID:0UFyPv9N
>>467
せめてもの罪滅ぼしがこのスレへの参加だ。

473 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 22:49:04 ID:vdt635up
催眠と無意識について豆知識を一言。
私が大学時代、「肢体不自由児の心理と教育」という科目で、順天堂大学体育学部から出張してくるある非常勤講師の
話してくれた話。
その先生は催眠も得意でした。
授業中みんな立たせて気功みたいに手が引っ張られる体験などしましたよ。

脳性麻痺児に特有のGパターン緊張という屈曲する特性を
催眠で和らげられないかなどと実験していた。
催眠のエピソードを 語ってくれました。
女の子を催眠にかけて「さあ、服を脱ぎなさい」と命じるとそこで催眠は解けてしまうとか。
必ずしも絶対の言いなりにはできないのです。
本人の嫌がることは。
ただしこの女が普段から脱ぎたい、裸を披露したいと常々思っているなら、その限りではないのですと。

474 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/01(月) 22:55:34 ID:vdt635up
大日さん。やはりアクセス規制で書き込みできないので、今後ここでレスすることになります。

475 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 08:24:56 ID:2sLLOEyJ
>313:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/11/27 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。

その無意識の意識のコントロールを説くアゴン宗はではどんな技術を指導しているのですか?
何も無いでしょう?
真言唱える念仏で無意識の抑圧意識が解消されるというのならば、どこの教団でも無意識開発している。
瞑想なんて数息観の真似事から、想像で球を放り投げたり、大木を抱き抱えたり、空想の真珠を
体内で移動させたり。
カウンセリングはしない。
単に拝み屋教団が浅い読書から得た素人知識を誤ったオカルト心理学に仕立てあげて、看板に掲げて
人を集めた現代版の迷信です。
桐山教は悪因縁を定義して、あなたの無意識に悪因縁を植え付けた。
赤子は決して無垢ではなく成長とともに煩悩を育てていくのは人間である限り目に見えてわかっている。
しかしアゴン宗の迷信、妄執に染まることなど約束されてない。
むしろ表面意識での努力では無力なのだ、無意識へのアプローチがなければ駄目なのだと教え込まれ
これに心酔する自己責任転嫁の甘い煩悩こそが問題だったのだ。

476 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:18:50 ID:TDOdaw2a
http://www2.atchs.jp/agama/#th1
A宗考察意見交換スレ
>>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。
>残念だが、これが現実か?

すでにユビキタスさんが反論しているが、これは彼個人というよりも、
批判側に向けられたものなので、私からも反論します。
実は、過去にすでに私もユビキタスさんも反論しているが、
一修行者さんは完全無視して、同じ主張を繰り返している。
彼は、自分は因縁や霊障などを無意識のレベルから深く考察しているが、
批判側にはそれがないと言いたいらしい。
批判側にないとして、では、一修行者さん自身に何があるというのだ?
桐山さんの罠にすっぽりははまりこみ、一歩も出られないでいるだけなのに、
本人は難しい宗教的な探求をしているのだと思い込んでいる。
桐山さんの作った迷路は一見もっともらしい話が並べてあるし、
神秘(オカルト)が大好きな人たちの興味をそそるための手法がいたるところにちりばめてある。
それらの一つが「無意識」などの心理学用語です。
一修行者さんはそれにひっかけられ、未だにひっかけられたことに気が付いていないだけです。
しかも、それをすでに指摘されても、振り返ることもしない。

477 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:22:59 ID:TDOdaw2a
>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。

釈尊の説く煩悩が無意識を認めている、と書いているが、
その無意識とは、一修行者さんや心理学でいう無意識とは違います。
釈尊が煩悩を表面意識だけでなく認めているのは、たとえば、食欲などの例です。
お腹がいっぱいになれば食欲は消える。
では、食欲という煩悩そのものが消えたかというとそうではない。
腹が減れば、またノコノコと食欲は出てくる。
阿含経での意味はこういう内容です。
煩悩の潜在化を認めただけで、後世の部派仏教や大乗仏教のように、
潜在意識や深層意識に相当するような複雑な心理学を釈尊が説いたわけではありません。
今日の心理学でいう潜在意識や深層意識など釈尊は議論していない。
説いたというなら、阿含経からその文章を示してください。
随眠などの言葉が出てくるからといって、それを
後世の仏教徒や心理学の解釈を勝手に加えるのは正しくありません。

478 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:29:14 ID:TDOdaw2a
>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>煩悩の定義に無意識を認めているにも関わらず、表面意識のコントロールを説いているようだ。

釈尊の瞑想の説明を読んでも、無意識をコントロールするなんて
話は出てきません。
また、それほど煩雑な心理学を理解しないと解脱できないというなら、
チューラパンタカのような知的障害者がどうやって解脱したのですか。
釈尊の教法には普通の比丘が確認できないような神秘はほとんどない。
貪瞋癡の煩悩の内容を説明されれば、思い当たらない人など一人もいない。
一修行者さんは何かと無意識の話を出すことで、自分こそは釈尊の説いた解脱を
理解しようとしているのだと自惚れているようだが、それは桐山節であって、
阿含経の教法ではありません。
桐山さんの解釈を鵜呑みにせずに、阿含経をあるがままに普通の国語力で読むことです。

479 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:34:27 ID:TDOdaw2a
>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。

後世の仏教徒たちですら悪因縁や運命を議論したはずはない。
どこにそんなものがあるのだ?
こんな簡単なことにすら、あなたは気が付いていないのに、
自分では探求心があると自惚れている。
相手を、拒否反応とか、探求心がないなどと非難する前に、
あなたの探求心の結果を出してみせなさい。
桐山さんから植え付けられたオカルト知識以外、何が出せるというのだ?
だから、あなたは運命解脱がどうのと、愚かなことをまだ言っていられる。
運命学と仏教とどう関わっているのか深く探求などしたら、
今頃、運命解脱なんて恥ずかしくて言えるはずがない。
桐山さんの手のひらの上で踊っているのを、探求したと思い違いをしているから、
運命解脱なんて言葉が出てくるのです。
心理学やアビダルマなど、桐山さんが自分の宗教を飾り立てるのに
使ったネタをそのまま信じ込み、実は個々に調べてみたことはない。
心理学を解説書でもいいから、勉強してみたか?
していませんよね。
ソンディ心理学を解説書でもいいから、勉強してみたか?
していませんよね。
このどちらかでも勉強したら、桐山さんの話がオカルトであることに気が付く。
これらを勉強しようともしなかったのだから、探求心がないのは批判側ではなく一修行者さんです。

480 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:39:50 ID:TDOdaw2a
>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>釈尊が因縁を説いてなくても、因縁から、釈尊へたどり着くことは可能だ。
>赤ちゃんが、無垢なまま生まれてくると考えるなら、無意識に関しては素人だ。

他人を素人だというなら、一修行者さんは無意識の玄人なのか?
では、なにをどのように玄人なのだ?
無意識などについて何ほどあなたは知っているのだ?
あなたの知識はほとんが桐山さんからの受け売りですよね。
そこまで断定するのは、>>466でユビキタスさんが書いている内容を
あなたは相変わらず理解できないでいるからです。
この指摘は初めてではない。
だが、心理学の初歩を学んだことがないから、あなたは何を指摘されたのか理解していない。
あなたを含めた信者の多くは、ユング、フロイト、ソンディなどの心理学が
心理学の本道だと思っている。
こういうことを言う人は現代の心理学を解説書ですら学んだことがない人たち、
つまり素人で、あなたもその一人です。
一修行者さんは自分は無意識についていっぱしの知識や
見識があるかのような書き方をしている。
だが、無意識なんて言葉を振り回していることを見ても、
あなたが心理学のド素人だというのがすぐにわかる。
ちょうど、「釈迦は因縁解脱を説いた」と言う人がいたら、
その瞬間に、「この人は仏教の素人だ」とわかるようなものです。
この点については次の大日さんも同様です。

481 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:43:49 ID:TDOdaw2a
>315 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/27(木) 10:18:07 ID:AFSi6EHU
>因縁因果の法則はわかっていても、それから派生する様々な人生というか運命を考える・探求すると表層意識だけでは
>解明は付かない。また、どのように・・・と探って行けば桐山論の展開も頷けます。

桐山さんがこういう運命と無意識について何か新しい見解を示したと
主張したいなら、それは大日さんの不勉強です。
桐山さんが本に書いたネタなど、全部元がある。
だから、種智院大学の山崎教授からは盗作だと批判され、
中外日報の連載で反論の機会を与えられながら、大半はいつものオオボラ漫談で、
肝心な所は「誤解だ」などと書いただけで、反論できなかった。
こんなふうに桐山さんの運命や心理学についての話なんて、
誰かかが書いたようなことを拾ってきて、ツギハギしたにすぎない。
心理学者の名前や専門用語を出し、それっぽく見せているだけで中身がない。
桐山さんが運命と無意識についてどのような新しい見解を示し、
どのようにそれを証明したのですか。
心理学でもなんでもそうだが、理論などいくらでも誰で出せる。
今回ノーベル賞をもらった人たちは、理論だけでなく、それが実証されたから評価されたのです。
ただの理論なら山のようにある。
桐山さんが何か運命について新しい見解を出し、それを証明したのですか。
どちらも何もありません。
彼のしたことは、自分の宗教がいかにも科学的、心理学的にも正しいかのように
みせかけるために、心理学や学者の名前を飾りに使っただけです。
だが、内容は一知半解で自分に都合の良いように話をツギハギしている。
その典型が、ソンディ心理学です。

482 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:47:03 ID:TDOdaw2a
>315 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/27(木) 10:18:07 ID:AFSi6EHU
>解明は付かない。また、どのように・・・と探って行けば桐山論の展開も頷けます。

解説書を読めば、桐山さんのソンディ心理学は桐山ソンディにすぎないのがわかる。
桐山さんの得意技で、相手の主張を自分に都合の良いように切り張りしているだけです。
一番ひどいのはソンディの恋愛事件の取り上げ方です。
ソンディがこれを論文の中で述べているかのように錯覚している信者がいた。
ソンディは恋愛事件を文章にすらしていないのです。
学者がソンディから聞いた話を書いているにすぎない。
ソンディが心理学を追究するきっかけにはなったのだろうが、
あれをソンディ心理学の例証にはしていないのです。
ところが、桐山さんの手にかかると、小説のようにおもしろおかしく描かれ、
ついには、ソンディは異母兄の生まれ変わりにさせられた。
ソンディは四歳からその異母兄とそのブロンドの妻から育てられたのです。
このことはソンディ学派の学者の一般解説本に書いてあります。
夫婦仲は悪かったらしいが、自殺したなんて話はありません。
桐山さんは解説書を読んだはずなのに、彼の常で、一知半解のナナメ読みだから、
異母兄夫婦の喧嘩がソンディが生まれるずっと前におきたなんて解釈している。
ソンディは異母兄夫婦の喧嘩を見て育ったのです。
桐山さんは、霊視能力や無意識以前の問題として、国語の読解力すらない。

483 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:52:15 ID:TDOdaw2a
>315 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/27(木) 10:18:07 ID:AFSi6EHU
>因縁因果の法則はわかっていても、それから派生する様々な人生というか運命を考える・探求すると表層意識だけでは
>解明は付かない。また、どのように・・・と探って行けば桐山論の展開も頷けます。

異母兄夫婦の喧嘩を見て、幼いソンディが心を痛め、
大人になってから、それを夢で見たとして何か不思議か。
自分を可愛がってくれた義母がブロンドで、大人になった彼が母親と
同じような容姿の女性を選んだとして何か不思議か。
女性の知的職業も限られていた時代に、ザクセン出身の英語教師なんて、
北海道出身の英語教師というのと同じくらい珍しくはない。
しかも、ソンディは医者なのだから、結婚相手は良家の子女や知識女性を選ぶでしょう。
このようにしてみれば、ソンディがブロンドのザクセン出身の英語教師を選んでも、
また夢で異母兄夫婦の喧嘩を見ても、何の不思議もない。
無意識など関係なく、現実的な説明がつく。
我々は、桐山さんの小説にまんまとはめられたことに気が付かないか。
ソンディの件はアゴン宗の因縁切りの教義の柱の一つなのに、
まったくの嘘、桐山さんの空想です。
一修行者さんと大日さんが信じている「桐山無意識」は心理学ですらなく、
ただの小説にすぎないのだ。

484 :○○屋:2008/12/02(火) 12:55:36 ID:OQQ/D6cl
ユビキタスさん

485 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 12:58:54 ID:TDOdaw2a
>315 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/11/27(木) 10:18:07 ID:AFSi6EHU
>因縁因果の法則はわかっていても、それから派生する様々な人生というか運命を考える・探求すると表層意識だけでは
>解明は付かない。また、どのように・・・と探って行けば桐山論の展開も頷けます。

大日さんや一修行者さんはまだ桐山小説を鵜呑みにしている。
無意識、潜在意識、抑圧、葛藤などといかにも心理学らしいし言葉を羅列して、
そこに随眠、纏、マナ識、アーラヤ識、アンモラ識など仏教用語で粉飾されて、
何事か自分は無意識を理解したかのような気になっているのが一修行者さんたちです。
実は、桐山さんと同じで、言葉を並べているだけで、何も理解などしていない。
だから、桐山因縁論は体裁のよい宿命論であることに気が付かない。
悪因縁を切らなければ必ず横変死するというのは宿命論です。
運命があるという前提でなければ、運命学なんて成り立たないのですよ。
だが、運命があると言ったとたん、仏教では「常見」という禁止事項にひっかかる。
占いを禁止しなくても、運命学は釈尊の教法とは水と油のように混ざり合わないのです。
仏教で運命を考えるということ自体がありえない。
それは「人を苦しめるのはよくないと釈尊が説いたから、ではどうやったら
苦しめずに人を殺せるか考えよう」というようなものです。
それを大日さんが同じレベルでまだ考えているのは、
釈尊の説いた縁起の法を理解しておらず、桐山節に染まったままだからです。

486 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 12:59:06 ID:2sLLOEyJ
>>484
はい、こんにちは。

487 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 13:02:57 ID:TDOdaw2a
>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。

無意識だの先祖の抑圧だのと、言葉に溺れていないで、
実際にこれらの桐山説が成り立っているかどうか、現実を見ることです。
桐山さんも認める公式な体験談とは、『守護霊の系譜』に出てくる高森先達の事件、
あるいは、「桐山どのお〜!」の奥方様の現形の件です。
もう一度、高森先達の話を冷静に読んでみてください。
素人が見ても、彼女の夫は霊障発現などではなく、長年の食生活や
喫煙の習慣から、脳梗塞になったにすぎない。
中山神社の氏子をしていて、健康だった頃から、中山卿のことを
あんなふうに口走っていたという元職員の証言もある。
中山卿を守護霊にいただき、無意識に棲む中山卿やエイリアンのごとき
女怪も解脱したはずなのに、間もなく亡くなった。
信者の多くは間もなく亡くなったことを知らないから、ハッピーエンドだと信じている。
ただ脳梗塞や他の病気を併発して亡くなったのと何が違うのだ?
奥方様の現形も同様で、桐山さんが解脱供養しても効果がなく、
他の宗教家に頼んでようやく収まったという。
これも多くの信者は知らずに、桐山殿が大したお方だとまだ信じている。
これのどこが無意識、霊障、抑圧の事例なのだ?
解脱供養という無意識に潜むという死者の抑圧への薬が効かなかったではないか。
桐山さんの作りあげた無意識についての説明は、
桐山さん本人が出した事例において成り立っていないのですよ。
なのに、どうして二人ともまだ信じているのだろう?

488 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 13:06:43 ID:TDOdaw2a
>314 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 01:21:36 ID:IVponZ/c
>しかし私は管長依存症ではないので、それはしない。
>大さんは少し管長依存のところがあるような気がする。

「私は管長依存症ではない」は、まるで口のまわりチョコレートをつけたまま、
「ボクはチョコレートは好きではない」と言っているような光景です。
まるで、十人並みの容姿の女が「あなた、あんまり顔がよくないわね」と
言っているようなものです。
自分の姿が見えない、自分を疑わないで済むのは本当にお幸せなことだ。
爆笑もせずに、丁寧に受け答えしている大日さんは大人です。
しかも、これが他人に向かって、無意識への探求心がないと批判する一修行者さんの
自己分析だというから、もっとあきれる。
無意識どころか、自分の表面に現れた行動すらも自覚していない。
大日さんが桐山さんに依存していないとは言わないが、
一修行者さんに比べたら、ここ数ヶ月でずいぶん離れている。
それに比べて、一修行者さんは相変わらず、桐山さんに植え付けられた無意識だの
チャクラだのと空虚な神秘主義的な言葉を並べて依存している。
一修行者さんに、無駄だとは思うが、助言する。
無意識というとらえどころのないものをあれこれ頭で考える前に、
まず現実に見える自分の心と言動をよく見てはどうか。
それがまた釈尊の説いた修行なのです。

489 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 13:12:15 ID:TDOdaw2a
>314 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 01:21:36 ID:IVponZ/c
>慈水さんや如来の子孫さんが因縁を切ったと言われているが、私は信用する。

年末の「大爆笑賞」を誰が獲得するか、いよいよ混戦してきた。
この一行は一修行者さんの頭の中を実によく示している。
運命解脱とはなんぞや、無意識とはなんぞや、などといくらご立派な
言葉を並べても、上記の一行で、あなたがただの「オカルト好き」なのだとわかる。
だから、桐山さんの大嘘を並べられても何にも感じない。
自分のオカルト好きな欲求が満たされるものなら、なんでもいいのだ。
無意識について強い興味を持っているのなら、ジミズさんと子孫さんの無意識にどころか、
表面意識に垂れ流しになっている煩悩に気が付かないはずはない。
いかにあなたのいう無意識なんて空虚で地に足のつかない内容かが
こういう書き込み一つを見てもわかる。
あなたは彼らの文章からほとばしるような慢心と鬱屈した自己顕示欲を感じないようだ。
人間だから慢心や自己顕示欲はお互い様としても、程度というものがある。
体臭みたいなもので、お互い様なのだが、ジミズさんと子孫さんは鼻を
つまみたくなるくらいきつい。
私は議論の内容よりも、彼らの文章から漂う慢心や鬱屈した自己顕示欲の臭いが耐え難い。
だが、一修行者さんはその臭いが逆に好きなんですね。
どうしてわかりますか。
あなたが彼らの臭いに普段から慣れているからです。
彼ら二人よりももっと強烈な慢心と鬱屈した自己顕示欲の塊のような
男をあなたは崇拝しているからです。
だが、あなたが好きなその臭いこそが、釈尊が汚れ、不浄であるとしている。
アゴン宗はわざわざ煩悩を増大させるような環境だから、
一修行者さんは自分の信仰がどれほど釈尊のいう汚れが多いか気が付かず、
むしろ、その臭いを好ましいものと思った。
もう少し、釈尊の教法を、無意識からではなく、表面から理解したほうがいい。

490 :○○屋:2008/12/02(火) 13:13:09 ID:OQQ/D6cl
ひとつ質問があります。

フロイトが潜在意識を追究するきっかけとなった、条件付き後催眠(だったかな?)です。

ユビキタスさんの受けた心理学講義ではどういう解釈でしたか?つまり、後催眠も嫌なことはしない、とか、かからない、とか・・・
わたしは・・・というか阿含宗の教義では、これが『○○の因縁』の原理であるように説かれている。この『条件付き後催眠』を解く方法があれば、その延長線上に○○の因縁解脱の方法があるとおもう。

多少スレ違いにはなるが、議論する価値はありそうです。

釈尊は『因縁解脱』を説かれなかったが、因縁解脱が可能ならば阿含宗の信仰を是とする人がいても否定できない。

491 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 16:48:16 ID:0Hv7+tWG
催眠術で因縁カルマは解けません・・・www
その人の言葉と思いと身の行動でしか解けません。
あなたが死ぬほど恐れる業報を逃れたかったら、言葉でも思いでも身の行いでも
悪しきをなさずに善いことのみ行うしか道はありません。

492 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/02(火) 18:26:18 ID:qwbqjovg
所用で茨城県に行っていた訳だが、お前らも批判ばかりしてないで
たまには旅に出たらどうだ。批判する事が無価値だと思えてくるだろう。

>>148

>このスレをアラシてるのは「擁護側」だよ。

馬鹿だなお前は。阿含宗を荒らしているのはお前ら批判者側だろ。
妄説ばかり書き込んでは荒らしている。お前は先生の仰る事に
「はい、はい」と返事していればそれで結構。
お前が小学生の頃、先生の云う事に「はいはい」返事してただろ。
それの延長だと思えばいい。いつから心が捻じ曲がったのだ。

先生はお前の年より倍生きている。仰る事は全て正しいのである。
お前も賢者になりたければ、まず「聞く」を身につけるように。

493 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 19:05:20 ID:2sLLOEyJ
>>490
大学時代ろくに勉強しませんでしたので困ったな。
私の専攻は知的障害児教育でしたから、心理学は必須でしたが、所謂フロイトらの精神分析学派など
とはほとんど畑違いなんですね。
そりゃそうでしょう。抑圧されたリビドーから知的障害が起こるわけではない。
主に学ぶのは、発達心理学とか学習心理学ですね。
基礎としては認知心理学を学ぶわけです。
心理学にもいろいろあるわけですね。
臨床心理学みたいに精神分析的なものも含むものもあれば生理学に近いものもある。
現代心理学の動向は認知科学として自然科学に近いところまで迫ろうとしています。
医学や生理学を基礎にして。実験心理学的な色彩が強いわけです。
私の高校時代にも西宮の関西学院大学(偏差値高くて入れんがや)の文学部心理学科などはパブロフの
条件反射の研究を得意にしていたとか。
文学部にあって理科系みたいな色彩があるわけです。
心理学という学問は肩身の狭いコンプレックスを抱えている。
決して自然科学としての厳密性を備えているわけでもなく中途半端です。
その最たる分野が臨床心理学とか精神分析です。
結局その学派の思想に左右されている観がある。
〇〇屋さんは信じられますか?
フロイト夢分析とか。なんでもリビドーで解釈してしまおうというあの考え。
結局はフロイトさんの思想としか言い様がない。
後催眠現象というのはあるわけです。
やはり催眠の状態にあっても外界の刺激を受容している部分がある。
しかしだからと言ってそれが絶対であり、催眠中の暗示に対して我々の自我は抗うことができない
なんて小説みたいな話でもない例として「さあ、服を脱ぎなさい」の話を出したわけです。
フロイトにしてもソンディにしても、桐山さんはもうそれが絶対、操り人形のようなものなのだ
と決めつけたところがオカルトなんですよ。
絶対強制運命なんてものはない。
ソンディ心理学を見てみましょう。
あれって因縁心理学になり得るのか?

494 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/02(火) 19:43:16 ID:Q6b1CjCO
>>492
>所用で茨城県に行っていた訳だが

ピーナツの買い付けか?

495 :○○屋:2008/12/02(火) 19:49:03 ID:MghZkugM
>491 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 16:48:16 ID:0Hv7+tWG
催眠術で因縁カルマは解けません・・・www
その人の言葉と思いと身の行動でしか解けません。
あなたが死ぬほど恐れる業報を逃れたかったら、言葉でも思いでも身の行いでも
悪しきをなさずに善いことのみ行うしか道はありません。

このレスが擁護なのか批判なのかさだかではないが・・・議論の流れでは釈尊はそもそも
「カルマからの解脱」を説いてはいなく、十二支因縁も「因縁解脱」や悪しき運命からの
解脱の可能性を示唆してはいないわけだから、行為によって、「因縁解脱」は不可能であります。

>絶対強制運命なんてものはない。
ソンディ心理学を見てみましょう。
あれって因縁心理学になり得るのか?

しかし・・・釈尊が十二支因縁で言った「行」などは人生上の形勢力ですから
運命的なニュアンスを感じます。カルマによる趨勢はあるが、強制力はない、
とも解釈できるが、あくまでも趨勢であり、人生を切り開くのは自分の行為と
その「報い」であり、その報いをよりよいものに変えることは重要だが、過去の
行為の報いは変えられないのであれば、過去世の運命も変えられないものであると
の解釈では、誕生以前の行為の報いを受ける幼児には救いは無いことになる・・・


496 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 20:03:15 ID:2sLLOEyJ
>>490
ソンディ心理学を調べたかったら、佐竹隆三さんや大塚義孝さんの本でも図書館から
取り寄せてもらう手もあるが、ネット検索でもある程度調べがつきます。
ソンディテストができるところもありますよ。探してみてください。
何枚かの顔写真を見て、どちらかというと好感を覚える好きな写真を2枚、どちらかというと嫌悪感
を覚える嫌いな写真を2枚選ぶ。これを何度かやる。
それで自分がどの遺伝圏の類型に属するのか診断されてしまうわけです。
遺伝圏とは緊張病型とかヒステリー型とかてんかん型とか精神疾患の要素をどれだけ内在しているか
の指標なわけです。だから提示される写真がそれぞれてんかんやヒステリーの患者の写真なわけですね。
彼は精神医学者ですから。
ヒステリー型はヒステリーに共鳴し、てんかん型はてんかんに共鳴するという理屈だが
その理論自体に無理はないか?
それ以前に顔を見ただけで相手の気質まで読み取れるものなのか?
とにかくそうやって何種類かに分類された病的な気質パターンに振り分けられる。
それぞれプラスとかマイナスとかついて。
てんかん型プラスと診断されたとする。
じゃあこの人はてんかんになる運命なのかと言うとそんなことはない。
てんかん型とてんかんは違うのです。
これを理解するのに学校でも習うクレッチマーの性格類型を考えるとよい。
ソンディと同じ投影法によって得られた類型です。
体格で判断するのですね。やせ形は分裂気質、肥満型は循環気質、筋骨型は粘着気質でしたっけ。
分裂気質だからと言ってやせ型はオール精神分裂病なんてわけではない。
これと同じでソンディテストを受けると必ず何らかの精神病に類型化されてしまう。
しかしそれだと人類オール精神病になる。
ほとんどの人は健全な社会人です。
そういう道を選択している。自由運命を選択することができて普通にやっている。
実は運命なんか方向付けてすらいない。
これでもソンディ心理学は桐山因縁心理学になるのか?

497 :○○屋:2008/12/02(火) 20:10:23 ID:MghZkugM
実はそんな話しも「因縁解脱」の出来ない阿含宗の法の下ではむなしい空論でしかないが・・・

498 :○○屋:2008/12/02(火) 20:40:58 ID:MghZkugM
>これでもソンディ心理学は桐山因縁心理学になるのか?

ソンンディ心理学と桐山因縁解脱論との関係性などは興味の外。喩えて言うならば
振り込め詐欺の被害者探しの切り口に過ぎないわけでしょう?

私の疑問は宿曜占星術や大善地法などの大乗仏教が運命論に対し正面から対峙しているのに、
釈迦仏教の立場が「運命変更不可能」では情けないのではないか?と思うわけだ。

それが釈迦仏教だ、といわれるならばそれまでだが、少しは可能性を探ってみたくないですか?


499 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 21:29:29 ID:2sLLOEyJ
>>498:○○屋 :2008/12/02(火) 20:40:58 ID:MghZkugM
>ソンンディ心理学と桐山因縁解脱論との関係性などは興味の外。喩えて言うならば
>振り込め詐欺の被害者探しの切り口に過ぎないわけでしょう?

おっさん、おっさん!
↓こんな質問しといて興味ないはないでしょ?

>ユビキタスさんの受けた心理学講義ではどういう解釈でしたか?つまり、後催眠も嫌なことはしない、とか、かからない、とか・・・
>わたしは・・・というか阿含宗の教義では、これが『○○の因縁』の原理であるように説かれている。この『条件付き後催眠』を解く方法があれば、その延長線上に○○の因縁解脱の方法があるとおもう。

>多少スレ違いにはなるが、議論する価値はありそうです。

桐山さんがインチキとわかっていても、しかし桐山さん以外のところででも、桐山さんが因縁解脱と
示した運命転換の概念だけはどこかに可能性はないかと模索してるのが今のあなたの立場でしょ?
だからこちらは参考までにフロイトの話やソンディの話をしてあげた。
その結果は運命心理学などと名付けられてもソンディ心理学は運命など実は説いていない
ということなんだよ。あなたがどの遺伝圏の類型に属するか診断する。しかし診断されてもそこから
運命なんか導き出せない。
自由に人生航路を自我が選択しているからだ。
定められないのだ。
運命も説いていなければ、そこからの脱出も説いていない。
つまり因縁解脱の話につながらないのだ。
それを教えてあげているのに。
ワシは何のために暇を割いて・・・グスン。

500 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/02(火) 21:39:48 ID:Q6b1CjCO
>>499
>こんな質問しといて興味ないはないでしょ?

興味ないとアタマで思ってても後ろ髪引かれてるようです。
>>498
>釈迦仏教の立場が「運命変更不可能」では情けないのではないか?と思うわけだ。
>それが釈迦仏教だ、といわれるならばそれまでだが、少しは可能性を探ってみたくないですか?

501 :高城浄海:2008/12/02(火) 21:43:52 ID:qDq3jLcV
懐かしや、ソンディテスト。私は、h+s±e+hy±k+p+d−m0みたいなパターンが多かったな。しかし、あの写真から好き嫌いを選べといわれても…。

502 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 21:49:37 ID:z/zuDJkA
>>492
妄説とかいう割には何一つ論破してないような
いつも口だけじゃんおっさん
んで、いつも逃げる。これがおっさんの実態

503 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 22:02:34 ID:2sLLOEyJ
>>498:○○屋 :2008/12/02(火) 20:40:58 ID:MghZkugM
>私の疑問は宿曜占星術や大善地法などの大乗仏教が運命論に対し正面から対峙しているのに、
>釈迦仏教の立場が「運命変更不可能」では情けないのではないか?と思うわけだ。

大善地法は大乗仏教でもなければ運命転換法でもない煩悩除去法だけどね。。。
しかしどうして運命が定められていると考えるのさ?
釈尊以前のインド社会ではカルマを運命のように捉えていたが、釈尊はカルマを
今行うところの行為としてしか示さなかった。
要するに運命なんて考えなかった。
あなたも運命なんて考えずに自由に希望をもって我が道を歩めばよいではないか?
できるできない、なれるなれないは別として。
運命と言うのならばなあ・・・人間なんてものは常に限度のある脆い身だ。
簡単に壊れて死ぬ運命よ。
例えばサイコロの目が当てられないだけで頭上から鉄球が落ちてくれば、その鉄に当たったミツルは
頭から血を流して死ぬ。
もっともそのミツルが花形満ならば鉄球を鉄バットで打ち返してしまうかもしれんが。
ノミで指をぶっ刺せば指は簡単にちょん切れる運命だ。狙われた指に鉄板でガードしなければ。
四方形の高い台の三方が対岸に渡れない障害物のある環境でジャンプすれば、生存確率4分の1の運命だ。
一夜一夜に人見頃、これをいよいよ21人見殺さナインとアホな回答をすれば串刺しの運命だ。
アンカー問題をはずすとアンカーは「ころしたろう」とギロチンにしてくれる運命だ。
しかしどうしてそんな運命を選択する必要がある?
我々は運命など気にせず懸命に生きればよい。
わかったか?!

504 :◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 22:09:56 ID:2sLLOEyJ
>>503がわかった方には次の表彰状を差し上げます。

表彰状
アンタはエライ!


副賞一千億円は在全無量からもらいなさい。
あるいは福本伸行からもらいなさい。

505 :○○屋:2008/12/02(火) 22:13:37 ID:MghZkugM
>しかしどうして運命が定められていると考えるのさ?

十二支因縁が運命を暗示しているからさ。

506 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 22:33:22 ID:2sLLOEyJ
>>505
十二因縁の法則は運命論ではありません。
あれは存在論です。
無明という煩悩があることによりて、いろいろと執着取捨選択の過程を経て人間に生まれてくる
という話です。生まれてくるから必ず老いて病んで死ぬ。
生存の基盤の存在論です。
その生存が幸福な運命であるか不幸な運命であるかなんて問題にしてません。
無明をなくせばもう生まれてこないと説いているのです。
あなたは生まれてきてしまっているのだ。
生まれてこなければよかったと悔やんでも意味がないのです。

507 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 22:52:11 ID:TDOdaw2a
>>505 :○○屋:2008/12/02(火) 22:13:37 ID:MghZkugM
>十二支因縁が運命を暗示しているからさ。

ユビ先生「諸君、がんばって勉強するんだよ」
○○生徒「勉強で成績が変わるから、運命が変わることを意味する」
ユビ先生「運命なんて、そんなことに囚われないで、とにかく頑張るのだ」
○○生徒「だって勉強しなかったら三流大学で、勉強したら一流大学に
入るのだから、運命が変わるのだ」
ユビ先生「しつこいなあ。勉強と運命なんて関係ない。おまえの努力次第だ」
○○生徒「先生の勉強しろってのは運命を暗示しているわけでしょ。
十二教科を全部がんばって合格して、運命を好転せよ、と暗示している」
ユビ先生「あのね、教科書のどこに運命なんて書いてある?
ヲレが運命の話なんかしたことあるか?
ヲレはただ勉強しろっていっているだけ」
○○生徒「勉強して一流大学入って、運命を改造しろってことでしょ。
先生の言いたいことはわかってるって」
ユビ先生「・・・だミだ、こりゃ」

508 :旭 歳三 ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 23:10:41 ID:2sLLOEyJ
〇〇生徒と聞くと、ゼロセンも思い出してしまうな。
これ、〇〇生徒。キサマに日本人をしつける。
股を開いて歯をくいしばれ。

509 :○○屋:2008/12/02(火) 23:24:24 ID:MghZkugM
存在する為には過去の経緯があり、存在の根本原因をチャラにすることが涅槃だとすると。

確かに運命の入り込む要素はないようです。つまり阿含宗の因縁論はある意味正しい。
運命論があり、インドの「常見」があり、その前提で考えるならば、そんなものは実は
ないんだから、「因縁解脱」を目指した時点で因縁は解脱する。なぜならば最初から
因縁がないんだから、解脱も何もないと思えばない、自由運命です。しかし、釈尊は
そのような自由運命も「断見」として退けています。

「常見」という運命論も、「断見」という自由人生論もいずれも釈尊は否定していますね?

510 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/02(火) 23:29:04 ID:2sLLOEyJ
〇〇屋さんは生まれてきたのだから、老いて病んで死ぬのが運命です。
さようなら。

511 :神も仏も名無しさん:2008/12/02(火) 23:41:50 ID:0Hv7+tWG
○○屋ってアタマ悪い〜www
仏陀や仏弟子は、心口意の三つの行為がその人の業報を決めると言ってるのに・・・。
仏教の根本は業思想だよ。
桐詐欺ジジイのオカルト因縁論とは何の関係もないよwww

512 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/03(水) 00:01:18 ID:2sLLOEyJ
>>487:神も仏も名無しさん :2008/12/02(火) 13:02:57 ID:TDOdaw2a
>桐山さんも認める公式な体験談とは、『守護霊の系譜』に出てくる高森先達の事件、
>あるいは、「桐山どのお〜!」の奥方様の現形の件です。

逆にその2件って、無意識の気まぐれをよく説明してくれてますよね。
無意識の意識が運命を決定するなんてオカルト論でなく。
高森さんの旦那さんも幕末から維新にかけての歴史も疎い、中山忠光なんて名前すら聞いたことがない
と言うのならまだよいが、中山神社の氏子総代であり、かつアゴン宗の信者だから
悲惨な亡くなり方をした忠光卿を不憫に思い、常日頃から機会あらば解脱供養差し上げてあげたい
と思っていたところ、勤行がおわったふとはずみに頭の隅にあるそれ(無意識)が表出して口にのぼった。
つまり高森夫人の普段の潜在願望です。
脳梗塞で倒れた旦那も同じで中山ですと口走ったのは日頃の忠光信仰です。
つまり忠光の霊障など想定する必要がない。
では何かと言うと頭の片隅の無意識の気まぐれです。
桐山どの〜もそう。
あのテープを聴いて誰もが頭の片隅で、これって奥方様でなく、霊障発現したおばさんの潜在願望が
寝言のように言わせているだけじゃないの?とチラとでも思わなかったか?
これも無意識の気まぐれですね。
大した働きしてないけど。

513 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/03(水) 00:10:51 ID:R1ZRNPhC
>>487:神も仏も名無しさん :2008/12/02(火) 13:02:57 ID:TDOdaw2a
>桐山さんも認める公式な体験談とは、『守護霊の系譜』に出てくる高森先達の事件、
>あるいは、「桐山どのお〜!」の奥方様の現形の件です。

かつて「チャンネルをまわせ」を書いた時には、古代ヘブライ語やチベット語を一様に喋りだし
聖者の行進となる他教団の話を生まれ変わりなどではなく、記憶の局留めという作用に他ならないと
「ブラックボックスの秘密」という本から引用して示した。
迷信を受け付けないなかなかの知性派と思った。
しかし自分んとこの教団でもっとお粗末な体験があると、このような当たり前の合理的解釈をせず
霊障の話にして恥ずかしげもなく宣伝に使う。

514 :神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 01:11:48 ID:jMjGN7FF
心口意→身口意、なwww

515 :神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 17:25:19 ID:m+A/Shsi
虚空蔵求聞持法 集合的無意識とは?
http://jp.youtube.com/watch?v=F1R4Pt2ckwI

The miracles of Medjugorje - The miracle of Love
http://jp.youtube.com/watch?v=VidO3RyFNgA

チャクラは法輪と輪宝の意であり
転輪王が輪宝を転じて敵の軍隊を打ち破るのを
仏が法輪を転じて煩悩を打ち破るに喩えた論で
輪宝とは古代インドの太陽神スーリャが乗る円盤の戦車。
ファティマの太陽(日輪)はイエスの愛が
仏が法輪を転じて煩悩を打ち破るに喩えた論と同じメッセージです。

516 :神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 20:11:08 ID:1cAfsUv0
                / <
                  __>    ̄
                  /   /\ |\
               ハ  // ̄
                / |
          ( ◎) / .|
         _ノ(ノヽノ  .ヽ-ヾ _
       /           \
      /  ノ人         ヽ
        | イ・ヽ\)        )
      | .|   |   ヾ)        )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ヾ人__ノ(。。` ヽ       /  | 父さん!
       | ⌒     |   ノ  ノ <
       人   |     レノ   /   |ユビキタスさんが妖怪宇宙観から
        ヽ、 ⌒   ノノノノ     しても正しいとわかりますね。
       /~/`ーーーー´/___/ヽ     どうして人間は阿含宗など信じて
       / | ̄~|ヽ/\/|   | |    しまうのでしょうか・・・・。
      /  |__|   o  .|__| |   \_______________



517 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/03(水) 23:43:28 ID:R1ZRNPhC
全国のユビキタスファンの皆さん。
夜も更けました。おやすみなさい。
また明日。
今やらねばいつできる?
いつでもできる。


518 :樹意:2008/12/04(木) 06:16:49 ID:hxuCNShW
>>505
> 十二支因縁が運命を暗示しているからさ。

四聖諦の 苦聖諦は 「要するに五取蘊は苦である。」
というものです。
高位顕職に就こうが、名誉財産があろうが、「要するに変化し無常なるものは苦である」
というのが 苦聖諦 です。
仏陀が説法する際も変化し無情なるものは 苦であるか
否かという問いを仏陀が問答相手にし、相手に「苦」であると答えさせそれから仏陀の本格的な
説明というか説法が始まる。
神通力にしてもそうです。 純観行阿羅漢を説くスシーマ経にしてもそのように見て貴方はそれを
享受するだろうか?と仏陀がスシーマに問い、スシーマが「そのようなことはございません」と
答えるシーンがある。 どこをどう経巡ろうが老死は免れない、
運命をあれこれ思惟するのは、結局この世界(三界)(苦界)に生起する足がかりを作るだけの
ものであるからこれを煩悩として規制する。 煩悩を条件としてこういう世界に生まれてくることを
繰り返す、(その生存しているあいだの五蘊を我と認識する) だから煩悩という条件(この世界に
執着する) が無くなるなら解脱するということなのです。



519 :樹意:2008/12/04(木) 06:27:09 ID:hxuCNShW

慧解脱である神通力を持たない純観行阿羅漢たちは、この世界が無常であり変化する
ことをきっちり認識した方たちです。
無常である世界で修行するわけですから、いつ何時アクシデントに見舞われるか
わからない、 実際トラに食われながら 道智を獲得する比丘もいたようです。

であるから最短距離で仏陀の聖道智を獲得しに来る人達です。

運命がどうのこうのというのは要するにこの五蘊(心身)が何を享受するのか?
というものをあれこれ思惟する行為にすぎない。
仏陀は 四聖諦 苦聖諦で「要するに五蘊は苦である」 と説いている。




520 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 11:20:47 ID:SE1uoaNs
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY

>ならば逆にユビさんに問います。
>四六時中の自己観察をしているユビさんが刃物を持った人に襲われたとき、逆に相手を殺すことはないのか?
>あっさり刺されて死を選択するのか?
>そんな状況の判断を今の状態で決められるのか?

まずいきなりこの質問から答えましょう。
そうですね。もしそんな暴漢にあったらとにかく可能な限り逃げることを考えます。
「きゃああああーーーー!!!!誰か助けてええええーーーー!!!!人殺しいいいいーーーー!!!!」
しかし逃げおおせるものでもないでしょう。あっさり刺殺されるかもしれない。
殺されないように必死に抵抗は試みるでしょう。
その結果不本意にも正当防衛的に相手を殺してしまう結果になることはないとは言い切れません。
それはあり得るでしょう。しかし極力過剰防衛にならないようにしたいですね。
ザのスレで轢き逃げして3キロ被害者を引きずった事件の話したでしょ?
私だって誤って人を轢いて死に至らしめることはないとは言い切れない。
しかし轢き逃げはやらない自信はある。
それと同じで、正当防衛まではあるかなと。
しかしもちろん正当防衛でも殺すのは嫌ですね。もちろんみすみすと殺されたくもない。
その結果不本意な殺人は私にはあるかもしれない。
しかしこれは私が仏教徒でない平凡な小市民だからそのような予測をするのであり、本当の仏教の僧侶
あたりであれば無抵抗にして刺殺される身となるでしょう。
正当防衛でも殺すことはない。世間の法律は関係ないのです。
殺すくらいなら殺される方を選ぶのが本当の仏教徒です。
つづく

521 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:15:36 ID:CM3IbA4G
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[257]如来の子孫 08/12/02 11:33 1REjX9mtCS
>中村元先生の相応部訳にも、第三篇 コーサラの第三章の第四節の
>弓術の釈迦の言葉に、「これ以上学ぶ要のない幾多の解脱を具えてい
>る」とありますし、訳註に「解脱も多数存するのである。一つではな
>い」と、あります。

子孫さんはこちらの書き込みなど読んでいないのでしょう。
すでに>>452で反論しても、[290]でまだ輪廻解脱のことを言っている。
信者さんたちが子孫さんの書き込みに納得などされると困りますから、
前に書いたことと同じだが、反論しておきます。
阿含経には「幾多の解脱」があります。
子孫さんが引用した他にも、よく使われるのは慧解脱、心解脱、倶解脱などです。
心解脱はアゴン宗でも用いるが、意味が違いますから、ご注意ください。
阿含経にはたくさんの○○解脱がある。
では、釈尊とはそのようにたくさんの解脱を説いたのでしょうか。
何十も○○解脱があって、しかもそれが全部解脱だといったら、
いったい、釈尊とは何を説いた人なのか、訳がわからない。
名称はたくさんあります。
解脱だけでなく、修行法だって100科550道品もあるのですよ。
これをこのままたくさんの解脱、たくさんの修行法があると解釈したら、
釈尊は解脱や修行法の卸問屋でもやっていたのかということになる。
そうではありません。
釈尊が説いたことはたった一つなのです。
言うまでもなく、それは煩悩を切ることです。


522 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:18:49 ID:CM3IbA4G
>[257]如来の子孫 08/12/02 11:33 1REjX9mtCS
>中村元先生の相応部訳にも、第三篇 コーサラの第三章の第四節の
>弓術の釈迦の言葉に、「これ以上学ぶ要のない幾多の解脱を具えてい
>る」とありますし、訳註に「解脱も多数存するのである。一つではな
>い」と、あります。

子孫さんが引用した経典と中村博士の説明は、
『ブッダ神々の対話』の221頁と336頁にあります。
221頁の経典では、「幾多の解脱」という言葉がでてきます。
これだけ見ても、何のことかわからない。
まず釈尊が誰に何を説いたのかをみることです。
これは大王に、出家に供養するように説いている場面です。
出家の性質の一つとして「幾多の解脱」が出てきます。
釈尊は、出家とは五つの性質を捨て、五つの性質を備えると説いている。
それらは、貪欲、憎悪、倦怠、後悔、疑いという五つ煩悩を捨て、
戒律、精神統一、智慧、解脱、解脱知見の五つが得られるという。
戒・定・慧という三学を修行して、五つの煩悩を捨て、解脱し、
解脱したという知見が得られると述べているのです。
ありふれたと言ったら釈尊に失礼だが、この経典では
何も新しいことや複数の修行法を説明しているのではありません。
「幾多の解脱」とは、「幾多の戒律」「幾多の定」「幾多の智慧」に
言葉を対応させているにすぎない。
修行法を「道」の1つだと言っても、八正道の8つでも、三十七道品の37でも、
十上経のように550と言っても、同じことです。
解脱も同様で、八解脱、慧解脱、心解脱、倶解脱、慈解脱など様々あります。
何十という○○解脱があるからといって、釈尊はたくさんの解脱を目指せと説いたのではありません。
○○解脱、○○修行法、○○戒律はたくさんあるが、その目指すところは一つで、
煩悩を消滅させることです。
これは次のようなたとえをすると理解できます。

523 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:22:01 ID:CM3IbA4G
>[257]如来の子孫 08/12/02 11:33 1REjX9mtCS
>る」とありますし、訳註に「解脱も多数存するのである。一つではな
>い」と、あります。

クロネコ、サビネコ、トラネコ、ブチネコ、ミケネコなど「幾多の猫」がいます。
これらを別々の種類のネコであるとは言わず、総称してネコ、
あるいは日本猫と呼びます。
子孫さんは、「トラネコやミケネコなど、ネコにもたくさんの種類があると解説書にある。
だから、あれらを日本猫だと呼ぶのはおかしい」と言っているようなものです。
いろいろな名称があることは事実だが、あれらは総称して日本猫なのです。
解脱も同じです。
阿含経には○○解脱がたくさん出てくる。
だが、それらに共通しているのは、「煩悩をなくす」ことです。
だから、総称して漏尽解脱(煩悩解脱)というのです。

524 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:25:43 ID:CM3IbA4G
>[230]干柿しわ雄 08/11/29 22:06 3IABRK/18D
>2chでそれが中心になって正論っぽくなってしまったから
>ただ煩悩解脱になっているだけじゃん!

干柿さんも相変わらず、煩悩解脱が解脱だなんてどこにあるのか、と書いている。
前に、私がこちらで反論したことは読んでいないのでしょう。
どこに書いてあるも何も、経典にはそれしか書いていない。
逆にどこを読んでいるのかと思ってしまう。
というと、信者さんたちは私の解釈だと思うだろうが、
実は、桐山さんがそのことを書いているのです。

『守護霊を持て』114頁
「輪廻からの解脱は、現生における渇愛の完全な滅却が必要であり、
そのためにはきびしい欲望の制御が必要であった。
ゆえに、それは、煩悩を断つ修行から始まる。」

桐山さんが阿含経を読み出したのはこの本を書く少し前からです。
これが桐山さんが阿含経を読んで、経典そのものを引用しながら
解説した内容です。
ご覧のように、阿含経を率直に読めば、桐山さんですら、「渇愛の完全な滅却」
「煩悩を断つ修行」としか結論が出てこなかった。
桐山さんですら、阿含経からは煩悩を切るという結論が読めたのです。
だが、桐山さん自身は煩悩なんか切りたくないし、何よりもこれでは商売にならない。
そこでこの後に、脈絡もなく、引用した阿含経に存在しない因縁解脱や
霊障解脱を突然くっつけて見せた。
だが、そのゴマカシの直前までは、桐山さんも正しい解釈をしていた。
桐山さんですら理解したのに、干柿さんは何を読んでいるのだろう。
阿含経のいたるところ、漏尽解脱だらけです。
『ブッダの真実の教えを説く阿含経講義 上』の阿含経を見て下さい。

525 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:29:56 ID:CM3IbA4G
「この説法を受けて、六十人の僧侶がもろもろの煩悩を起こさず、
心に解脱を得ることができました。」
(『ブッダの真実の教えを説く阿含経講義 上』80頁、応説経)

信者さんたちもお馴染みの応説経では、煩悩をなくすことで解脱したとあります。

「そのような訳ですから、おまえたちの中で四聖諦の悟りを体得していない者は、
一生懸命に精進して、増上欲を起こして学び、実践して、正しい悟りが早く得られるように心かげなさい。」(127頁、申恕林経)

四諦とは、苦集滅道のことで、苦の元は煩悩であり、それを断ち切る道とは
八正道であるという意味です。

「・・・わたくしの説く法と律によってもろもろの煩悩を断じつくし、
のちの世に二度と生まれることがないと、という境地に達しています。」(157頁、出家経)

この文章にあるように、ズバリそのまま煩悩解脱です。
釈尊は「煩悩を断じつくし」と述べている。
どこにも「因縁を切って」「霊障を解脱して」なんてありません。
出家経は五下分結、五上分結を切れば、沙門四果とよばれる境涯に達するという
説法であり、この「結」とは、桐山さんも訳しているように煩悩のことです。

526 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:34:58 ID:CM3IbA4G
「わたくしのもろもろの弟子の中にも、私の説法の真義が理解できず、慢の我執を起こす者がいます。
・・・(中略)・・慢を断ち切ることができず、今の生が終わり、五蘊が離散しても、完全に消滅せず、
陰とともに相続して生じるのです。」(244−245頁、仙尼経)

桐山さんが霊魂の嘘根拠とした仙尼経です。
ここでも、「慢」という煩悩を断ち切ることができずに、
輪廻転生が止まない、つまり解脱できないことが説かれています。
「煩悩が輪廻転生を引き起こす」と釈尊はこの経典で説いているのです。
仙尼経には霊魂はもちろん、悪因縁なんて出てきません。

「(衆生は)始まりのない昔から生死を繰り返し、無明に蓋われて、愛結に繋がれ、
果てしもなく長い間、輪廻転生を繰り返し続けるだけで苦しみの根本を知らないのです。」(264頁、無知経)

無明や愛結とは煩悩のことです。
これらの煩悩によって輪廻転生しているのだが、その苦の成り立ちを
理解していないから、果てしもなく輪廻という苦の中にいるのだと説いている。
ここでは、煩悩が苦(輪廻)の素であることを理解していないことを無明としています。
だから、煩悩が苦の元であると理解しておらず、煩悩を断ち切ることが
解脱であると理解していない人は、「苦しみの根本を知らないのです」。
桐山さんを筆頭に、子孫さんや干柿さんなどアゴン宗の信者全員の姿です。

「・・有漏尽きて無漏心解脱・智慧解脱を成し・・・」(295頁、善聚品)

善聚品から後の分別経、向経の三つは五根に関する経典です。
ここの部分の桐山さんの現代語訳には「因縁がつきて」などと、
原文には存在しない言葉をごまかして入れてあるので、原文を引用しました。
有漏とは煩悩のことです。
五根の修行によって煩悩が尽きたから、解脱したのだと書いてある。

527 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:40:30 ID:CM3IbA4G
>[257]如来の子孫 08/12/02 11:33 1REjX9mtCS
>る」とありますし、訳註に「解脱も多数存するのである。一つではな
>い」と、あります。

いかがですか。
私が選んだのではなく、桐山さんが選んだ阿含経の至る所に
煩悩を断ち切るという教法がある。
一方、因縁解脱や霊障解脱、あるいはそれに相当する言葉はただの一言も出てこない。
子孫さんは、「オシャカさんはミケネコ、トラネコ、クロネコと
おっしゃっているのだから、全部別な種類のネコだ」と言っているようなものです。
だが、ミケネコ、トラネコ、クロネコはすべて同じ日本猫です。
これと同じで、心解脱、慧解脱、倶解脱、慈解脱、八解脱など「幾多の解脱」も、
すべて同じ漏尽解脱(煩悩解脱)の中にはいってしまう。
そのことは、学者の解説を待たなくても、桐山さんが引用した阿含経にはっきりと、
煩悩を切れ、煩悩をなくせと書いてあるのを見ればわかります。

528 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:51:35 ID:CM3IbA4G
>[257]如来の子孫 08/12/02 11:33 1REjX9mtCS

釈尊の説いた解脱を理解するために、見方を変えたほうがいいのです。
「釈尊の説く解脱とは煩悩を切ることである」とは厳密には正しくない。
「釈尊は煩悩を切ること説き、それを解脱と言った」が正しい。
仏教は解脱を説いた、釈尊は解脱を説いたと多くの人たちは思っています。
その見方が誤解を招くのです。
解脱は釈尊の発明した言葉ではなく、当時のウパニシャッドなど、
バラモン教の言葉にすぎません。
解脱という言葉自体が、釈尊がよそから借りてきた物です。
涅槃、因果応報、仏陀、輪廻転生も借り物です。
仏教の教義をよそからの借り物の言葉で表現しているのです。
釈尊は特定の言葉を用いて教法を説くことを極力避けているように見えます。
当時の人たちが使っていた共通の認識のある言葉を使い、
そこに自分の教法を入れて理解させるという方法を用いています。
だから、「釈尊は解脱を説いた」は厳密には正しくありません。
「釈尊は煩悩を切ることを説いた」のほうが正しい。
解脱という言葉だけに子孫さんはひどくこだわっているが、
言葉として幾多の種類があるというなら、煩悩などその典型になってしまう。
桐山さんが講義した阿含経には「五上分結」「五下分結」「渇愛」「慢」「漏」などと
様々な言葉が出てきて、釈尊はこれらをなくすように説いている。
では、釈尊は別々のものとして説いているのではなく、
これらは総称して煩悩というのです。
幾多の名称は出しているが、一言でいえばこれらは煩悩です。
同様に、幾多の解脱も、一言でいえば、漏尽解脱(煩悩解脱)です。

529 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 12:56:23 ID:CM3IbA4G
>[257]如来の子孫 08/12/02 11:33 1REjX9mtCS

信者さんたちのために繰り返すが、阿含経には「幾多の解脱」の名称は
あるが、因縁解脱も霊障解脱もありません。
桐山さんが大解脱と称する因縁解脱など、言葉も概念もありません。
解脱者を自称する桐山さんは解脱の定義を間違えているのですよ。
それをごまかすために、『ブッダの真実の教えを説く阿含経講義 上』の講義でも
さかんに因縁解脱という言葉を混ぜ込んでいる。
そういう目でもう一度読み直してみてください。
桐山さんの嘘、ゴマカシが至るところにある。
阿含経には存在しない因縁解脱を、阿含経を講義しながら、
さもそこに書いてあるかのように巧みに混ぜている。
こういうのを、人を騙す、といいます。
子孫さんが、解脱にはたくさんの意味があると主張しているのは、
因縁解脱もその一つだと言って、批判を回避したいからです。
無駄な努力であることは、信者さんたちも見ていてわかるでしょう。
子孫さんのような詭弁の言い訳を考えるよりも、現実の阿含経をあるがままに見ることです。
因縁解脱なんて、阿含経はもちろん、インドの大乗仏教にも存在しません。
因縁解脱を説く宗教は外道だけです。

530 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 13:05:53 ID:SE1uoaNs
>>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY
>もしユビさんが四六時中の自己観察を練磨し最終的に無意識に到達したらどうしますか。
>「私は無意識には興味ありません」と、無視するのですか。

無抵抗、非暴力の実行例は経典でも確認できます。
アングリマーラやモッガラーナなどがそのよい例ですね。
殺人鬼アングリマーラは出家して托鉢に出るわけですが、アングリマーラの過去の行状を知る村人は彼に「この殺人鬼が、
息子を返せ」とばかりに石を投げつけた。アングリマーラは頭から血を流しながらも抵抗せずに黙々と
托鉢を続けた。下手をしたら命を落としたかもしれない。
これに対して釈尊は耐えよと励ますだけです。命の保証など約束しない。
アングリマーラにどんな危害が及ぼうとも絶対に自らは害意の煩悩を出さないように
修行させたわけです。
死んでしまった例もあり、それがモッガラーナです。
神通力第一のこのアラハンの聖者は異教徒に攻撃され、その当たった石の傷がもとで命を落とした。
要するに殺された。アゴン宗で言うならば横変死の因縁が切れなかった。
桐山さんには横変死の因縁がないから自殺しようとしてもできなかったそうですね。
しかしモッガラーナ は他殺された。
とにかく殺されても殺さない。相手に危害を与えない。
さて、一修さんはこの話を無意識の発動の話として出した。
いったいこの返り討ち殺人の話がどうして無意識の話になるのか?
考えてみましょう。

531 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 13:16:42 ID:SE1uoaNs
ん?>>530のコピペ範囲を間違えてるな。

>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY
>ならば逆にユビさんに問います。
>四六時中の自己観察をしているユビさんが刃物を持った人に襲われたとき、逆に相手を殺すことはないのか?
>あっさり刺されて死を選択するのか?
>そんな状況の判断を今の状態で決められるのか?

これを貼るつもりだった。

532 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 13:59:32 ID:SE1uoaNs
>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY
>ならば逆にユビさんに問います。
>四六時中の自己観察をしているユビさんが刃物を持った人に襲われたとき、逆に相手を殺すことはないのか?
>あっさり刺されて死を選択するのか?
>そんな状況の判断を今の状態で決められるのか?


人を殺す話がどうして無意識の話になるのか?
私が暴漢に対して正当防衛にでも相手を殺してしまったとして、それは決して無意識でもなく
何らかの意識を伴います。
無意識で人を殺したという場合、普通それを覚えていないということになる。
つまり文字通り夢遊病者のようになって操り人形のごとく人を殺したことになる。
俺覚えてねぇよ。
こういう例はありますよね。
泥酔した時です。
しかしだからこそ仏教では在家の最低限守らねばならない五戒に不飲酒戒を定めるのです。
理由は自制心が鈍るからです。自制心こそが仏教の命なんですから。
だから私は一修さんに問いたい。
>しかし私は阿含宗に出会う前から体験し、何人かの他人にも無意識の行動を確認している。
>だから、無意識の選択はあるのです。

この具体例を示してください。個人情報は晒す必要はないから。
その具体的な目撃例でわかる。
そう書くとあなたは違う違うと言いますよね。
表面意識が消失したのではない。表面意識は依然としてありながら、その選択行為には実は本人も
気づかないところで無意識の意識が働き支配されていたのだと。
だったら余計に具体例を示してください。
それが本当にそれしか説明のつきようがないものなのか、単なるあなたの仮説を あてはめただけなのか
皆で検証しようではないですか?


533 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 14:42:18 ID:SE1uoaNs
>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY
>しかし私は阿含宗に出会う前から体験し、何人かの他人にも無意識の行動を確認している。
>だから、無意識の選択はあるのです。

所詮はあなたの色眼鏡に他ならない。
原因があって結果が あるわけだが、あなたや桐山さんなどの場合、先に結果を想定してこれにあった
縁が必然的運命的に集まったからだなどと解釈する。
だからそれは単なる思想に過ぎないのです。決して証明してわかるものではない。
私も元信者だからあなたの言いたいことはわかる。
ここに2本の道がある。
左の道も右の道も何のへんてつもない道なんだが、左を通行すると何事もなく、右を通行すると
途中で運悪く崖崩れが起きて下敷きになって死ぬ運命だ。
私は何気に右を選んだがそれが運のつきだった。
私は崖崩れに巻き込まれ命を落とした。実はこれは約束されていた運命だったのだ。
だからあの交差点の岐路で右を選んだのは実は選ばされていたのだ!
このようなオカルトじみた選択論です。
こんな話は後になって後悔してからあの時左にしておけばと創作する話です。
右を選択したのが無意識の層に潜む煩悩だったと一修さんは言いたいのです。
しかし釈尊が指摘する煩悩にこんなものはない。
釈尊の指摘する煩悩とは、右の道を行くと女子高があるから道すがらコートの前をあけて露出して
その反応を見て楽しもう(注:俺はやったことねぇよ)とかそういう異図した醜い選択です。
本人がどうなるかも わからない衝動の選択などに煩悩は認めない。

534 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 15:10:02 ID:SE1uoaNs
>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY
>しかし私は阿含宗に出会う前から体験し、何人かの他人にも無意識の行動を確認している。
>だから、無意識の選択はあるのです。

あなたの体験の場合、選択したその瞬間にもそのボンノーを感じていたかもしれない。
自己破壊の願望ですね。
これは宝塔を破壊した前科のある私だからわかる。
大切な本尊である宝塔をぶち壊して罰でも当たればよいと自己破壊の願望(?)が顔をもたげた。
これはいかなる破壊願望かと言うと、新雪を踏み荒らしたいという願望から始まって、高所の淵を
歩いている時、落ちたらどうしよう?いっそ落ちてやろうかと考える複雑な恐怖とあきらめ感です。
しかし私はこれを不可抗力のものなんて思わない。
本当の危機に頻したら、その甘ったれじみたおかしな行動をとらないからです。
本当に危険な箇所では絶対に事故が起きぬように細心の注意を払い努力する。
自動車のハンドルを握った時にふざけないように。
結局はやわな環境だからこそ選んだ単に甘えではないかとわかる。
私は宝塔破壊以外にも自分の生活がめちゃくちゃになったことがあるが、これとても決して不可抗力な
無意識のなせるわざなどと思ってない。
意識的努力で防げたことだと思っている。
単に自分に対して甘えやすねがあっただけだ。
本当のピンチならばもっと自律神経もしゃんとして死に物狂いで乗り切るはずだ。
やはり大切なのはわかりもしない無意識をどうにかしようと夢みたいなことを言うのではなく、
表面意識で現実を直視して、嫌でも何でも現実努力をすることです。

535 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 15:53:44 ID:SE1uoaNs
>328:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/03 00:44:30 ID:0urfXhUY
>これが逆です、現実を直視するからこそ無意識に挑戦するのだ。
>無意識の変革を否定するほうが逃避なのだ。

無意識の変革、いや、自己の変革とは決して表面意識と切り離したものではなく、またおかしな
オカルトに走ることではない。
やはり四六時中の自己観察です。
そりゃ暴漢に刺殺されようかというピンチにゆっくりと自己観察などできるかと言いたいのでしょう。
しかし普段から自己観察をする習慣、修行をしていたならばはずみの他殺は生じても過剰防衛の殺人
には至らない。どこかで歯止めがある。
人をはねることがあっても轢き逃げなどしないように。
原始仏教でも煩悩が内在している時は随眠と言うのでしたよね。
これが表面に現れる時、纏と呼ぶ。
すなわち随眠が纏と なってもたげた瞬間を見逃さないのです。
酒なんかで麻痺させずに。
それは運命などではない。四六時中監視せよと説くわけです。
無意識の選択した運命なんだから表面意識の努力は空しいと信念を持つことが逃避です。
あなたも基本は道徳重視、表面意識の努力を原則とする立場ですよね。
だから常に念じることは無意識の層にまで浸透していくのですよ。
私が夢の話を書きましたよね。
夢にまで桐山さんを批判する意識を育てた。
徐々にでも浸透させ深化するのは不断の努力によるものです。
それを水と油は無関係とか、抑圧は葛藤を生むとか、知性と意志の行う決断(行動)は無関係とか
まるで有害無益であるかのような言い訳であきらめないことです。
で、無意識の変革にあなたは何をやってるのですか?
チャクラの開発ゴッコですか?

536 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 16:17:44 ID:oqSA4eqr
チャクラの開発ゴッコは、昔観音慈恵会時代にクンダリニーだのヨーガだの
喚いてた時によく言ってましたね・・・。
あの時は本山博先生のクンダリニー・ヨーガをもろにパクって偉そうに超人きどりしてたな〜ぁw

あれで当時の若者がずいぶん騙されて益々悩みを深くして、とうとう最後は仏教に対する深い不信感を
植えつけられたものです・・・。


537 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 17:04:52 ID:SE1uoaNs
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>329:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/04 01:55:55 ID:HtFJasJI

ここにも2点レスしたい。
まず1点はあなたが2で書いたレス番含めた書き込み内容の一部転載を幾度も繰り返す点ですね。
私に言わせると、絶対にそうすべき(七氏さんのようにすべき)とは思わないが、あのスタイルは
便利なので踏襲している。
コピペをしないと私はよく番号すら間違える。
私はよく携帯から書き込む。携帯にて書き込みの画面に入ると、レスしたい文章が読めなくなる。
だから番号も忘れてしまう。
番号だけではない。私も長文だが、あなたも大日さんもなかなかの長文だ。
1ログに対して1レスで済まないのは、こちらの指摘したいことが多面あるだけでなく、
あなたの長文の中に複数何点も主張したいものがある。
それは一度にまとめてレスできるものではなく、やはり厳密に切り分けてレスすべきものです。
当然レス番号だけでなく、どこの文章にレスしてるのか示す必要がある。
だからしつこいと思われても一々このレスはこの文章内容につけているものですと示してあげることが
周囲への親切心というものです。
逆に番号だけ示されると、読者は少し困る。
その番号を遡らなければならない。
半角記号の>>に半角数字の番号があれば、同一スレの場合、そこをクリックすることによりすぐに
飛んでいけるが、一部書き込み内容があればクリックせずとも一度読んだ内容を思い出せる。
ところで私のこのレス、番号とネームなどがあるだけで内容の文章を一部転載してませんよね。
これ携帯の限界なんです。
ザのスレはコピペ機能がないが2ちゃんねるや大日スレなどは携帯でもコピペできる。
しかし長文だと下の方まで複写できないのです。

538 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 17:43:53 ID:SE1uoaNs
>329:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/04 01:55:55 ID:HtFJasJI

次にジミズさんや如来の子孫さんが煩悩は解脱してないけど因縁は切れていると判断する点について。
これにはまず孫 青柿さんが指摘しているように、あなたのポリシーに矛盾する。
あなたは煩悩解脱をすればそれはそのまま運命解脱につながるという一修論ですよね。
子孫さんらは煩悩解脱できてないと認めるのにどうして運命解脱の因縁解脱ができてしまうのか?
また桐山さんの説とも矛盾する。
桐山さんは煩悩解脱だけなら小解脱とし、心解脱だけでない身解脱と命解脱を説いた。
この命解脱が運命の転換であり、一修さんの言う運命解脱です。
桐山さんは運命転換の因縁解脱を大解脱としている。
小解脱もできてない奴らがどうして大解脱たる因縁解脱ができるのだ?
如来の子孫さんなどはその書き込み内容でお里が知れているのです。
彼は因縁診断を受けておらず、これまでの長年の人生経験からこの因縁とこの因縁が
あったはずだと供述しているだけです。
具体的には絶対に示さない。
ただ若い頃は怪我も多かったのだそうだ。それが最近ないから肉体障害の因縁が切れたか薄れたかと
判断している。私は指摘した。私だって子供の頃は走り回り無茶もし、転んで膝小僧を今はなき赤チン
塗ることはしょっちゅうだったよ。今は無茶もしないから転びもしない、怪我もしない。
彼は真冬に頭から冷水を浴びたいくらい悩み追い詰められたことがあるらしい。
それが今では安泰な毎日だ。
私は指摘した。そんな思いは誰だってするさ。しかしなんとか克服するか時間が解決してくれる。
彼は生活が楽になることが夢で、それを目的に入信したのだそうだ。
そして今生活が楽になったのだそうだ。 私は指摘した。そりゃ定年退職して退職金が出て、悠々自適の
暮らしに入ればそれまで努力して頑張ってきた蓄えもあり楽な生活さ。長年お疲れ様と。

539 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 18:03:41 ID:SE1uoaNs
>329:一修行者 * zVT5E9ab8Y :2008/12/04 01:55:55 ID:HtFJasJI

子孫さんは書き込みの内容からどう見てもろくにアゴン宗の修行を少しもしていない。
先達ほどの活動ははなから要求しません よ。
平凡な信者でもする例祭運営も星まつり現地修行もした形跡がない。
質問すると出てくるのが護摩木勧進とチラシ巻きと施本だけです。
突っ込むとやり過ぎはよくないと。
例祭運営を一時定期的にするのがどこがやり過ぎなのか?
で登場した何年も前からそうなのだが例祭に参拝もせず土日両日の例祭の真っ最中にカキコ三昧です。
それで自分はシュダオンに近づいたですと。
単なるサボリ会員、幽霊会員に過ぎない。
暇な時間を読書に費やしているだけだが、その仏教書の解釈もお粗末きわまりない。
彼は村木弘昌氏の「釈尊の呼吸法」を読んで実修したと書いていた。
私は質問した。具体的にどう実修したの?と。
あの本は安般守意経の解説を呼吸の効能とともに論じているが、実際の呼吸法の やり方など全然
書いていない。それをどうやってやったのか質問しても答えられず、とにかく具体的な話が全くできない。
こんな人が因縁を切ったなんて書いているのを読んで信じてる一修さんの知性を疑う。
もっとも一修論があるぞと示しながら絶対に具体的に示そうとしない一修さんだからこそ同類項に
共鳴できるのかもしらんが。

540 :Beelzebub ◆YDJ4DIBPYo :2008/12/04(木) 18:07:00 ID:goODnDxX
>>502
お前は無能だな。
私は随分前に論破しているんだが。過去スレッドを
ろくに見てない証拠。スレッド1から読み直して来なさい。
亦、新参者は投稿するべきではない。
無能を晒すだけであるから。
そして、お前のような無能はさっさと斉の広場へ行け。
存在が不快。

541 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 18:21:35 ID:XcycBwK+
斉の広場ってなんだよwww
バカジスイww

542 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 18:58:22 ID:oqSA4eqr
賽の川原だろwww

543 :神も仏も名無しさん :2008/12/04(木) 19:01:45 ID:vxuSQMrR
誰が誰を「論破した」って?
こいつ、ずっと論破されまくりだったのに、記憶を改竄してる。
無能を晒している恥ずかしい奴だ。

544 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 19:09:30 ID:CJIGobKg
>>540
あんたの存在も相当不快だよw

545 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/04(木) 19:36:33 ID:2HKkw3oQ
>>540
で、宝珠尊の和讃は手に入れたか?ピーナツジスイ。

546 :絶対神:2008/12/04(木) 19:36:58 ID:8fVOjqJI
『幸福の科学』統合スレッドpart251

ここで法を説いている。深く熟読せよ。


547 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 19:43:41 ID:f3Jhts9L
不飲酒戒を守っているのに、ピーナッツ食べながらキリゃンビール飲みたくなった〜。

548 :慈水ファン:2008/12/04(木) 19:47:52 ID:PgSDOm40
>>540
何をどのように論破しているのか教えてください。
過去スレのどのあたりか場所だけでもお願いします。

549 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 21:18:37 ID:VYYr1Sgc
ユビキタスさん
ちょっと教えてください。
仏教で言う阿羅漢とは一体全体どの程度の聖者を指すのでしょうか?
インドのヴェーダやヨーガの伝統に登場する最高度の聖者や中国道教や
日本の神仙道に登場する神仙達は、どう考えても俗人に石を投げられて
怪我をして死んでしまうような、存在ではないような気がします。

インドのシッダの伝統にしろ中国道教の仙人にしろ所謂不老不死の境地に
到達したとされる聖者は複数いて、その奇跡的な所業は多くの伝聞で伝え
られています。

「ヒマラヤ聖者の生活探求」や「あるヨギの自叙伝」などにも記されています。

私は仏陀という存在がこれらの聖者のことだとは思わないし、仏=神だとも
考えません。が・・・これらの神と呼ばれる存在と同等の境地まで体得した聖者は
実際にこれまで複数存在し、それぞれの立場で人類を導いているとも思います。

ヒマラヤには齢、数百歳という聖者が何人も隠遁しているとされますが、釈迦は
これらの聖者には出会ってないのでしょうか?

どうも釈迦が説く阿羅漢とはちょっとレベルが低い気がしてなりません。

ここら辺りのユビキタスさんの見解をお願いします。

550 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 21:27:47 ID:SE1uoaNs
>>549
簡単なことです。
阿羅漢とは石をぶつけられてその怪我が重ければ普通に死ぬのです。
なぜなら人間なんだから、生物なんだから当たり前のことです。
仏教は不老不死なんて妄想は説きません。
そんなものを求めること自体煩悩の現れです。
阿羅漢の聖者は怪我して普通に死にますが、そんなことに囚われない、自分の清らかさを汚されないのです。
求めているものが違うのです。
ただしあなたの価値基準でそんなんじゃつまらないと言うのならそれはご自由に。

551 :絶対神:2008/12/04(木) 21:35:53 ID:8fVOjqJI
★★『幸福の科学』統合スレッドpart251★★ (112) 
真理が書かれたスレ。深く熟読せよ。

552 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 22:01:16 ID:CJIGobKg
>>ユビさんへ
スレとは全く関係ないのですが、相談にのってください。
持病の対人恐怖とカルト体験の鬱で
抗不安剤とこう鬱薬を10年も飲んでいます。

ここ半年ほどヴィパッサナーをやっていい感じなんですが、
実際に効果は出ているのでしょうか?

また私のように精神を病んでる者に
一番良い修行法はなんでしょうか?
突然の、またお門違いのレスですみません。
宜しければご教示ください。

553 :絶対神:2008/12/04(木) 22:03:58 ID:8fVOjqJI
>>552

単純に言いましょう。精神を病んでいる人は、宗教から離れた方が
いいです。
はっきり断言しましょう。
釈迦だろうがキリストだろうが、「精神病患者」は「絶対救えません」。
これは、私が保証します。

554 :神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 22:14:35 ID:CJIGobKg
ユビさんに質問しているのです。

555 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/04(木) 22:17:15 ID:SE1uoaNs
>>552
私は精神科の医師ではありませんので、素人が無責任なことはアドバイスできません。
私も一時不眠症、軽いうつ症状ということで抗うつ剤をえーと…3年間服用していた者ですが
アドバイスらしいアドバイスはできないのが正直なところです。
ただ10年のお付き合いならば、無理に脱しようともがくのでなく、それもまたありのままの姿と
自分に寛大に受け入れてうまくやっていく、うつと共存していくという発想転換もされてはいかがでしょうか?

556 :宇宙からのメッセージ:2008/12/05(金) 00:32:51 ID:LaTGlDym
>>515
太陽のフラッシュダンスの奇跡の解析映像
太陽がフラッシュダンスをする時、UFOが飛来してるのを確認できます。
http://jp.youtube.com/watch?v=cGCRBrV0f2s

スペースシャトルから撮影された日本上空を飛ぶUFOの軍団
http://jp.youtube.com/watch?v=-6Wim9EQp_w

コインブラ大学教授、アルメイダ・ガレッタ博士の証言:「私は土砂降りの
雨の中で、ずぶ濡れになってしまった。雨が止むと、きらめく太陽のようなものが、
厚く覆っていた雲の層を突き抜けて出現した。群集の目はいっせいにその方向へ
向けられ、私もそれを見た。輝いているが目がくらむほどのものではなく、輪郭が
明瞭な円盤状の物体だった。外観は良質の真珠のような、鋭く変化のある
透明のようなものだった。。鈍い銀色の灰皿みたいという周囲の声が聞こえたが、
その形容は正確ではない。それは夜空の月にも似ず、それ自体の色も影もない。
むしろ銀色の貝殻を削り取って磨き上げた車輪といった方がよい。誰も霧を通して
見る太陽とは混同しないだろう。円盤の周囲は少しもぼやけず、中心部もはっきりと
輝いていた。たえず変化しながら輝く物体は、目まぐるしく運動し、それ自体が
驚くほど急速に回転していた。」(太陽が2つ現れた丘より)

この奇跡はファティマから遠く離れた地域でも大勢の人に目撃されている。
当時の有名な詩人A・ビエラは、ファティマから40キロ離れた自宅から見た光景を
次のように話している。「私は驚いた。空中のスペクタクルに魅せられた。
まったく聞いたこともない現象なので、びっくり仰天した。このバルコニーから
見たんだ」 この太陽のような円盤は、少なくともファティマを中心に半径40キロの
範囲で目撃されたことになる。すると500メートル以上の高空に出現した、
直径1キロぐらいの巨大な円盤状の物体だったことになる。
http://page.freett.com/dateiwao/fatimaufo.htm

557 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 06:11:27 ID:0znoLvNs
>>555
ありがとうございます。

558 :樹意:2008/12/05(金) 06:44:29 ID:wLABXmCx
うつは危険な病気です、私の周囲の方も何人か自ら命を絶ち、
自殺までいかないにしろ、大学院まで出てバイトしかやれない人もいる。
ゲイカは銀座アボンビルを作る際も、カウンセラーだのを募集し それが身になる
どころか蕪の損失の穴埋めの為に売却したらしいとのこと。

阿含経を学べば学ぶ程ゲイカのウソがはっきり理解でき、
亜ボンがターゲットにする 少なからぬ人々が こういった精神に
傷を持つ方々です。
ゲイカのやることやったことを観れば、アドバルーンだけぶち上げて
中身は一切無い。
つくづく罪つくりな方だと思う。
まぁ、宗教風政治カルトのように二本陣全て宗教家畜同様に貶めようとしないだけ
まだ、ましというものですが。


559 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:35:50 ID:HMx0HOur
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>「神も仏も名無しさん」の問題点は私にとって大きなものは2つあります。

あれだけ具体的な内容について批判されて、その反論が、私のハンドル、
書式や引用の仕方ですか??!!
どうせ書くなら、前宣伝ばかりの一修論でも出して、
批判に正面から反論してアゴン宗の教義を擁護したらどうか。
それとも桐山さんの超能力や因縁切りと同じで、ハデなのは花火だけですか。
そんなことまで桐山さんのモノマネをしなくてもいい。

560 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:37:47 ID:HMx0HOur
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>1.私の考えをかってに想像し、それを断定という形で書いてしまう。
>2.なんでもかんでも管長にむすびつけて批判する。
>それをまた管長崇拝に結びつけ否定する「神も仏も名無しさん」には、やはり管長への「怨み」というものを感じます。

あなたの書いた2はまさに1にそのままあてはまることに気が付いているか。
あなたは、「私の考えをかってに想像し、管長への怨みに結びついていると、断定という形で書いてしまう。」
これがあなたのしていることです。
たった二行の間の自己矛盾すら気が付かない。
私がかってな想像をしているというなら、一修行者さんも
私の考えを「管長への怨み」とかってな想像をしているではないか。
私はあなたの考えを桐山さんと結びつける時は、具体的に中身を示している。
だが、あなたはただ「管長への怨み」という言葉を使うだけで、
具体的な中身は何も示さない。
示さないというよりも示せないのですよね。
私は根拠を示したから批判であり、あなたのは根拠を示していないから悪口です。

561 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:40:35 ID:HMx0HOur
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>1.私の考えをかってに想像し、それを断定という形で書いてしまう。
>313 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/11/27(木) 00:52:35 ID:IVponZ/c
>特に無意識についてユビさんは、無意識?に拒否反応をしめしているというか、探求心は感じられない。
>釈尊が因縁を説いてなくても、因縁から、釈尊へたどり着くことは可能だ。
>赤ちゃんが、無垢なまま生まれてくると考えるなら、無意識に関しては素人だ。

あなたが313でユビキタスさんについて書いたことは想像や断定でなくて、何なのだ?
だったら、自分が無意識の素人でないことを示してみればいい。
何か示したか。
あなたは心理学の一般解説書すら学んだことがない。
桐山さんのオカルト本をそのまま信じ込んで、さも自分は
無意識について深く考察し、何事か知っているかのように思い込んでいる。
心理学の基本すら知らないあなたがこんなことを書くのは、
思い込みと慢心でなくて何なのだ。
私の推測が違うというなら、説明をしてみればいい。
だが、私から前回このように批判されても、そのとおりだから、
何も言えず、悔しいから、想像で断定するなどと書いたのでしょう?
ネットではお互い誰なのかわからず、文章だけで判断する。
私は、あなたの心を断定しているのではなく、推測して読者に説明する。
それが当たっているか外れているかではなく、読者から見て、
説得力があるかどうかです。
それが不愉快なら二つの選択肢があり、一つは、私の推測が外れていることを
あなたが説明して読者を説得するか、二つ目は、出てこないことです。

562 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:42:37 ID:vj+LKN9z
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>2.なんでもかんでも管長にむすびつけて批判する。

何を見当違いなお説教を書いているのだ?
あなたは「無意識」に>>1を読もうとしないのでしょう。
スレの主旨くらい読んで理解してください。
なんでもかんでも桐山さんに結びつけるも何も、桐山さんと結びつかないような話は
ここでは「スレ違い」として、よそに行けと言われる。
桐山さんと結びつく話こそがここでのテーマです。
あなたはアゴン宗の信者であり、擁護を書いている。
それを桐山擁護であるとして批判するなんてここでは当たり前です。

563 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:45:48 ID:vj+LKN9z
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>それをまた管長崇拝に結びつけ否定する「神も仏も名無しさん」には、やはり管長への「怨み」というものを感じます。

こういうことを書くのはあなたが初めてではない。
信者さんたちは口をそろえて、私が「桐山憎し」だと書く。
だが、誰一人私のどこが桐山憎しなのかを指摘した人はいない。
あなたのように根拠も示さずに相手をきめつけるのを悪口というのです。
あなたは言葉こそ丁寧だが、相手を罵倒しているのと変わりない。
信者が私に「桐山憎し」「怨み」だと書くのは、理由は簡単で、
批判された内容に何も反論できないからです。
大嘘つき、ペテン師、山師、宗教詐欺師と私が批判する時には
必ずその根拠を示している。
あなたみたいに根拠も示さずにただ「怨み」なんて書きません。
なぜかわかりますか。
アゴン宗批判以前の問題として、あなたみたいな態度を男として
みっともないと思っているからです。
女子供じゃあるまいし(あえて差別用語を使う)、根拠も示さずに
「怨み」などとキャーキャーと相手を罵るなんて、男として格好悪すぎてしたくない。
反論できないから、悔しいのが見え見えです。
私は内心悔しくても、わざわざ自分からその感情を相手に悟られるような
「怨み」などという言葉を出すくらいなら、沈黙を選ぶ。

564 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:48:59 ID:vj+LKN9z
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>それをまた管長崇拝に結びつけ否定する「神も仏も名無しさん」には、やはり管長への「怨み」というものを感じます。

あなたは無意識などと心に関心を持つわりには、相手の心の分析すらできない。
私の書き込みを読んで、怨みなどと判断するようでは、ダメです。
私の文章に表れている感情は、一つ選択するなら、怒りです。
私は普通の人間だから、桐山さんに感情が何もないなどとは言わない。
だが、桐山さんに根拠もなしに詐欺師などと罵声を浴びせたことはありません。
他人を宗教で騙して、金や時間や善意をむしり取って、己が欲望のために
浪費しているという事実を示した上で宗教詐欺師と批判している。
怒りはあっても、そのまま爆発させるのではなく、
これを批判という行為に昇華させているのです。
批判側の多くがそうです。
一修行者さんもこういう態度を真似して欲しい。
空虚な無意識の話や、あなたの私への不快感をそのまま裏返しにして
「怨み」などと書いたり、一修論とやらをこそこそ隠すのではなく、
堂々と出して男らしく戦ったらどうか。

565 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:52:51 ID:vj+LKN9z
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>しかし、なぜか私には「神も仏も名無しさん」の人としての気持ちが伝わってこない。

当然です。
あなたに人としての気持ちを伝えようなんてしたことはないからです。
桐山さんのあれだけの嘘を示されても、まだ擁護して宗教詐欺師の
片棒を担ぐような人に「人」として何かを伝えたいなんて思いません。
これは大日さんが、私の文章に愛がないと書いた時も返事している。
私は、一修行者さんや大日さんを相手に批判や議論を書いているが、
それはあなた方を対象としているのではない。
私はこれを舞台の上の漫才にたとえ、あなた方はその相方です。
漫才を聞いてほしいのは相方ではなく、観客です。
沈黙して読んでいる信者たちが私の対象です。
私は沈黙の信者の中には、正しく説けば正しく理解する人が出てくると思っている。
そんな人は十人に一人もいないだろうが、百人に一人でも私には十分です。
あなた方は気が付いていないうちに私のドツキ漫才の相方をさせられているにすぎない。
だから、私は相手が誰だろうが遠慮しない。
舞台の上に出てきてくれた信者や擁護側が私のドツキ漫才の相方です。

566 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 12:56:03 ID:vj+LKN9z
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>しかし、なぜか私には「神も仏も名無しさん」の人としての気持ちが伝わってこない。

舞台の上に出てきてあなたは個人ではなく、「アゴン宗の信者」なのです。
私はあなたを相手に、いかにアゴン宗がデタラメで、桐山さんが嘘つきかを示す。
桐山アゴン宗を信じているからこそ、あなたは信者をしている。
だから、何か書けば、あなたにその気がなくても、桐山擁護になっている。
私はそれらが根拠がないことを観客である信者に向かって説明するのです。
それが教義だけとは限らない。
アゴン宗の教義は矛盾だらけだから、これを擁護するためには信者は
知性を麻痺させるしかなくなる。
あなたが運命解脱の話を最初に出していながら、途中で前言撤回で進路変更した。
教義が矛盾しているから、説明しきれなくなったのです。
進路変更を何とも思わないだろうが、信者の中には冷静にそれを見て、
あなたが論に詰まったことを気が付く人もいる。
私はそれを読者に示すことで、アゴン宗が矛盾だらけであり、
それを信仰すれば、一修行者さんのように知性を麻痺させ、
あるいは愚かな屁理屈を並べるしかなくなることを示しているのです。
もっとも、あなたの場合、一修論とし称して花火だけ上げて、
中身を示さないという姑息な手もありましたね。

567 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:00:17 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>しかし、なぜか私には「神も仏も名無しさん」の人としての気持ちが伝わってこない。

あなたがこういう相方ではなく、会話する相手なら私も遠慮するかもしれない。
だが、私がここに来ている目的は信者に情報を伝えることです。
信者とマターリすることではない。
だから、前回、一修行者さんに反論を加えた時、大日さんも一緒に反論した。
内容的には、一修行者さんだけで十分で、大日さんを引っ張り出して、
批判する必要はない。
会話や交流を重んじていたら、大日さんは引用しなかったでしょう。
なぜなら、引用しなければ、大日さんの私への反発心はもっと少なくて済んだ。
だが、私は反発することを百も承知で引用して、批判した。
なぜだと思いますか。
一修行者さんや大日さんを何とかしようと思っていないからです。
これだけ事実を提供され、自分たちの理屈を丁寧にことごとく論破され、
それでも信じているような頑迷強固な相手を何とかしようなんて気はありません。
だが、読者の中に必ず目の覚める人がいます。
だから、一修行者さんも大日さんには踏み台になってもらう。
アゴン宗の擁護などどこからも何一つ成り立たないことを示すために、
お二人には、舞台の上でハリセンでぶっ叩かれてもらう。
だって、それに耐えられるだけの神経を持っているからまだ信者として出てくるのでしょう。

568 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:03:57 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>笑うのは自由ですが、私は慈水さんと如来の子孫さんが切ったのは因縁であって煩悩などとは書いてません。

すでに青柿さんが一撃であなたを倒しているし、ユビキタスさんも反論している。
私はさらに別な視点から反論します。
あなたには桐山さんへの信仰心すらない。
アゴン宗で悪因縁を霊視して、切ることができて、どの程度切ったかを
霊視することができるのは今でも桐山ゲイカお一人です。
信者が勝手に、自分の因縁がキレタなどと発言するのは慢心にすぎない。
桐山ゲイカは信者のこういう勝手な行為は決して認めない。
だが、あなたはこれを認定した。
しかも、ヂミズさんは信者ではない。
桐山さんはアゴン宗でなければ絶対に因縁は切れないと宣言している。
なのに、おそらくは立宗前後にはやめてしまったヂミズさんを
あなたは因縁がキレタと認定した。
解脱供養もろくに出していないヂミズさんがどうして因縁がキレルのだ?
霊障が残っていれば、因縁は切れないというのがアゴン宗の教義です。
因縁がキレタというあなたの主張をアゴン宗の教義にのっとり、説明してみなさい。
それとも、桐山ゲイカよりもあなたのほうがエライのか。

569 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:07:30 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>笑うのは自由ですが、私は慈水さんと如来の子孫さんが切ったのは因縁であって煩悩などとは書いてません。

この二人の桐山さんへの裏切り行為はそればかりではない。
ヂミズさんは信者でもないのにアナゴンを宣言し、子孫さんは
準シュダオンかシュダオンであると宣言している。
あなたはこれを容認したのと同じです。
アゴン宗のシュダオンやアナゴンとは因縁を切った人のことをいう。
あなたは彼らが因縁を切ったと認めているのだから、
二人の聖者宣言を認めたことになる。
アゴン宗のシュダオンとは解脱供養などを出し、霊的に清められた人をさす。
信者でないヂミズさんがどうやって霊的に清められたのだ?
桐山さんは公式にはシュダオンなど認めていないのだから、
アゴン宗では子孫さんはシュダオンであるはずがない。
梵行もろくにせず、例祭すらもさぼっている子孫さんのどこがシュダオンなのだ?
アゴン宗の正しい教義にのっとり、子孫さんが準シュダオンや
シュダオンであること、ヂミズさんがアナゴンであることを説明してみなさい。

570 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:10:46 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>笑うのは自由ですが、私は慈水さんと如来の子孫さんが切ったのは因縁であって煩悩などとは書いてません。

前にも書いたと思うが、大日さんを桐山依存症などと小馬鹿にするのではなく、
彼がこの数ヶ月の間に態度を変えた内容を吟味し、参照し、学ぶことです。
アゴン宗を擁護するために小賢しい屁理屈を並べても、無理だと彼は悟ったのです。
だから、自分の守るべき最小限の陣地まで撤退した。
そこから少しでも出ようものなら、モグラ叩きのモグラになるのを知っているからです。
だが、一修行者さんはそのことを理解せず、一修論などと山の上に空虚な陣地を築いた。
一修論への私の反論は読んでいただけましたか。
上記のような理屈を並べれば並べるほど、やがてどこかで矛盾する。
私に反論して一撃加えたつもりが、青柿さんに指一本でひっくり返された。
あなたが、自分がひっくり返されたと自覚するだけの
知性や羞恥心を持っているかどうか、反応をみんな見ている。
ここではすでに何人ものあなたのような無鉄砲な道場破りが現れては、
中には自分でコケテ、観客の笑いを誘った。
あなたは何人目だろう。

571 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:14:16 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>1、ハンドルネームをつける。

私はポリシーなど何もなく、ハンドルをつけることに何の問題もためらいもない。
だが、あなたのような反応がそうであるように、つけないほうがおもしろいと思っているのです。
こうやって、擁護側は本論で反論できなくなると、必ず名無しに因縁をつけてくる。
それがあなたがどういう性格の人なのかを露わにしている。
あなたの提案にあるから書くが、私はあなたとの会話は必要ありません。
私は飯を食うために働かなければならない俗人なので、これだけ桐山さんの
嘘と、彼が宗教詐欺師であることを示されても、それでも彼を擁護するような
人と会話していられるほど暇ではない。
何度も書くが、この文章すらも、沈黙して読んでいる信者のために書いている。
あなたのためではない。

572 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:18:57 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>2、いくつかに分けて書き込む時、レスの頭を「続き」と書いて、いちいちレスつける人の名前と内容を繰り返さない。
>これがしつこいと思われる理由の一つです。

あなたは自分の姿はいっさい見ない人なのですね。
他人に書式のお説教ができるほど、あなたは立派な書き方をしていない。
たとえば、そちらに引用したのなら、なぜこちらのアドレスなり、
スレのタイトルをきちんと添付しないのだ。
自分のことばかりで、読者を意識していないからです。
私の文章をただ引用してそちらのスレに貼り付けても、私はわかるが、読者はわからない。
あなたは自分が読むことばかりで、途中から読んでいるかもしれない読者の
ことなんか頭にないのです。
私は当初、そちらのスレのタイトルだけを書いていたが、
私文書さんからアドレスも入れたほうがいいと助言され貼り付けている。
私文書さんもアドレスなどなくてもどこのことか知っている。
私文書さんの助言が、他人を含めた広い視野から見ているのに、
あなたにはそんな視点すらなく、なぜ相手がそれをしているのか意味も理解できず、
ただ偉そうにお説教を垂れる。

573 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:22:09 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>2、いくつかに分けて書き込む時、レスの頭を「続き」と書いて、いちいちレスつける人の名前と内容を繰り返さない。
>これがしつこいと思われる理由の一つです。

あなたが上記を書いた本当の理由は、自分の文章の
痛いところを何度も何度も貼り付けられるのが不愉快だからです。
私はそれを意図して貼り付けているのです。
読者に相手(一修行者さん)の長い文章を読め、ではなく、読者に、
「一修行者さんのコノ文章を見て下さい」と必要最小限を
引用して、その代わり、何度も貼り付けて、印象づけるのです。
こうすれば、読者は、私に指摘されなければ読み流すような文章でも、
「へえ、こんなことを一修行者さんは書いていたのだ」と印象に残る。
もちろん、私は相手が一番愚かなことを書いた部分を引用する。
それがどのように愚かかを、視点を変えて批判するのです。
だから、時には信者側の主張をわかりやすく説明する。
そういう私の意図を理解した上で上記を書いたのではありませんよね?
しつこいのではなく、あなたの痛いところを四方八方から何度も突っつくから、
不愉快なのでしょう?
それに対して、直に反撃できないから、こうやって書式にまでお説教を垂れた。
性格を否定するなどと言われても、こうやってあなたは自分の欠点を
そのまま出してくるから、私はそれを指摘しているにすぎない。

574 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:28:05 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>3、なるべく相手の性格を否定する語句を使わない。

これがあなたが三つの中で一番言いたいことです。
「ただのオカルト好き」と言われたのがものすごく腹が立ったのでしょう?
気持ちはわかるが、性格を文章に出しているはあなた自身であって、
私が引きずり出したのではないし、ましてや性格の否定などしていません。
勝手に自分で舞台に出てきて、「見るな」というのはおかしい。
だったら、出て来るな、です。
あなたと違い、私はここで信者と交流したいのでも会話したいのでもない。
沈黙の信者たちに情報を伝えるのです。
アゴン宗の信者にもいくつものパターンがある。
一修行者さんと似たような信者もいる。
その信者は自分が直に批判されたら、腹を立て反発する。
ちょうどあなたのようにです。
だが、他人であるあなたを批判される分にはそれほど痛くない。
そして、あなたと同じように、桐山さんが投げた無意識やチャクラという
オカルトの餌に食いついて、ズルズルと信者をしているのを
「ただのオカルト好き」と批判されると、自分にあてはまることに気が付く信者もいる。
つまり、あなたと同類の信者が10人読んでいるなら、
そのうちの一人くらいは「ただのオカルト好き」に、直撃ではないから、
「あ、ヲレのことだ」と素直に認めてしまう人もいるのです。
あなたのように頑迷にしがみつき、しかもその自覚もなく、
むしろ他人にお説教を始めるようなエライ人は私の対象外です。

575 :絶対神:2008/12/05(金) 13:30:28 ID:OVIMkI6h
★★『幸福の科学』統合スレッドpart251★★ (236)

ここでまた説法し始めたよ。読んでみるといいよ。
真理が説かれているよ。仏教徒には「かなりきつい」真理だけどね。


576 :神も仏も名無しさん:2008/12/05(金) 13:37:50 ID:pDoUjN7m
>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>以上ですが、今後登場する会員の人に書き込む時参考にしてください。

一修行者さんの態度は何も変わらないのに、私に変えろというのですか。
いったいどこまで自分を見ないで済む人なのだろう。
あなたの提案に対して、私も提案しましょう。
信者をもっと意識して書いたほうがいい。
信者を意識して書いたら、ヂミズさんや子孫さんを支持するなんて絶対にできない。
あなたは実行委員長さんとも会話している。
求聞持法を成就したと名乗っている男です。
こういう連中は、アゴン宗から見ても裏切り者です。
桐山さんが認めてもいないことを勝手に名乗って、
さらには桐山さんが説いてもいない教義を勝手に作り上げている。
こういう信者へのあなたの態度は中立ではない。
明らかに「敵の敵は味方」です。
批判側に敵対し、アゴン宗をちょっとでも擁護する相手なら、内容がデタラメで、
桐山さんの顔に泥をぬるようなことを書いても、あなたは相手にする。
桐山さんは、彼らのような信者こそ最も嫌うと知っているか。
元信者の批判側なんて桐山さんはさして気にもしていない。
しょせん、アゴン宗の外にいる連中です。
だが、アゴン宗という桐山さんの大事な大事な財産の内部に入り込んで、
勝手なことを言って子孫さんや実行委員長さんなど、桐山さんは絶対に認めない。
一修論という、桐山さんとは違う勝手な理屈を作り上げただでも、
裏切り行為なのに、さらにこんな連中まで認めたら、あなたも彼らと同類と
みなされ、批判側からはあざ笑われ、信者からも支持されませんよ。

577 :実行委員長:2008/12/05(金) 13:59:33 ID:j4a8Pury
私は御霊示により、般若心経踊りを編み出しました。

578 :高城浄海:2008/12/05(金) 14:36:12 ID:6j+ZPdMm
>>577
初護摩の奉納演芸かな?

579 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/05(金) 15:12:43 ID:1tuxwECN
>>577
早くも2009年の流行語大賞狙っているのかな?
「グ〜」でなくて「ク〜」
振り付け:エロ マスオ

580 :宇宙からのメッセージ:2008/12/05(金) 20:07:39 ID:ZTNr1QwF
>>515>>556の続き

ツァイガイスト精神の時代
http://video.google.com/videoplay?docid=-7913776862105239439

ツァイガイストが一つ見落としてる精神を教えます。
宗教精神と宇宙がシンクロするのは当たり前です。
人は小宇宙であり大宇宙と繋がっているからです。
人が信仰で大きな過ち犯したのは神が自分の外に
あると考え神の救いに縋ってきたことにあります。
人は小宇宙と大宇宙と一体であり繋っている宇宙観は
バラモン教のヴェーダの精神(梵我一如)にあり
そして即我宇宙を知ったものが宇宙の真理を悟ったと
勘違いしている者が多いのです。

釈迦がアンチヴェーダにあった理由の一つに
一人一人の精神性の重要性があるのです。
全ての人は即我宇宙にあり即我宇宙など知らなくても
一人一人が清く正しい生き方にあるからなのです。


581 :阿含宗HP:2008/12/05(金) 20:32:28 ID:wHdNpdNP
08.12.05

『月刊正論1月号』に「イスラエル大柴燈護摩供」関連記事が掲載

12月1日発売「月刊 正論」1月号に
『靖国の杜に吹いた風、エルサレムに燃えた炎』
---それぞれの殉難者に祈りを捧げ、世界平和を願った宗教者の気概に
 ついて考える---

と題して記事が掲載されました。


ご一読くださいますようお勧めいたします


582 :神も仏も名無しさん :2008/12/05(金) 23:37:59 ID:s8iP6ydh
>>575
お前、叩かれまくってるのに、何故他のスレに宣伝するんだ?
恥をさらして楽しいか?

583 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/06(土) 00:26:13 ID:k6bhh7sy
桐山氏を成就できなかった人は、
なにも成就できなかったまま終わります。

584 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/06(土) 00:28:19 ID:EvZOezNo
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/

>329 名前: 一修行者 ◆ zVT5E9ab8Y 2008/12/04(木) 01:55:55 ID:HtFJasJI
>しかし、なぜか私には「神も仏も名無しさん」の人としての気持ちが伝わってこない。

鈍い感性の人ですね。
私は十分人としての気持ちが伝わりましたよ。まだ擁護側だった時代も。
他にも同感の人が彼によって目覚めた元信者の中に何人もいるはずです。

585 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 12:20:45 ID:1FE8qlws
ユビキタスは、糞蛆w

586 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 15:00:26 ID:WOpQ0dl0
マスオ君ほど仏教と仏陀を冒涜した奴も珍しかろうに・・・。

587 :Q:2008/12/06(土) 15:05:42 ID:kJfA2Uq0
さて前回から一週間経ちました。
今回はコテハンをつけます。

>>332 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、>汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
>全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
>>410:神も仏も名無しさん
>こういう解釈は学者たちにも支持されているのですか?

どうせいつものハッタリだろうから
それではあなたの考えこそ学者たちに支持されているか?
と逆に質問してみたのです。
だが一週間待ってもついに返事はこなかった。
あなたの解釈を支持する学者などいないのです。
四禅三明が多くの学者の支持を得ていないというのなら
あなたの説を支持する学者はゼロです。

「心が統一され・・・」の文は
>>304の宿命通を含めて三箇所出てきますが
中村博士はどれに対してもノーコメントです。
博士はブッダのさとりとは何か、
というテーマの中で宿命通を出しているのですよ。
もしこの文が解脱した意味になるのなら何故ノーコメントなのだ?
「心が統一され・・・」でブッダは解脱したのだよ。
後は自分が過去世で輪廻している姿を確認しているだけだ」
と何故書かないのだ?

588 :Q:2008/12/06(土) 15:07:57 ID:kJfA2Uq0
七氏さんの解釈は、中村博士や他の仏教学者たちの支持は得られません。
彼の主張をまとめるとこうなります。

1.ブッダは三明の前に解脱している。
2.三明は確認する能力である。

彼は解脱と三明をどうしても切り離したいのでこのような解釈を作り上げたのです。
だが仏教書を読めば七氏さんの解釈が間違いであることに気づきます。
解脱とは何か?
彼は「神通力による解脱」を批判した中で博士の文章を引用しています。
(この文章は「さとり」について書かれたものですが解脱批判で引用したのは
彼が「解脱=さとり」と考えているからでしょう)

>113 :神も仏も名無しさん
>「このようにいろいろと説かれているために「さとり」とはなにか、
>ということを一語で表明することは非常に困難である。」
>(『ゴータマ・ブッダ T』中村元、415頁)

これがブッダのさとりに関する博士の結論です。
しかし実はこのあとにまだ文章が続いているのです。
それを書かないところが七氏さんのズルさです。

「ただ、「さとり」を意味する諸原語についていえば、
「真理にめざめること」 「真理を知ること」
「または完全にはっきりと知ること」である。」
( 同書 415,416頁)

何と、「さとり」(解脱)には「真理を知ること」という意味があるのです。

589 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 15:09:17 ID:WOpQ0dl0
Qは本当は信者じゃあないね・・・。

590 :Q:2008/12/06(土) 15:09:34 ID:kJfA2Uq0
解脱」についてはこのような記述もあります。

かれに「苦悩は存在しない」。それが解脱の境地である。
この解脱の境地は、次の詩に簡潔に表明されている。
(中略)
二.傍らにたったカッサパなる神の子は、尊師のもとで次の詩をとなえた。
「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、心の思いの起こらぬことを望み、
世の興亡盛衰をさとって、善い心で、こだわることがないならば、すぐれた境地が得られる。』
それはまた人生において確信を得ることであった。
『精励と堅忍とを身に具現し、つねにヨーガに専念せよ。
賢明なる人は、苦しみの終滅に達しないうちは、確信を得ることはできないであろう。』
この句から見ると、解脱は確信を得ることと同じであると解してよいであろう。
(原始仏教の思想T 841頁)

解脱とは「確信を得ること」なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また「知る」についての記述もあります。

『原始経典のうちの散文部分になると、右の趣意がさらに詳しく説明されている。
<知る>というはたらきは、人間の欲望や執着を捨てさせ、汚れから隔離させる作用をもっている。
その作用は<知る>というはたらきにとって本質的なものである。』
(原始仏教の思想U 中村元、569頁)

何と、「知る」には、人間の欲望や執着を捨てさせ、汚れから隔離させる作用があるのです。

591 :Q:2008/12/06(土) 15:15:24 ID:kJfA2Uq0
「解脱」とは「真理を知ること」であり、「確信を得ること」です。
そして「知る」には人間の心を浄化する働きがある。
それに気づけば三明とは解脱のことであると理解できます。

宿命通(自分および他人の宿世の生死の相を知る)
天眼通(自分および他人の未来世の生死の相を知る)
漏尽通(現在の苦の姿を知って一切の煩悩を断ずる)
         (原始仏教の思想T 50頁)

これに反論するには、まず三明の前にブッダが解脱していることを証明しなければならない。
それには仏教学者の根拠が必要なのです。
ゲイカ説は学者の支持を得ていないと常に批判しているのだからそう言われて当然です。
素人の説明などお呼びでない。
学者の根拠が出せなければ諦めるよりほかありません。
だから頑張って探し出してください。

592 :Q:2008/12/06(土) 15:17:02 ID:kJfA2Uq0
>>444 :神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 18:36:03 ID:yPHONaWU
>「も」と「を」の書き間違いを認めただけで、内容を歪めたことは認めていません。
>あなたは経典の書き写し間違いをしたのではなく、別な意味にとれるように
>変えて、しかも内容的に正当だったとまだ主張しているのだから、意図的な捏造です。

それで気が済むなら言い続けなさいと言ったら
言葉どおりに受け取るところがいかにもこの人らしい。
普通ならああ言われれば少しはためらうものだが。
書き間違えを捏造だと言いたければそれは構わない。
こちらもあなたの言い分を無視してレポートするからお互い様です。
それから書き間違えたのは経典ではなくて私の説明文の方です。
経典の方は間違えていません。
事実とちがうことを書かないように。

593 :Q:2008/12/06(土) 15:25:53 ID:kJfA2Uq0
>>445>>446>>447
どんな理屈をつけてもこの文が解脱者と未解脱者を指していることには変わらない。
無駄な抵抗はやめなさい。

>310 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:58:21 ID:BNsw6c1F
>解脱して神通力を獲得した者だけが、あるいは解脱の過程で意生身を作れるというのです。

>>259 :神も仏も名無しさん
【落武者実態レポート】
★自爆マニア!!(解脱の過程で意生身が作れると書いていた)


そろそろ忘年会シーズンです。
私とデュエットでもしませんか?

♪解脱の家庭ぐらい 大目にみろよ  
  ♪ひらきなおるその態度が気にいらないのよ
♪解脱の家庭ぐらい 大目にみてよ  
  ♪両手をついてあやまったって許してあげない

594 :Q:2008/12/06(土) 15:28:57 ID:kJfA2Uq0
【落武者実態レポート】
★印象操作が大好き!!
(縁起説が定説であるかのように見せかけた)

>>113 :神も仏も名無しさん
>さらに、これらの説の中で普通最も言われているのは十二縁起です。
>「普通よく引かれるのは、律蔵の記述に従って釈尊が十二因縁の理を
>さとったということである。」((『ゴータマ・ブッダ T』中村元、392頁)

ここまで書いて次を書かなかった。



『またチベット『律蔵』および漢訳『有部律破僧事』によると、
釈尊はすでにさとりを開いたあとで、
しばらくたってから十二因縁を観じたのであり、
縁起説とさとりのあいだに本質的な連関は存在しない。』
(398頁)

『さらに原始仏典の古い層では、はるかに簡単な縁起説が説かれている。
したがって律蔵などに説かれている十二支縁起説は、
原始仏教のうちでもかなりおそい時期になって、
釈尊のさとりを説く場所に挿入されたにちがいない。
ともかく散文部分の十二因縁の説は、
さとりのときに釈尊の説いたものではないということがはっきりと断定できる。』
(400頁)

595 :Q:2008/12/06(土) 15:31:15 ID:kJfA2Uq0
>>399 :樹意
>Qさんは七氏さんに相手してもらってよかったね。
>ゲイカはあのザマですしね、 代作さんにはこころの支へが必要です。
>七氏さんの広大な慈悲心におすがりするのもたまには いいことです。

レスの質が年々低下しています。
かなり症状が進んでいるようです。
もう回復は望めないかもしれませんが
早急に精神科の診察を受けることを強くお勧めします。
近代医学にすがるしか生き残る道はないでしょう。

596 :Q:2008/12/06(土) 15:35:48 ID:kJfA2Uq0
中村博士の本を読めば読むほど
七氏さんや指きたすがインチキであることが実感できます。
皆さんも機会があれば是非読んで見てください。


597 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 15:40:43 ID:WOpQ0dl0
中村博士の本はよく読んだが、桐山が詐欺師であるとしか実感できないんだが。

598 :私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/06(土) 17:37:54 ID:QFDTaCfN
>>596
桐山なんかインチキ通り越して別の宗教みたいじゃないか。
独りよがりなこと言ってないで>>589みたいな疑惑を払拭してもらおうか。
私を三歳児以下認定したんだから大人の責任を取りたまえ。
チキン呼ばわりしたんだから私がした以上のことはやってくれ給え。
阿含宗が一口十万円ものカネを取る商売の根拠を答えるなり訊くなりしたまえ。

Klingo〜n・ペテン大作改めQよ、
何時になったら「第九識=霊魂」の筋道通った根拠や典拠見せてくれるの?
桐山が言ってるから?学者でもなければ僧侶ですらない桐山の言うことなど
根拠などになりません。それは「あくまでも桐山の臭い口が勝手に言ってる」に
過ぎません。

もしかしたら根拠とか典拠の意味が解らないのかな?
経典や論書、実績ある学者の説などを引用すればいいんだよ。わかったかな?
既に説明したような真っ赤なウソをつくなよ。

それと「最高霊格者」のこれらの所業の説明をしてもらおうか。
「経典改竄・偽僧侶・偽阿闍梨・偽本尊・歴史上実在しない霊障武士」

それとこれにも答えてみろ。

>阿含宗という宗教143
>334 名前:Q 投稿日:2008/06/16(月) 15:05:10 AcmW0BMW
>伝法会?
>護摩許し状まで行きましたよ。

おまえ伝法会護摩許しまでもらったんだな?

火舎香炉の盛り方書いてみろ。

599 :羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/06(土) 18:52:12 ID:vK49XYMx
有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。

600 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 21:23:29 ID:FUicKcCK
「阿含宗という宗教151」を立ち上げました。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228566052/l50


601 :神も仏も名無しさん :2008/12/06(土) 21:43:17 ID:Rx9KzvWy
>>600
乙!

602 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:02:41 ID:6vqPNoyl
>>587 :Q:2008/12/06(土) 15:05:42 ID:kJfA2Uq0

ペテン大作さんが長々と書いているが、テーマは一つだけで、桐山解脱です。
「桐山解脱・・・神通力でカルマを断ちきることが解脱である。」
私はこれを批判して、仏教では、解脱とは煩悩を切ることであって、
カルマを切ることではない、また煩悩を切るのも神通力で切るのではない、と指摘した。
ペテン大作さんが桐山解脱が正しいというなら、経典の根拠を示せばいい。
ペテン大作さんは毎回口角泡を飛ばして、私の指摘に難癖をつけて、
最後にはレポートと称して、一方的な主張を書き並べて、
勝った、勝ったと大喜びするのが毎度のパターンです。
だが、信者さんたちは、今回の彼の書き込みもよく見てください。
桐山解脱を証明するようなものを何か示しましたか。
十個ほどの書き込みをしているのに、なんにもありません。
ただの一行も根拠としての経典も学者の説も示すことができない。
それをごまかすために、私の主張や根拠に事細かに因縁をつけているだけです。
ペテン大作さんは中村博士の本まで引っ張り出しているのだから、
彼なりに読んだのです。
だが、それでも桐山解脱の根拠を探し出せなかった。
こういう点をよく信者さんたちも見てほしい。
彼でなくても誰も探せません。
もちろん、学者は神通力でカルマを切るのが解脱だなんて説いていない。
神通力でカルマを切るなんて桐山解脱などどこにも存在しないのです。
本日の話はこれで終わりです。
この後は理解力の遅いペテン大作さんへの同じ内容の返事ですから、
時間のある方のみおつきあいください。

603 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:05:42 ID:6vqPNoyl
>>587 :Q:2008/12/06(土) 15:05:42 ID:kJfA2Uq0
>あなたの説を支持する学者はゼロです。

私の説?
あなたは四禅三明の説と私の説とが対立する内容だと思っているのですね。
何度説明されても理解できないようだ。
先に言うが、私がこの説明をするのは三度目です。
あなたも桐山さんと同じで、学者たちが、解脱の内容は何かという点で
いくつかの説を立てて、争っていると思っている。
私はそれ自体が間違いだと批判したのです。
釈尊の解脱の内容は、いろいろな説があるのではなく、
経典に出てくる釈尊の説明をまとめるなら3〜5項目くらいあるのです。
それを私は>>112でアゴン宗寄りの菅沼先生の解説まで引用して示した。
学者たちは、それぞれの項目のこれのみだと主張しているのではありません。
なぜなら、阿含経で釈尊がそのまま説いているのだから、
この中の一つだけだなんて誰も言えない。
だから、四禅三明が解脱ではないなどとは誰も言っていない。
釈尊は解脱した時の解説に四禅三明を出しているのだから、当たり前です。
だが、桐山さんは、四禅三明だけを取り出して、神通力で解脱したのだと
主張しているから、そんなことはないと批判したのです。

604 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:08:49 ID:6vqPNoyl
>>587 :Q:2008/12/06(土) 15:05:42 ID:kJfA2Uq0
>それではあなたの考えこそ学者たちに支持されているか?
>と逆に質問してみたのです。
>だが一週間待ってもついに返事はこなかった。
>あなたの解釈を支持する学者などいないのです。

「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
という経典の文章の意味が、解脱でないという学者がいるなら出してみなさい。
と私から言われて、あなたは出せたのか。
自分は出せもしないで、私には執念深く要求する。
これが解脱を示すなんて当たり前すぎて、誰もわざわざ「説」などと唱える人はいません。
桐山さんやあなたみたいに、神通力で解脱したなんて説を出すから、
四禅三明の前なのか後なのかなんて議論が出てくる。
普通の学者たちは、神通力で解脱するなんてオカルトは
誰も信じていないから、そんな議論すらおきません。
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
という言葉を普通の国語力で読めば十分で、煩悩をなくした状態を指し、
これを解脱前であるなどとは誰も言わない。
あなたが調べた中村博士の本に、四禅三明の神通力でカルマを断ちきって
解脱したとどこにあるのか、示してみなさい。

605 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:15:24 ID:6vqPNoyl
>>594 :Q:2008/12/06(土) 15:28:57 ID:kJfA2Uq0
>(縁起説が定説であるかのように見せかけた)

縁起説が定説だと私が書いたという根拠を示してください。
私はそんなことは書いていない。
>>113の私の説明と、あなたが引用した中村博士の説明となんの矛盾もない。
113をどう読めば、あなたのようなねじくれた解釈ができるのだろう。
私は、
「そのうちどれが最も正しいか、などと強く主張する学者などいません」(>>113)
と、縁起説が正しいなんてそもそも主張していない。
ただ、この中で、最もよく言われるのが縁起説だと書いたのです。
しかも、それを私の独断ではなく、中村博士も説明しているとして以下を引用した。

「普通よく引かれるのは、律蔵の記述に従って釈尊が十二因縁の理を
さとったということである。」(392頁)

繰り返すが、私は縁起説が定説だとは書いていない。
特定の説を学者が主張しているのではないと書いているのです。
それをまるで私が縁起説こそが定説であると書いたかかのように
勝手に読み違いして、中村本を歪めたかのように書いている。
つまり、いつもようにあなたの読解力の低さが問題なのです。
これがあなたの一つ目の読み違いです。
しかし、あなたはもっとすごい読み違いまたしましたね。

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